16
医者の見送りが終わり、戻って来た彼の母から夕食を誘われた私は、準備が出来るまで虫の観察をする事にした。
虫をひっくり返しながら見ていると、さっき彼に言われた言葉が引っ掛かる。
「・・・やっぱり私は、虫を弄んでいるのでしょうか?」
すると、彼は首を振った。
「・・・いいや。
さっきは、君が酷いと言うから、売り言葉に買い言葉となってしまった。
本当は、そんな事を思ってはいない。
大人気なかったな」
そう言って、私の考察日記に目を落とした。
「いえ、こちらこそ言い過ぎました」
私は虫を虫籠へと戻す。
互いにその後の会話が続かない事に、何となく居心地の悪さを感じた。
(あっ。そうだ)
「来月の舞踏会の仮縫いの件ですが、今からって可能なんでしょうか?」
「・・・そうだな。
折角だし、今終わらせた方が良いだろう。
確認してくるので、待っていてくれ」
部屋から出て行く彼の背を目で追っていると、さっきの居心地の悪さが何か分かった。
(・・・なんか、妙に素直なのよね)
それに、レゼラブルさんへの対応もそう。
あんなに怒るとは思わなかったし、心配されるなんて端から想像もしていなかった。
だって私達は、条件で選んだだけの婚約者。
協力はしても、想いを寄せる事はないはずだ。
(・・・そうよね?)
考察日記を開いて纏め始めると、頭の片隅で考えていた疑問が徐々に小さくなっていくのだった。
* * * * *
(へぇ、すごい。こうやって外敵から身を守るのね)
虫を軽くつついていたら、前から声がした。
「キティ、聞こえているか?」
それに顔を上げると、目の前に彼の顔があっのだ。
「・・・あれ?サイラス様ですか?」
周りを見回すと、家ではなかった。
(そうだった。彼の家だったんだ)
「君の集中力は凄いな。
普通に話しかけても聞こえないのか?」
「・・・そうですね。
通常は興味の対象を取り上げるか、身体を揺すらない限り気付かないので、今の段階で気付いたのは稀かもしれません」
「・・・そうか。しっかりと心に留めておこう。
それと、ドレスの準備が整ったのでついて来てくれ」
私は彼について隣の客室に入ると、仮縫いが終わったドレスが飾られていた。
エンパイアラインのレースが幾重にも重ねられたティアードスカートのドレスは、一目で値が張るものだと分かる。
深い深い夜空の様な色合いは、裾に行くほどに夕暮れ時の青紫へと変化していく。
落ち着いた、けれど決して地味ではないドレスは、きっと人目を惹くだろう。
「・・・素敵なドレスですね」
「君からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。
あまり、興味はないんだろう?」
「確かに、興味はありません。
ですが、良いものを良いと思う心は持ち合わせています」
すると、彼からクスッと笑う声が聞こえた。
「そうか。
気に入ってもらえて良かったよ」
私がドレスを眺めていると、外から声がした。
「失礼致します。
早速、始めさせて頂いても大丈夫でしょうか?」
そう言って、ゾロゾロとメイド達が入って来た。
「ああ、頼む」
彼の一言で、前回と同様に衝立の後ろへ私を誘導したメイド達は、またしても素早い動きでダボつく部分を詰めていく。
(・・・相変わらず凄すぎて目が回る)
「サイラス様、完了致しました」
「ああ、ありがとう。手間をかけたな」
私は元通りに制服を着せてもらい、姿見鏡の前に立った。
(・・・あれ?制服が綺麗になってない?)
転んでスカートに汚れが付いていたのが無くなっている。
(まさか、新品!?)
そう思いタグを見るが、そんな事はなかった。
(という事は、この短時間で何かをしてくれたのだ)
その凄すぎる神業に感嘆していると、彼の声が聞こえた。
「準備は出来たか?」
「はい。今すぐに行きます」
そして彼の父が帰って来たので、みんなで晩餐を始めたのだ。
やっぱりうちとは違い、広く煌びやかな部屋には、大きなテーブルと数多い椅子が並べられている。
もちろん、出てくる料理の品数も全く違った。
最初は緊張したのだが、彼の両親が私に話し掛けてくれたので、徐々に慣れたのだった。
そして最後には、私の好きなアーモンドフロランタンをお土産にくれたのである。
「キティさん、是非また遊びに来てね」
「やっぱり、女の子がいると違うもんだな。
また、いつでも来なさい」
笑顔で送り出してくれた両親に、私も別れの挨拶をする。
「今日は本当にありがとうございました。
とても楽しく過ごせました」
すると彼の母が、彼に目をやった。
「サイラス、キティさんを馬車まで送りなさい。
キティさん、気を付けて帰るのよ」
それに頷いた私達は、歩き出したのだ。
廊下の窓から見える景色は既に暗く、時間の速さを感じさせる。
「今日はありがとうございました。
とても気さくなご両親ですね」
「ありがとう、そう言ってくれて助かる。
それに、礼を言うのは僕の方だ。
今日はありがとう。そして、すまなかった」
「もう大丈夫ですから、この話は終わりにしましょう。
それに、明日もラブラブ作戦を続けて、早期解決を図りますよ」
すると、彼の眉が下がった。
「・・・君は本当に懲りないな。
だが、今日の様な事は二度とさせはしない」
最後の言葉には力が入っていた。
エントランスを出ると、夜風が吹き抜けた。
私は忘れ物がないかを再度確認する。
(鞄、虫籠・・・考察日記。うん、大丈夫ね)
「じゃあサイラス様、また明日」
「ああ、帰り道気を付けて。
また明日な、キティ」
こうして、夜の道を馬車が走り出したのであった。
私は、外から聞こえる虫の音色に耳を傾ける。
(明日も虫探しを手伝ってくれないかな?)
そんな希望を持ちながら、自宅へと帰ったのであった。
ーーー明くる日、朝食の席で母が呟いた。
「昨日、怪我をしたって聞いた時は驚いたわ。
けど、大した事無くて本当に良かった」
「ご心配をおかけしました」
私はウインナーを口に入れた。
「本当よ。パパなんて、ぶっ倒れそうになったんだから。ねぇ?」
すると、マカロニサラダを食べていた父が顔を向けた。
「もう、生きた心地がしなかったよ。
御者から聞いた時は、意識が遠のいてしまった。
けど、あちらからすぐに手紙が来たので倒れずに済んだんだよ」
確かに、一人娘に何かあれば気が気ではないだろう。
とその時、疑問が生まれた。
(私も彼も一人っ子。
私が嫁に行ってしまうと、この家は誰が継ぐのだろうか?)
「お父様?私が結婚して家を出たら、誰がメリーウェザー家を継ぐのですか?」
すると、父はパンに手を伸ばしていた。
「それはもちろん、キティとサイラス君の子供に継いで欲しいと考えているよ」
(・・・こ、子供?)
すると、卵焼きを食べていた母の視線を感じる。
「そうね!
キティちゃんには、アーベンスロット家とメリーウェザー家の跡取りを産んで貰わないといけないわ」
その言葉に、気が遠くなりそうだ。
(結婚するって事は、つまりそういう事だ)
恋愛小説にもそれっぽい事が書いてあったけど、自分がするとは思いもしない。
黙ったまま一点を見つめる私に、母が再度声を掛けた。
「キティちゃん?どうしたの?
そう言えば、昨日のサイラスさんとのデートは楽しかったみたいね!
聞いたわよ?熱く見つめ合い、二人の世界だったって」
その言葉に、とうとう私の頭は爆発した。
ガタン!と椅子を引く音と共に立ち上がった私に驚く二人。
「とりあえず、行ってきます」
すると、食事室を出て行く私の背に母の声が響く。
「キティちゃん!
まだ、マカロニサラダと卵焼きが残っているわよ!」
だが私は振り返らない。
ズンズンと廊下を歩く私は、初めてご飯を残すという行為をしてしまったのだった。
ーーー早く着いた教室には、まだ誰もいない。
それがまた、昨日の事を思い起こさせる。
けれど頭が爆発していた私には、そんな事は瑣末な事だった。
(・・・今更だけど、全く考えていなかったわ)
一人席に着いて項垂れていると、頭の上から声がした。
「おはよう、キティ嬢。
・・・おや?元気ないね?何か悩み事?」
(いつも思うけど、ベリック様って意外と鋭いのよね)
顔を上げた私は彼を見上げた。
「・・・ベリック様は、子孫を残す事をどう思いますか?」
「ーーーうん?
そうだね。それはとても重要な事じゃないかな?
鳥が子孫を残す為にする求愛は、とても多彩なんだ。
ダンスを踊ったり、巣を作ったりと色々あるけど、彼達が試行錯誤しながら頑張って命を繋げてきたからこそ、今も外では当たり前の様に鳥が羽ばたき、囀りが聞こえるんだろうね!」
(・・・巡る命か)
確かに、以前の私なら虫の繁殖に何の疑問もなかった。
(そう、それは自然の摂理だからだ)
きっと恋愛小説の読みすぎで、頭がおかしくなっていたのだろう。
そんな私は、過剰反応しない様に頭を切り替えた。
「ベリック様、ありがとうございます。
何とか解決出来そうです」
すると彼は『力になれたのなら良かった』とニッコリ微笑んだのだ。
ーーー授業も終わり昼休み、私は彼の教室へと向かう。
入り口に着き、中を見回すとレゼラブルさんは見当たらない。
(・・・あれ?休みかな?)
すると、そんな私に気付いた彼がこちらへとやって来た。
「話したい事がある。ランチへ行こうか」
そう言い切りスタスタと歩いて行く彼に小声で話しかけた。
「彼女は休みですか?」
「その件は、後で話すよ」
ーーーそして料理を選んで席へ座った私は、早速切り出した。
「それで、何があったんですか?」
すると、彼は手を組んで話し始めた。
「それなんだが、彼女は転校したらしい」
「え!?昨日の今日ですよね?」
「そうだ。
聞いたら、元々転校する事が決まっていたようだ」
「・・・それって、私が協力しなくても、時が解決してくれた問題って事ですか?」
その言葉に、彼は気まずそうに視線を下げた。
「・・・そういう事になるな。
無駄に怖い思いをさせてしまった」
私は目の前にあるパンを千切った。
「じゃあ解決したって事でいいんですね?」
「そうだな。なんとなく釈然とはしないが、もう彼女が目の前に現れる事はないだろう。
協力してくれてありがとう」
「いいえ、早期解決出来て良かったです。
それと、今日もデートしませんか?」
その言葉に目を丸くしている。
(誘うなら、気持ちが緩んだ今だろう)
「・・・それって、虫取りか?」
「もちろんです!
昨日の子達は今日解放するので、新しい子を迎え入れようと思っております!」
私が嬉々として話していると、彼の呆れ顔が映った。
「君さ?デートの意味が違うの、分からない?」
「そんな事はありません!私だって、ちゃんと知っています。
恋愛本に書いてありましたから。
いいですか?デートとは、異性が二人でいる事だそうです」
「その理屈だと、確か・・・一緒に研究しているベリックだったか?
彼と二人で研究室にいる君は、いつも彼とデートしているって事になるな」
「え?ベリック様は研究仲間ですけど・・・」
「じゃあ違うだろう?
今日、虫取りを手伝って欲しいのなら、君の持つ一回分を消費するんだな」
(な!?なんて事だろうか・・・)
それだと、今日入れて三回しかない。
使い所を間違えると大変な事になってしまう。
私は彼を見つめた。
「ーーー分かりました。
今日はよろしくお願いします。
そして、次のテストも全力で勝ちにいきますから、そのつもりでいてください」
そして私は、数を増やすことを選んだのだ。
「ああ、望むところだ。
じゃあ今日の放課後は付き合ってやる」
その言葉に私は、メガネのフレームを指で押し上げたのであった。




