14 偶像の修復:制御
週末の午前、都市の外周区へ続く高架の入口は、平日より車両が少なかった。
休日に外周区まで出かける人は多くない。
用事のある場所は、たいてい中心部で足りてしまうからだ。
広い路面の端に、三台の乗り物が並んでいる。
「なんで休みの日まで課題なんだよ……」
ライトがスクーターのハンドルへ突っ伏す。
「普段からちゃんと観測ログ取ってれば、こうならないの」
サユが言った。
「外周の環境保全区まで行けば、大気質も風速もまとめて取れるんだから。今日で終わらせるわよ」
「サユ先生、厳しい」
「誰が先生よ」
少し離れたところでは、オズが、路面からわずかに浮いた一枚の板に乗っていた。
低いモーター音を立てる板の四隅には、小さな推進器が付いている。
じっとしているのが苦手な生き物のように、板は足元で小さく揺れ続けていた。
サユが眉を寄せる。
「……ちょっと待って」
「何」
「それ」
サユが板を指さした。
「前に大イドに壊されたやつじゃないでしょうね」
「あれとは別物」
「また作ったの?」
「今度のは申請通してる」
「は?」
オズは足元を指した。
側面に小さな登録表示が光っている。
《個人製作小型移動機器》
《登録済》
サユが近寄って表示を見る。
「……ほんとだ」
「出力も速度も規格内」
「中はいじってるでしょ」
「調整だけ」
「どこまで?」
「規格内」
「信用ならない」
「登録通ってんだからいいだろ」
ライトが横から覗き込んだ。
「じゃあ今度は大イドに踏み潰されない?」
「今回は大丈夫」
サユが額を押さえた。
「前みたいなことになったら、今度こそ知らないからね」
「だから大丈夫だって」
オズは、話はそれで終わりだと言うように板を前後に揺らした。
ライトも自分のスクーターへ跨がる。
「俺のもオズにいじってもらったぜ」
「何したの」
「乗り心地よくしてもらった」
ライトが、自慢の玩具でも見せるように座席をぽんぽん叩く。
「段差でケツが痛くない」
「他には?」
「加速がちょっと滑らか」
サユがオズを見る。
「安全装置は?」
「触ってない」
「リミッター」
「そのまま」
「ほんとに?」
「そこ触ったら登録外れるだろ」
サユは少しだけ黙った。
「……ならいいけど」
「よーし、出発!」
ライトが走り出す。
「あ、こら! 先行かない!」
サユもスクーターを出し、オズがその後ろについた。
外周区へ向かう道は途中から長い下り坂になり、左右の白い防護壁の向こうには外郭が見える。
中心部の整った街並みが背後へ遠ざかると、空が急に広くなった気がした。
風が強くなった。
ライトはそれを楽しむように先へ出て、サユはすぐに、その背中を追った。
「気持ちいいな、ここ!」
ライトの声が前から飛んでくる。
「飛ばしすぎ!」
「規定内ー!」
「ギリギリで走るな!」
サユが速度を少し上げた。
その時、手元で警告音が鳴った。
《回生電力上昇》
「ん?」
表示が切り替わる。
《保護制御》
《姿勢制御ロック》
「ちょっと待って」
サユがブレーキを握る。
手応えがない。
もう一度握った。
「……え?」
ハンドルを切っても、固い壁を押しているように動かない。
スクーターは、速度を緩めないまま下り坂を進んでいく。
「止まって」
ブレーキ。
反応なし。
「止まってってば」
速度表示の数字だけが、淡々と上がっていく。
前方に、緩い右カーブと白い側壁が迫っていた。
「サユ?」
ライトが振り返った。
「ライト、どいて!」
「え?」
「止まらない!」
ライトが慌てて端へ寄る。
サユのスクーターが横を抜けた。
「サユ!」
オズの板が加速し、すぐに追いついて横へ並んだ。
路面の継ぎ目で、板が跳ねた。
「くそ」
サユへ手を伸ばす。
「手!」
サユも伸ばした。
指が触れ、滑った。
「もう一回!」
カーブが近づく。
オズがさらに寄せる。
板の側面がスクーターへ当たり、金属が擦れた。
「オズ!」
「前見てろ!」
もう一度手を伸ばす。
今度は、サユの手首を掴んだ。
引くと、サユの身体が座席から浮いた。
その足が、座席に引っかかった。
「待っ――」
「足!」
サユが蹴ると、足が外れた。
オズがそのまま引き寄せ、二人分の重さが板へ乗った。
板が大きく傾く。
「うわっ」
オズが片膝をつき、手を路面へ擦った。
板の縁が地面を削り、火花が短く散る。
それでも、倒れなかった。
「掴まってろ」
サユがオズの肩を掴む。
無人になったスクーターが横を走っている。
カーブまで、もう距離がない。
オズは板を寄せ、スクーターの底を見る。
車体の下に、非常停止レバーがある。
足を伸ばしたが、一度目は外れた。
「ちっ」
もう一度伸ばすと、靴底がレバーに当たった。
スクーターの表示が消え、駆動音が止まった。
そのまま側壁の緩衝材へ擦れ、車体が跳ねる。
横倒しになり、数メートル滑って止まった。
オズも板の速度を落とした。
止まる直前にバランスを崩し、二人とも転がるように路面へ降りた。
板だけが少し先まで滑り、側面を壁へぶつけた。
「……最悪」
オズが自分の板を見る。
端が、ずいぶん削れている。
「オズ!」
サユが振り返った。
「手!」
「ん?」
「血出てる!」
右の手のひらが擦れて、赤く滲んでいた。
「これくらい平気」
「平気じゃ――」
そこでサユの声が止まった。
自分の手が震えていることに、ようやく気づいたらしい。
握っても、まだ震える。
ライトがスクーターを放り出すように止めて、走ってきた。
さっきまでの軽口は消え、サユの顔と手足を順に見ている。
「サユ! 大丈夫か!」
「……うん」
「怪我は?」
「ない」
「ほんとか?」
「ないって」
言いながら、サユは道の先を見た。
白い側壁。
横倒しになったスクーター。
あと少しだった。
あと数秒遅ければ、あの壁にぶつかっていたのは自分のほうだった。
オズが立ち上がる。
「ちょっと見てくる」
サユは答えなかった。
オズはスクーターを起こす。
外装には擦り傷がつき、側面の一部が割れていた。
点検ハッチを開くと、焦げた匂いが鼻をついた。
「あー……」
「どう?」
ライトが覗き込む。
「制御系」
オズは端末をつないでログを出した。
《過回生電力検知》
《保護動作》
《姿勢制御固定》
《操舵制御固定》
オズが画面をスクロールする。
「下りで回生が増えた」
「うん」
「それを異常扱いして、保護制御が入ってる」
サユが近づいてくる。
「ブレーキも?」
「操作入力ごと止められてる」
「安全装置が?」
「ログ見る限りは」
サユがスクーターを見る。
車体側面には、認証マークがある。
推奨モデル。
安全評価。
いつも見ている表示だった。
この都市で暮らしていれば、その印がついているものを疑う理由など、どこにもない。
「……これ」
「ん?」
「イドの推奨品だよね」
「ああ」
「安全評価も一番上だった」
オズは答えない。
「なのに」
サユの指がハンドルに触れる。
熱いものに触れたように、すぐ離れた。
「私、あれに殺されかけたの?」
ライトも黙った。
風だけが、高架を抜けていく。
オズはもう一度ログを見る。
「故障っていうより、制御が噛み合ってない感じだな」
「噛み合ってない?」
「安全側に倒そうとして、全部止めた」
「……それで曲がれなくなった」
「たぶん」
サユがスクーターを見る。
「安全のために?」
「そう書いてある」
表示にはまだ残っていた。
《保護制御》
サユはしばらく、それを見ていた。
オズはログの画面を閉じる前に、少しだけ長く端末を操作していた。
それから、工具を出す。
「低速なら戻せるようにする」
「直せるの?」
「応急処置だけ」
制御チップを外し、迂回線を一本入れる。
一度つなぐと、警告が出た。
「あ、違う」
外して、別の端子へつなぎ直す。
再起動すると、今度は表示が戻った。
「よし」
オズはハンドルを左右へ動かし、ブレーキも確認する。
「これなら低速で帰れる」
「ほんと?」
「飛ばさなきゃ」
サユはすぐには乗らなかった。
オズは外した制御チップを手に取る。
焦げた端子。
細かな回路。
型番。
裏面の規格表示。
指でひっくり返したとき、洞窟の白い機体が頭に浮かんだ。
荒野の線材では持たなかった。
でも、これは違う。
オズはチップをもう一度見る。
「……この規格なら、いけるか」
「何が?」
サユの声だった。
オズは顔を上げる。
「いや、こっちの話」
「またなんか企んでない?」
「故障原因見てただけ」
「ほんと?」
「たぶん」
「オズ」
「冗談だって」
ライトが笑った。
「またそれ言ってる」
オズはチップを元の位置へ戻し、迂回線だけを残してハッチを閉じる。
サユは笑わなかった。
スクーターの認証マークを、確かめるように親指でなぞる。
「……帰り、ゆっくりでいい?」
「ああ」
オズが答える。
「俺が横走る」
「俺も!」
「ライトは前」
「なんで?」
「あんたが後ろで騒ぐと集中できない」
「ひどくない?」
「今は静かにして」
「……はい」
ライトがスクーターへ戻る。
サユは一度だけ、深く息を吸った。
それから、ハンドルを握る。
三台が、ゆっくりと走り出した。
先頭にライト、その後ろにサユ、オズの板がその横を走る。
サユのスクーターの表示には、まだ小さく文字が残っていた。
《安全制御:正常》




