15
帰りの準備をした私達は、馬車停まで向かう。
「サイラス様?なんか、元気がありませんね?
何かありましたか?」
「いや、大丈夫だ。
なかなかに強烈なものを見てしまったからな」
(・・・それは、虫の事だろうか?)
私は好きだが、世間一般だとそうではない人が多いと、母からは耳にタコができるほどに言われている。
「・・・やっぱり、サイラス様も虫は嫌いですか?」
「うん?虫か?
好きでも嫌いでもないな」
その顔に嫌悪感はなかった。
少し安心した私は、不意に思い出したのだ。
(そうだ!教室に置いてきてしまった)
「サイラス様、私、教室に忘れ物をしてしまったので、こちらで失礼致します。
本日はありがとうございました」
「いや、僕も行こう」
それに私は片手を振った。
「いいえ、大丈夫です。
すぐに済みますので、先にお帰り下さい」
暫く私を見つめていた彼は『分かった』と言って、馬車停へと向かって行った。
(早く取って帰ろう)
教室の机の引き出しに入っている、虫の考察日記を思い浮かべた。
(あれがないと、今日見つけた虫の事を書けないしね)
茜色が差す廊下を進み、階段を上がって教室へと入った。
誰もいない部屋は、しーんと静まり返り、何だか不安になる。
そして私は机の中を覗くと目当ての物が入っていた。
(あった。鞄にしまってと、これで良し)
すると背後から【ガタン!】とした大きな物音に驚いた私は振り返えると、入り口には例の彼女が立っていたのだ。
「っ!!?
あの、何か用ですか?」
青いガラス玉の様な瞳には、先程の憎悪は感じられない。
ボーッと私を見つめる彼女が、静かに話し始めた。
「サイラス様は、貴女に困っているわ!
だから、しつこくしないで欲しいの」
そう言って、こちらに近づいて来る彼女に恐怖を感じた。
私は距離を取るべく、彼女から目を離さずに後退る。
「えっと、レゼラブルさん?
貴女は、サイラス様とどういう関係なの?」
危ないと思ったが、原因が何かを突き止めなければ、この件は解決しない。
すると彼女は、宙を見上げてウットリとした。
「サイラス様は、私の運命の人なの。
いつもは冷たいんだけど、きっと私の気を引きたいのね。
だからね、私もそれに付き合ってあげているの」
すると、なんの前触れもなく彼女の瞳に憎悪が宿った。
「なのに・・・なのに!
アンタがサイラス様にちょっかいを掛けるのがいけないの!
アンタさえいなければ、サイラス様は私と婚約したのよ!
だから返して!私のサイラス様を返してよ!!」
そう言って、私に手を伸ばした。
体格は互角。
だが興奮している彼女の力は、私より何倍も強い筈だ。
(ーーーどうする?)
私は左右を見渡し、咄嗟に駆け出した。
けど、足音で彼女も追って来ているのが分かる。
その恐怖から後ろを振り返ると、すごい形相をしていた。
余計に怖くなってしまった私は、一生懸命に足を動かすのだが、気持ちに身体がついていかない。
そして、あっと思った瞬間、足が絡まり転んでしまった。
「・・・ねぇ?なんで逃げるの?」
背後から聞こえる声に、振り向く事もできない。
転んだ時にぶつけた足が、ジンジンと痛んだ。
(・・・ああ、参ったな)
私は、長い長い廊下の先を見つめた。
(もう少しだけだから、頑張ってよ。私の足・・・)
そう思い、足に力を入れた時。
「何をしている」
背後から聞こえた声は、さっき別れたばかりの彼のものだった。
私はそれに振り返ると、彼女が私に向かって伸ばした腕を彼が掴んでいる。
その状況に大喜びだったのは彼女だった。
「サイラス様!やっと、私を選んで下さったんですね!とても嬉しいです」
だが彼は、それに眉一つ動かさずに返した。
「いい加減にしてくれ!
何度も言うが迷惑なんだ。
これ以上付き纏うのなら、それなりの措置を取らせてもらう」
すると、彼女は動揺し始めた。
しかし、そんな彼女には見向きもしない彼は、私のもとへとやって来る。
「サイラス様、待って!
だって、貴方は私の運命の人じゃない!
・・・ねぇ?そうだと言ってよ!」
彼は私の前に膝をつくと口を開いた。
「大丈夫か?」
「あ、はい。なんとか、大丈夫です」
すると、手を差し出したのだ。
「来るのが遅くなってしまい、すまない。
立てるか?」
それに私は手を重ねて立ち上がる。
痛みを感じた膝には血が滲んでいた。
(・・・まぁ、しょうがない。帰ったら消毒しないとな)
すると、それに気付いた彼が呟いた。
「まさか、怪我、したのか?」
「大丈夫です、大した事ーーー」
『ないですから』と話終わる前に、彼は彼女へと振り返った。
その表情は私からは見えないが、彼女の顔が引き攣ったのを見ると、相当なものなのかもしれない。
「・・・おい。僕の婚約者に怪我をさせるなんて、どういう了見だ?
貴様、覚悟は出来てんだろうな?」
その声は、淡々としていて抑揚が無く、婚約する前の冷たい言い方よりも、更に上を行く話し方に、私も彼女も息を呑んだ。
(・・・これ、怒ってない?)
「なぁ、聞こえてんだろう?
いつもは無駄に煩いくせして、今はダンマリとか、人を馬鹿にすんのもいい加減にしろよ?」
彼女を見ると顔面蒼白だ。
それをマズイと思った私は、咄嗟に彼の腕を掴む。
「サイラス様、大丈夫です!
それに、私が勝手に転んだだけですので!」
すると、彼がこちらを振り返ったのだが、その瞳には感情が見えなかった。
「・・・コイツのせいで、そうなったんだろう?
なら普通、責任を取るのが筋だ」
私は、彼の腕を掴む力を更に強くして、彼越しに見える彼女に合図を送った。
(今の内にどこかへ行きなさい!)と。
すると、彼女には伝わったのだろう。
振り返り、脇目も振らずに走り出した。
それに気付いた彼が追いかけようとしたが、私に腕を掴まれている為、そうはいかない。
彼女の走り去る足音だけが、耳に響くのだった。
そして暫くして、私は声を掛けた。
「・・・落ち着きましたか?」
彼女が逃げた方向をジッと見つめていた彼が振り返ると、その顔には表情が乗っていた。
「・・・申し訳ない。
怪我をさせるつもりは無かったんだ。
本当に、自分の考えの甘さに反吐が出る」
そう言って、俯いている。
だから安心させる為にも、私は微笑んだ。
「本当に大丈夫ですよ?
帰って消毒すれば、一週間で治りますから」
すると彼は、私をジッと見つめた。
「・・・いいや、ダメだ。
うちの方が近い。
だからこのまま、うちへ行くぞ」
そう言ったかと思うと、私の両足が宙に浮き、瞳は彼の横顔を捉えた。
一瞬、何が起きたのか分からなくなった私は、そのまま彼に運ばれて行く。
(・・・これって、小説で見たお姫様抱っこじゃない?)
だがここで、大人しくしないのが私だ。
「歩けるんで、下ろしてください!」
「ダメだ。医者に診せてから下ろしてやる」
「大袈裟過ぎます!
それに私、今日は取ってもらった虫の観察をしなきゃいけないので、このまま帰ります!
・・・あっ、いけない!虫を教室に忘れました!」
すると彼は教室に戻り、私の鞄と虫籠を手に引っ掛けた。
「これだろ?観察ならうちですればいい」
そう言って、問答無用で運ばれてしまったのだ。
馬車停へ行くと、彼は今回の件をうちの御者に話し、伝達を頼むと自分の馬車に私共々乗り込んだ。
出発した馬車のカラカラという車輪の音を聞きながら、前に座る彼を見つめる。
「・・・あの、虫を返して下さい」
「医者に見せ終わったら返す」
「何でですか?」
すると彼は、虫籠を見つめながら告げた。
「虫が絡むと、何をしでかすか分からないからな」
そう言って虫籠を撫でている。
(・・・なんか、その手付きが妙にイラつくのだが?)
私がジッと虫籠を見つめていると、彼の手が止まった。
「だから僕の言う事を聞かないと、この虫がどうなるのか、分かるよな?」
その言葉に、虫達は人質ならぬ虫質だった事に気付いたのだ。
それからは彼の家に着き、言われるがままにお姫様抱っこをされ、エントランスをくぐった。
すると、彼の母が出迎えてくれたのだ。
「サイラス?今日のデートはどうだったの?
・・・あら?キティさんも一緒なのね。
それにしても、どうしたの?
抱っこなんてしちゃって・・・」
その言葉に居た堪れなさを覚えた私は、足をバタバタした。
「こんな状態でお邪魔してしまい申し訳ありません」
そして、彼を見上げる。
「あの、もう平気ですから、下ろしてください」
だがそれに、聞こえるか聞こえないかの声で囁いたのだ。
「・・・虫」
その瞬間、私の声はヒュッと引っ込む。
すると、様子が変な私達に気付いた彼の母が問い掛けた。
「ねぇ、何かあったの?」
「彼女が怪我をしたんだ。
だから、医者に診せたい」
「あら、やだ!
そういう事はもっと早く言いなさい!
じゃあすぐに準備をするから、サイラスはキティさんを客室へ運んでね」
そう言い置き、彼の母はすぐに引き返して行った。
「さぁ行くから、しっかり掴まってくれ」
私は、彼の首に回している腕に力を入れた。
階段を上がり、以前採寸で訪れた部屋へ入ると、彼は私を椅子に置いた。
「ありがとうございました。
では、虫を返して下さい」
彼は私を見下ろし『仕方ないな』と呟いて虫籠を返してくれた。
大事に受け取った私は、彼等を抱き締める。
(やっと解放されたのね!おかえりなさい!)
虫質にされていたなんて知りもしない彼達が気の毒でならない。
「本当に、サイラス様は酷いです。
虫には何の罪もないのですよ?」
すると彼は、心外そうな目を向けた。
「僕は虫に危害を加えるつもりはない。
ただ、外に解放してやろうと思っただけだ。
・・・そう考えると、虫からしたら君の方がタチが悪いな。
誘拐されるんだから」
(んな!?)
あまりの言いように、目を剥いた。
「私だって研究した後は、ちゃんと無傷で解放しています!
・・・ただ、ちょこっと細胞を採取させてもらっているだけで・・・」
「だがそれは、なんの許可もなく身体を弄り倒され、好き放題に弄ばれる虫の気持ちを考えての事か?」
「な、何ですか!?その言い方は!
言葉選びが悲惨すぎます」
「だが、事実だ」
私達が睨み合っていると、彼の母が医者と共に現れた。
「あら、やだ。
そんなに熱く見つめ合って、本当に仲が良いのね。
だけどまずは、お医者様に診てもらいましょう」
その言葉に、私は彼の顔から視線をプイッと逸らしたのだ。
そして診断の結果だが、ただの擦り傷だった。
(そりゃそうだ。ただ転んだだけなのだから)
わざわざ医者を呼ぶほどの事ではない。
その後、彼の母は医者の見送りも兼ねて退出して行った。
「サイラス様?だから大した事はないって言いましたよね?」
すると彼は、ため息を吐いた。
(・・・なんだ?また文句か?)
気構えていると、静かに口を開いた。
「いいや、大した事なくても、それが確認出来るまでは安心出来ない。
ーーー本当に、良かった」
そう呟き、ホッとした顔を覗かせた。
意外と過保護な一面を目の当たりにした私は、驚きを隠す事が出来なかったのである。




