プロローグ
日本には、表の歴史にはほとんど残らない名門が二つある。
一つは、龍宮院家。
もう一つは、神宮寺家。
どちらも古くから国防を担い、異能や異界の存在による災厄から、この国を守ってきた家だ。
龍宮院家は、龍と契約する一族。
神宮寺家は、神の名を冠する獣――神獣と契約する一族。
龍と神獣。
異なる力を継ぐ二つの名門は、国を守るという一点では協力関係にある。
だが、決して仲が良いわけではない。
長い歴史の中で、両家は何度も肩を並べて戦い、同じくらい何度も衝突してきた。
守るものは同じ。
けれど、信じる力も、積み重ねてきた誇りも違う。
だからこそ両家の関係は、協力と警戒の上に成り立っていた。
その二つの名門には、六歳になる子供がいる年にだけ行われる特別な儀式がある。
契約の儀。
龍宮院家の子供は龍と。
神宮寺家の子供は神獣と。
生涯を共にする異界の存在と縁を結ぶための、人生で一度きりの儀式だった。
ただし、それは好きな日に行えるものではない。
龍宮院家だけなら、龍脈の高まりだけを見ればよかった。
神宮寺家だけなら、聖脈の満ちる日だけを選べばよかった。
けれど、両家が共同で管理するこの祭場では違う。
大地の奥深くを流れる龍脈。
神聖な気が満ちる聖脈。
その二つが重なり、山全体が澄んだ気配を帯びる日。
その日こそ、異界へと繋がる道が最も安定する。
だから両家は、その年の中で最も龍脈と聖脈が高まる日を見定め、契約の儀を行う。
儀式の場は、両家が共同で管理する神聖な山奥にあった。
深い森に囲まれ、普通の人間は近づくことすら許されない場所。
古い石段を登った先にある社。
そのさらに奥、幾重にも結界が張られた祭場。
そこが、契約の儀の舞台だった。
「今年は、両家から一人ずつか」
祭場の準備を進めていた龍宮院家の使用人が、低い声で呟いた。
隣で神宮寺家の者が、白い布を祭壇へとかけながら答える。
「ええ。龍宮院家からは三男の颯真様。神宮寺家からは聖様です」
「儀式の日が同じなのは当然だ。だが、同じ年に両家の六歳が揃うのは珍しい」
「龍脈と聖脈が、ここまで綺麗に重なる年ですからね。……何事もなければよいのですが」
「不吉なことを言うな。今日は神聖な日だ」
契約の儀によって、龍宮院家の子供は龍を呼び出すことができる。
龍は別世界に棲む存在だ。
ただの獣ではない。
炎を司る龍であれば、その契約者は炎を生み、操ることができる。
氷を司る龍であれば、空気すら凍らせる力を借りられる。
風の龍ならば、常人ではありえない速度で駆けることもできる。
雷の龍ならば、戦場に稲妻を落とすことさえ可能になる。
龍と契約するということは、人の身でありながら人を超えた力を得るということだった。
もちろん、誰もが同じ龍を呼び出せるわけではない。
龍には階級がある。
低位の龍。
中位の龍。
高位の龍。
そして、ごく限られた者だけが呼び出せる特別な龍。
どの階級の龍が現れるかは、契約者の魔力によって決まる。
魔力が大きければ大きいほど、異界へと深く道を繋ぐことができる。
そして深く繋がれば繋がるほど、より強く、より高位の龍が応じる可能性が高くなる。
だから龍宮院家の子供にとって、六歳の契約の儀は人生を決める日でもあった。
良い龍と契約できれば、将来は安泰。
家の中での扱いも変わる。
進む道も広がる。
周囲から向けられる視線も、期待も、まるで違うものになる。
「海斗様の時は、祭場の空気が震えたと聞いた」
「響様の時も見事だったそうですね」
「ああ。あの兄弟は別格だ」
龍宮院家の者たちが、声を潜めて話す。
その声には、隠しきれない敬意があった。
龍宮院海斗。
龍宮院響。
当主、龍宮院大介の長男と次男。
二人は幼い頃から才を示し、龍宮院家の未来を担う存在として認められていた。
では、三男である龍宮院颯真はどうなのか。
その問いに、誰もすぐには答えなかった。
「……颯真様は」
一人が言いかけて、口を閉じる。
別の使用人が小さく息を吐いた。
「魔力が、あまり強くないと聞いています」
「あまり、ではない。ほとんどないという話だ」
「声が大きい」
「ここにはまだ、ご本人はいない」
「いなくとも慎め。今日は儀式の日だ」
その言葉に、場の空気が少しだけ引き締まる。
契約の儀は神聖なものだ。
結果がどうであれ、嘲る場ではない。
一方、神宮寺家の契約は、龍宮院家のものとは性質が異なる。
神宮寺家の子供が呼び出すのは、神獣。
清らかな気を宿し、邪を祓い、穢れを退ける異界の存在だ。
その力は守護に優れ、浄化に長け、時に傷ついた者を癒やす。
だが、穏やかな力だけではない。
神獣の怒りは、邪なるものに対して裁きとなる。
悪しきものを祓う光は、戦場では刃にも等しい。
龍が大地を震わせる力ならば、神獣は穢れを焼き払う神聖な力。
神宮寺家にとって、神獣との契約は一族の誇りそのものだった。
そして今年、その契約の儀を迎えるのが、神宮寺聖。
神宮寺家で期待を集める、六歳の少年である。
「聖様は、かなり期待されているそうですね」
「まっすぐな気を持つ子だと聞いている。神獣に好まれる資質だ」
「神宮寺家としても、今回の儀式には力を入れているのでしょう」
「当然だろう。龍宮院家と同じ場に立つ以上、半端な結果は許されまい」
神宮寺家の者の声には、静かな誇りがあった。
龍宮院家には龍宮院家の誇りがある。
神宮寺家には神宮寺家の誇りがある。
同じ国を守る家でありながら、互いを見る視線には、いつもわずかな緊張が混じっていた。
山奥の祭場に、朝の光が差し込む。
木々の隙間から落ちる光は淡く、空気は澄みきっていた。
けれどその清らかさの奥で、何かが静かにうねっている。
龍脈が高まっている。
聖脈が満ちている。
目に見えない力が、山全体を包み込んでいた。
祭場の中央には、二つの陣が描かれている。
一つは龍宮院家の契約陣。
龍を呼び出すための、古い術式が刻まれた円。
もう一つは神宮寺家の契約陣。
神獣と道を繋ぐための、清らかな紋様を持つ円。
それぞれの陣は離れている。
けれど今日に限っては、互いに呼応するように淡く光っていた。
龍脈と聖脈が重なる日。
龍の道と、神獣の道。
本来なら交わらないはずの二つの気配が、この山の奥で静かに響き合っている。
「……始まりますね」
「ああ」
誰かがそう言った。
山の空気が、さらに澄んでいく。
龍宮院家の三男、龍宮院颯真。
神宮寺家の少年、神宮寺聖。
二つの名門の子供が、今日、同じ山で契約の儀を迎える。
誰もまだ知らない。
この日が、ただの儀式の日では終わらないことを。
龍宮院家の歴史にも、神宮寺家の記録にも残されていない何かが、静かに目を覚まそうとしていることを。




