第2話 馬車の中
馬車の中は、思っていたよりも広かった。
向かい合わせに長椅子が二つ並び、すでに四人が座っている。
片側には、同じ服を着た少女が二人。白いシャツの上に濃紺の上着を羽織り、胸元には銀色の刺繍が入っている。膝丈のスカートからは黒い靴下が伸びていた。
制服――尊の知る言葉に当てはめるなら、それが一番近い。
年齢は自分とそう変わらないだろう。一人は栗色の髪を肩のあたりで切り揃え、もう一人は長い金髪を後ろでまとめている。とても楽しそうに会話していたことから、友達であることがすぐにわかる。
尊が乗り込んだ瞬間、二人の会話がぴたりと止まった。
「…………」
「…………」
露骨に見られている。いや、不審者を見るような目で見られている。
無理もない、と尊は思った。髪は肩を越えるほど伸び放題で、顎は髭に覆われている。外套は泥と土埃にまみれ、裾はところどころ擦り切れていた。腰の刀さえなければ、ただの浮浪者にしか見えないだろう。
尊は気にせず、空いている席に腰を下ろした。続いて乗り込んできたロイスが、少女たちの隣に座る。
少女たちは露骨に嫌な顔をした。
尊の隣には、三十代ほどの女性と、五、六歳くらいの男の子がいた。母親はわずかに身を引き、息子を自分の方へ寄せる。だが当の男の子は母親の袖を握ったまま、尊をじっと見つめていた。
明らかに警戒している。そんな目だ。
「お兄ちゃん」
母親が慌てて息子の口を塞ごうとしたが、一歩遅かった。
「さっきの、どうやったの?」
「さっき?」
「ばーってなって、ビューってなって、魔物が倒れたやつ!」
「…………」
説明がまったく分からない。尊は少し考えてから答えた。
「距離を縮めて斬った」
「それだけ?」
「それだけだ」
少年の目が輝いた。
「すげえ! 魔法は使ってないの!?」
「こら!」
母親が慌てて頭を下げる。
「す、すみません。この子ったら……」
「別に構わない。まほう? は使ってないな」
尊がそう答えると、向かい側から小さな声が聞こえてきた。
「……絶対それだけじゃないでしょ」
栗色の髪の少女だった。隣の金髪の少女が、小声で返す。
「見た?」
「見たよ。あんな速さ、強化術でも無理じゃない?」
「でも、術式は見えなかったよね」
「そうなんだよね……」
本人たちは囁いているつもりなのだろうが、全部聞こえている。
見えないのは当たり前だ。蒼術は世界や生命、体に巡る蒼を感じ、その流れを操作するため、術式などは大掛かりな術を使用しない限り、使うことがない。
更に言うと、さっきのは筋肉、重心、呼吸、蒼脈の流れを一瞬だけ最適化して、無駄を消しただけだから、力を新たに付け足すとかはしていない。
一人で蒼術について考えていると、彼女たちは何者なのか、ふと疑問に思う。
「王立レグナ学院の学生さんですよ」
ロイスが教えてくれた。
「王立レグナ学院?」
尊が聞き返すと、少女二人の視線が再びこちらへ向いた。栗色の髪の少女が眉を寄せる。
「……学院、知らないの?」
「学校のようなものだろ」
即答すると、二人は顔を見合わせた。
「本当に? 王立レグナ学院だよ?」
尊は全く聞き覚えが無い。しかしこの王国内では有名な学校らしい。
「初めて聞いた」
今度は完全に、怪しい人間を見る目だった。
ロイスが笑った。
「尊さんは、本当に遠方から来られたんですね」
「どこから?」
栗色の髪の少女がすかさず尋ねてくる。
「ちょっと」
金髪の少女がそれを制した。
「知らない人にいきなり聞くことじゃないでしょ」
「だって気になるじゃん」
「まあ、遠くの……東の国からかな」
尊は西日とは真反対の方向を見て、懐かしそうに目を細めながら言った。
「そんな最果ての地に人が住んでいたのね」
少女は信じられないといったような顔で尊の方を見た。どうやら天城という国自体を知らないらしい。
大陸と交易もしていたし、民も三千万人いたのに、知られていないことが不思議だ。
「なんでも、東の方の国はアルヴェリアと違うんですよ。文化系統が大分違うんですよね」
ロイスは商人のため、少しは東の方へ詳しいらしい。しかし女学生たちは興味が無いのか、「そうなんですね」と流していた。
少しの沈黙が続く。馬車の車輪が道を叩く音だけが続いた。
やがて、栗色の髪の少女が小さく息をつく。
「……ねえ」
「なんだ」
「その髪、せめて結んだら? 見てるこっちが鬱陶しいんだけど」
言いながら、彼女は自分の手首から髪紐を一本外し、こちらへ差し出してきた。
尊は少しだけそれを見つめてから、受け取った。
「助かる」
伸びきった髪を手櫛で後ろへまとめる。高い位置で束ね、根元に紐を二度巻きつけ、余った端を内側へ差し込んで締める。考えるより先に、指が勝手に動いていた。何百回、何千回と繰り返してきた手順だった。
顔にかかっていた髪がなくなると、視界がずいぶん明るくなる。
「…………」
「…………」
向かいの二人が、また黙った。
先ほどとは、少し種類の違う沈黙だった。
髭こそ伸びたままで、長く伸びた黒髪も額や頬へ無造作にかかっている。だが、その隙間から覗いた顔立ちは、想像していたよりずっと整っていた。
すっと通った鼻筋。余分な肉のない引き締まった頬と、形の整った顎。眉はやや鋭く、長い睫毛の奥には黒に近い瞳が覗いている。
派手さのある顔ではないが、目を離しづらい。
戦場を長く歩いてきた者特有の鋭さがありながら、その瞳は不思議なほど静かだった。周囲を警戒しているはずなのに、落ち着きを失わず、相手を真っ直ぐ見ている。
まだ少年と呼べる年頃のはずなのに、その顔には年齢に似つかわしくない影があった。
「え、案外かっこよくない?」
栗色の髪の少女が、金髪の少女の耳元で囁いた。
「声大きい」
「だって」
金髪の少女は小さく咳払いをしてから、尊の方を見た。
「似合ってる、と思う」
「そうか」
栗色の髪の少女は、まだ尊の顔を見ていた。だがやがて、その視線がふと下へ落ちる。膝の上に置かれた、尊の手。
指には古い傷がいくつも走っており、細いもの、深いもの、白く盛り上がって塞がったもの。掌には、何かを握り続けた者にしかできない、硬く厚い皮ができている。
剣をあまり知らない素人からでも、大分長い期間握っていることが分かる手だ。
「学生じゃないよね。何をしていた人なの?」
なんと答えるか、言葉に詰まる。少し考えて、フッと笑って言う。
「まあ……色々かな」
少女は何か言いたげそうな顔をしているが、話す気が無いと分かったのか、更に聞くことはしない。
「その格好なのに、喋り方はちゃんとしてるよね。
座り方も。背筋ずっと伸びてるし、なんか騎士みたい」
それもそのはず、物心ついた時から爺にこの座り方について、何度も言われてきた。
『背筋が曲がっている、みっともない。ちゃんと座らんか!』
今でもあの声を思い出し、背中を棒で叩かれていたことを思い出す。懐かしさを感じながら馬車の外へ目をやった。
しばらくして、隣の少年が尊の袖を引っ張る。
また知らない言葉が出てきた。今度は女学生二人まで、身を乗り出すようにしてこちらを向いている。
「お兄ちゃん、魔法使う剣士の冒険者なの?」
「冒険者? それと、さっきから言ってる魔法ってなんだ?」
「お兄ちゃん、冒険者知らないの!?」
そして少女も続ける。
「あなた、魔法も知らないのね」
「じゃあ俺が教えてあげる!」
隣の少年は任せとけと言わんばかりに、目を輝かせて言った。
母親はまだ若干警戒している。
少年の話をまとめると、
鉄級 → 青銅級 → 銀級 → 金級 → 白金級 → 星銀級 → 神鋼級
というランクがあり、更にⅠ~Ⅹまでの階級があるらしい。
銀級なら食うに困らず、金級なら町の有名人。白金級になると国家級、星銀なら大陸級、神鋼なら後世に語り継がれるほどの冒険者になるとのことだ。
更に少年は続ける。
「魔法はね、体内の魔力を使って、グーって集めて火を出したり、水出したり、傷を治せたりするんだよ!」
なるほど。
魔法は体内の魔力を消費し、術式を通して現象を発生させる技術。
一方、蒼術は世界・生命・体に巡っている蒼の流れを感じ取り、その流れに干渉する技術なのか。
一言でまとめるなら、魔法は力を使って現象を起こし、蒼術はすでに存在する力を動かすということだ。
「それはすごいな。君は物知りなんだね」
「でしょ! 俺はいっぱい魔物倒して、神鋼級冒険者になるのが夢なんだ!
兄ちゃんも魔物みたいな、悪いやつ倒すのが好きなんでしょ!」
この年齢の少年だったら、英雄譚に惹かれるのも無理はない。
尊は少し考えて、柔らかい声で言った。
「倒す必要がないなら、倒さんでいいんじゃないか。もしかしたら友人になれるかもしれないよ」
少年は「そんなことない」と言いたげな、理解できなさそうな顔で尊の手を見ていたのだった。




