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神龍ノ國  作者: はちみつレモン
序章

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10 海斗視点 その一

 颯真が白龍を抱えて祭場を飛び出した瞬間、場の空気が破裂した。


 神宮寺家の者たちが声を上げる。


 分家の重鎮どもが騒ぐ。


 父上が颯真の名を呼ぶ。


 響が一歩遅れて動き出した。


 俺は、すでに走っていた。


「響」


「はい!」


 短く呼ぶだけで、響は理解した。


 颯真を追う。


 それ以外にない。


 あの白龍が何者なのか、なぜ颯真を選んだのか、なぜ口を開き、人の言葉で話したのか。


 確認すべきことはいくらでもある。


 だが今、最優先すべきは颯真だ。


 あの子供は、状況も分からず白龍を抱えて森へ逃げた。


 しかも、先ほどまで儀式の影響で膝から崩れかけていた。


 放置できる状態ではない。


 俺は走りながら通信機を取った。


「月夜、潤」


『もう動いてます、海斗様! 颯真様、祭場北東の森に突っ込みました!』


 月夜の荒い声が返る。


 背後では響の足音が追ってくる。


 俺は速度を落とさず、木々の間へ視線を走らせた。


「位置を出せ」


『紡機のドローン上げてます。上空から追跡中。けど、森が深ぇ。枝が邪魔で映像が切れやすい』


『補正中です。熱源、魔力反応、龍脈の乱れを複合して追跡しています』


 潤の声はいつも通り抑揚がない。


 だが、その言葉の速度だけが、わずかに速かった。


「白龍は」


『颯真様が抱えたままです。抵抗してる様子はねぇです。つーか、楽しんでるように見えます』


 楽しんでいる。


 ふざけた話だ。


 あれほどの存在が何を考えているのか、今は分からない。


 だが、颯真に害意があるなら、すでにどうとでもできたはずだ。


 それをしていない。


 ならば、即座に殺す対象ではない。


 ただし、信用する理由にもならない。


『……は?』


 月夜の声が、急に変わった。


「どうした」


『海斗様、颯真様の速度がおかしい。さっきまで普通にガキの走り方だったのに、今、速度が跳ね上がりました』


「颯真が?」


『はい。いや、マジで変です。足運びが変わってねぇのに、進む距離だけ伸びてる。普通の子供が出す速さじゃねぇ』


 俺は目を細めた。


 颯真は運動能力が高いわけではない。


 まして六歳の身体だ。


 森の中を走れば、枝に引っかかり、足を取られ、すぐに速度は落ちる。


 それが上がった。


「潤」


『解析しています』


 短い沈黙。


 次に返ってきた声は、より低かった。


『颯真様の身体に、外部からの補助が付与されています。筋力、反応速度、肺機能、関節可動域への微細な補正。龍の力です』


「白龍か」


『可能性が高いです。ただし、強引な強化ではありません。颯真様の肉体に害が出ないよう、限界値を精密に避けて調整されています』


 つまり、颯真を壊さずに走らせている。


 白龍が。


 響が隣に並んだ。


 普段の穏やかな顔はない。


 銀の瞳が、森の奥を見据えている。


「海斗兄様」


「使うぞ」


「はい」


 俺は体の奥に沈めていた力を引き上げた。


 王龍の力。


 血肉の奥に宿る、圧倒的な身体能力。


 筋肉が軋む。


 骨が熱を帯びる。


 視界が広がり、空気の流れが変わる。


 地面を蹴った瞬間、景色が後ろへ吹き飛んだ。


 隣で響の気配も変わる。


 氷結龍の力。


 冷気が薄く足元を走り、響の身体が人の域を超えて加速する。


 俺たちは木々の間を駆け抜けた。


 枝を避ける。


 石を踏む。


 濡れた土を蹴る。


 人間の身体ならば耐えられない速度で、颯真との距離を削っていく。


『……うっわ』


 通信の向こうで、月夜がぼそりと呟いた。


『化け物かよ』


「聞こえているぞ」


『すんません。けど言わせてください。今の動き、人間じゃねぇ』


『事実です。海斗様と響様の移動速度は、通常人体の限界値を大幅に超えています』


「潤、解説はいらない。颯真との距離は」


『急速に縮小中。あと百二十。百。八十』


 森の奥で、黒い影が見えた。


 小さな背中。


 黒い儀式服。


 腕の中に抱えられた白い龍。


 颯真だ。


「颯真!」


 響が叫ぶ。


 颯真の肩がびくりと跳ねた。


 振り返ろうとした瞬間、白龍がこちらを見た。


 目が合った。


 金とも銀ともつかない、不思議な瞳。


 白龍は、俺を見て目を細めた。


 笑ったように見えた。


 次の瞬間。


 颯真の姿が消えた。


「――っ」


 俺は即座に足を止めた。


 地面が抉れる。


 響も横で止まり、周囲へ視線を走らせた。


「颯真!」


 返事はない。


 気配もない。


 白龍の反応も消えている。


『は!? 消えた!? 颯真様の反応ロスト! ドローン映像にも映ってねぇ!』


 月夜の声に、初めて焦りが混じった。


『待て待て待て、今の何だよ! 転移か!? いや、転移なら座標の歪みが――』


『ただの転移ではありません』


 潤が遮った。


 その声は冷静だったが、わずかに硬い。


『空間移動の痕跡が通常のものと一致しません。龍脈への干渉も、異能反応も、既存の転移術式とも異なる。解析不能です』


 解析不能。


 潤がそう言うことは多くない。


 俺は颯真が消えた場所を見た。


 折れた枝。


 踏み荒らされた土。


 そこにいたはずの小さな弟の気配だけが、綺麗に消えている。


 白龍。


 あれは、こちらの常識で測れる存在ではない。


 だが一つだけ分かる。


 颯真は、あの龍に連れて行かれた。


 俺は通信機を握り直した。


「月夜、潤。全系統で追え。龍脈、空間、熱源、監視網、使えるものは全部使え」


『了解。クソ、絶対見つけます』


『探索範囲を拡大します』


 響が隣で、静かに拳を握った。


 その横顔に、焦りと怒りが滲んでいる。


 俺も同じだ。


 ただし、表には出さない。


 颯真を見失った。


 その事実だけが、冷たく胸の奥に沈んでいた。

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