第8話 この世界、魔法使えるだけじゃダメなんだけど
第8話です。
都会に来ました。
私だったら間違いなく観光モードになります。
都市の外門の内側は、門をくぐった瞬間から別の世界だった。いや、異世界に来ておいて別の世界も何もないのだけれど、村から街道へ出たときの驚きとは種類が違った。
高く積み上げられた城壁の影が、朝の光を斜めに切って地面に落ちている。その影の中を、荷車、馬、巨大な荷台を引く獣、鎧を着た人、布を何重にも巻いた商人らしき人たちが、途切れず流れていた。
「すごい……! 街っていうか、都市じゃん!」
「首都だからな。まあ、初めてならそうなるよな」
レオンが短く笑った。
彩は私の隣で周囲を見回し、荷車の隙間、人の流れ、兵士の配置を順番に確認していた。楽しむというより、完全に警戒モードだ。
「ひなひな、はしゃぐのよしなさい。目立ちすぎる。離れないで」
「はーい。お母さん」
「誰がお母さんよ」
奏は門の上部に取り付けられた魔石らしきものを見ていた。彼は人混みに押されても視線だけは上へ、横へ、足元へと忙しく動かしている。
「すごい。いたるところで魔石が使われている。しかも制御している人が見当たらないものもある。何らかの自動制御手段があるんだろうか……」
「相変わらずの観察眼、奏らしいね」
悠が少し顔をしかめながら言った。いつもの余裕はあるけれど、目だけは忙しく動いている。彼も情報量に押されているのがわかった。
門をくぐって、真っ直ぐ続く道は、幅も広く、中学の卒業旅行で行った札幌の大通公園を思い出した。両側にはびっしり建物が並んでいる。石畳はよく踏み固められ、雨水を流す溝まで整えられていた。村の土道に慣れた足には、硬くて平らな地面が少し怖い。
建物の建て替えをしている一角もあった。木の足場、石材、縄、滑車。その中心で、数人の作業員が腕輪の魔石に触れながら地面に手を向けている。低い音が響いたかと思うと、切り出された石材がゆっくり持ち上がり、別の作業員が合図を出す位置まで滑るように動いた。土魔法、だと思った。でも村のお爺ちゃんが畑の土を動かすのとは全然違う。石材の重さを感じさせることなく、決められた高さへ、決められた速度で、事故が起きないように運んでいる。
「うわ、建設現場で魔法……! でっかい! でも、なんか……地味?」
私の正直すぎる感想に、彩が横目で睨んだ。
「ド派手な戦闘ばかりに目を向けてこういう本当に役に立つ魔法の価値が見えないのよ。あれ、普通にすごいから」
「いや、すごいのはわかるよ? わかるんだけど、もっとこう、ドーン! バーン! って建物が生える感じを想像してた」
「この異世界は生成とか召喚とかできないからね」
悠が冷静に突っ込む。容赦ない。私は唇を尖らせた。
「わかってる。わかってるけど、異世界の都市建設って聞いたら、ちょっとくらい夢を見たいじゃん」
「ひなひなが期待した魔法建築とは違うけど、これはこれでかなり高度だと思う。それに、一瞬の大魔法より、毎日同じように安全に使える魔法のほうが、街を作るには強いんだと思う」
奏の言葉を聞きながら周囲を見ると、確かにそうだった。人々は魔法を見ても立ち止まらない。子どもが指をさすこともない。通り過ぎる商人は荷の伝票を見ているし、買い物帰りの女性は手にした籠の中身を気にしている。
誰も驚かない、これが日常なんだ。
「魔法が……なんていうのか、電気やガスみたいになっているのね」
私のつぶやきは、人の流れの音に半分飲まれた。それでも悠には届いたらしい。彼は頷いた。
「水道・ガス・電気・魔法って感じか?」
「生活インフラね。特別さよりも、安定供給のほうが社会では重要ってことよ」
「やめて。私の主人公感、城門くぐって二十分でインフラに負けたの?」
「負けたというより、対象外?」
「もっと嫌!」
セレーネが隣で柔らかく言った。
「個人の力が無意味になったわけではありません。都市では、生活のための魔法が役に立ちますが、特異な魔法で生計を立てている人もいますもの」
◇
飲食店の中は、香辛料と焼けた肉と温かいスープの匂いで満ちていた。天井には小さな魔石灯が吊られ、陽の光が届きにくい店内の奥まで柔らかい光を落としている。
木のテーブルは使い込まれていて、椅子の脚が床をこする音、店員が皿を重ねる音、客たちの笑い声が絶えず行き交っていた。リナが作る家庭的な料理とは全く違う。知らない肉、見たことのない野菜、粉にした香草、焼き固めたパン、酸味のある飲み物。なんというか、ここはファストフードの匂いがする。
客席から見える厨房では、鉄板の下に赤く光る魔石式の加熱器具があり、店員がつまみのような金具を回すと火力が変わった。火は見えないのに鉄板は熱い。私の火魔法みたいに手をかざして集中する必要もなく、店員は片手で鍋を振りながら、もう片方の手で加熱具を調整していた。
「火属性じゃなくても料理できる……!」
「逆に火属性以外の人が料理できなくちゃこまるだろう」
悠が苦笑する。私はスープの湯気に顔を近づけながら首を振った。
「そうだけど! 異世界的には火の才能が料理人の必須条件かと思うじゃん!」
彩は料理よりも値段表を見ている。小さな板に書かれた数字を見比べ、手持ちの貨幣と計算している顔だ。楽しむ前に生存計画。彩らしい。
「食料の保存とかどうしてるんですか?」
奏がセレーネに尋ねた。
「これくらい大きな店だと、地下に貯蔵室があるんじゃないかしら。地下なら夏でも涼しいから、大量に仕入れても腐らせないと思うわ」
「魔法で冷蔵は出来ないんですか?」
「冷蔵? 冬に出来た氷を、夏まで保管するという話は聞いたことがありますけど、高価なので、保存に使うというのは聞いたことがありません」
その瞬間、奏の目が変わった。村で新しい魔法の仕組みを思いついたときの、あの静かな発火だ。彼はスープに手をつける前に、指でテーブルを軽く叩き始めた。
「そうか。魔法を使って冷却する道具はまだ発明されていないんだ。この世界は物理法則は同じなんだから、熱力学を応用して……いや吸熱反応を利用するか。セレーネさんの魔法レーザーを使ってレーザー冷却……あれは原子レベルにしか使えないか……」
「奏、食べる前に発明を始めないで」
「ごめん。でも、これは生活基盤に直結する技術だと思う」
レオンが豪快に肉を噛みながら笑った。
「都市じゃ、一般人は魔法を覚える必要なんざねえからな。料理も灯りも水汲みも、だいたい道具で済む。だから魔道具の発明で大儲け、ってのはいいアイディアだと思うぜ」
「自分で魔法を使わないなんて、異世界なのにもったいなくない?」
私が言うと、近くの席の客がちらりとこちらを見た。露骨ではない。でも、その目に一瞬だけ、田舎から来た子どもを見るような色が浮かんだ。近くで聞いていた店員も苦笑いを隠さなかった。
「自分で火を出して料理する人なんて、田舎の家か、よほど古いやり方の店くらいですよ。危ないですし、疲れますし。火加減が気分次第っていうのは、三流の店です。うちの店では安定高火力のゴロナ製を使っています」
その「三流」という言葉が、妙に胸に刺さった。私にとって魔法は、異世界に来た証で、できるようになって嬉しくて、怖くて、それでも自分の手で世界に触れる方法だった。けれどこの店では、自分で魔法を使うことは「疲れる」「危ない」「古い」だった。私は熱いスープを一口飲んだ。おいしい。ちゃんとおいしいのに、飲み込んだあとで少しだけ苦かった。
◇
お腹を満たしたところで、今度は暮らしていくために必要な道具を見に行くことになった。
生活魔道具店は、商店っていうより、量販店という感じの大きさだった。人の背丈ほどの棚が数列並び、照明具、調理器具、暖房器具、水を組み上げるためのポンプ、荷物を運ぶための台車、虫よけの香炉、服を乾かす箱、靴底を温める板まで並んでいた。
「使う人の魔法属性を選ぶ、いわばプロ仕様のものもあるけど、大抵は属性を気にせずに使えるわ」
セレーネさんが教えてくれる。
私は小さな照明を手に取った。指先ほどの魔石が入っていて、紐を引っ張ると淡く光る。すごい。小さいのに結構明るい。すごいけど、値札を見た瞬間、手が固まった。
「高っ」
「それは安いほうだぞ」
レオンが横から言った。私はそっと棚に戻した。彩が値札を確認し、目を細める。
「宿代、食費、道具代。都市で生活するなら、まず収入源ね。観光気分で回ってる場合じゃないわ」
「私のワクワクに猶予をください」
「ワクワクは無料でも、生活は有料のよ」
「厳しい!」
奏は店員に、魔石の交換や出力に違いがあるのか、など難しいことを質問していた。店員は慣れた様子で、小粒の魔石と中粒の魔石を取り出し、用途ごとに説明してくれる。
照明用、加熱用、荷重補助用。高性能品になるほど、使う魔石の大きさも質も上がり、値段は跳ねる。一般人が使う魔道具は、使用者の魔力を使わないみたい。だから、体内の魔力を使って魔石を節約したり、魔道具の特性を変化させることは出来ないらしい。火属性でも水属性でも美味しく調理できます、だって。
「才能より設備、か」
奏が低くつぶやいた。
店の奥では、身なりの良い客が店員と話していた。
「うちの息子が直接魔法を覚えたいなどと言い出してね。困ったものだ。職人でも冒険者でもないのに」
「若い方は一度は憧れますから。でも、今は様々な魔法道具を扱えるほうが将来がありますよ。直接魔法なんて、冒険者か工房の力仕事か、僻地の村の仕事です」
「まったくだ。危ない上に品がない」
品がない。その言葉に、私は覗いていた乾燥機の扉を閉じた。かちり、という音が思ったより大きく聞こえた。
◇
奏のたっての希望で、魔道具がどうやって作られるか見に行くことになった。
「といっても、俺もセレーネもあまり詳しくないけどな」
工房区に近づくと、空気の匂いが変わった。飲食店の油や香辛料ではなく、熱せられた金属、削られた石、焦げた革、湿った灰の匂いが混じっている。建物は頑丈そうな石造りで、窓は小さく、扉は大きい。奥からは槌音が響き、時折、白い蒸気が吐き出される。
ここでは、さっきの中央街路とは違って、人が直接魔法を使っていた。腕輪や胸当てに魔石を組み込み、火魔法で炉の温度を上げ、土魔法で重い部材を支え、水魔法らしき細い光で硬い素材を切断する。けれどそれは、私が想像していた魔法バトルのきらびやかさとは違った。職人たちは汗をかき、合図を出し、目盛りを読み、何度も確認しながら作業している。
魔法は派手な必殺技ではなく、熱源であり、刃であり、運搬手段だった。
「……ちょっと地味だね」
「ひなひなはすぐ必殺技演出を求める」
彩が半分呆れた声で言った。
「だって異世界だよ?」
「そろそろ現実を見なさい」
「……みません」
レオンは工房の入口で知り合いらしい職人に手を上げた。職人はレオンの棍棒を見て、修理なら明日だと怒鳴る。レオンは今日は客連れだと返す。会話が短い。荒い。でも親しさがあった。ここでは冒険者の装備も、生活魔道具も、都市の設備も作られているらしい。セレーネが私たちに説明する声は、工房の音に混じっても落ち着いていた。
「工房では、人が魔法を行使します。魔石は使いますがね。体内の力だけでは安定しませんし、長時間の作業に向きません」
奏は炉の近くにある温度を示すらしい目盛りを見て、真剣な顔になっていた。
「温度管理、出力制御、素材の移動。全部、魔法を工程に組み込んでる。戦闘よりずっと制御が細かい。すごい高度な技術だ」
「おまえ、ブレないな」
悠が呆れると、奏は恥ずかしそうに笑った。
「まあね。派手ではないけど、すごく面白い。エネルギーを何に変換して、どう伝えてるのか? 魔法発現に必須のイメージをどうやって道具に持たせるのか。都市の技術の本体はこっちかもしれない」
悠は職人たちの動きを眺めながら、腕を組んだ。
「生活魔道具店では直接魔法が古いって言われて、工房では直接魔法が不可欠。社会的評価って、便利なところだけ切り分けるんだね。見下すけど、使う。なかなか人間味がある」
「皮肉が濃い」
私は火を扱う職人に目を向けた。その人は額に汗を浮かべながら、炉の奥に手を向けていた。魔石の光が腕輪から脈打つように流れ、炉の中の金属が赤くなる。炎の形は見えない。熱だけがそこにある。私の火魔法と同じ系統のはずなのに、全然違う。私の火は、怖くて、楽しくて、勢いで出して、あとでお腹が空くものだった。この人の火は、仕事だった。時間、温度、材料、納期、対価。全部と結びついている。
「ケモノと戦えるだけでも十分貴重だ。都市で食ってくなら、力をどう金に変えるかも覚えねえとな」
金。生活。仕事。都市に入ってから、その言葉が何度も私たちの前に置かれる。異世界の魔法都市は夢みたいに光っているのに、その光の下で必要になるものは、妙に現実的だった。
◇
工房区の見学で時間を使ったので、あたりは薄暗くなってきた。ひとまず都市の来訪者が一時滞在する宿屋街を拠点にすることにする。レオンやセレーネもよく利用するらしい。
「まあ汚くて治安がいいとは言えないが、まあお前達の腕前なら問題ないだろう。金もないしな」
裏路地は、同じ都市の中とは思えないほど暗かった。中央街路では昼でも魔力灯が輝いていたのに、ここでは灯りの間隔が広く、建物の影が地面に濃く溜まっている。石畳は欠け、排水溝から湿った匂いが上がり、壁には古い煤の跡が残っていた。すれ違う人たちの服はくたびれていて、店先に並ぶ魔道具も傷が多い。魔石灯の光は弱く、時々ちらついた。
私は無意識にレオンたちの近くへ寄った。彩も後ろを警戒するように、最後尾を歩く。人の目が違う。中央街路の人たちは忙しく前を向いていた。ここでは、こちらを見る目が長い。値踏みするような、避けるような、諦めたような目が混じっている。
「ここも都市なの? なんかちょっと怖い」
「都市だ。人が集まれば、こういう場所もできる」
レオンの声が低くなった。
路地の角に小さな店があった。魔石を扱っているらしい。曇ったガラスケースの中に小粒の魔石が並んでいる。比較的大きな魔石もなんか濁っている。店主は私たちを見ると、面倒くさそうに値段を告げた。中央の店で見た新品よりは安い。それでも、村での暮らししか知らない私には信じられない額だった。
「これで、これでどれくらい使えるの?」
「照明なら一ヶ月、コンロならまあ一週間だ。出力は保証しないよ。嫌なら中央の店へ行きな」
店主の声には慣れた棘があった。
「魔法文明っていうと夢があるけど、実際はかなり現実的ね」
彩が静かに言った。
私はレオンとセレーネを見た。二人は私たちに魔石を分け、道中で守り、都市まで連れてきてくれた。ここへ来るまで、私はそれをありがたいとは思っていたけれど、どれだけの価値があることなのか、ちゃんとわかっていなかった。
「レオン、セレーネ。あの……ここまで、本当にありがとう。魔石も、案内も、たぶん私たちが思ってたよりずっと大きいことしてもらってた」
レオンは照れたように鼻を鳴らした。
「今さらだな。助けるって決めたから助けただけだ」
セレーネは微笑んだ。
「私たちができるのは、最初の手助けまでです。ここから先は、あなたたち自身で進まなければなりません」
◇
宿屋の部屋は、四人で使うには少し狭かった。木の床は古く、歩くと小さく鳴る。窓は通りに面していて、外から人の声と車輪の音が薄く入ってくる。壁には魔石灯が一つあるけれど、宿代を抑えた部屋だからか光は控えめだった。ベッドが二つ、簡易寝台が二つ、荷物を置く棚が一つ。リナの家の部屋よりも少し狭い。
私はベッドの端に腰を下ろし、靴を脱いだ足をぶらぶらさせた。足裏が石畳の硬さで少し痛い。今日一日で、目も耳も頭も使いすぎた。けれど休む前に、決めなければいけないことがある。彩がテーブル代わりの箱の上に貨幣を並べた瞬間、部屋の空気は完全に会議になった。
「まず、今後の方針を整理する。都市生活への適応、そして帰還方法探索。でも何よりも先に生活費の確保ね」
「テニス部の鬼主将は伊達じゃないね」
「部活動より命がかかってるからね」
私は背筋を伸ばした。奏は考えるように腕を組み、悠は壁にもたれたまま小さく肩をすくめた。
「魔法で一発当てる?」
私が控えめに言うと、彩が即座に見た。
「その発想、だいたい爆発事故の前振りなのよ」
「はい」
次に提案したのは悠。
「新聞屋なんてどう? 今日、街で見た限り、情報は街の掲示板か人の噂で広がっているみたいだった。新聞広告なにかのノウハウもここにはないようだし。それに異世界転移者の情報も得られるかもしれない」
「元の世界の知識を使うのは賛成だけど……生活費はすぐにでも必要。宿代と食費が尽きたら探索どころじゃないわ。私たちができることで、即収入になるものを探す必要があるのよ」
「収入源は、冒険者ギルドが入口になると思う」
奏が言った。
「レオンさんとセレーネさんもそう言ってた。僕らの魔石を使った魔法なら、初級程度の依頼なら十分こなせると。冒険者は都市の中では比較的高収入だと聞いたしね。それと、都市内外のいろいろな情報が集められるかもしれない」
「帰還方法の探索も、そこからつながる可能性があるってことね」
彩が頷く。
「選択肢としては有力。ただし、危険度、収入、規則、必要装備を確認してからね」
「彩がいると、異世界冒険者開始イベントが契約書確認イベントになる」
悠が言う。
「契約書を確認しない冒険者開始イベントのほうが怖いわよ」
私は小さく笑った。疲れているのに、少し安心した。都市は大きくて、私たちは知らないことだらけで、お金も足りなくて、帰れる方法も見つかっていない。でも、この四人で話し合うと、混乱が少しずつ形になる。奏が構造を見て、彩が優先順位を決め、悠が全体を整理し、私は……私は、たぶん前に進みたい気持ちを出す係だ。
「私、冒険者やってみたい。都市生活ちょっと怖いけど、やっぱり楽しみでもある。魔道具も、工房も、ギルドも見たい。帰る方法も探したい。そのためにここで生活できるようにならなきゃいけないんだよね」
「うん」
奏が穏やかに頷いた。
「色々なことに挑戦するためにも、生きる基盤が必要だと思う」
彩が貨幣を袋に戻し、結論を出すように言った。
「明日、レオンさんとセレーネさんにギルドへ連れて行ってもらう。登録するかどうかは説明を聞いてから。今日は休もう」
悠が窓の外を見た。
「第一回都市生活対策会議、結論。夢を見るにも金がいる」
「そのタイトル嫌すぎる」
でも、たぶん正しい。私はベッドに倒れ込みたいのを我慢して、窓のほうを見た。外では魔石灯の光が夜に向けて少しずつ強くなっていた。
宿屋の窓際に立つと、夜の都市は昼よりも異世界らしかった。空は濃い藍色に沈み、屋根の連なりは黒い波のように重なっている。その間を、無数の魔力灯が星座みたいにつないでいた。大通りは光の川になり、工房区の煙突からはまだ薄い煙が上がっている。遠くの高い塔には大きな魔石灯が据えられ、ゆっくり脈打つように明滅していた。
村の夜は暗かった。焚き火や家の灯りがぽつぽつあって、闇のほうがずっと広かった。でも、この都市では闇が押し返されている。人間が、魔石を使って、夜を削っている。その光景は美しくて、少し怖かった。私は窓枠に手を置いた。木が冷たい。
「村とはぜんぜん違うね」
自分でも、何が大丈夫なのかわからない言い方だった。けれど奏はすぐに反応した。
「明るいね。明るさだけなら、元の世界の東京と変わらないかもしれない。これを魔力を使って実現させてる。村とは桁が違う」
「村で体型を気にしながら、ちまちま使っていた魔法とはぜんぜんちがうね」
彩が隣に立ち、腕を組んだ。窓の光が横顔を照らしている。
「便利だから使う。使うからもっと必要になる。必要になるから高くなる。高くなるから、買えない場所が暗くなる」
裏路地の弱い灯りが頭に浮かんだ。中央街路の明るさと、路地の暗さ。同じ都市の中で、光の量がそのまま生活の差を示していた。
悠が背後から言った。
「文明の光、って言うときれいだけど、燃料の残量表示が見えないタイプの光だね。見た目がきれいなほど不安になる」
私はもう一度外を見た。光の川。人の声。遠くで鳴る鐘。魔石で動く都市。知らない。お金もない。ちょっと怖い。魔法を使えることが、思っていたほど単純な強みではないことも知った。
それでも、胸の奥には確かに期待がある。ここなら何かが見つかるかもしれない。帰る方法も、魔法の仕組みも、私たちがこの世界でどう生きるのかも。
「不安だけど、ちょっと楽しみ」
◇
冒険者ギルドは、朝の光の中でも妙に夜の匂いがした。自分でもおかしな感想だと思うけど、なんというかちょっと胡散臭い。
大通りから一本入った広場に面して、巨大な石造りの建物が建っている。正面の扉は人が三人並んでも余裕があるほど大きく、その上に剣と杖と魔石を組み合わせた紋章が掲げられていた。入口の前には武装した人たちが集まり、革鎧、金属鎧、厚手の外套、魔石を埋め込んだ腕輪や胸当て、長い杖、大剣、槍、弓、そして用途のわからない道具が入り乱れている。
中央街路の市民たちとは空気が違った。厳つい面構え。鍛え上げられた体。都会の人たちが言うところの『直接魔法を使う者たち』。昨日、店で少し見下すように語られていた側の人たち。けれどここでは、その力が仕事であり、誇りであり、危険への備えなのだと、立っているだけで伝わってきた。
「ここが冒険者ギルドだ」
レオンが言った。声に少しだけ誇らしさが混じっている。
「都市の外の仕事、ケモノの討伐、護衛、採取、調査、たまに軍の手伝い。危ねえ仕事も多いが、その分稼げる」
セレーネが続けた。
「あなたたちが都市で生活基盤を作るなら、最初に話を聞く場所としては悪くありません。登録するかは、説明を受けてからでも遅くはありません」
彩は入口に集まる冒険者たちを見て、表情を引き締めた。
「みんな武装してる。揉め事とかはあるの?」
「ある」
レオンが即答した。
「だからギルドの中では規則がある。破れば叩き出される。だから死人が出ることは……ほとんどない」
「わかりやすいわね」
奏は冒険者たちの装備を観察していた。魔石の位置、腕輪の形、杖の先端、鎧に刻まれた溝。彼の目が忙しく動く。
「みんな高品位な魔石や高そうな魔道具を持っている。戦闘用は信頼性と出力を優先してるのかな」
悠は扉の上の紋章を見上げた。
「昨日まで市民社会の外れ扱いだった直接魔法が、ここでは堂々と看板になってる。社会は場所によって評価軸が変わる。わかりやすくて嫌だね」
三人は何か深刻そう。だけど私は違う。この胡散臭くて、ちょっと危ない雰囲気。ザ・冒険者ギルドって感じ。
「ひなひな、目が輝いてる」
「だって冒険者ギルドだよ!?」
「彩ちゃん、ちゃんと手綱持っといて」
レオンがギルドの大きな扉を押し開けた。中から熱気が流れ出す。木の床、掲示板に貼られた依頼書、受付の長いカウンター、奥の食堂、武器を預ける棚、魔石の計測台。人の声が反響して、外よりもさらに濃い空気が詰まっていた。
私たちはその中へ入った。視線がいくつかこちらに向く。若い顔、装備も貧弱。値踏みされているのがわかる。私は背筋を伸ばした。
受付には、髪をきっちりまとめた女性がいた。レオンが手を上げる。
「ミラ、こいつらを紹介したい。村で会った。腕はある。常識は……これからだ」
受付の女性、ミラは私たちを順に見た。鋭いけれど、敵意はない。仕事で人を見慣れている目だ。
「レオンさんとセレーネさんの紹介なら、話は聞きます。登録希望ですか?」
彩が一歩前に出た。
「説明を聞いてから判断します。仕事内容の傾向とか報酬とか決まりとかです。あと新人に対しての教育とかあるのかも」
「しっかりしてますね」
ミラが少し感心したように言った。私は小声で悠にささやく。
「彩、完全に交渉担当だね」
「ひなひなが前に出ると、厨二病的なグループ名を勝手に名乗りそうだからね」
「そんな事、考えないよ。……ちょっとしか」
「ちょっとは考えてたんだ」
ミラの視線が少しだけ深くなった。
「新人に対して、多少のレクチャーはあります。ただし、ギルドは学校ではありません。仕事を受け、成果を出し、その報酬を得る場所です」
「はい」
それから、ミラは登録後の新人レクチャーについて簡潔に話してくれた。それと新人が受ける仕事やその報酬額、規則なんかも簡単に説明してくれた。話慣れた内容なのか、言葉に淀みがない。
「少し四人で相談していいですか?」
「もちろんです。そちらの椅子をつかってください」
受付前の長椅子に腰掛けると、周囲の冒険者たちの声が絶え間なく耳に入ってきた。討伐報告、報酬交渉、怪我人への怒鳴り声。都市の仕事場、という感じがする。
彩が腕を組む。
「ざっと聞いた感じだと、村でのケモノ討伐程度でも、都市で生活できるくらいの報酬は得られそうね」
「はい、部隊長」
「誰が部隊長よ」
彩が私の頭を軽く小突く。悠が壁にもたれたまま肩をすくめた。
「でも、実際問題かなり助かる。衣食住が確保できれば、帰還方法を探す余裕もできる」
奏も頷く。
「ケモノとの戦闘経験なら、僕たちはもう多少はある。少なくとも完全な素人ではないと思う」
「異世界初心者卒業?」
「まだ村チュートリアル終了くらいじゃないかな」
「急にゲームっぽい」
みんなの意見は一致しているみたい。彩が改めて私たちを見る。
「ただし、無茶はしない。まずは安全な依頼から。情報収集も並行して進める」
「了解、部隊長」
「だから誰が部隊長よ」
でも、その声はさっきより少しだけ柔らかかった。
セレーネが私たちの後ろで静かに言った。
「決まったみたいですね」
四人で頷いた。レオンは私たちに向き直り、真顔で言った。
「俺たちが連れてくるのはここまでだ。あとは、おまえらでやれるな」
「はい。ここまでありがとうございました」
レオンが、少しだけ照れくさそうに頭をかく。
セレーネが私の前に立ち、柔らかく微笑んだ。
「困ったら相談に来てください。でも、都市で生きるには、自分たちの場所を作る必要があります」
「……うん。ありがとう。本当に」
レオンは短く頷いた。
「腹減らして倒れるなよ。特に火力担当」
「私名指し!」
「おまえが一番やりそうだ」
彩も奏も悠も、否定しなかった。そこは否定してほしかった。けれど笑えた。寂しさと不安が混じっているのに、笑えた。
レオンとセレーネがギルドの扉へ向かう。二人の背中が人混みに紛れていくのを見送りながら、私は拳を握った。村を出て、街道を越え、都市に入り、魔石の光と影を見た。ここから先は、案内されるだけでは進めない。生活費を稼ぎ、情報を集め、帰る方法を探す。
「ここから、都市生活が始まるんだね」
私が言うと、奏が静かに頷いた。
「うん。たぶん、ここからが本番だ」
彩が受付に向かった。私と奏と悠もその後に続いた。
魔法都市に来たはずなのに、思ったよりお金の話ばかりしている気がします。
大人になるってこういうことなんでしょうか。




