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神龍ノ國  作者: はちみつレモン
序章

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7/13

4 金の瞳

 海斗兄様の背中を追って、僕は石段を上がった。


 隣には響兄様がいる。


 少し後ろには翠が控えていて、けれど必要以上に声をかけてはこない。


 祭場の入口に近づくほど、空気が変わっていくのが分かった。


 冷たいのに、澄んでいる。


 重いのに、どこか清らかだ。


 胸の奥を押さえつけられるような感覚に、僕は剣を抱える腕に力を込めた。


 石段を上がりきると、広い祭場が見えた。


 森の奥に開けた場所。


 古い石畳。


 中央には、二つの大きな陣が描かれている。


 一つは龍宮院家の契約陣。


 もう一つは神宮寺家の契約陣。


 どちらもまだ静かだったけれど、線の奥に淡い光が眠っているように見えた。


「颯真」


 前を歩いていた海斗兄様が、振り返らずに言った。


「遅れるな」


「……はい」


 短い言葉。


 それだけなのに、背筋が伸びる。


 怖い。


 やっぱり怖い。


 でも、さっき分家の人たちを黙らせた背中を見た後だと、ただ怖いだけではなかった。


 嫌だ。


 そんなふうに思うのも嫌だ。


 僕は海斗兄様のことなんて、嫌いなはずなのに。


「大丈夫。足元だけ見ていればいい」


 響兄様が、横から静かに言った。


「……見てます」


「うん」


 それ以上、響兄様は何も言わなかった。


 祭場の奥には、すでに父様がいた。


 黒を基調にした正装に身を包み、龍宮院家の当主として立っている。


 いつもの父様より、ずっと遠く見えた。


 僕が近づくと、父様はこちらを見た。


「来たか、颯真」


「……はい、父様」


「顔色が悪いな」


 ぎくりとした。


 父様は、僕を責めるようには言わなかった。


 でも、その一言だけで全部見透かされた気がした。


「儀式まで少し時間がある。無理に背筋を張りすぎるな」


「……はい」


 無理に張っていない。


 そう言いたかった。


 でも、声にならなかった。


 その時、祭場の反対側から人の気配が近づいた。


 白を基調にした装束。


 龍宮院家とは違う、清らかな空気。


 神宮寺家の人たちだった。


 先頭に立つ男は、金の髪を後ろで整え、落ち着いた金色の瞳をしていた。


 年齢は父様と近いように見える。


 でも、父様とは全然違う。


 父様が静かな山みたいな人なら、その人は磨かれた刃みたいだった。


 その隣に、僕と同じくらいの少年が立っていた。


 金髪。


 金色の目。


 まるで朝の光をそのまま閉じ込めたみたいな色だった。


 あれが、神宮寺聖。


 翠から名前だけは聞いていた。


 神宮寺家の、今年の契約の儀を受ける子。


 神獣に選ばれるかもしれない子。


 きっと、僕とは違う子。


 そう思った瞬間、胸の奥がまた重くなった。


「大介様」


 神宮寺家の男が、父様に向かって丁寧に頭を下げた。


「本日は、よろしくお願いいたします」


「こちらこそ、尊臣様」


 父様も静かに返す。


 尊臣様。


 神宮寺家の当主。


 名前を聞いただけで、周囲の空気がさらに張り詰めた気がした。


「今年は、互いの子が同じ日に契約の儀を迎えることとなりましたな」


「ええ。龍脈と聖脈がここまで澄んで重なる日は、そう多くありません」


 尊臣様は祭場を見渡し、それから父様の後ろに立つ海斗兄様と響兄様を見た。


「海斗様、響様。お久しぶりです」


「尊臣様」


 響兄様が丁寧に頭を下げる。


 海斗兄様も、わずかに礼をした。


「本日は弟の儀にお立ち会いいただき、感謝いたします」


 海斗兄様の声は、いつも通り静かだった。


 けれど、さっき分家の人たちへ向けた冷たさとは違う。


 公式の場の声。


 龍宮院家の長男としての声。


 僕はそれを聞いて、また少しだけ胸が苦しくなった。


 海斗兄様は、こういう場所に立つのが当たり前みたいに見える。


 僕とは違う。


 最初から、この場所にふさわしい人みたいだ。


「こちらこそ。聖も、良き学びとなるでしょう」


 尊臣様がそう言うと、隣の少年が一歩前に出た。


「神宮寺聖です」


 澄んだ声だった。


 僕は一瞬、返事が遅れた。


 響兄様の視線が、そっとこちらに向いた気がする。


 慌てて、剣を抱えたまま頭を下げた。


「……龍宮院颯真です」


「颯真様ですね」


 聖は、まっすぐ僕を見た。


 その金色の目に、笑いはなかった。


 嘲りもない。


 ただ、真正面から見られている。


 それが少し怖かった。


「今日は、同じ日に儀式を受けると聞きました」


「……はい」


「よろしくお願いします」


 差し出された言葉は、思っていたより普通だった。


 もっと偉そうにされるかと思っていた。


 神宮寺家の期待されている子なら、魔力のない僕のことなんて、見下すんじゃないかと思っていた。


 でも聖は、そうしなかった。


 それが逆に、どう返せばいいのか分からなくなる。


「……よろしく、お願いします」


 僕が小さく返すと、聖は少しだけ頷いた。


 そして、ふと視線を動かした。


 金色の目が、僕の横を抜けて、海斗兄様へ向かう。


 聖は、ほんの少し息を止めたように見えた。


 無理もないと思った。


 海斗兄様は、そこに立っているだけで空気が違う。


 黒い正装。


 銀色の髪。


 冷たい銀の目。


 さっきまでざわついていた祭場の空気が、海斗兄様の周りだけ静かに沈んでいるようだった。


「……海斗様」


 聖が、小さく名前を呼んだ。


 海斗兄様は視線だけを向ける。


「何だ」


 短い声。


 怒っているわけではないのに、僕ならそれだけで固まる。


 でも聖は逃げなかった。


「お噂は、父から伺っています」


「そうか」


「龍宮院家の次代を担う方だと」


 周囲がわずかに静かになった。


 海斗兄様は表情を変えない。


「俺は、俺の役目を果たすだけだ」


 それだけ言って、海斗兄様は聖から視線を外した。


 冷たいわけではない。


 でも、近づかせない。


 そんな返事だった。


 聖は少しだけ目を見開いて、それから背筋を伸ばした。


「……はい。覚えておきます」


 僕はその横顔を見ていた。


 神宮寺家で期待されている子。


 金色の髪と目を持つ、きっとすごい子。


 その聖ですら、海斗兄様を見る時は、少し違う顔をする。


 やっぱり海斗兄様は特別なんだ。


 みんなが見る。


 みんなが認める。


 父様も、響兄様も、神宮寺家の人たちも。


 そして僕だけが、その隣で黒い剣を抱えて立っている。


 場にふさわしくないみたいに。


「颯真」


 響兄様が、静かに僕の名を呼んだ。


 はっとして顔を上げる。


「剣、持ち直した方がいい。腕が疲れるよ」


「……疲れてません」


「そう」


 響兄様は、ほんの少しだけ目元を緩めた。


「なら、そのままでいい」


 まただ。


 手伝わない。


 奪わない。


 ただ見ている。


 それが、少しだけ苦手だった。


 祭場の空気が、ゆっくりと整えられていく。


 龍宮院家の者たちがそれぞれの位置へ下がり、神宮寺家の者たちも静かに動き始める。


 まだ儀式は始まっていない。


 でも、もうすぐだと分かった。


 僕は黒い剣を抱え直した。


 聖の金色の目。


 海斗兄様の銀色の目。


 響兄様の穏やかな声。


 父様の静かな視線。


 全部が胸の中で混ざって、息が少し苦しい。


 最悪な今日が、また一歩、僕の前へ近づいていた。

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