第3話 レグナ
馬車が大きく揺れ、ゆっくりと速度を落としていく。
窓の外を眺めていた尊の目に、巨大な石壁が飛び込んできた。
「見えてきましたよ」
ロイスが言った。
「ここがレグナです」
高くそびえる城壁の向こうに、いくつもの尖塔や屋根が覗いている。
城門の前には長い列ができていた。荷車に馬車、商人に旅人。荷物を背負った、冒険者らしき者の姿もある。様々な人間が、それぞれの目的を抱えて門を出入りしていた。
尊は無意識に目を細めた。
荷車が二台並んでも余裕があるほど広く、城壁の上には一定の間隔で兵士が立ち、門前にも十人以上が配備されいる。立ち方や武具の手入れから見ても、精鋭というよりかは、治安維持部隊に近いように思う。
荷の検査と人の確認を、同時に捌いていた。
物流量は多い。ここは何かのハブ都市なのだろうか。
そこまで考えてから、尊は小さく苦笑した。
まただ。知らない街へ来たというのに、真っ先に見るのが城壁と兵の配置、物の流れとは。昔からの癖というものは、なかなか抜けないものらしい。
ロイスが通行証を兵士たちへ見せて、馬車が門を抜ける。
その瞬間、
「おお」
思わず声が漏れた。
目の前に、広い大通りがまっすぐ伸びていた。両側には石造りの建物が軒を連ね、一階部分には店がひしめいている。果物、肉、布、武器、見たこともない香辛料。屋台からは肉の焼ける香ばしい匂いが漂い、あちこちから商人たちの威勢のいい呼び声が響いてくる。
頭上には色とりどりの看板が掛かり、建物の壁には、昼間だというのに淡く光る石のようなものが取り付けられていた。
あれも魔法なのだろうか?
天城とはまるで違う。建物も、服装も、使っている技術も。
それなのに、不思議と懐かしさもあった。
人が笑い、物を売り、子供が駆け回り、誰かが汗を流して働いている。国が違っても、人の暮らしそのものは、そう大きく変わらないらしい。
馬車が通りの端で止まった。そのタイミングで女学生と親子も馬車から降りて、それぞれの目的地へ向かっれいる。
「私はこのまま商会の方へ戻ります」
先に降りたロイスに続いて、尊も地面へ降り立った。
「助かった。ありがとう」
「いえいえ。こちらこそ、命を助けていただきましたから」
ロイスは笑いながら懐を探り、小さな木札を取り出した。片面には、何かの印が彫り込まれている。
「もし何か困ったことがあれば、中央通りのロイス商会まで来てください。この札を見せれば話は通ります」
「いいのか?」
「もちろん」
ロイスはにこりと笑う。
そして、尊の腰の刀へ、一瞬だけ目をやった。
ほんの一瞬のことだった。尊が気づいた時には、すでにいつもの柔和な笑顔へ戻っている。
「それでは。また縁があれば」
「ああ」
ロイスの馬車が、人混みの中へ消えていく。一人残された尊は、改めて周囲を見渡した。
知らない国。知らない街。所持金、なし。宿、なし。仕事、なし。この国の常識もほとんど知らない。
「…………」
想像以上に、何もない。
「まあ、なんとかなるか」
そう呟いて、尊は歩き出した。
まず必要なのは情報だ。宿の相場、食事、金銭の価値、仕事の探し方。それから、この世界そのものについて。
しばらく大通りを歩く。人の流れは絶えず、道もよく整備されている。大きな荷車が何台も行き交い、荷を積み下ろす人足の姿も多い。
商業都市――そう呼ぶのが、最も近いだろう。
だが、一本横道へ入っただけで、景色は一変した。
道幅が狭くなる。石畳はところどころ剥がれ、建ち並ぶ家々は古く、壁には亀裂が走っていた。大通りでは見かけなかった、痩せた子供の姿もある。
尊は足を止めた。
同じ街の中だというのに、本の数百歩歩いただけ、それだけでこれほど違う。
天城にも貧しい者はいた。戦が始まってからは、なおさらだった。だから、この光景に特別驚きはしない。ただ、胸の奥に小さな引っかかりだけが残った。
豊かな街だと思ったんだけど、こんなところまで一緒なんだな。
そんなことを考えながら歩いていると、前方から騒がしい声が聞こえてきた。
「だから俺じゃねえって!」
子供の声だった。
見ると、小さな人だかりができている。
「嘘つけ!だったら何でお前がこんな高そうな物を持ってるんだ!」
大柄な男が、少年の腕を掴んでいた。
少年は十歳くらいだろうか。短い茶髪で、服はかなり着古され、膝には継ぎ布が当てられている。裕福な家庭で無いことは目に見えて明らかだ。そしてその少年の手には、小さな銀色の金具が握られていた。
「拾ったんだよ!」
「お前みたいなガキが拾えるわけないだろ!」
「本当に拾ったんだ!」
男の後ろには、商人らしき男が立っている。周囲には何人か野次馬もいたが、誰ひとり止めようとはしなかった。
尊はしばらくその様子を眺めた。まだ事情が分からないし、首を突っ込む理由もなければ、助ける義理もない。そう判断して、そのまま通り過ぎようとした。
「母ちゃんの薬がいるんだよ!」
耳がピクリと動き、足が止まった。
「だから売ろうと思っただけだ! 盗んでねえ!」
尊はゆっくりと振り返る。大柄な男が、少年の胸倉を掴み上げたところだった。
「だったら店まで来い。衛兵を呼んで――」
「ちょっと待ってくれ」
尊の声に、周囲の視線が一斉に集まった。男が眉をひそめる。
「なんだ、お前」
「旅人だ」
「関係ないなら引っ込んでろ」
「そうしたいんだけどな」
尊は少年の手にある銀色の金具に目をやり、それから男へ視線を戻した。
「その子が盗んだ証拠はあるのか?」
「は?」
「盗むところを見たのか?」
男が一瞬、言葉に詰まった。
「いや……だが、そんな高そうな物をこいつが持ってるんだぞ」
「それは証拠じゃないだろ」
「なんだと?」
男の声が低くなる。だが尊は構わず続けた。
「持っていることと、盗んだことは別だ」
「じゃあ、拾ったって話を信じろってのか?」
「それもまだ分からない」
「え?」
少年が、きょとんとして尊を見上げた。
尊はしゃがみ込み、少年と目線を合わせる。
「名前は?」
「……リオ」
「リオ。本当に拾ったのか?」
少年、、、リオは、唇を噛んだ。
「拾った」
「盗んでない?」
「盗んでない!」
迷いのない声だった。
尊はしばらく、リオの目をまっすぐ見つめた。嘘をついているようには見えない。だが、それだけで決めつけるつもりもなかった。
「じゃあ、なんで売ろうとした?」
リオの表情が、わずかに曇る。
「…………」
「拾った物でも、持ち主がいるかもしれないだろ」
「分かってる!」
「なら、どうして」
「金がいるんだよ!!!」
リオが、なっすぐな目をして大きな声で言った。
「母ちゃんがずっと寝てて……薬、買わないといけないから」
周囲のざわめきが少しだけ静まった。大柄な男も、一瞬言葉を失っている。
「だから売ろうとした?」
「……うん」
「そうか」
尊は頷いた。
「なら、それは良くない」
リオが顔を伏せる。
尊は続けた。
「拾った物を売ろうとしたことと、盗んだことは別だ」
リオが、はっと顔を上げた。
「悪いことをしたなら、その分だけ叱られればいい。リオが盗んでいないと決めつける気もないけど、盗んだと決めつける材料もない。なら、分かることから確かめればいい」
そして尊は立ち上がり、大柄な男へ向き直る。
「していないことまで、背負わせる必要はないだろ」
「じゃあ、どうしろってんだよ」
男は少し苛立ちながら、質問をしてくる。
「簡単だ」
尊は再びリオを見た。
「拾った場所を確かめればいい」
「場所?」
「ああ、本当に拾ったなら、どこで、いつ拾ったかは答えられるだろ。それに、この品の持ち主が分かれば話を照らし合わせられる」
改めて銀色の金具に目を落とす。よく見ればかなり精巧な作りだ。細かな意匠が彫り込まれていて、庶民が使う品にはとても見えない。何かの装飾品かあるいは、どこかの貴族やそれ以上の身分が扱う物の様に見える。
「リオ」
「なんだよ」
「これ、どこで拾った?」
リオは少し迷ってから答えた。
「北の古い道だったと思う」
「いつだ?」
「昨日」
尊の目が、わずかに細くなる。
「その時、何か見なかったか?」
リオは首を傾げた。それから、何かを思い出したように顔を上げる。
「そういえば……」
尊は黙って続きを待った。
「黒い馬車が走ってた」
「黒い馬車?」
「うん。すげえ速さで、森の方に」
リオは、手の中の金具に目を落とした。尊の表情が、ほんの少しだけ変わる。銀色の金具が何を意味するのかは、まだ分からない。
ただ、どうやらこれはーーーただの拾い物では終わりそうになかった。




