第4話 銀の欠片
「その金具を拾ったのは、馬車を見る前か? 後か?」
「後だよ。馬車が通り過ぎたあとに、道の端で光ってるのを見つけたんだ」
金具は掌に収まるほどの大きさで、銀に似た色合いだが、施された装飾はかなり細かい。少なくとも、その辺の荷馬車に使われるような品には見えなかった。
「時刻は?」
「時刻って……」
リオが困ったように眉を寄せる。
「昼より前か、後か。それくらいでいい」
しばらく考えてから、リオは顔を上げた。
「四つ目の鐘より前。母ちゃんの薬を買いに行く途中だったから」
この街では、鐘で時を知らせるらしい。尊は頭の片隅にそれを留めておく。
「馬車はどっちから来て、どこへ向かった?」
「街の方から森の方へ、馬が2頭くらいだったかな」
「御者は」
「いた」
「他に見ていた人間は」
「知らねえよ!」
矢継ぎ早の質問に、とうとうリオが声を上げた。
「なんでそんな細かいこと聞くんだよ!」
「リオの話を確認してるだけだ」
尊は淡々と答えた。
「さっきも言ったけど俺は、お前が盗んでないと決めたわけじゃない」
「はぁ!?」
リオの顔が一気に険しくなる。
「さっき俺のこと助けたじゃねえか!」
「盗んだと決めつける材料がなかったから、止めただけだ」
「なんだよそれ!」
「逆も同じだ」
尊はまっすぐリオを見た。
「お前が拾ったと言うなら、その話を一つずつ確かめる。それで本当なら、それでいい」
リオは不満そうに頬を膨らませた。
「変な兄ちゃん」
「そうか?」
「普通、もっと信じるとか、疑うとかあるだろ」
「知らない人間をいきなり全部信じる方が、変じゃないか?」
リオは言い返せなかった。
そのやり取りを聞いていた商人らしき男が、大きくため息をついた。この騒ぎの元になった店の主人らしい。
「まあ、うちの商品が盗まれたわけじゃないんだ」
尊が振り返る。
「違うのか?」
「ああ。その坊主が、これを売りに来たんだよ」
店主は銀の金具を指差した。
「こんな高そうな物を、あの辺りの子供が持ってる。だから盗品じゃないかと思ってな」
「おい!」
リオが店主を睨みつける。
「だからって、いきなり泥棒扱いすんなよ!」
「お前の日頃の行いもあるだろうが!」
「何だと!」
「まあまあ」
尊は二人の間に手を差し入れた。
どうやら話は、思っていたより単純らしい。少なくとも今のところ、これが盗品だと証明できる人間はいない。かといって、リオが拾ったという証拠もない。
なら――。
「その場所を見てみるか」
リオが顔を上げた。
「黒い馬車が通った場所だ」
「行ってどうすんだよ」
「何か見つかるとは限らない」
尊は銀の金具に目を落とす。
「でも、他に手がかりもないだろ」
それに何より、尊自身、少しだけ引っかかっていた。
人通りの少ない道を、高価そうな馬車が、かなりの速さで走り抜けていった。
それだけなら、珍しい話ではないのかもしれない。だがその直後に、部品らしき物を落としている。
急いでいた?何かから逃げていたのか。それとも何かの合図なのか。
「案内できるか?」
「できるけど……」
リオは少し迷うように視線を落とした。
「母ちゃんが待ってる」
尊は一瞬、言葉を失った。
「薬は?」
「買えてない」
金具を売る前に騒ぎになったのだから、当然だった。
尊は懐へ手を入れ――そこで、何もないことを思い出した。
「…………」
金がない。
天城の貨幣なら僅かに残っている。だが、この国で使えるはずもない。
「何してんの?」
リオが怪訝そうに尊を見上げる。
「いや」
尊は手を戻した。助けたいと思っても、薬一つ買ってやれない。
戦場なら。目の前に敵がいるなら。刀を振ればどうにかなることもあった。
だが、病人に刀は何の役にも立たない。その当たり前の事実が胸に残った。
「先に、母親のところへ行こう、様子を見る」
「兄ちゃん、医者なの?」
「違う」
「じゃあ何すんだよ」
「俺にも分からん」
「やっぱ変だよ、兄ちゃん」
また言われた。だが、そう言うリオの口元は、少しだけ緩んでいた。
リオの暮らす家は、そこからさらに奥まった場所にあった。
細い路地の両側に、古い木造の家々が肩を寄せ合うように並んでいる。雨を凌ぐためなのか、どの屋根にも何枚もの板が継ぎ足されており、表通りの華やかさからは、想像もつかない場所だった。
リオが一軒の小さな家の前で足を止め、扉を開けた。
「母ちゃん、ただいま」
返事はない。尊も後に続いて中へ入る。
狭い部屋だ。家具は最低限しかないが、掃除は行き届いている。リオが毎日やっているのだろう。そして窓際の寝台に、一人の女性が横たわっていた。
「リオ?」
か細い声だった。
「ごめん、薬まだなんだ」
「そう……」
女性は息子を責めることもなく、小さく微笑んだ。
尊は少し離れた場所から、その様子を見つめる。
顔色が悪い。呼吸も浅い。
医術の心得があるわけではない。だが、戦場で負傷者や病人は何人も見てきた。少なくとも、このまま放っておいていい状態には見えなかった。
「そちらの方は?」
女性が尊へ目を向ける。
「なんか、変な兄ちゃん」
「もう少し、他に紹介の仕方があるだろ」
「だって名前知らねえし」
確かに名前を名乗っていなかった。
「尊だ」
「ミコト?」
「ああ」
女性が、わずかに頭を下げようとする。
「息子が……何かご迷惑を?」
「いえ」
尊は静かに首を振った。
「少し、一緒に歩いていただけです」
リオが尊を見上げる。何か言いたそうだったが、結局は黙っていた。
尊は再び女性へ目を向けた。
医者を探すべきだ。あるいは、魔法の中には、傷や病を癒すものもあるのだろうか。
いずれにしても、そのためには金が要る。この国に来て初めて、尊は金というものを、切実に必要だと感じていた。
母親の様子を確かめたあと、二人は北へ向かった。
レグナの北門を抜け、しばらく街道を歩く。やがてリオが、本道から外れた細い道を指差した。
「こっち」
「随分と人が少ないな」
「古い道だから。今はほとんど使われてないんだ」
道は森の中へと続いていた。馬車一台がやっと通れるほどの幅で、地面は舗装されておらず、ところどころに草が生えている。
「昨日は、なんでここに?」
「薬屋まで近道なんだよ」
なるほど、と頷きながら、尊は歩きつつ地面へ目を走らせた。乾いた土。いくつもの足跡。細い轍。すべてが新しいわけではない。
リオが立ち止まった。
「この辺で馬車を見た」
「どっちから来た?」
リオは後ろを指差す。
「レグナの方。で、そのままあっちに行った」
次に指したのは、森の奥だった。
尊はしゃがみ込み、地面を見つめた。
二本の轍。古いものも混じっている。指先で土を軽く崩してみる。
「これか?」
「俺に聞かれても分かんねえよ」
「そうだな」
尊は小さく笑った。
ただ、轍のうち一本だけが、妙に深く刻まれている。かなりの速さで駆け抜けたのだろう。さらに道の端では、草が一方向へ大きく薙ぎ倒されていた。
「…………」
尊は立ち上がり、少し先へ目をやった。
枝が折れている。
その根元に、何かが落ちていた。
「リオ。動くな」
尊はゆっくりと近づき、それを拾い上げた。銀色の、小さな破片だった。
リオが目を見開く。
「それ!」
「同じか?」
「俺が拾ったのと似てる!」
尊は二つを掌に並べた。まったく同じ形ではない。だが、装飾の意匠はよく似ている。同じ馬車の部品と考える方が自然だった。
そして、新しく拾った方の破片には、小さな刻印が残っていた。
翼を広げた鳥。その上に、小さな王冠。
「これ、何か分かるか?」
「知らねえ」
リオは首を振った。
尊にも分からない。だが、ただの飾りではないだろう。家紋か、商会の印か、あるいはそれに近い何か。
尊が持って帰ろうとポケットへ入れたところ、
「売る?」
「お前の場合、冗談に聞こえん」
「ひでえ!」
リオの抗議を聞き流しながら、尊は森の奥へ視線を向ける。
黒い馬車。深い轍。落ちた部品。急いでいた理由は何だろうか。
考えても、答えは出ない。今ある情報だけでは全く足りなった。
ならば、今ある手がかりを持ち帰ろう。
二人がレグナへ戻る頃には、街の空気が一変していた。
北門の前に、兵士の数が増えている。馬に跨がった騎士たちが、次々と街の外へ駆け出していく。道端には、不安げな人だかりができていた。
「何かあったのか?」
尊が呟いた直後、馬上の兵士が声を張り上げた。
「聞け!」
周囲が、しんと静まり返る。
「昨日より消息不明となっている第一王女、セレスティア殿下について、王家より正式な捜索命令が下された!」
ざわめきが波のように広がった。尊の足が止まる。
「王女?」
「セレスティア様だよ」
隣でリオが答えた。
「この国の、王様の娘」
兵士はなおも続ける。
「殿下は王都よりレグナへ向かう途上、護衛との連絡が途絶えた! 昨日、街道およびその周辺で不審な馬車、人影を目撃した者は、直ちに衛兵詰所へ申し出よ!」
「…………」
尊は黙り込んだ。昨日。レグナ周辺。不審な馬車。
隣のリオも、何かに気づいたらしい。ゆっくりと尊の顔を見上げる。
「兄ちゃん」
「ああ」
「俺が黒い馬車見たの……昨日だぞ」
尊は手の中の、銀色の破片へ目を落とした。翼を広げた鳥。その上に戴かれた王冠。
偶然だと片付けることもできる。この馬車が王女に関係している証拠は、まだ何もない。
だが、確かめる価値はある。
「リオ」
「何?」
「衛兵のところへ行くぞ」
リオの顔が、露骨に強張った。
「嫌だ!俺、ついさっきまで泥棒扱いされてたんだぞ!?」
「だから?」
「だからじゃねえよ!俺みたいなのが王女様の話なんかして、信じてもらえるわけないだろ!」
尊は少し考えてから、銀色の破片を掲げてみせた。
「なら、俺も行く」
「兄ちゃんだって怪しいだろ!」
「……それは否定できないな」
「できないの!?」
尊は思わず笑った。確かにその通りだ。
伸び放題だった髪を括っただけで、髭はそのまま。外套は泥だらけで、腰には見慣れない刀を差している。どう見ても、信用される側の人間ではない。
「それでも、話さないよりはいいだろ」
尊は歩き出した。数歩進んだところで、後ろから足音がついてこないことに気づく。振り返ると、リオはその場に立ち尽くしていた。
「どうした?」
「もしさ……本当に、その馬車に王女様が乗ってたら?」
尊は答えなかった。
「もし、悪いやつに捕まってたら……兄ちゃん、どうすんの?」
尊はしばらく考えた。王女が、この国でどれほど尊い存在なのか。尊にはまだ、よく分からない。
だが、偉いかどうかなど、今は関係なかった。
「困ってるなら助ければいいんじゃないか」
尊は、何でもないことのように言った。
リオが目を瞬かせる。
「王女様だぞ?」
「だから?」
「だからって……」
尊は首を傾げた。
「王女なら、助けなくていいのか?」
「いや、そうじゃなくて!」
「なら、同じだろ」
尊は再び歩き出した。少し遅れて、後ろから小さな足音が追いかけてくる。




