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04 そこにいることになっている:オールドベル

 ガラス張りの新しい店が並ぶ区画から、急に色が古くなる。

 白く磨かれた壁面の列に、そこだけ古い木材が混じっていた。


 木製の扉。

 真鍮の取っ手。

 入口に吊るされた、小さなベル。


 喫茶《オールドベル》。


 シンギュラリ・シティには似合わない店だが、機律イドの認可を受けた正規の店舗だ。


 扉を開けると、カラン、と乾いた音が鳴った。

 空調の整った街路とは違う、少し濃い匂いがする。


 焙煎された豆。

 古い紙。

 磨かれた木の棚。

 壁には、今どき珍しい針の時計が掛かっていた。


 耳元の端末から、イドの声が聞こえる。


『オズ。今日も寄り道?』


「いつもの店だよ」


『うん。甘いものは一日一つまでね。昨日、チョコレートケーキ食べてたでしょ』


「よく見てるな」


『見てるよ。オズのこと、心配だから』


 オズは返事をしなかった。


 店の奥のカウンター席に座る。

 端末をカウンターの上に置いた。


 店主は何も言わず、水の入ったグラスを置く。

 オズも何も言わない。


 何度か来たことのある店だった。

 ただ、今日だけは違う。


 今日ここに来たのは、コーヒーを飲むためではなかった。


 端末の画面には、何も映っていない。

 少なくとも、客の目には。


 オズは指先で、端末の縁を二度叩いた。


 微かな振動が返ってくる。


 続いて、パーカーの袖口に隠した小さな接続端子を、カウンターの裏へ滑らせた。

 古い木目の下には、数日前に仕込んだ薄い基板が貼りついている。


 何度も頭の中で繰り返した手順だった。

 朝の教室で、信号の偽装は通った。


 なら、ここでもいける。


 たぶん。


 喫茶店の照明が、一瞬だけ弱く瞬いた。


 店主は気づかない。

 他の客も気づかない。


 シティの管理網だけが、ひとつの情報を受け取った。


 蒼弐オズは、喫茶《オールドベル》のカウンター席にいる。


 心拍。

 体温。

 端末位置。

 着席状態。


 すべて正常。


 そこに、彼はいることになった。


 オズはグラスの水を一口だけ飲み、席を立った。


「トイレ借りる」


 店主は黙って頷く。


 オズは店の奥へ向かった。

 細い通路。

 右手にトイレ。

 左手に倉庫。


 そのさらに奥に、普段は使われていない裏口がある。


 扉の前で足を止め、オズは耳元の端末を外した。

 代わりに、首元の内側へ指を入れる。


 赤いストラップの奥。

 縫い目に隠した薄いチップを、爪の先で押し込んだ。


 肌の上を、冷たい膜が一枚滑ったような感覚が走る。


 姿が消えるわけではない。

 足音も残る。

 呼吸も、影も、体温もある。


 ただ、街の目がそれを人間として結ばなくなる。


 監視カメラの端に映る黒い影。

 通行人の群れに混じった一瞬のノイズ。

 センサー上の小さな揺らぎ。


 それが今の、蒼弐オズだった。


 裏口を開ける。


 細い路地に出ると、すぐ頭上を監視ドローンが通り過ぎた。

 オズは壁際に立ったまま、動かない。


 ドローンのレンズが一度、こちらを向く。


 警告音は鳴らない。

 照合光も走らない。


 ドローンは興味を失ったように、白い街路の方へ戻っていった。


 オズは息を吐く。


「……よし」


 声が、思ったより小さくなった。

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