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虫好き令嬢の難儀な婚約事情  作者: こさか りね


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帰りの準備をした私達は、馬車停まで向かう。


「サイラス様?なんか、元気がありませんね?

何かありましたか?」


「いや、大丈夫だ。

なかなかに強烈なものを見てしまったからな」


(・・・それは、虫の事だろうか?)


私は好きだが、世間一般だとそうではない人が多いと、母からは耳にタコができるほどに言われている。


「・・・やっぱり、サイラス様も虫は嫌いですか?」


「うん?虫か?

好きでも嫌いでもないな」


その顔に嫌悪感はなかった。

少し安心した私は、不意に思い出したのだ。


(そうだ!教室に置いてきてしまった)


「サイラス様、私、教室に忘れ物をしてしまったので、こちらで失礼致します。

本日はありがとうございました」


「いや、僕も行こう」


それに私は片手を振った。


「いいえ、大丈夫です。

すぐに済みますので、先にお帰り下さい」


暫く私を見つめていた彼は『分かった』と言って、馬車停へと向かって行った。


(早く取って帰ろう)


教室の机の引き出しに入っている、虫の考察日記を思い浮かべた。


(あれがないと、今日見つけた虫の事を書けないしね)


茜色が差す廊下を進み、階段を上がって教室へと入った。

誰もいない部屋は、しーんと静まり返り、何だか不安になる。


そして私は机の中を覗くと目当ての物が入っていた。


(あった。鞄にしまってと、これで良し)


すると背後から【ガタン!】とした大きな物音に驚いた私は振り返えると、入り口には例の彼女が立っていたのだ。


「っ!!?

あの、何か用ですか?」


青いガラス玉の様な瞳には、先程の憎悪は感じられない。


ボーッと私を見つめる彼女が、静かに話し始めた。


「サイラス様は、貴女に困っているわ!

だから、しつこくしないで欲しいの」


そう言って、こちらに近づいて来る彼女に恐怖を感じた。


私は距離を取るべく、彼女から目を離さずに後退(あとずさ)る。


「えっと、レゼラブルさん?

貴女は、サイラス様とどういう関係なの?」


危ないと思ったが、原因が何かを突き止めなければ、この件は解決しない。

すると彼女は、宙を見上げてウットリとした。


「サイラス様は、私の運命の人なの。

いつもは冷たいんだけど、きっと私の気を引きたいのね。

だからね、私もそれに付き合ってあげているの」


すると、なんの前触れもなく彼女の瞳に憎悪が宿った。


「なのに・・・なのに!

アンタがサイラス様にちょっかいを掛けるのがいけないの!

アンタさえいなければ、サイラス様は私と婚約したのよ!

だから返して!私のサイラス様を返してよ!!」


そう言って、私に手を伸ばした。


体格は互角。

だが興奮している彼女の力は、私より何倍も強い筈だ。


(ーーーどうする?)


私は左右を見渡し、咄嗟に駆け出した。


けど、足音で彼女も追って来ているのが分かる。

その恐怖から後ろを振り返ると、すごい形相をしていた。


余計に怖くなってしまった私は、一生懸命に足を動かすのだが、気持ちに身体がついていかない。


そして、あっと思った瞬間、足が絡まり転んでしまった。


「・・・ねぇ?なんで逃げるの?」


背後から聞こえる声に、振り向く事もできない。

転んだ時にぶつけた足が、ジンジンと痛んだ。


(・・・ああ、参ったな)


私は、長い長い廊下の先を見つめた。


(もう少しだけだから、頑張ってよ。私の足・・・)

そう思い、足に力を入れた時。


「何をしている」


背後から聞こえた声は、さっき別れたばかりの彼のものだった。


私はそれに振り返ると、彼女が私に向かって伸ばした腕を彼が掴んでいる。

その状況に大喜びだったのは彼女だった。


「サイラス様!やっと、私を選んで下さったんですね!とても嬉しいです」


だが彼は、それに眉一つ動かさずに返した。


「いい加減にしてくれ!

何度も言うが迷惑なんだ。

これ以上付き纏うのなら、それなりの措置を取らせてもらう」


すると、彼女は動揺し始めた。

しかし、そんな彼女には見向きもしない彼は、私のもとへとやって来る。


「サイラス様、待って!

だって、貴方は私の運命の人じゃない!

・・・ねぇ?そうだと言ってよ!」


彼は私の前に膝をつくと口を開いた。


「大丈夫か?」


「あ、はい。なんとか、大丈夫です」


すると、手を差し出したのだ。


「来るのが遅くなってしまい、すまない。

立てるか?」


それに私は手を重ねて立ち上がる。

痛みを感じた膝には血が滲んでいた。


(・・・まぁ、しょうがない。帰ったら消毒しないとな)


すると、それに気付いた彼が呟いた。


「まさか、怪我、したのか?」


「大丈夫です、大した事ーーー」


『ないですから』と話終わる前に、彼は彼女へと振り返った。

その表情は私からは見えないが、彼女の顔が引き攣ったのを見ると、相当なものなのかもしれない。


「・・・おい。僕の婚約者に怪我をさせるなんて、どういう了見だ?

貴様、覚悟は出来てんだろうな?」


その声は、淡々としていて抑揚が無く、婚約する前の冷たい言い方よりも、更に上を行く話し方に、私も彼女も息を呑んだ。


(・・・これ、怒ってない?)


「なぁ、聞こえてんだろう?

いつもは無駄に煩いくせして、今はダンマリとか、人を馬鹿にすんのもいい加減にしろよ?」


彼女を見ると顔面蒼白だ。

それをマズイと思った私は、咄嗟に彼の腕を掴む。


「サイラス様、大丈夫です!

それに、私が勝手に転んだだけですので!」


すると、彼がこちらを振り返ったのだが、その瞳には感情が見えなかった。


「・・・コイツのせいで、そうなったんだろう?

なら普通、責任を取るのが筋だ」


私は、彼の腕を掴む力を更に強くして、彼越しに見える彼女に合図を送った。


(今の内にどこかへ行きなさい!)と。


すると、彼女には伝わったのだろう。

振り返り、脇目も振らずに走り出した。


それに気付いた彼が追いかけようとしたが、私に腕を掴まれている為、そうはいかない。


彼女の走り去る足音だけが、耳に響くのだった。

そして暫くして、私は声を掛けた。


「・・・落ち着きましたか?」


彼女が逃げた方向をジッと見つめていた彼が振り返ると、その顔には表情が乗っていた。


「・・・申し訳ない。

怪我をさせるつもりは無かったんだ。

本当に、自分の考えの甘さに反吐が出る」


そう言って、俯いている。

だから安心させる為にも、私は微笑んだ。


「本当に大丈夫ですよ?

帰って消毒すれば、一週間で治りますから」


すると彼は、私をジッと見つめた。


「・・・いいや、ダメだ。

うちの方が近い。

だからこのまま、うちへ行くぞ」


そう言ったかと思うと、私の両足が宙に浮き、瞳は彼の横顔を捉(とら)えた。


一瞬、何が起きたのか分からなくなった私は、そのまま彼に運ばれて行く。


(・・・これって、小説で見たお姫様抱っこじゃない?)


だがここで、大人しくしないのが私だ。


「歩けるんで、下ろしてください!」


「ダメだ。医者に診せてから下ろしてやる」


「大袈裟過ぎます!

それに私、今日は取ってもらった虫の観察をしなきゃいけないので、このまま帰ります!

・・・あっ、いけない!虫を教室に忘れました!」


すると彼は教室に戻り、私の鞄と虫籠を手に引っ掛けた。


「これだろ?観察ならうちですればいい」


そう言って、問答無用で運ばれてしまったのだ。


馬車停へ行くと、彼は今回の件をうちの御者に話し、伝達を頼むと自分の馬車に私共々乗り込んだ。


出発した馬車のカラカラという車輪の音を聞きながら、前に座る彼を見つめる。


「・・・あの、虫を返して下さい」


「医者に見せ終わったら返す」


「何でですか?」


すると彼は、虫籠を見つめながら告げた。


「虫が絡むと、何をしでかすか分からないからな」


そう言って虫籠を撫でている。


(・・・なんか、その手付きが妙にイラつくのだが?)


私がジッと虫籠を見つめていると、彼の手が止まった。


「だから僕の言う事を聞かないと、この虫がどうなるのか、分かるよな?」


その言葉に、虫達は人質ならぬ虫質だった事に気付いたのだ。


それからは彼の家に着き、言われるがままにお姫様抱っこをされ、エントランスをくぐった。


すると、彼の母が出迎えてくれたのだ。


「サイラス?今日のデートはどうだったの?

・・・あら?キティさんも一緒なのね。

それにしても、どうしたの?

抱っこなんてしちゃって・・・」


その言葉に居た堪れなさを覚えた私は、足をバタバタした。


「こんな状態でお邪魔してしまい申し訳ありません」

そして、彼を見上げる。

「あの、もう平気ですから、下ろしてください」


だがそれに、聞こえるか聞こえないかの声で囁いたのだ。


「・・・虫」


その瞬間、私の声はヒュッと引っ込む。


すると、様子が変な私達に気付いた彼の母が問い掛けた。


「ねぇ、何かあったの?」


「彼女が怪我をしたんだ。

だから、医者に診せたい」


「あら、やだ!

そういう事はもっと早く言いなさい!

じゃあすぐに準備をするから、サイラスはキティさんを客室へ運んでね」


そう言い置き、彼の母はすぐに引き返して行った。


「さぁ行くから、しっかり掴まってくれ」


私は、彼の首に回している腕に力を入れた。


階段を上がり、以前採寸で訪れた部屋へ入ると、彼は私を椅子に置いた。


「ありがとうございました。

では、虫を返して下さい」


彼は私を見下ろし『仕方ないな』と呟いて虫籠を返してくれた。

大事に受け取った私は、彼等を抱き締める。


(やっと解放されたのね!おかえりなさい!)


虫質にされていたなんて知りもしない彼達が気の毒でならない。


「本当に、サイラス様は酷いです。

虫には何の罪もないのですよ?」


すると彼は、心外そうな目を向けた。


「僕は虫に危害を加えるつもりはない。

ただ、外に解放してやろうと思っただけだ。

・・・そう考えると、虫からしたら君の方がタチが悪いな。

誘拐されるんだから」


(んな!?)


あまりの言いように、目を剥いた。


「私だって研究した後は、ちゃんと無傷で解放しています!

・・・ただ、ちょこっと細胞を採取させてもらっているだけで・・・」


「だがそれは、なんの許可もなく身体を弄り倒され、好き放題に弄ばれる虫の気持ちを考えての事か?」


「な、何ですか!?その言い方は!

言葉選びが悲惨すぎます」


「だが、事実だ」


私達が睨み合っていると、彼の母が医者と共に現れた。


「あら、やだ。

そんなに熱く見つめ合って、本当に仲が良いのね。

だけどまずは、お医者様に診てもらいましょう」


その言葉に、私は彼の顔から視線をプイッと逸らしたのだ。


そして診断の結果だが、ただの擦り傷だった。


(そりゃそうだ。ただ転んだだけなのだから)


わざわざ医者を呼ぶほどの事ではない。


その後、彼の母は医者の見送りも兼ねて退出して行った。


「サイラス様?だから大した事はないって言いましたよね?」


すると彼は、ため息を吐いた。


(・・・なんだ?また文句か?)


気構えていると、静かに口を開いた。


「いいや、大した事なくても、それが確認出来るまでは安心出来ない。

ーーー本当に、良かった」


そう呟き、ホッとした顔を覗かせた。


意外と過保護な一面を目の当たりにした私は、驚きを隠す事が出来なかったのである。



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