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(あれ・・・?ここは、私の部屋?)
辺りを見回すと、見慣れたデスクに虫籠、緑のカーテンが目に入った。
視線を下げると、ちゃんとネグリジェを着ている。
(いつの間に帰って来たんだろう?)
私はベッドから起き上がると、頭の痛さを覚えた。
(なんか、ガンガンする。・・・風邪かな?)
時間を見ると、メイドが来る5分前だ。
(そう言えば、昨日蛍がいたのよね。少しの時間でも、虫を見られて良かった)
「キティお嬢様、おはようございます。
早速、準備に入らせて頂きますね」
いつもの様に、学園へ行く準備をしてもらった私は、食事室へ向かった。
中へ入ると、情報誌に目を通しながら、コーヒーを飲む父と目が合った。
「おはよう、キティ。
昨日は大丈夫だったかい?」
「おはようございます。
私、昨日はどうやって帰って来たんですか?」
すると遅れてやって来た母が、朝食をメイドに頼みがてら私に話しかけた。
「キティちゃん、覚えてないの?
昨日は、慣れない舞踏会に疲れて寝ちゃったのよ。
サイラスさんが、貴女を抱えて馬車の前に現れた時にはビックリしちゃったわ」
(・・・そんな事になっていたのか)
「それと、サイラスさんが気を遣ってくれたから、公にならずに済んだのよ?
今日会ったら、ちゃんとお礼とお詫びをしなさいね」
「はい、分かりました」
私は、フワフワのオムレツを口に入れて、そのトロトロ感を堪能したのであった。
ーーーそして学園へ着いた私が教室に向かっていると、背後から声を掛けられた。
「おはよう、キティ」
「おはようございます、サイラス様」
すると彼の顔が曇り、視線を下げた。
「・・・その、昨日の事なんだが・・・」
何だか、もの凄く言いづらそうである。
だから私は、先に口を開いた。
「あの、昨日は申し訳ありません」
「え?」
その言葉と共に、目を丸くして顔を上げた彼に続けた。
「昨日は寝てしまった様で、ご迷惑をお掛けしてしまいました」
「・・・それで?」
(・・・うん?
もしかして、詫びの品はないのかと要求しているのだろうか)
真剣な眼差しで見つめられると、何も用意してこなかった自分が恥ずかしい。
「えっと、今日のランチを一緒に取りませんか?
私がご馳走します」
穴が開くほどに私を見つめる青みがかった白金色の瞳が怖い。
(ラ、ランチ如きじゃ対価にならない程の事をさせてしまったのだろうか・・・)
じっと待っていると、暫くしてから口を開いた。
「昨日の最後の記憶はなんだ?」
「蛍を一緒に見ましたね」
「そうだな。・・・で、その先は?」
「その先ですか?
・・・確か、自分の部屋に居ましたね」
すると、彼の拳が震えている。
「き、君は・・・」
(え?なんか、すごく怒ってない?)
予期せぬ出来事にオロオロとしていたら、彼の瞳がカッと見開き、捲し立ててきたのだ。
「相手が僕だったから良かった様なもの、他の男ならタダでは済まなかったんだぞ!
だが僕だって、してやられてばかりはいられない。
・・・いいな?昨日の借りは必ず返すから覚悟しておけよ」
そう言い置いて去って行ったのだった。
(な、何の事よ?・・・それより、ランチはいらないって事かな?)
彼の背中を呆然と見つめていた私は、【カーン カーン】と鳴り響く鐘の音に驚き、急いで教室まで走ったのであった。
ーーーそしてお昼休憩になると、ベリックの声が聞こえた。
「昨日は大丈夫だった?」
「はい、昨日はありがとうございました」
「そっか、良かった!
じゃあ俺は研究室へ行くけど、キティ嬢はどうする?」
「私も行きます。
準備をしてから行くので、先に行っていて下さい」
『じゃあまた研究室でね!』と告げたベリックを横目に準備をしていると、私の机に影が落ちた。
誰か来たのかと思った私は、顔を上げようとした瞬間、上から声がしたのだ。
「君がランチへ行こうと誘ったのに、何処に行くつもりだ?」
先程と変わらないつんけんとした言い方に、全く機嫌が直っていない事が分かる。
「サイラス様でしたか、その、だいぶ怒っていた様なので、ランチでは無理なのかと思いました」
「・・・ではってなんだ?」
「それは、ランチぐらいでは済まない事をしてしまったって事ですよね?もっと、価値のある物が良いでしょうか?」
「確かに、ランチとは比べ物にはならないが、君は本当に覚えていないのか?」
そんなに大事なことがあったのだろうか。
けれど、いくら考えても蛍の事しか思い浮かばないのだ。
「その、取り敢えずランチに行きませんか?」
すると彼は笑みを浮かべた。
今日初めての微笑みを見た私がホッとしていると。
「そうだな。昨日の件を思い出せる様に、一つ一つ確認しようか」
そのいい笑顔に、私の顔は何故か引きつるのであった。
ーーー食堂に着いた私は、トレーを置き、席へ腰掛けた。
ここへ来る途中、何も話さない彼を不気味に思ったが、きっと何かに怒っているのだろう。
私は、チーズがたっぷりと掛かっているミートペンネを口に入れた。
彼は、彩り豊かな白身魚のアクアパッツァを切り分けている。
(この沈黙が居たたまれない。
・・・本当に私は、何をしたのだろうか)
チラチラと彼の様子を窺っていると、目が合った。
「・・・なぁ、先に籍だけ入れないか?」
「えーっと、それは・・・なんの?」
「婚姻、つまり入籍の事だ」
たった今、口に入れたホウレン草のスパニッシュオムレツが喉に詰まった。
むせる私を彼はジッと見つめている。
私はそれを葡萄ジュースで流し込んだのだ。
「っどういう心境の変化ですか?
分かる様に説明願います」
すると彼はカトラリーを置いて話し始めた。
その内容に身に覚えがない私は、口からポロリと出てしまったのだ。
「私が、サイラス様に・・・キス?」
それに頷く彼。
「・・・えっと?悪い冗談ですよね?
まさか、私がそんな事をするはずがありません」
「だが、君はしたんだ。
口付けとはこうだと、懇切丁寧に教えてくれた。
だから、責任を取るのが筋だよな?」
(せ、責任!?身に覚えのない事で!?)
「ちょ、ちょっと待って下さい!
よく分からないので、一先ず落ち着きましょう」
私は、残りの葡萄ジュースを飲み干した。
「僕は十分落ち着いているが」
「でも、結婚は卒業の一年後って話だったじゃないですか。今更覆せません!」
すると、食事を再開させた彼は、エビフライに目をつけている。
「結婚式はそうだが、入籍ならいつでも可能だろう?
それと、すぐに一緒に暮らせとは言わないし、夫婦生活は結婚式が終わってからでいい」
(ふ、夫婦生活・・・)
何とも生々しい言葉に、またしても頭が爆破しそうだ。
私は持っていたカトラリーを置いた。
「あの、頭がいっぱいいっぱいなので、この話は持ち越しにしましょう。
またの機会がありましたら、よろしくお願いします」
私が席を立とうとすると、手首を掴まれた。
「おい、逃げるな。
・・・ああそれと、来週の休日は立食式晩餐会がある。
ロワダール侯爵家からの招待があったんだ。
もちろん君も同伴なので、そのつもりでいて欲しい」
用件を伝えた彼は、私の手をパッと離した。
「その日は用事があるんですが・・・」
「虫だろう?今度にしてくれ」
「今度じゃダメなんです!
それに私、言いましたよね?
研究に口出しされたくないって!」
思う様に研究時間が取れない私は、彼に強く当たってしまった。
すると、彼がため息を吐いたのだ。
(また、何か言われるの・・・?)
絶対に負けないと身構えると彼が口を開いた。
「分かった。
では僕も手伝うから、来週の晩餐会は付き合って欲しい」
(・・・え?いいの?)
「私、もう三回の権利を全て使ってしまっているんですが。いいんですか?」
「ああ。これからは、社交で付き合ってもらう日がある時は、君の研究に僕も付き合うよ」
その言葉に、心が晴れやかになって行く。
「では、今週の休日に手伝ってもらえますか?」
「もちろんだ」
嬉しくなった私は、微笑んだ。
「サイラス様が、話の分かる方で安心しました!
私、貴方様のそういうところが好きです」
すると、紅茶を飲んでいた彼がむせた。
「――ゴホッ――君、そういう事は軽々しく言うものじゃない」
「すみません。
ですが、事実を述べたまでです」
彼は、ジッと見つめていた視線を逸して呟いた。
「・・・そうか。
では、来週はよろしく頼む」
それからは、和やかにランチを終えたのだった。
ーーークラスへの帰り道、気になる事があったので聞いてみた。
「晩餐会の日は、この前のドレスでいいですか?」
「いいや、既にドレスを新調してあるので、また家に来てくれるか?
メリーナが、君の準備が出来るのを楽しみにしていたよ」
私は隣を歩く彼を見上げた。
「いつの間にドレスを?」
「ああ、もう君のサイズは、うちのメイドが把握したからな。
だから、これから先の事を考えて10着作らせたんだ」
(え?そんなに?)
でもそれって、数多の社交界が待ち構えているという事だ。
(それはそれで面倒臭い・・・)
だから私は交渉する事にした。
「サイラス様?社交界一回につき、研究補助一回では、モチベーションが上がりません。
ですので、回数を増やしてください」
すると、彼は顎を押さえて考えている。
「じゃあ二回か?」
「もう一声!」
「・・・じゃあ三回だ。これ以上の譲歩はしない。
僕も勉学をしないといけないからな」
(やったわ、私!)
「はい、ありがとうございます。
では早速、本日の放課後もよろしくお願いします」
そんな私をジトっとした目で見返してきた。
「君は、本当にすぐ使いたがるんだな。
ここぞという時はないのか?」
「もちろん、私も考えました。無駄遣いをしないようにと。
けれど良く考えたら、私の研究に無駄な事なんて一つもないんです。
だから、毎回がここぞという時なんですよ!」
「なるほどな。
君の考え方は分かった。
では、三回に増やしたんだから、晩餐会は宜しく頼むよ」
私は、思い通りに行った事にホクホクしながら、クラスへ着いたのだった。
席に着くと、暫くしてベリックが帰って来た。
「キティ嬢、来なかったんだね」
「はい、サイラス様とランチに行ったんです」
「そうなんだ。じゃあお弁当は放課後食べるの?」
私はいつもお弁当を持参している為、彼とのランチが急に入った日には、放課後のおやつ代わりに食べているのだ。
「はい、そうします。
それに今日は、サイラス様も研究室に来てくれるんですよ」
「そうなんだ!
良かったね、キティ嬢!」
こうして私は、放課後に向けて、授業も全力投球で臨むのだった。




