16 好奇心の足音:退屈
サユのスクーター事故から、一か月ほど経った。
朝の通学路は、澄み渡る青空の下、学校へ向かう生徒たちで埋まっていた。
歩く者。
スクーターに乗る者。
小型の移動車両へ乗り込む者。
誰もが決められた時刻に家を出て、決められた経路で学校へ着く。
この都市の朝は、毎日寸分違わず同じ形をしていた。
白真ライトは、その流れの中を歩いていた。
見慣れた顔も、見慣れた道も、いつもと変わらない。
昨日と今日の区別がつかないくらいに。
「……暇だ」
隣を歩くサユが振り返る。
「朝から何言ってんの」
「最近なんもなくね?」
「何もない方がいいでしょ」
「いや、そうなんだけどさ」
ライトは後頭部で手を組み、指を折って数えるように続けた。
「毎日学校行って」
「うん」
「授業受けて」
「うん」
「飯食って」
「うん」
「帰る」
「普通じゃない」
「普通すぎる」
サユが、心底呆れたという顔をする。
「この前、私が死にかけたばっかりなんだけど」
「それはもう勘弁」
「でしょ?」
「もうちょい安全な面白いことが欲しい」
「注文が細かい」
前を歩いていたトウヤが、大きな欠伸をした。
「寝れば」
「それはお前の趣味だろ」
「暇じゃなくなる」
「意識なくなるだけじゃん」
トウヤはそのまま歩いていく。
ライトが横を見ると、ノアは端末を読みながら歩いていた。
人混みの中でも、肩ひとつぶつけない。
「ノアは?」
「何が」
「最近、面白いことない?」
「昨日の講義資料なら面白かった」
「聞いた俺が悪かった」
「そうか」
「即納得すんなよ」
サユが笑った。
その少し先を、オズが一人で歩いている。
ライトは、その背中をじっと見る。
「……そういや」
「何?」
「オズ、最近放課後すぐ消えね?」
サユも前を見る。
「前からじゃない?」
「前はもっと俺らといたじゃん」
「そうだっけ」
「そうだって」
ライトが歩幅を少し広げる。
「誘っても断るし」
「何か作ってるんじゃないの」
「それだよ」
ライトの顔が、獲物を見つけた猫のように明るくなる。
「絶対なんか隠してる」
「また始まった」
「いや、分かるんだって」
「何がよ」
「悪友の勘」
「便利ね、それ」
「オズが一人でこそこそしてる時は、だいたい面白くてヤバいことやってる」
前方で、オズが一度だけ振り返った。
「聞こえてるぞ」
「ほら!」
「何がほらなのよ」
「俺の悪友センサー」
「声がでかいだけだろ」
オズはそれだけ言って、前へ向き直った。
「今日放課後なんかやんの?」
「別に」
「怪しい」
「お前の基準だと何言っても怪しいだろ」
「じゃあ一緒に帰ろうぜ」
「やだ」
「即答!」
サユがライトの肩を叩いた。
「ほら。遅れるわよ」
「絶対なんかあるって」
「いいから歩く」
ライトはオズの背中から目を離さないまま、校門をくぐった。
放課後のチャイムと同時に、教室が一気に騒がしくなった。
「終わったー!」
ライトが机へ突っ伏した。
「今日は長かった……」
「毎日言ってるな」
トウヤはまだ机に伏せている。
「お前は半分寝てただろ」
「だから短かった」
「ずるい」
サユが鞄を持つ。
「ライト、帰る?」
「んー」
ライトがオズの席を見る。
空だった。
椅子もきちんと机の下へ戻されている。
「あれ?」
「蒼弐ならもう出たぞ」
ノアが答える。
「早くね?」
「片付けも終わっていた」
「いつの間に」
「君が先生に課題の再提出を言い渡されている間だ」
「最悪のタイミングで消えやがったな」
「自業自得でしょ」
ライトは窓の外を見る。
校門にも、その先の歩道にも、もうオズの姿はない。
「……やっぱ怪しい」
「はいはい」
サユが手を振る。
「私は帰るからね」
「おう。また明日」
「寄り道しすぎないでよ」
「母ちゃんかよ」
「誰がよ」
サユとノアが教室を出ていく。
トウヤも遅れて立ち上がった。
「ライト」
「ん?」
「再提出」
「あ」
机の上には、未送信の課題が残っている。
「……明日じゃダメ?」
「知らない」
「イドさーん」
教室の端末から声が返る。
『今日中だよー』
「ですよねー」
トウヤはそのまま出ていった。
ライトが学校を出たのは、それからしばらく後だった。
「やっと終わった……」
凝り固まった肩を回す。
夕方の市街地は朝より騒がしく、買い物帰りの人や部活動帰りの生徒が行き交っている。
配達車両に、スクーター。
どこを見ても、いつもの街だった。
退屈という言葉を形にしたら、きっとこんな景色になる。
「なんかねぇかな」
歩きながら周囲を見回しても、何もない。
案内表示の中で、イドが今日も笑っている。
信号が変わり、ライトも横断歩道を渡った。
その時、人混みの向こうに、見覚えのある後頭部が見えた。
「……ん?」
黒髪。
白いパーカー。
肩に鞄。
「オズ?」
呼ぼうとして、ライトは口を閉じた。
少し考える。
「……いや」
ライトの口元が上がった。
「こっちの方が面白いな」
距離を空けて、あとを追った。
オズは振り返らない。
いつもの歩道を抜け、交差点を曲がり、商業区を通っていく。
ライトも、店の看板や植え込みを使いながらついていく。
本人としては、映像の中の探偵になったつもりだった。
「尾行ってこんな感じだよな……」
小声で言う。
前を歩くオズの鞄の口から、ジャーキーとナッツの袋が覗いていた。
「……渋っ」
前方で、オズが端末を取り出した。
親指で短く操作する。
離れた場所にあるオールドベルでは、カウンターの下に仕込まれた小さな基板に、表示灯がひとつ点いた。
オズは端末をしまい、そのまま歩き続ける。
ライトも追った。
少しして、ライトは違和感に気づいた。
「……あれ」
街頭表示。
通行案内。
個人向けの経路誘導。
普段なら、知り合いが近くを歩けば簡単な連携表示が出る。
この街で、誰かの居場所が分からないということは、まずない。
それなのに、オズの名前がない。
「?」
でも、前にはいる。
普通に歩いている。
ライトは一度端末を見る。
もう一度、オズを見る。
「なんだこれ」
退屈だった一日が、急に色づいた気がした。
道が広くなるにつれて人通りが減り、商業施設も少なくなっていく。
代わりに物流車両が増え、高い外郭壁が近づいてきた。
街の明るさが、少しずつ背中のほうへ置いていかれる。
「……こっち?」
ライトも速度を落とす。
前方に、大きな表示が見えた。
《第四外郭ゲート》
「門じゃん」
オズは正面のゲートへは向かわず、脇道へ曲がった。
資材搬入口。
整備車両用の通路。
積み上がったコンテナ。
その先には、壁へ沿って伸びる搬入用デッキがある。
オズは速度を変えない。
デッキの支柱へ手をかけ、上がる。
次の足場へ移る。
慣れた階段でも上るような、迷いのない動きだった。
そのまま上へ消えた。
「……は?」
ライトが角から顔を出す。
誰もいない。
少し待っても、誰も出てこない。
「オズ?」
声は、積み上がったコンテナの間で消えた。
ライトは近づき、搬入用デッキを見上げる。
上段には、資材ケースと配管、壁沿いの通路があるだけだった。
人影はなかった。
「どこ行った?」
左右を見回し、正面の第四外郭ゲートへ目を向ける。
白い巨大な扉は閉じている。
ゲート前を、整備車両が一台通過した。
オズはいない。
「……マジで消えた」
ライトはしばらく、その場に立っていた。
やがて端末が鳴る。
《帰宅推奨時刻》
「はいはい」
画面を閉じ、もう一度だけ搬入用デッキを見る。
「なんだよ」
悔しさより先に、笑いがこみ上げてくる。
「やっぱ面白いことやってんじゃん」
ライトは踵を返した。
第四外郭ゲートの上を、巡回ドローンが通り過ぎる。
搬入用デッキには、誰もいなかった。




