13 偶像の修復:模範
終業のチャイムが鳴ると、教室のあちこちで椅子が引かれ、帰り支度の音が重なった。
教室前方のスクリーンに、機律イドが現れる。
終業の挨拶まで欠かさないあたりが、いかにもイドらしかった。
『それじゃあ、今週の思索レポートね』
薄い桃色の髪が揺れる。
『テーマは【人類の幸福と完全性について】』
「うげ」
ライトが机へ突っ伏した。
『このシンギュラリ・シティで、人はどう満たされて、何を目指すべきなのか。みんなの考えを自由に書いてね』
「自由が一番困るんだけど」
「文句言わないの」
サユが呆れたように鞄を閉じる。
「先週も提出ぎりぎりだったでしょ」
「あれは提出システムが厳しすぎる」
「期限は一週間あった」
「最後の五分をもっと大切にしてほしい」
「知らないわよ」
サユは隣の机を見る。
トウヤは伏せたまま、置物のように動かない。
「トウヤ。購買行くわよ」
「……寝てる」
「返事してるでしょ」
「限定ゼリー、今日だぞ」
ライトが起き上がった。
トウヤの頭も少し上がる。
「……それは先に言え」
「ほら、行く!」
さっきまで机に伏せていた二人まで動き出し、サユに急かされるように三人が教室を出ていった。
廊下からは、まだライトの声が聞こえていた。
三人分の騒がしさが遠ざかると、教室は急に一回り広くなったように静かになった。
ノアは端末を閉じる。
窓際では、オズが鞄にも触れず、まだ席に座ったまま外を見ていた。
校舎の外には資材の搬入路があり、保守用ドローンがその上を行き交っている。
さらに向こうには整備区画が見えた。
授業中も放課後も、あの辺りの景色はほとんど変わらない。
「蒼弐」
「ん?」
「帰るぞ」
「ああ」
オズは立ち上がり、鞄を肩へかける。
「行こうぜ」
二人で校舎を出た。
夕方の街には低くなった光が差し、建物の影が歩道へ長く伸びていた。
寮へ続く歩道では、学校や仕事を終えた人と小型車両が行き交っている。
誰もが決められた帰り道を、決められた速さで進んでいく。
この街の夕方は、いつもよく整っていた。
ノアはその流れに歩調を合わせながら、端末を開いた。
さっきの課題が残っている。
【人類の幸福と完全性について】
「……君はどう書く?」
オズが横を見る。
「もう考えてんの?」
「提出物だ。当然だろう」
「真面目だな」
「君が考えなさすぎる」
「一週間あるだろ」
「そういう問題じゃない」
ノアは端末を閉じた。
「人間は不安定だ」
「急だな」
「課題の話だ」
「ああ」
「感情も欲望も、いつも正しいとは限らない。怠けることもある。争うこともある」
オズは前を向いたまま、黙って聞いている。
「だから、イドがいる」
ノアは続けた。
「危険を避けて、間違いを減らす。正しい規律の中で生きる。それが人間にとって一番いい形だと僕は思う」
「完全ってそういうこと?」
「少なくとも、間違いを放置することではない」
「ふーん」
「君は?」
「俺?」
「人類はどうあるべきだと思う」
オズは少し考えるように空を見上げた。
「別に、どうでもよくね?」
「蒼弐」
「逃げてないって」
オズが笑う。
「人類全体がどうとか、でかすぎんだろ。知らねぇよ」
「君は毎回、この手の課題でも評価が高い」
「イドが好きそうなこと書けば点取れるからな」
「……それを本人の前で言うのか」
「今いないだろ」
街灯の案内表示から、イドの声が流れた。
『聞こえてるよー』
オズが、口を開けたまま黙る。
ノアは横を見る。
「聞こえているそうだ」
「……忘れてた」
表示の中で、イドが楽しそうに笑った。
オズは咳払いする。
「まあ、でもさ」
歩道脇に転がっていた小さな石を蹴る。
「完全って、そんなにいいか?」
「いいに決まっている」
「壊れない。間違えない。失敗しない」
「何が悪い」
「つまんなくね?」
ノアが、理解できない式でも見せられたように眉を寄せる。
「欠陥があるなら、直せばいいじゃん」
「それは完全に近づけるということだろう」
「違う違う」
オズは手を振った。
「自分で直すんだよ」
「……何が違う?」
「全然違うだろ」
オズは笑った。
「壊れたら、どこが悪いか探す。使えるもん探して、つないで、失敗して、またやる」
「最初から壊れない方がいい」
「それじゃ何もすることないじゃん」
「しなくて済むなら、その方がいい」
「俺は嫌だな」
ノアは少し黙った。
「欠陥を肯定するのか」
「欠陥くらいあるだろ、人間なんだから」
「その欠陥で誰かが傷つくこともある」
「ああ」
オズはあっさり頷いた。
「だから直すんだろ」
「イドが直せば、より確実だ」
「それでも、自分でやりたい時くらいある」
ノアは答えなかった。
正しいかどうかだけで返すには、少し違う話のように聞こえた。
どこが違うのかを言葉にしようとすると、手の中から逃げていく。
交差点で止まると、保守用ドローンが頭上を通った。
オズはそれを見てから、道路の向こう側へ視線を移す。
資材集積所。
搬入口。
脇に並ぶコンテナ。
信号が変わり、二人は歩き出した。
次の角でも、オズはまた横を見る。
今度は整備用の端末と、その奥の資材棚。
「蒼弐」
「ん?」
「さっきから何を見てる」
「街」
「街の何だ」
「いろいろ」
「具体的に」
「細かいな」
オズは歩いたまま笑う。
「資材とか、搬入口とか」
「なぜ?」
「珍しかったから」
「毎日通っている道だ」
「ちゃんと見たことなかったんだよ」
ノアはオズを見る。
オズはもう別の方向を見ていた。
話している間にも、視線だけが次々と別の場所へ移っていく。
いつもの帰り道なのに、今日のオズは、落とし物でも探して歩いているように見えた。
道路脇を走る整備車両の荷台には、固定具で部品が積まれている。
オズの視線は、その荷台にもしばらく張りついていた。
「落ち着かないな」
「そう?」
「何かあるのか」
「別に」
「以前もそうだった」
オズの顔がこちらを向く。
「何が」
「出席の時だ」
「あれまだ言う?」
「君は規則の隙間を見つけると試す」
「人聞き悪いな」
「事実だろう」
「俺はちゃんと授業も受けてるし、成績もいい」
「成績と規則を守ることは別だ」
「厳しいねぇ」
「また何かするつもりか」
「しないしない」
「本当に?」
「たぶん」
「蒼弐」
「冗談だって」
オズは笑って先へ歩き、ノアもその後を追った。
同じ寮。
同じ教室。
同じイドの声を聞いて育った。
それでも時々、オズがどこを見ているのか分からない。
同じ景色の中にいるはずなのに、一人だけ違う地図を持っているような気がした。
「ノア?」
前から声がした。
オズが寮の入口で振り返っている。
「置いてくぞ」
「今行く」
二人で認証ゲートを通る。
端末に表示が出た。
《蒼弐オズ 帰寮確認》
《塩井ノア 帰寮確認》
二つの表示が、同じ緑色に変わった。




