第5話 詰所
衛兵詰所に着いた頃には、すでに日が傾き始めていた。
北門の近くに建つ、二階建ての石造りの建物だった。入口には何頭もの馬が繋がれ、鎧姿の兵が絶え間なく出入りしている。
第一王女の失踪。街中に触れが出たばかりなのだから、当然と言えば当然だった。
「なんか……入りづらいな」
隣で、リオが足を止めた。
「そうか?」
「兄ちゃんは平気すぎるんだよ」
尊は少し考えた。
「入るだけだろう」
「そういうところだよ」
何が「そういうところ」なのかは分からなかったが、とりあえず中へ入る。
詰所の中も慌ただしかった。壁にはレグナ周辺の地図が貼られ、机には書類が積み上がり、衛兵たちがひっきりなしに伝令を飛ばしている。
その壁際に、何枚もの紙が貼り出されているのが目に入った。
人相書き。名前、年齢、特徴。一枚や二枚ではない。おそらく、行方不明者の一覧なのだろう。尊は、思わず足を止めていた。
「どうした?」
「いや、何でもない」
そのまま受付へ向かう。
「第一王女の件で、話がある」
受付の若い衛兵が顔を上げた。尊を見て、隣のリオを見る。泥のついた外套に、括っただけの長い髪、伸び放題の髭。どう見ても、王宮の関係者には見えない。
衛兵の視線が、尊の腰で止まった。
「東方の刀か。珍しいな」
独り言のように呟いてから、衛兵は顔を上げ直す。
「で、どんな話だ?」
「昨日、黒い馬車を見たんだ」
リオが言った。その瞬間、衛兵の目つきが変わった。
「詳しく聞かせろ」
二人はすぐに、奥へと通された。
机を挟んで向かいに座ったのは、四十を少し過ぎたくらいの男だった。胸元の徽章を見る限り、この詰所ではそれなりに上の立場らしい。周囲には、六人の衛兵が控えている。
「北門詰所副長、ガルドだ」
「旅人の尊です」
「……リオ」
ガルドが頷く。
「それで。黒い馬車というのは?」
リオが説明を始めた。昨日、第四鐘の少し前。北の旧道。かなりの速度で走る黒い馬車と、御者が一人。その後、道端で銀色の金具を拾ったこと。そして、そのことで昼間に揉めていたことも。
尊は二つの金具を机の上に置いた。ガルドが一つ目を手に取り、続いて二つ目を取る。翼を広げた鳥。その上に、小さな冠。
「見覚えは?」
尊が尋ねる。
「ないな……」
少し考えてから、ガルドは答えた。嘘をついている様子はない。横に立つ衛兵も、首を傾げていた。
「王家の紋章じゃないのか?」
リオが聞く。
「違う。アルヴェリア王家の紋章は双頭獅子だ」
なるほど、と尊は頭に留めておく。
「その馬車が、北の旧道へ向かったんだな?」
「ああ」
「間違いないか?」
「間違いないよ。俺、あの道よく使うし」
ガルドの指が、地図の上をなぞっていく。北門から旧道へ、そこから森へ。その先には、小さな村と古い採石場があった。
「旧道か……」
ガルドが呟いたその瞬間、尊は目を閉じた。一つ息を吐き、目を開く。
《高天眼》
世界の見え方が変わった。机、壁、人。そのすべての内を巡る、蒼の流れ。生命を支える流れが見える。
静かに流れている者。緊張で少し速くなっている者。疲労で滞っている者。
王女の失踪について話しているのだ。この場の全員が、多少なりとも張り詰めている。だから、それだけでは何も分からない。
尊は、何気ない口調で言った。
「黒い馬車は、北の旧道をそのまま森へ入った」
蒼が揺れる。一人、二人、三人。ここまでは普通だ。知らない情報を聞けば、人は反応する。
だが――部屋の右端。壁際で腕を組んで立っている男。
三十代ほど。短い茶髪で、他の衛兵と同じ制服を着ている。その男の胸元を巡る蒼だけが、一瞬、跳ねた。呼吸が僅かに止まり、右肩に力が入る。そして、すぐに元へ戻った。尊は、男の方を見なかった。
驚いただけなら、何もおかしくはないが、他の者とはどこか違う。驚きというより、確認。そんな反応に近かった。
「馬車の特徴は? 黒い以外に」
ガルドが続ける。リオは首を傾げた。
「馬は二頭」
「御者は?」
「男だったと思う。でも、顔まではわからない」
「中は?」
「見てない」
ガルドが小さくため息をつく。
「それだけか」
尊が口を開いた。右端の男の表情は、変わらない。
「二つ目の金具の裏に、文字があった」
「え?」
リオが尊を見上げる。
その瞬間、尊の足がリオの靴を踏んだ。
「痛っ――」
「どうした?」
「……なんでもない」
リオがものすごい顔でこちらを睨んでくる。尊は無視した。
「小さな刻印だ。工房の名かもしれない」
ガルドが身を乗り出した。
「どこに?」
「ここへ来る前に確認した。今は汚れで読みづらいが、磨けば判別できると思う」
もちろん、そんな文字はない。《高天眼》で、部屋を見渡す。ガルドが反応する。これは当然だ。左の若い衛兵も反応する。これも普通。
そして、右端で腕を組んでいる男、先ほどよりも、はっきりとしていた。
胸の蒼が一度乱れ、右腕へと流れる。組んだ腕が、ほんの僅かにほどけかけて、止まった。男の腰には、小さな笛が下がっている。伝令用だろうか。
だが、男はそれに触れなかった。顔も動かさない。
尊は内心で、その男の評価を一段引き上げた。どうやら、簡単に尻尾を出す相手ではないらしい。ここですぐ動いてくれれば、楽だったのだが――。そう簡単にはいかない。
ガルドが、背後の衛兵へ振り返った。
「旧道と、その先の採石場に人を出せ。村にも聞き込みだ。日が落ちる前に動け」
「はっ」
二人の衛兵が部屋を飛び出していく。右端の男は、その場から動かなかった。ガルドが尊へ向き直る。
「情報が確かなら、王家から褒賞が出る。その金具は、こちらで預からせてもらおう」
褒賞。その言葉に尊の脳裏をよぎったのは、薄暗い部屋で横たわるリオの母親の姿だった。
尊は、一つ目の金具だけを差し出した。
「こちらを」
「もう一つは?」
「拾ったのはこの子だ」
尊はリオを見る。
「褒賞が出るなら、この子の取り分を確かにしておきたい。それに、この子には今すぐ金が要る」
リオが、驚いたように尊を見上げた。
ガルドは眉間に皺を寄せた。王女の件に関わる品を、素性も知れない旅人に持たせておく。副長として、気が進まないのは当然だろう。
しばらくの沈黙のあと、ガルドは大きく息を吐いた。
「明日だ……明日の第三鐘までに、磨いてここへ持ってこい。刻印が読めたら、その場で記録する。持ってこなければ、こちらから探しに行く」
「分かった」
尊は頷いた。明日までに、別の答えを用意しておく必要がありそうだ。
尊は、もう一度壁に貼られた紙へ目をやった。
「最近、多いのか?」
ガルドも振り返る。
「ああ」
「どれくらいだ」
「ここ数か月で、少しな。ただ、すべてが事件とは限らん」
「家出か?」
「それもある。旅人が予定を変えることもあるし、冒険者なら依頼先で消息を絶つことも珍しくない」
尊は、貼り紙の一枚を見つめた。若い男、その隣には中年の女性。さらにその横には、冒険者らしき男。
年齢も、性別も、職業も、ばらばらだった。愉快犯のようには思えない。
「共通点は?」
「今のところはない」
ガルドが答える。尊はそれ以上、何も聞かなかった。
ただ、貼り紙の顔だけは、一枚残らず覚えた。
***
詰所を出て、角を二つ曲がったところで、
「おい!」
リオが尊の外套を引っ張った。
「なんだ」
「なんだじゃねえよ!」
「声が大きい」
リオは慌てて声を落とした。
「金具の裏に文字なんか、無かっただろ! あれは何だよ!」
「嘘だ」
「嘘!?」
また声が上がる。
尊は無言でリオを見た。
「声が大きいぞ」
「分かったよ!」
リオは周囲をきょろきょろと確かめてから、小声で詰め寄った。
「なんで衛兵に嘘なんかつくんだよ。しかも明日持ってこいって言われたじゃねえか。どうすんだよ」
「明日のことは、明日考える」
「兄ちゃん……本当に何考えてんだよ」
リオは少し困惑した様子で言っている。
「一人、変な反応をした」
「変な反応?」
「北の旧道の話をした時と、文字の話をした時だ」
「顔が?」
尊は少し考えた。どう説明すればいいのか。
「いや、身体の中を流れているものがある。大陸風に言えば魔力かな」
「それが、どうしたんだよ」
「1人だけおかしな流れをする奴がいた。王女が失踪する事件だ。
大掛かりで探して見つかっていないのは、恐らく内部で手引きし手引きしてる人がいると思う」
それに、衛兵だからと盲目的には信用はできないし、どういう人間か分からない状況で全ての情報を渡すのもリオの危険を及ぼす可能性がある。
だからこそ、あの場所ではこちらへ意識を向けておきたかったという理由もあった。
そしてリオは続ける。
「……それって、あいつらの中に裏切者が居たってこと」
尊は即答した。
「違う。動揺した、というだけだ。それが何を意味するのかまでは分からない」
王女の失踪に関わっているのか。北の旧道について何か知っているのか。あるいは単に、別件でやましいことがあるだけなのか。可能性はいくらでもある。
だから、捕まえはしない。
「じゃあ、どうするんだよ」
尊は振り返った。遠くに、詰所の屋根が見える。
「あいつが、どこへ行くのか」
リオの顔が固まった。
「……まさか」
「尾ける」
「衛兵を!?それ、大丈夫なのか?」
「見つからなければ問題ない」
「そういう問題か?」
それは、尊にも分からなかった。
「それと」
リオが、少しだけ視線を逸らした。
「さっきの。俺の取り分とか、金が要るとか」
「事実だろう」
「……そうだけどさ」
リオはそれ以上何も言わず、鼻の頭を擦った。
尊は、リオに家へ帰るよう言った。リオは不満そうに口を尖らせたが、
「母親が待ってるだろ」
その一言で黙り込み、しぶしぶ帰っていった。
でも別れぎは最後に一言、ロイが言う。
「母ちゃんが、兄ちゃん泊まる場所見つかるまで家にいて良いって言ってたから、
ちゃんと帰ってくるんだよ」
分かったと言って、尊は歩みを進めていくのであった。




