10 荒野の隠れ家:落日
休日の朝。
寮の自室には、蒼弐オズがいることになっていた。
端末応答。
在室判定。
生体反応。
全部、部屋に残してある。
イドが確かめに来るのは夕方の在室確認だけだから、それまでに戻ればいい。
オズは朝早くから外郭へ向かい、二十メートルほどの壁の上から荒野を見下ろした。
そのまま飛び降りる。
靴底が地面を叩き、乾いた土と一緒に土煙が膝のあたりまで巻き上がった。
オズは服についた砂を払い、そのまま歩き出した。
岩と砂の間を抜け、ところどころ残った崩れた道路を横切って、荒野を進む。
街の外では、道に沿って歩く必要もない。
決められた順路も、通行を数える表示もない場所では、足の向く方が道になった。
しばらく歩くと、前方に岩山が見えた。
オズは斜面へ足をかけ、頂上まで登って立ち止まった。
荒野が遠くまで続き、その上には晴れた青空と、ゆっくり流れるいくつかの雲がある。
壁の内側から見上げる空よりも、ずっと広い気がした。
「今日はどっち行くかな」
その時だった。
街の方角が光った。
「……ん?」
一本のピンク色の光が、地上から上空まで、ほとんど真っ直ぐに伸びる。
空に定規で線を引いたような光だった。
オズが顔を上げた。
光の先、高い空で、何かが弾けた。
白い影が見える。
落ちてくる。
「なんだ、あれ」
一拍遅れて音が届き、腹の底に響いた。
白い影は回りながら高度を落としていく。
翼のようなものが開いた。
すぐに折れた。
そのまま、荒野の向こうへ消える。
数秒後、地面が揺れた。
遠くで土煙が上がる。
「……マジか」
オズは岩山を駆け下りた。
考えるより先に、足のほうが動いていた。
落ちたのは、旧文明の廃墟だった。
砂に埋もれた建物の骨組みの間から、尖塔のように折れた柱や、途中からなくなった壁が覗いている。
細長い構造物が何本も空へ突き出し、その奥から煙が上がっていた。
オズは焦げた跡や砕けた石を避けながら、瓦礫を越えていく。
白い羽根が一枚、砂の上に落ちていた。
もう一枚。
さらに奥にも。
「羽根……?」
点々と落ちた羽根は、道しるべのように廃墟の奥へ続いている。
それを追い、崩れた柱の向こうへ回ったところで、オズの足が止まった。
白いものが倒れていた。
人の形に近く、大きさも人間よりひと回り大きい程度だった。
長い白髪が瓦礫の上へ広がり、頭の後ろにある輪のようなものは、途中で折れて傾いている。
背中には大きな翼があり、片方は地面へ投げ出され、もう片方は途中から崩れていた。
周囲には、白い羽根が雪のように散らばっている。
「……天使?」
口にしてから、オズは眉を寄せた。
自分で言っておきながら、あまりに子どもじみた言葉に聞こえた。
顔は少女に近い。
だが、首から下は違う。
白い装甲。
継ぎ目。
人の身体にはない構造。
胴体の中央が撃ち抜かれ、割れた装甲の奥では、光が弱々しく明滅していた。
オズは携帯端末を取り出し、大気、熱、放射線を順に確かめる。
どれも、すぐに逃げるような値ではない。
その端に、見たことのない小さな波形が出ていた。
途切れかけた息のように、細く揺れている。
「まだ動いてんのか?」
オズは端末を持ったまま近づいた。
青い目が開いている。
その瞳が動き、オズを見た。
「……生きてんのか、お前」
返事はなかった。
オズは瓦礫の上へ膝をつき、胸の穴を覗き込んだ。
奥で光が明滅している。
光る。
消える。
また光る。
「これが動力か?」
オズが手を伸ばしかけた、その時。
白い腕が動いた。
ゆっくりと持ち上がり、途中で一度止まる。
それでも、オズへ向かって伸びてきた。
「おい」
白い指先が胸元へ触れた。
音が消えた。
「――っ」
視界が白くなる。
声ではないものが、頭の中へ流れ込んできた。
《……検知……》
《……エラー……》
《……適合……不成立……》
《……強制……》
《……移行……》
息ができない。
頭の奥へ、何かを無理やり押し込まれる。
身体の中を、冷たい水のようなものが走った。
手を振りほどこうとしても、腕が動かない。
「ぐ……っ」
何かが弾けた。
突然、身体が自由になる。
オズは後ろへ倒れ込み、砂へ手をついた。
息を吸う。
もう一度。
ようやく、肺が動いた。
「は……なんだよ、今の」
白い機体を見る。
胸の奥から、光が浮かび上がっていた。
小さな結晶だった。
白く明滅しながら、装甲の割れ目を抜けてくる。
「待て」
宙へ浮く。
オズへ向かう。
「待て待て」
手で払おうとした。
間に合わなかった。
結晶はオズの胸へ触れ、水面に沈む小石のように、そのまま中へ消えた。
「――っ!」
胸を押さえる。
一瞬だけ心臓の奥が冷たくなり、続いて強い痛みが来た。
オズは地面へ膝をついた。
数秒。
痛みが引いていく。
服をめくる。
傷はない。
「……入ったよな?」
胸を触る。
何もない。
ただ、身体の奥に小さな異物が残っているような感覚だけがあった。
足元で端末が短く鳴り、オズは拾い上げた。
さっきまで揺れていた波形が消えている。
もう一度機体へ近づけても、反応はなかった。
胸の光も消えている。
青い瞳からも、光が抜けた。
白い指が、瓦礫の上へ落ちる。
風が、散らばった羽根を一枚転がした。
頭の奥に、まだ言葉が残っている。
――失わせるな。
――再び、繋ぎ止めろ。
「勝手に入ってきて、勝手なこと言うなよ」
返事はなかった。
オズは息を吐き、それから空を見上げた。
さっきの光は、街の方角から伸びていた。
「……イドだよな、あれ」
前にも、大イドは自作ボード一枚のために空から飛んできた。
撃ったのなら、落ちた先も見に来る。
「……来るな、これ」
このまま置いていけば、飛んでくる大イドに回収される。
そうなれば、こいつが何なのか確かめる機会もなくなる。
それは気に入らなかった。
都市にとって不要なものは、いつもそうやって、オズの手が届く前に片づけられていく。
オズは立ち上がり、まず翼を畳んだ。
廃墟に落ちていたケーブルを拾って胴へ巻くが、それだけでは長さが足りない。
破れた布を裂いて継ぎ足し、結び目を締めて引いた途端、ほどけた。
「くそ」
もう一度結び直す。
折れた光輪は外して、機体の横へ置いた。
次に崩れた壁材をひっくり返し、平たい金属板と曲がった骨組み、ワイヤを集める。
金属板の下へ骨組みを通し、ワイヤで固定して、即席のソリにした。
「持てよ」
機体を持ち上げて載せる。
板が割れた。
「おい」
片側が地面へ落ち、オズも引っ張られて尻もちをついた。
すぐに立ち上がり、割れた部分を外す。
もう一枚の板を重ね、今度は骨組みを二本通して、ワイヤも増やした。
機体を載せ直し、光輪も上へ置いて縛る。
「よし」
オズは墜落地点を振り返った。
機体があった窪みからソリの跡が伸び、その周りには自分の足跡も残っている。
「跡が残ってたら、誰かが運んだってバレる」
金属板で砂をならし、瓦礫を撒く。
崩れた石をいくつか転がし、風上から砂を蹴って、残った線を少しずつ崩していった。
何度か振り返る。
やがて、線は消えた。
残ったのは、機体が消えた窪みと焦げ跡、散った白い羽根。
それだけだった。
オズはソリへ戻り、壊れた金網を後ろへ縛った。
「行くか」
オズが引くと、ソリは砂を削りながら、機体ごと重たげに動き出した。
そのまま廃墟を離れる。
真っ直ぐ洞窟へ向かうのはやめ、岩場や砂の薄い場所、瓦礫の多い場所を選んで、跡が残りにくい方へ曲がった。
柔らかい砂を通る時は、ソリの後ろに縛った金網が、筋と足跡を掻き消していく。
廃墟が岩の向こうへ隠れた頃、オズは足を止めた。
空に、人の形をしたものが見える。
速い。
街の方角から飛んでくる。
桃色が、光を跳ね返した。
「……大イドかよ。早いな」
オズはソリを近くの岩陰へ押し込み、機体の上へ金属板を立てかけて布を被せた。
白い翼が見えないように瓦礫もいくつか置き、自分も岩陰へ入る。
息を殺した。
人影は上空を通り過ぎ、廃墟の方角へ向かっていく。
やがて小さくなった影が、廃墟の上で止まった。
そのまま、しばらく動かない。
何かを探しているようにも、ただ見下ろしているようにも見えた。
オズは岩陰から空を見ていた。
やがて人影が動き、向きを変えて遠ざかる。
見えなくなるまで待った。
「……行ったか」
金属板をどけて布を外し、オズはまたソリを引いた。
途中で結び目がずれれば直し、金属板が岩に引っかかれば持ち上げて進む。
洞窟へ着いたのは、昼ごろだった。
入口の手前でソリを止める。
人ひとりが横向きで、ようやく通れる裂け目だった。
オズは機体と入口を見比べた。
「……そのままは無理だな」
翼を固定していた布を外し、付け根を探って、片方ずつ翼を外す。
肩の外装も外した。
折れた光輪、翼、外装を、順番に洞窟の中へ運んでいく。
最後に本体を横向きにする。
洞窟の奥に修理した巻き上げ機を据え、鋼線を入口の外まで伸ばして本体に繋いだ。
スイッチを入れる。
モーターが低い音を立て、本体が少しずつ入口へ寄ってくる。
頭を通し、肩を押す。
途中で岩に当たった。
「おい」
少し戻して角度を変え、引いて、押す。
ようやく機体が、裂け目の内側へ滑り込んだ。
オズも後から身体を横にして中へ入り、その場へ座り込む。
服は砂だらけで、手のひらも擦れていた。
「……長かった」
身体は重かったが、ここまで運んだものをそのままにして帰る気には、まだなれなかった。
少し休んでから、オズは立ち上がった。
外した肩の外装を戻し、翼の付け根を合わせる。
一度ずれた。
「違うな」
いったん外して角度を変え、もう一度合わせて固定する。
反対側も取り付けると、白い翼が、床へゆっくりと広がった。
洞窟の暗がりの中で、そこだけが淡く浮かび上がって見える。
折れた光輪をそばへ置く。
最後に、開いたままの目へそっと手を当てて閉じた。
オズは胸部の前へしゃがみ込み、改めて穴の奥を覗く。
見たことのない部品。
細い線。
層になった金属。
焼けている場所と無傷の場所が、その奥で入り混じっている。
何のためにあるのか分からないものばかりだった。
一つ開けば、また知らないものが出てくる。
さっきまで身体に残っていた疲れが、少し遠のいた。
オズの口元が上がる。
「……最高じゃねぇか」
穴の縁へ指をかけると、焼けた部品がひとつ外れた。
裏側にも、知らない構造が続いている。
「直したら聞けるか」
返事はない。
「それが早いな」
オズは作業台から工具箱を引き寄せ、蓋を開いた。
ペンチ。
ドライバー。
テスター。
削っただけの金属棒。
どれも荒野で拾い、自分の手で直した工具ばかりだった。
一本を取り、構造を追いながら部品を外して奥を見る。
別の場所を開き、戻って、また追う。
どこから手をつけるか。
何が生きているか。
何を交換すれば動くのか。
考えることが次から次へと湧いてきて、時間のほうが勝手に流れていった。
気づけば、端末が振動していた。
オズは手を止め、時刻表示を見る。
「……まずい」
入口を見る。
洞窟の入口から、橙色の光が差し込んでいた。
白い装甲の割れ目と、胸に空いた穴だけが、血を流したように赤く染まる。




