No.23 歪んだ塔と蒼い剣 - 20
視界が未だにぼやけている。体が鉛のように重い。眼球を絵の具で塗りつぶしたかのように目の前が赤く点滅している。
左腕が、ズキズキと激しく痛む。
「はぁ...ここ......どこだ?」
足元にはエルドの欠片が転がっているとはいえ、ダンジョンという母体から切り離されたそれはもはや無意味な石ころでしかなく、輝きを失っていた。
しかし彼の右上の先には、ポツポツと光の雨が降り注いでいた。
恐らく土砂によって天井は塞がれたものの、砂や石の間から差し込んできているものだろう。それだけ薄い天井なのであれば、何とか脱出は出来そうだった。
ある程度の状況の確認は出来る。
ソーマは右手だけを使いながら、上体を起こした。
真っ直ぐに伸びていた二つの脚もそれと共に動き始め、最終的には胡座をかいているかのような状態になる。
そうして、失くしたメガネをかけ直すかのようにハッキリしていく視界の中、彼は自身の危険を初めて知った。
「う、わ...やっべぇ!」
小さな日差しを頼りに体を見回す。
すると左腕の深い2本の刺し傷に加え、膝の肉がえぐれているほどの擦り傷、そして激しい頭痛を感じた。
これらは恐らく壁への激突とそれにより引き起こされた土砂によるものだろう。
そして、何よりも驚いたのはそのHP残量。
彼のHPの色は赤であるだけでなく、ほとんどないに等しいほど減っていたのだ。目を凝らさなければ区切りの線が見えないほどに。
小さな石に躓いてでもするだけで上部から落ちてきているような砂粒になって虚しく消えてしまうほど、危険な状態。
ソーマは急ぎながらも体に傷をつけないように慎重に、ログの中からあるだけのポーションを取り出した。
片っ端から大量のポーションを飲み干していく。それだけでなく、くっきりと跡のつく左腕の傷口には直接流し込んだりもした。
計5本のポーションを必死に使い果たす。そうすると、左腕の傷口も消えはしないものの少しは浅く、跡は薄くなり、HPゲージは赤、黄色から緑へと急速に巻き戻された。
暗い赤に染め上げられていた眼球も洗い流されたかのように綺麗に、視界はより鮮明に写されていく。
残りのポーションはたった1本となってしまっていた。
そうして、ソーマはホッ、という安心感とこれ以上大幅な回復が出来ない心細さを感じながらも状況確認をした。
先程の大広場ほどではないが、その一回り小さいほどの比較的広い空間に足跡を刻む。
ぐるりと周りを見回すと、右上は薄い土砂が。
しかし奥は光が一切差し込んでいない為全く確認することが出来なかった。もはや確認する必要もないだろう。
腰周りのベルトにナイフがあることを確認してから、体中に付着した砂を手で叩きながら乱雑に払い落としていく。
そのせいか、無駄に空を舞い、上へ上へと昇ってきたそれらが鼻や口の中に入ってしまったせいで深く咳き込んでしまった。
口元を固めた右手で抑えながら仰向けになる。そして体内に侵入した異物を吐き出すために背中を激しく上下に揺らしながら、ソーマは出口を目指してすぐ近くにあった土砂を崩しに掛かろうとナイフの柄に手をかけた。
──はやく、早くアリス達と合流しよう。問題は、それからだ。
無駄なことはすべて省く。アリスやベル達のいるみんなの元へと地図を頼りに最短ルートで辿り着く。モンスターとも出来るだけ戦わずに逃げていく。
ソーマはこれからどうするかについてで頭がいっぱいであった。
しかし、その時であった──
──......ポッ
何かが生まれる音がする。
何かが、生まれた音がしたのだ。
それは、小さな音だった。
それは、シャボン玉が割れる音のような、そんな些細な音であった。
それだけであれば、当然ソーマは動きを変えずに脱出に励んでいたことだろう。
それは普段の日常生活においてでも聞こえることのない、聞こえたとしても気にも止めないようなものなのだから。
ましてやこんな状況下であれば気にする必要もない、無駄なものなのだから。
しかし、彼の足は止まった。
確実な理由があったからだ。後ろを振り返って見てみるほどの価値のあるものだと、認識してしまったからだ。
ただの小さな音だけではない。
生まれてきたのは、小さな小さな蒼い炎であった。
シャボン玉の様な音と共に、この空間内の壁と天井は一瞬にして光に包まれた。そんな変化を目にしたソーマは、驚いたように硬直した後、すぐさま何があったのかと後ろへと振り返ったのだ。
奥の方に例の小さな炎が見える。無視しようとしていた奥の方にそれはあった。
きっと彼がこの場を去ろうとした時に、伝えたかったのだろう。
「行かないで」と。
目を凝らす、眉をひそめる。立ち尽くすソーマの丁度真正面にある炎は、その時間が経つにつれて、二倍に、三倍にと膨れ上がっていった。
いつの間にか壁を沿うようにして炎が円を作り、辺りは蒼色へと鮮やかに彩られた。つい先程まではなかった少年の人影が、今となってはくっきりと壁に張り付いている。
熱いはずの火花は、不思議と心地よい温かさであった。
そして──火種が生まれたその場所には、人ではない別の影が浮かび上がっていた。
手に握りしめていたナイフを、使用することなく手馴れた手つきで元に戻す。
そうしながら、彼は1歩1歩と、それに向かって伸びる道をたどって行った。
歩いていた道よりも少しだけ高い、盛り上がった土の上へと登っていく。宙には、変わらずに上から降ってくる砂が煌めく炎に合わせるように輝いている。
ゆっくりと時間をかけて、目の前に立つ。
実際にはそこまでの時間は経っていないのかもしれないが、彼の体感時間ではその時がスローモーションかの様に感じたのだ。
熱いはずの炎が熱くないように、眩しくて目を覆いそうになる筈の光も、眩しく感じられない。
そんな不可思議な状況の中、この場所が果たして何処であったのか結局分からないまま。
ソーマは...グッ、と力を込めながら土に深く突き刺さっていたそれを握り、同様に力強く引き抜いた。
スルスルとなんの抵抗もなく抜けていく。抜いてもらうのを、手に取ってもらうのを心待ちにしていたかのように。身勝手な絶望に巻き込まれた1人の弱者を助けるために。
次の瞬間。
空間内に撒き散らされた炎たちがそれに向かって一気に集結した。
大きな塊になっていたものも、最初に生まれた火種と同じ程度の光になってそれにまとわりついていく。
辺り一帯の明るさが失われる代わりに、それの輝きがより一層深くなっていく。より一層蒼くなっていく。
そうして、それが炎を完全に纏った瞬間。
─ピロン、と言う高い電子音が彼の耳に届いた。
腕に巻き付くログに表示された画面を見る。
そこには、このように表示されていた。
入手───魔剣 クルシュピア
弱者の反撃が、幕を開ける。




