17
あれから月日は流れ、毎日研究三昧だった私に父が声を掛けた。
「キティ?明日は舞踏会だろう?
何時にサイラス君の家へ行くんだ?」
夕食のチキンソテーを切り分けていた私は顔を上げた。
「そう言えば、そうですね。
特に何も聞いていません」
肉汁が溢れるそれに、頬が緩む。
すると、アスパラガスのサラダをフォークに刺した母が口を開いた。
「そんな事だろうと思って、あちらに確認しておいたわよ。
明日は13時になったわ」
その言葉に、味わっていたチキンが喉の奥に流れた。
「っあの、舞踏会の開始は18時ですよね?
早すぎませんか?」
「早くないわよ。
普通、女性の準備は時間が掛かるものでしょう?
それと、いい事?ちゃんとあちら様の言う事を聞いてね?
分かっているとは思うけど、我儘はダメよ」
そう言って、今度はチキンソテーを頬張っている。
「エリザ?
キティなら大丈夫だよ。
虫以外では聞き分けがいいし、迷惑をかける事もないだろう」
「それが一番の問題なんじゃない!
窓から入って来た虫にフラフラって行ってしまったら、目も当てられないわ」
「流石にそれはないだろう?
そうだよね、キティ?」
父からの質問に何も返せない私は、チキンソテーを刺したフォークを口に突っ込んだのであった。
「だからね、キティちゃん?
明日は、アーベンスロット家の婚約者として参加する事を忘れないで頂戴ね。
帰りはママ達と一緒に帰れると思うから、その予定でいるのよ」
ゴクンと飲み込んだ私は、母の顔を見つめた。
「分かりました」
そして私は、箸休めのをしようと、アスパラガスのサラダを頬張ったのである。
ーーー翌日。
昼食を済ませた私は、馬車に乗りアーベンスロット家を目指す。
今日は母達も忙しい様で、行ったり来たりと準備に追われている姿を横目に家を出たのだ。
だが、そんな私に気付いた母に『今日は虫の事は忘れるのよ』と釘を刺されてしまった。
準備時間が4時間以上あるのだから、少し庭園を見せてもらおうと考えていた私の思いが、しっかりとバレていた事に息を呑んだのであった。
パカポコと地面を蹴る馬の蹄の音を聞きながら、窓の外を眺める。
すると、彼の屋敷が遠くに見えてきた。
(やっぱり、何度見ても素晴らしいわよね)
馬車が門をくぐり、庭園を抜けるとエントランスへ到着した。
そして馬車から降りると、彼が出迎えてくれたのだ。
「キティ、よく来たな。今日はよろしく頼むよ。
じゃあ早速、客室へ案内しよう」
「はい。よろしくお願いします」
すると彼は腕を差し出した。
それに首を傾げる。
「何ですか?」
「・・・エスコートだ」
「え?いつもはそんな事しないじゃないですか。
今更面倒なんで、大丈夫ですよ」
すると、彼が眉を寄せた。
「大丈夫じゃない。
今までしなかった僕も悪いが、舞踏会は終始エスコートをしないとダメなんだ。
だから、今から本番のつもりでやるぞ!」
(えー。なんか面倒臭いな)
私は渋々、彼の腕へ手を掛けたのであった。
階段を上がり、いつもの客室へ着くとドレスが飾られていた。
完成されたドレスは、仮縫いの時とは違い、重ねられたレースに白金色の刺繍が施されていた。
それが夜空に瞬く星に見える。
(なんか、一段と素敵になっているわ)
私がジッと眺めていると、後ろから彼の声がした。
「じゃあ、準備が終わる頃にまた顔を出す」
そう言って、部屋を出て行ったのだった。
すると、彼と入れ替わる様に入って来た一人のメイドが頭を下げた。
「キティ様、早速ご準備をさせて頂きます。
私はメリーナと申します。どうぞよろしくお願い致します」
歳の頃は二十代後半だろうか、パリッとした感じの、如何にも仕事が出来そうな雰囲気を醸し出している。
「はい、よろしくお願いします」
その声と共に始まった準備は、まさかのお風呂からだった。
「キティ様?メガネはコチラへお願いします」
「メガネはダメです!外せません」
「それではお顔を洗う事が出来ませんので」
そう言って、メガネを置く台座を差し出してくる。
「か、顔は自分で洗うので大丈夫です!
だから、このままでいいですか?」
するとメリーナは考えた後『分かりました』と言ってくれたのだ。
その言葉にホッと胸を撫で下ろした私は、メガネ以外は彼女の好きな様にさせたのだった。
そしてお風呂で磨かれた後は、オイルマッサージが待っていた。
「キティ様の肌は、とてもきめ細やかでスベスベですね。いつもは、どんなお手入れをなさっているのですか?」
「いいえ、特段何もしていません」
するとメリーナが微笑んだ。
「確かに、それは乙女の企業秘密ですよね。
失礼致しました」
本当に何もしていないのだが、それをしつこく言うのもおかしいので、私も微笑むだけに留めたのであった。
そして、ここまでで2時間くらいだろうか。
次は化粧に入った。
そこでまたしても、メガネの問題に直面したのだ。
「キティ様?今回はメガネを外して下さいね」
「あ、あの。目だけ化粧なしは出来ませんか?」
すると鏡越しに、メリーナの笑顔が映る。
「出来ません」
(ど、どうしよう・・・)
俯く私にメリーナが言葉を重ねた。
「・・・メガネを外せない理由でもあるのですか?」
「理由というか、メガネがないと落ち着かないのです。
・・・それに、あまり人様にお見せ出来る容姿ではありませんので」
そんな私に、メリーナは提案してくれた。
「では、メガネを外しても、目を開けて頂かなくて大丈夫です。
それに、メガネの隙間から拝見しましたところ、キティ様はまつ毛が長く量も多いとお見受けしました。
ですから、色を乗せるだけで大丈夫だと思います」
そう言って、笑顔で頷いてくれる彼女の最大限の譲歩に、私は頷いたのであった。
「では、始めますね」
手際よく化粧を乗せていくのを見ていると、メリーナの声がした。
「キティ様。目元に移ります。
メガネを外していただいても宜しいですか?」
(・・・き、きてしまった。でも、目を開けなきゃ大丈夫)
私は目を閉じてメガネを外した。
家以外の場所、しかも人前で外すのは初めてなので緊張する。
「はい、ありがとうございます。
では、手早く終わらせますので、少しお待ち下さい」
するとメリーナは言葉通りに手早く済ませてくれた。
「お待たせ致しました。もうメガネをして頂いて大丈夫です」
その声で、すぐにメガネを掛けた。
(・・・ふう。やっぱり安心する。
けど私、いつからメガネを掛けるようになったんだっけ?)
思い出そうと考えを巡らせる手前で、メリーナの声が響いた。
「キティ様、お待たせ致しました」
鏡の中の私は、メガネをしてはいるものの、唇と頬は淡い桃色に染まり、髪の毛は編み込みのアップとなっていた。
「ありがとうございます。メリーナさん」
「いいえ、ですがまだドレスが残っております。
こちらに移動して頂いても宜しいですか?」
私は衝立の後ろに連れて行かれて、ドレスに袖を通した。
身体にピッタリとフィットするドレスは、私の為に作られた、私だけの物だと主張している。
「先程も思いましたが、キティ様は着痩せするタイプなのでしょうか。
ドレスを着られるとメリハリがあり、とても映えますね」
「ありがとうございます。普段、あまり着ないのでよく分からないのですが、そう言われると嬉しいですね」
「さあ、完成致しました。如何でしょうか?」
姿見鏡に映る私は、本当にお姫様みたいだった。
(・・・もちろん、メガネを除いては、だが)
「はい、とても綺麗です。ありがとうございました」
するとメリーナは『サイラス様を呼んで参ります』と部屋を出て行った。
(けどやっぱり、メガネが全てを台無しにしている感が拭えない)
(・・・でも、顔を見せるよりはマシかな)
姿見鏡と睨めっこをしていると、彼とメリーナが入って来た。
「終わった様だな。疲れてないか?」
鏡に映る彼も正装をしており、私のドレスと対だと一目で分かるデザインだった。
髪型はいつもとは違い、しっかりと後ろへ流れている。
「はい、大丈夫です。それにしても、準備は時間が掛かるものなのですね。改めて実感しました」
振り返った私を頭の先からつま先まで見た彼は、眉を寄せた。
そして口を開いた瞬間、部屋の扉が開いたのだ。
入って来たのは、彼の母と父だった。
「あら、キティさん。とっても綺麗よ!
お姫様みたいだわ」
「やっぱり、女の子は華やかでいいな。
とても似合っているよ」
褒めてくれた二人にお礼を言うと、彼と目が合った。
「そのメガネは外さないのか?」
「メガネは必需品ですので外せません」
「でも、度が入っている訳じゃないだろう?」
その言葉を彼の両親もジッと聞いている。
(・・・これ以上言うのは、我儘なのかな。
ご両親も、折角のドレスがこんなメガネじゃ期待外れよね)
考えていると、彼が言葉を重ねた。
「じゃあ、僕の一回分の権利を使おう。
メガネを外してもらえるか?」
ーーーこの要求は、金銭や倫理的観点から外れたものではない。
であれば、私は彼の要求を飲まなくてはいけない。
心臓がドクドクと脈打つ。
私は、手が震えない様に注意しながら、メガネにそっと手を掛けた。
フレームを押し上げ、メガネを外す。
そして、閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
すると目の前の四人は、目を見開き、口を開けて愕然としていた。
(・・・やっぱり。だから見せたくなかったのだ)
俯く私に、彼の母の声がした。
「あ、貴女、キティさんよね?」
「・・・はい、そうですが」
その会話を最後に、沈黙が流れた。
この時間に居たたまれなさを感じてきた頃、彼の口が動いた。
「・・・キティ。
やっぱり、メガネを掛けて行く事を許す」
その言葉に、良かったとホッとした自分と、そこまで私の顔は受け入れ難いのかと思うと、胸がチクっとした。
(・・・彼なら、私を受け入れてくれると思ったんだけどな)
そう頭を過ぎった事に疑問を持った。
(・・・あれ?何でそんな事を思ったんだろう?)
何だか靄が掛かっていて思い出せそうもない。
すると、彼の声が響いた。
「じゃあ、行こうか」
そっと差し出す腕を見た私は、メガネを掛けてから手を置いたのであった。




