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20/22

15 偶像の修復:欺瞞

 月曜日の放課後、授業を終えた校舎の奥では、まだ機械音が低く続いていた。


 学校の整備ドックには、サユのスクーターが運び込まれていた。

 白い照明に照らされた車体は、検査台の上で、診察を待つ患者のように見えた。

 車体は作業台の上に載せられ、側面には高架で擦った傷が残っている。


「……思ったよりひどいな」


 ライトは作業台の横へしゃがみ込み、傷の近くまで顔を寄せた。


「これ、俺だったら泣く」


「私のなんだけど」


「だからサユの代わりに泣こうかと」


「いらない」


 サユは腕を組んだまま、スクーターを見ていた。

 近づきたくないのか、それとも目を離したくないのか、自分でも決めかねているような立ち方だった。


 オズは少し離れた壁際に立ち、ノアは端末を手にしている。

 トウヤは長椅子へ座り、壁にもたれて目を閉じていた。


 正面の大型表示に、機律イドが現れる。


『じゃあ、事故時の記録から確認していくね』


 スクーターの下で機械音が鳴り、診断ケーブルが接続された。

 表示にログが並ぶ。


《回生電力上昇》


《保護制御作動》


《操舵制御停止》


《姿勢制御停止》


《制動入力遮断》


 サユが小さく息を吐いた。


『事故直前、制御系の一部で電圧が不安定になってる』


「故障?」


『その可能性もあるけど――』


 イドの横にスクーター内部の配線図が表示され、その一か所が点滅する。


『最初に疑われるのは、ここの接続不良かな』


「接続不良」


 ノアが画面を見る。


『うん。最終組み立ての工程で、端子の固定が足りなかった可能性があるよ』


 サユが顔を上げた。


「最終組み立てって……人がやってるんだっけ」


『そうだよ』


 ライトが首を傾げる。


「全部機械にやらせればよくない?」


 イドが笑った。


『もちろん、全部自動化することもできるよ』


「じゃあなんでしないの?」


『人が働くことも、大切だから』


 ライトが瞬きをする。


『自分たちが使うものを、自分たちの手で作る。仕事を持つ。誰かの役に立つ。それも人間らしい生活の一部でしょ?』


 表示の中で、イドが指を一本立てる。


『だから私たちは、安全に支障がない範囲で、最終組み立てや点検を人に任せてるの』


 説明が続く間、ライトは正面の表示を見上げ、ノアは端末を持つ手を止め、オズは配線図の点滅を目で追っていた。

 トウヤだけは、長椅子で目を閉じたままだった。


「へえ」


「合理的だと思う」


 ノアが言った。


「すべてをイドが代行する必要はない。人間が社会に参加する場所を残しているんだ」


「でも」


 サユが画面を見る。


「もし、その人のミスだったら?」


『担当した技術者には再教育を受けてもらうことになるね』


「再教育」


『しばらく作業から外れてもらって、手順確認と適性検査。必要なら担当変更もするよ』


 サユは黙った。


 自分の事故で、顔も知らない誰かが仕事を外される。

 その順番が、うまく飲み込めなかった。


「命に関わる事故だったんだ」


 ノアが言う。


「同じことを繰り返さないためには必要だ」


「分かってるけど」


 サユの指が、自分の袖を掴む。


「私、別にその人を罰してほしいわけじゃないし」


『もちろん罰を与えるためじゃないよ』


 イドの声は変わらない。

 責める響きも、慰める響きもない、いつもの柔らかさだった。


『次は誰も危険な目に遭わないようにするため』


「……うん」


 サユはスクーターへ目を戻した。


『もう少し調べるね』


 表示が切り替わり、事故当日の走行記録が開かれる。

 各部の電圧。

 温度。

 操作入力。

 時刻ごとの警告履歴。


 オズも画面を見る。


 週末、道路脇でスクーターを開いた時のことだ。

 サユが《保護制御》の表示に気を取られていた、その間に、オズは端末を少し長く操作した。


 書き換えたのは、事故時刻の記録だ。

 本来なら一系統にしか残っていなかった異常を、同じ時刻の近くの系統へ、いくつか増やしておいた。


 表示の中で、その記録が開かれる。


《電力分配系:瞬間電圧異常》


《信号変換系:応答遅延》


《高密度伝送系:接続異常》


『……あれ?』


 イドが、小鳥のように首を傾げた。


 ライトが画面を見る。


「どうした?」


『ちょっと待ってね』


 配線図の点滅が増える。

 一か所。

 二か所。

 三か所。


『これだと、ひとつの端子だけが原因って考えるのは変だな』


 ノアが一歩近づいた。


「複数箇所で同時に?」


『うん』


 イドが事故時の走行条件を呼び出す。


《長距離降坂》


《回生量増加》


《蓄電率上昇》


《保護制御介入》


 数字が動き、画面の中で仮想のスクーターが走り始めた。


 下り坂で回生量が増え、蓄電率が上がる。

 警告が出た、その直後。

 操舵系の表示が、凍りついたように止まった。


「……同じだ」


 サユが言った。


『再現したね』


 もう一度、条件を少し変えて走らせる。

 今度は正常だった。


 条件を戻すと、また制御が止まった。


『原因、こっちみたい』


「何だったの?」


『省エネ制御と安全制御が、特定の条件でぶつかってる』


 イドは配線図を消した。


『回生電力が想定値を超えた時、安全側へ切り替えようとして、別の保護処理まで同時に走ってる。それで操作入力まで止めちゃった』


 サユが口を開く。


「じゃあ」


『組み立て担当者のミスじゃない』


 少し間があった。

 サユの肩から、ゆっくりと力が抜けていく。


『担当者への再教育措置も取り消すね』


「……そっか」


 ノアが頷く。


「さすがイドだ。公正な判断を下した」


『間違ったままにしたくないからね』


 イドが笑う。


『サユも、怖い思いさせちゃってごめんね』


「イドが謝るの?」


『推奨モデルだったから』


 サユは少し黙った。

 機械に謝られたことなど、これまで一度もなかった気がする。


「……そっか」


 それだけ言った。


 ドックの作業アームが動き始める。


『原因は分かったけど、事故時に異常履歴が残った部品はまとめて交換するね』


 オズが画面を見る。


「単体で正常でも?」


『うん』


「もったいなくない?」


『事故車だから、安全優先』


「なるほどね」


 オズの口元が、ほんの少しだけ上がる。


 作業アームが点検ハッチを開いた。


 まず、制御チップ。

 週末にオズが一度外し、元へ戻したものだ。

 端子の一部が焦げている。

 アームが取り外し、金属トレイへ置く。


 カン。


 次。

 電力分配器。

 単体検査。


《正常》


 それでも外される。

 カラン。


 信号変換器。


《正常》


 交換。

 カン。


 高密度配線ユニット。


《正常》


 交換。

 軽い金属音が続く。


 長椅子のトウヤは、目を閉じたままだった。

 眠っているのか、そう見せているだけなのかは、誰にも分からない。


「正常なのも替えるんだ」


 ライトが言う。


『一度事故系統に入ったものだからね』


「新品になるなら得じゃね?」


「事故ってる時点で得じゃないでしょ」


 サユが返す。


「あ、そっか」


 新品の部品が、制御チップ、電力分配器、信号変換器、配線ユニットの順に組み込まれていく。

 接続と診断が終わる。


《正常》


 操舵を左右へ切り、制動をかけて、停止まで確かめる。


『修理完了』


 サユがスクーターへ近づいた。


「もう乗って大丈夫?」


『まずはドック内で低速試験しよう』


「……分かった」


 サユが乗り、ゆっくりと走り出す。

 止まる。

 曲がる。

 もう一度止まる。


 その間、全員の目がサユへ向いていた。

 オズ以外は。


 交換済み部品のトレイと、その横の廃棄スロット。


 オズは工具袋を持ち上げた。

 中には、荒野から持ってきた金属片が入っている。

 削ったもの。

 端子の形だけ似せたもの。

 重さを合わせたもの。


 天井のカメラとトレイの間に、自分の背中を置く。

 誰かに見られて困ることをする時ほど、動きは普段どおりでなければならない。


 オズは焦げた制御チップを取る。

 そのままスロットへ落とした。


 カン。


《回収》


 次。

 電力分配器へ手を伸ばす。


 手の中で入れ替える。

 正常な部品は工具袋へ。

 代わりに金属片。

 スロットへ落とす。


 ゴトン。


《回収》


 信号変換器。

 入れ替える。


 ゴッ。


《回収》


 配線ユニット。

 入れ替える。


 カツン。


《回収》


 表示は変わらない。

 オズは工具袋の口を閉じた。


 長椅子で、トウヤの指が一度だけ動いた。

 目は閉じたまま。


「ちゃんと止まる」


 サユがスクーターから降りる。


『問題なし。今日は速度を抑えて帰ってね』


「うん」


「俺が横走る?」


 ライトが言う。


「なんであんたなのよ」


「心強いだろ?」


「不安が増える」


「ひどい」


 サユが少し笑った。


 オズは工具袋を肩に掛ける。


「帰るか」


「そうだな」


 ノアが答える。


 ドックを出ると、機械音は扉の向こうへ遠ざかり、廊下には五人の足音が残った。


 ライトとサユが前を歩き、その後ろにノア、オズが続く。

 少し遅れて、トウヤ。


 廊下の角で、トウヤが言った。


「オズ」


「ん?」


 オズが止まる。

 トウヤは壁にもたれた。


「さっき捨てたやつ」


「何」


「違うだろ」


 数秒、間が空いた。

 オズがトウヤを見る。


「何が?」


「外した部品」


 トウヤは欠伸をする。


「トレイに置かれた時と、捨てた時で音が違った」


「……見てた?」


「見てない」


 トウヤが目を細める。


「聞こえただけ」


 オズは黙った。

 誤魔化す言葉はいくつか浮かんだが、どれもこの相手には通じない気がした。


「最初のは同じだった」


 焦げた制御チップのことだ。


「あとの三つは違う」


「よく聞いてんな」


「勝手に聞こえる」


 トウヤは前を見る。

 ライトたちの声が、廊下の向こうから聞こえていた。


「イドに言う?」


 オズが聞く。


「なんで」


「いや、盗ってるし」


「俺には関係ない」


「そう」


「うん」


 トウヤは歩き出した。


「置いてくぞ」


「今行く」


 オズは工具袋を肩に掛け直す。


 廊下の向こうで、トウヤの足音が遠ざかる。

 眠そうな歩き方なのに、不思議と足音だけは乱れていなかった。


 工具袋の中で、金属が一度だけ触れた。


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