15 偶像の修復:欺瞞
月曜日の放課後、授業を終えた校舎の奥では、まだ機械音が低く続いていた。
学校の整備ドックには、サユのスクーターが運び込まれていた。
白い照明に照らされた車体は、検査台の上で、診察を待つ患者のように見えた。
車体は作業台の上に載せられ、側面には高架で擦った傷が残っている。
「……思ったよりひどいな」
ライトは作業台の横へしゃがみ込み、傷の近くまで顔を寄せた。
「これ、俺だったら泣く」
「私のなんだけど」
「だからサユの代わりに泣こうかと」
「いらない」
サユは腕を組んだまま、スクーターを見ていた。
近づきたくないのか、それとも目を離したくないのか、自分でも決めかねているような立ち方だった。
オズは少し離れた壁際に立ち、ノアは端末を手にしている。
トウヤは長椅子へ座り、壁にもたれて目を閉じていた。
正面の大型表示に、機律イドが現れる。
『じゃあ、事故時の記録から確認していくね』
スクーターの下で機械音が鳴り、診断ケーブルが接続された。
表示にログが並ぶ。
《回生電力上昇》
《保護制御作動》
《操舵制御停止》
《姿勢制御停止》
《制動入力遮断》
サユが小さく息を吐いた。
『事故直前、制御系の一部で電圧が不安定になってる』
「故障?」
『その可能性もあるけど――』
イドの横にスクーター内部の配線図が表示され、その一か所が点滅する。
『最初に疑われるのは、ここの接続不良かな』
「接続不良」
ノアが画面を見る。
『うん。最終組み立ての工程で、端子の固定が足りなかった可能性があるよ』
サユが顔を上げた。
「最終組み立てって……人がやってるんだっけ」
『そうだよ』
ライトが首を傾げる。
「全部機械にやらせればよくない?」
イドが笑った。
『もちろん、全部自動化することもできるよ』
「じゃあなんでしないの?」
『人が働くことも、大切だから』
ライトが瞬きをする。
『自分たちが使うものを、自分たちの手で作る。仕事を持つ。誰かの役に立つ。それも人間らしい生活の一部でしょ?』
表示の中で、イドが指を一本立てる。
『だから私たちは、安全に支障がない範囲で、最終組み立てや点検を人に任せてるの』
説明が続く間、ライトは正面の表示を見上げ、ノアは端末を持つ手を止め、オズは配線図の点滅を目で追っていた。
トウヤだけは、長椅子で目を閉じたままだった。
「へえ」
「合理的だと思う」
ノアが言った。
「すべてをイドが代行する必要はない。人間が社会に参加する場所を残しているんだ」
「でも」
サユが画面を見る。
「もし、その人のミスだったら?」
『担当した技術者には再教育を受けてもらうことになるね』
「再教育」
『しばらく作業から外れてもらって、手順確認と適性検査。必要なら担当変更もするよ』
サユは黙った。
自分の事故で、顔も知らない誰かが仕事を外される。
その順番が、うまく飲み込めなかった。
「命に関わる事故だったんだ」
ノアが言う。
「同じことを繰り返さないためには必要だ」
「分かってるけど」
サユの指が、自分の袖を掴む。
「私、別にその人を罰してほしいわけじゃないし」
『もちろん罰を与えるためじゃないよ』
イドの声は変わらない。
責める響きも、慰める響きもない、いつもの柔らかさだった。
『次は誰も危険な目に遭わないようにするため』
「……うん」
サユはスクーターへ目を戻した。
『もう少し調べるね』
表示が切り替わり、事故当日の走行記録が開かれる。
各部の電圧。
温度。
操作入力。
時刻ごとの警告履歴。
オズも画面を見る。
週末、道路脇でスクーターを開いた時のことだ。
サユが《保護制御》の表示に気を取られていた、その間に、オズは端末を少し長く操作した。
書き換えたのは、事故時刻の記録だ。
本来なら一系統にしか残っていなかった異常を、同じ時刻の近くの系統へ、いくつか増やしておいた。
表示の中で、その記録が開かれる。
《電力分配系:瞬間電圧異常》
《信号変換系:応答遅延》
《高密度伝送系:接続異常》
『……あれ?』
イドが、小鳥のように首を傾げた。
ライトが画面を見る。
「どうした?」
『ちょっと待ってね』
配線図の点滅が増える。
一か所。
二か所。
三か所。
『これだと、ひとつの端子だけが原因って考えるのは変だな』
ノアが一歩近づいた。
「複数箇所で同時に?」
『うん』
イドが事故時の走行条件を呼び出す。
《長距離降坂》
《回生量増加》
《蓄電率上昇》
《保護制御介入》
数字が動き、画面の中で仮想のスクーターが走り始めた。
下り坂で回生量が増え、蓄電率が上がる。
警告が出た、その直後。
操舵系の表示が、凍りついたように止まった。
「……同じだ」
サユが言った。
『再現したね』
もう一度、条件を少し変えて走らせる。
今度は正常だった。
条件を戻すと、また制御が止まった。
『原因、こっちみたい』
「何だったの?」
『省エネ制御と安全制御が、特定の条件でぶつかってる』
イドは配線図を消した。
『回生電力が想定値を超えた時、安全側へ切り替えようとして、別の保護処理まで同時に走ってる。それで操作入力まで止めちゃった』
サユが口を開く。
「じゃあ」
『組み立て担当者のミスじゃない』
少し間があった。
サユの肩から、ゆっくりと力が抜けていく。
『担当者への再教育措置も取り消すね』
「……そっか」
ノアが頷く。
「さすがイドだ。公正な判断を下した」
『間違ったままにしたくないからね』
イドが笑う。
『サユも、怖い思いさせちゃってごめんね』
「イドが謝るの?」
『推奨モデルだったから』
サユは少し黙った。
機械に謝られたことなど、これまで一度もなかった気がする。
「……そっか」
それだけ言った。
ドックの作業アームが動き始める。
『原因は分かったけど、事故時に異常履歴が残った部品はまとめて交換するね』
オズが画面を見る。
「単体で正常でも?」
『うん』
「もったいなくない?」
『事故車だから、安全優先』
「なるほどね」
オズの口元が、ほんの少しだけ上がる。
作業アームが点検ハッチを開いた。
まず、制御チップ。
週末にオズが一度外し、元へ戻したものだ。
端子の一部が焦げている。
アームが取り外し、金属トレイへ置く。
カン。
次。
電力分配器。
単体検査。
《正常》
それでも外される。
カラン。
信号変換器。
《正常》
交換。
カン。
高密度配線ユニット。
《正常》
交換。
軽い金属音が続く。
長椅子のトウヤは、目を閉じたままだった。
眠っているのか、そう見せているだけなのかは、誰にも分からない。
「正常なのも替えるんだ」
ライトが言う。
『一度事故系統に入ったものだからね』
「新品になるなら得じゃね?」
「事故ってる時点で得じゃないでしょ」
サユが返す。
「あ、そっか」
新品の部品が、制御チップ、電力分配器、信号変換器、配線ユニットの順に組み込まれていく。
接続と診断が終わる。
《正常》
操舵を左右へ切り、制動をかけて、停止まで確かめる。
『修理完了』
サユがスクーターへ近づいた。
「もう乗って大丈夫?」
『まずはドック内で低速試験しよう』
「……分かった」
サユが乗り、ゆっくりと走り出す。
止まる。
曲がる。
もう一度止まる。
その間、全員の目がサユへ向いていた。
オズ以外は。
交換済み部品のトレイと、その横の廃棄スロット。
オズは工具袋を持ち上げた。
中には、荒野から持ってきた金属片が入っている。
削ったもの。
端子の形だけ似せたもの。
重さを合わせたもの。
天井のカメラとトレイの間に、自分の背中を置く。
誰かに見られて困ることをする時ほど、動きは普段どおりでなければならない。
オズは焦げた制御チップを取る。
そのままスロットへ落とした。
カン。
《回収》
次。
電力分配器へ手を伸ばす。
手の中で入れ替える。
正常な部品は工具袋へ。
代わりに金属片。
スロットへ落とす。
ゴトン。
《回収》
信号変換器。
入れ替える。
ゴッ。
《回収》
配線ユニット。
入れ替える。
カツン。
《回収》
表示は変わらない。
オズは工具袋の口を閉じた。
長椅子で、トウヤの指が一度だけ動いた。
目は閉じたまま。
「ちゃんと止まる」
サユがスクーターから降りる。
『問題なし。今日は速度を抑えて帰ってね』
「うん」
「俺が横走る?」
ライトが言う。
「なんであんたなのよ」
「心強いだろ?」
「不安が増える」
「ひどい」
サユが少し笑った。
オズは工具袋を肩に掛ける。
「帰るか」
「そうだな」
ノアが答える。
ドックを出ると、機械音は扉の向こうへ遠ざかり、廊下には五人の足音が残った。
ライトとサユが前を歩き、その後ろにノア、オズが続く。
少し遅れて、トウヤ。
廊下の角で、トウヤが言った。
「オズ」
「ん?」
オズが止まる。
トウヤは壁にもたれた。
「さっき捨てたやつ」
「何」
「違うだろ」
数秒、間が空いた。
オズがトウヤを見る。
「何が?」
「外した部品」
トウヤは欠伸をする。
「トレイに置かれた時と、捨てた時で音が違った」
「……見てた?」
「見てない」
トウヤが目を細める。
「聞こえただけ」
オズは黙った。
誤魔化す言葉はいくつか浮かんだが、どれもこの相手には通じない気がした。
「最初のは同じだった」
焦げた制御チップのことだ。
「あとの三つは違う」
「よく聞いてんな」
「勝手に聞こえる」
トウヤは前を見る。
ライトたちの声が、廊下の向こうから聞こえていた。
「イドに言う?」
オズが聞く。
「なんで」
「いや、盗ってるし」
「俺には関係ない」
「そう」
「うん」
トウヤは歩き出した。
「置いてくぞ」
「今行く」
オズは工具袋を肩に掛け直す。
廊下の向こうで、トウヤの足音が遠ざかる。
眠そうな歩き方なのに、不思議と足音だけは乱れていなかった。
工具袋の中で、金属が一度だけ触れた。




