9 白龍を抱えて逃げた
『聞こえているよ。君、やっぱり面白い』
頭の中で声が響いた。
俺は黒剣の柄を握ったまま、目の前の超大型白龍を見上げる。
いや、見上げるどころじゃない。
デカい。
空を埋めてる。
山の上に龍がいる。
現実感が死んでる。
というか、さっきから頭の中に直接声が聞こえてるんだけど。
これ、俺の心の声も聞こえてるってこと?
『うん。聞こえている』
即答された。
いや待て。
待て待て待て。
プライバシーっていうものないのか?
『ぷらいばしー?』
白龍の巨大な目が、不思議そうに細められた。
『ぷら……いばしー。ふむ。知らない言葉だね』
復唱するな。
そこを学習しようとするな。
今そこじゃない。
俺は喉の奥で変な音を出しかけて、なんとか飲み込んだ。
周囲は完全に固まっている。
父様も、海斗兄様も、響兄様も、神宮寺家の人たちも、分家の連中も、白虎ですら、誰も動けない。
当然だ。
儀式に失敗するはずの俺の足元から、魔法陣が勝手に描き換わって、空に超大型白龍が出てきた。
意味が分からない。
俺が一番分からない。
『少し待ってね』
頭の中の声が、妙に軽く言った。
次の瞬間、目の前の白龍の体が白い光に包まれた。
「っ……!」
まぶしい。
思わず目を細める。
巨大な輪郭が、光の中でぐにゃりと縮んでいく。
山を覆うほどだった翼が小さくなり、長い尾も短くまとまり、圧倒的すぎた気配が、ぎゅっと一点に凝縮されていく。
光が消えた。
そこにいたのは、さっきまでの超大型白龍ではなかった。
白い小さな龍。
両腕で抱えられそうな大きさ。
丸みのある頭。
小さな角。
ふわっとした白い鱗と、ぬいぐるみみたいな翼。
え。
可愛い。
いや違う。
違わないけど違う。
さっきまで山サイズだったよな?
何その急なマスコット化。
白龍はぱたぱたと翼を動かし、俺の方へ飛んできた。
軽い羽音がする。
俺の目の前で止まった白龍は、じっと俺を見る。
近い。
めちゃくちゃ近い。
白龍は鼻先を寄せて、すん、と俺の匂いを嗅いだ。
「うわっ」
思わず肩が跳ねる。
白龍は気にせず、右から左から俺を眺めた。
金とも銀ともつかない瞳が、俺の顔を見て、胸元を見て、剣を見て、また目を見てくる。
観察されてる。
完全に観察されてる。
虫か俺は。
白龍は満足したように、ふわりと俺の前で宙に浮いたまま目を細めた。
「面白い」
今度は、口で喋った。
祭場全体に、その声が届いた。
頭の中じゃない。
普通に喋った。
龍って喋るのかよ。
いや、ゲームだと基本念話だったはずだろ。
口で喋る龍なんて――いや待て、今はそこじゃない。
「何が」
反射で聞き返していた。
白龍は嬉しそうに翼を揺らす。
「君の魂だよ。色も匂いも、他の人間とまるで違う」
魂。
その言葉に、背筋が冷えた。
「魂って……」
「うん。君は一度、別の流れをくぐっているね。こちらの世界ではない記憶を――」
「わああああああああああああああああああああ!」
俺は叫んだ。
全力で叫んだ。
祭場中がびくっとしたのが分かったけど、それどころじゃない。
こいつ今、言おうとした。
前世の記憶のことを。
この場で。
父様も海斗兄様も響兄様も神宮寺家も分家もいる、この最悪に人が多い場所で。
言おうとした!
「だめだめだめだめ!」
俺は黒剣から手を離し、反射的に白龍へ飛びついた。
白龍は逃げなかった。
というか、きょとんとしていた。
俺はその小さな口を、両手で思いっきり塞ぐ。
「むぐ」
「喋るな! 今それ絶対喋るな!」
白龍の目が、ぱちぱちと瞬いた。
頭の中に声が響く。
『どうして?』
頭の中なら聞こえるのかよ!
便利すぎるし不便すぎる!
俺は心の中で叫びながら、周囲を見る。
全員がこっちを見ている。
父様は目を見開いている。
響兄様は一歩踏み出しかけて固まっている。
海斗兄様の銀色の目は、完全に俺と白龍を捉えていた。
やばい。
やばいやばいやばい。
このままここにいたら全部バレる。
前世の記憶があるとか、自分がゲーム世界にいるって気づいたとか、そんな情報がここで出たら終わる。
神宮寺家に聞かれるのもまずい。
分家に聞かれるのはもっとまずい。
俺の人生、始まった瞬間に詰む。
「颯真!」
父様の声がした。
でも俺は、もう考えるより先に動いていた。
小さくなった白龍を片腕で脇に抱える。
ぬいぐるみみたいに軽い。
というか抱えやすい。
白龍は口を塞がれたまま、何故か楽しそうに目を細めている。
『連れて行ってくれるの?』
違う!
口封じだ!
俺は剣も陣も儀式も全部置き去りにして、祭場の外へ向かって走り出した。
「颯真!?」
「颯真様!」
「待ちなさい!」
後ろから声が飛ぶ。
知るか。
今は無理。
説明なんてできるか。
俺は黒い儀式服の裾を踏みそうになりながら、石畳を駆け抜ける。
足がもつれそうになる。
でも止まれない。
森の方へ。
人が少ない方へ。
誰にも聞かれない場所へ。
白龍を脇に抱えたまま、俺は祭場を飛び出した。
背後で大人たちのざわめきが爆発する。
白虎の気配も、神宮寺家の声も、龍宮院家の動揺も、全部後ろに置き去りにする。
木々の間へ飛び込む。
朝の冷たい空気が頬を刺した。
息が苦しい。
心臓がうるさい。
腕の中の白龍が、楽しそうに言った。
『君、走るのはあまり得意じゃないね』
うるさい!
俺は心の中で叫びながら、森の奥へ走った。




