曲芸
「さあ、始めようか」
しゅっと、白衣に腕を通し鏡に映る自分に言うとソイツは僕と同じ顔で頷いた。
去年までのボサボサの髪、窶れたクマ、チアノーゼの唇等の装備を外したソイツはキチンとした服装の好青年に変わっていた。
さあ、行こうか。と、改めてソイツに話しかければソイツは不安そうに眉をしかめたが、僕は無視をして更衣室を出た。
僕の曲芸へ向かう為に。
「先生、おはようございます。今日は遅い出勤なんですね」
化粧がキツい婦長が赤い唇を月の形に変えて、僕を見た。もう若くないのですからそんな化粧はみっともないですよ、と一度で良いから言ってみたいとぼんやり考えながら僕は精一杯の好青年を演じる。
「おはようございます。今日は遅番なんですよ。それでは今日も宜しくお願いします」
にっこりというオノマトペが付きそうな程完璧な笑顔を婦長に向けると、簡単に騙された彼女は視線を反らして微笑んだ。
ああ、我ながら完璧過ぎるお仕事。これで一人目の対処は終了。これからは大量の観客のお相手をしなければならない。
『先生、お腹が痛いんです』
『先生、足が腫れて』
『先生、息子が吐いて……』
と、僕は何科の医者だと問いたくなる程色んな原因で村で唯一の病院にやってくる観客達。その中のの一人である骨折で入退院を繰り返す佐藤さんの病室へ入った。
僕が入ると同時に、佐藤さんはシワだらけのその顔を嬉しそうににこーっと、緩ませる。
「おはようございます、佐藤さん。昨日はよく眠れましたか?」
「ええ、ええ。ぐーっすり、寝れましだとも。先生さが診で下さるがら、わだしの骨の治りも良ぐなって快調です」
地方の訛りを全快に出した佐藤さんは、この村で働く農家の方で、もう米寿を迎えるというのに一人で農作業をしていた。
80代としては、凄く活発で年齢も感じさせない程若々しいのだが、やはり内面は衰えていて数年前、骨折をした。
けれど、『一人で家計を支える為には働かなぐてはならねーだよ』と残して病院を抜け出しては、骨折してを繰り返したのと加齢とで彼女の骨はボロボロになってしまった。
まあ、金を払ってくれるから良いんだけどさ。と、医者としてはあり得ないことを考えながら、笑顔を浮かべた。
「それは良かったです。このまま順調にいけば明後日には退院できそうだとーー「おじちゃん! 早くばあばを返してよ!!」……?」
僕の言葉を遮る様に被せた犯人は、僕の白衣の裾を引いた。
「あらあら、朱美ちゃんじゃないが。だめだべー? 先生様にそんな口使っだら。あどな、もうじき退院出来るみでーだがら安心せい」
「ほんどが!? ばあばもう帰れるんが!」
犯人もとい佐藤さんに朱美ちゃんと呼ばれる彼女は、佐藤さんの孫である。
なにやら僕のことを勘違いしている様で(ある意味勘違いしているとは言えないが)、ばあばが帰ってこないのは僕がヤブ医者だからと認識しているそうだ。
だから、敵対視され常に朱美ちゃんに狙われている。まあ、実際小学生からの被害なんて可愛いもので痛くも痒くもないが、たまに心に響いてしまう時もある。
例えば、『あんだは、嘘つぎだ!』と罵られた時とか。『お前なんで、医者じゃねぇぞ! 信用ならねぇ!』と泣かれた時とかは少し道化の心がざわめいた。
僕が村人全員に隠していることをうっすらとでも感ずいているのが彼女だけ、ということもあるのかもしれない。
「帰れますよ。なので、午後のリハビリも頑張って下さいね」
綺麗な笑顔を見せてから、面倒なガキとの接触に疲れる前に病室を退散しようとしたらまた捕まった。幸か不幸か病室から半身が出かかったところで、白衣を引かれた。
横になる佐藤さんには分からないから振り払って行こうかとも思ったが、このガキは油断ならない。もしかしたら泣き出すかもと想定して営業スマイルで振り向いた。
あー、僕の笑顔は妥当な見返りを期待できると踏んだ観客にだけしか見せないんだよ。金の持たないガキは黙ってろ、とは言わずに。
「どうか、しましたか?」
「……ぅ」
褐色の肌、紅潮した頬には似合わない小さくか細い声を聞き取るためにかがむと彼女は大きく発した。
「ばあばを助けでぐれで、ありがどうっつってるんよ!」
理解するのも面倒になるこの村独自の方言。はじめてここに来た時は僕を困らせた方言。けれども、最近好きになりつつある方言。
そんな方言で感謝の言葉を言われると何処かむず痒い気がした。羞恥心? 罪悪感? 嫌悪感? 何だ、この感情は。僕は知らないぞ。少し嬉しいようで、じわりと滲んだ涙が悲しさを呼び寄せる。
僕は道化。
軽そうな物を重たげに持ってみたり、自分を卑下する様なアホなことをしては観客を盛り上げさせる道化。
持ってもいない医師免許をあると偽り、村唯一のお医者様となった僕はまさしく道化。
騙して騙して金をたんまりと巻き上げてから、一人故郷に戻って細々と生活しようと考えていた筈。だから、そのために僕は複雑な道化にとって必要のない感情を殺してきたというのに、なぜ。
こんな、感情を、持つのだ?
「そ、そう。ありがとう、ね」
とりあえず程度に返事をして、バタバタと病室を出ていった。怖い、怖いと身体がナニかに怯えているのを感じるがナニかが分からない僕にはどうしようもない。
全身が訴える。彼女は、無垢な子供は道化を丸裸にしてしまうぞ。早く離れるんだ、と。
去り際、彼女はふと目元を緩ませて僕を見ているのに気がついたが、とにかく構っている暇はなかった。
離れてから一度冷静になり、まさかあんな小娘に丸裸にされる程僕は落ちぶれていない。僕はどれだけ心配性なのだと考え、思わず笑ってしまった。
大丈夫。大丈夫と、心拍数が異常な僕の心臓に言い聞かせながら、僕は仕事へ戻った。
そんな、少し小心者の道化の日常。




