第1話 門の向こう
光が見えた。その光に無意識のうちに歩みを進める。
もう限界や……そう思った時には意識を手放していた。
そして気づいた時には浮遊感。目の前は雲一つない快晴な空。こんなに綺麗な空は見たことない。
気づいた時にはもう遅かった。
「ーーーっ!」
尊の体に枝葉が突き刺さる。何本もの枝が外套をかすめて視界いっぱいに緑が流れる。
限界の体に鞭を打って捻る。落下スピードが速いため、完全には避けきれない。
しかし、落ちる速さにしては視界がゆっくりと進んでいく。
やばい。地面が近づいている。そこで大きな幹が目に入った。一瞬で位置を見定めて、太い枝を蹴った。1本、2本、3本。上手く勢いを殺せて、最後は湿った土の上へ転がり込んで、片膝をついた。
ざっ、と落ち葉が舞った。
「................」
鳥の声、風が樹々を揺らしており、優しい風が頬を伝う。
そして土と苔の匂い。遠くからは小川だろうか、チョロチョロと流れる音がする。
1つだけわかることがあるのだとしたら、ここは戦場では無いということだ。少なくともさっきまでいた場所ではない。
懐かしい感覚に尊は時間を忘れて倒れ込んで、その時間を堪能していた。
そしてゆっくりと立ち上がる。
「........どこだ、ここ」
返事はチュンチュンと鳴く鳥の声だけ。当然だ。人の気配が全くないのだから。
見渡す限り、一面には木。天城の南部にも深い森があったが、ここに生えている木々は微妙に違う。
葉に光沢がなく、針葉であるし、形が違う。記憶には自信があったはずだが、見覚えのない赤い実。
近くの蒼脈を診るために蒼天眼を使ってみよう。
ーー蒼天眼ーー
見たことのない蒼脈だ。まるで違った。
「…天城じゃないな」
独り言が妙に大きく聞こえた。
そしてふと振り返ると門が立っていた。
「仁王像?」
2体の像が門の横にあり、何もない空間を囲っており、門の上には般若の顔。
石でも鉄でもない。森の中に不釣り合いな巨大な像と門。しかし中央だけが異様に、夜よりも黒かった。
「…門?」
胸の奥が僅かにざわつく。見たことなど無いのに、見たことがある気がする。けれど知っているような気がした。
「…なんだ?」
一歩近づいたその瞬間。門の中央に走っていた影が音もなく、霧のように崩れた。
柱と像が薄くなる。手を伸ばした時にはそこにはもう、何もなかった。不思議なことに無くなったことに少し寂しい気分になった。
消えた場所には木々が生い茂っているだけだった。
「…消えた」
しばらくその場所を見つめ、小さくため息をついた。いま考えても答えは何も出ない。
なら、今やるべきことをやるだけだ。
まずは食料。それから人里を探すこと。現在地を確かめ、太陽の位置で方角をつかみ、万一に備えて逃げ道も考えておかなければならない。
尊の頭の中で、やるべきことが順序立てて組み上がっていった。
その時だった。茂みの奥で、枝の折れる音がした。
尊の右手が自然と刀の柄へ伸び、すぐに抜刀できる状態になる。
気配は1つ、2つ、いやーー5つ。
「囲んでいるつもりか」
返ってきたのは獣の唸り声だった。
尊は口角が上がる。理由は分からない。ただ、手負いとは言え獣程度に負ける気はしない。
木々の間から姿を現したのは、犬とも狼とも言えない魔物だ。ただし1.5m位の大きさがあり、灰色の毛皮に覆われ、額には短い角が生えていた。口の端からは、青い光が漏れている。
尊が一度も見たことが無い生き物だった。
敵意だけははっきりと伝わってくる。俺を獲物として見ているのだろうか、青い光と共に涎が垂れている。
正面に3体、右奥に1体、左後方1体。
「やっぱり5か」
そして無意識のうちに周囲を見渡した。誰もいない、民も、兵も、守るべき隊列もいない。
そこで初めて気が付いた。自分は今1人で戦っているのだと。
「…そうか」
妙な感覚だ。
いつからだろうか。戦うときには必ず、誰かの位置を数えるようになったのは。負傷者、背後に控える兵、退路にいる民。自分が一歩でも下がれば死ぬ人間がいつもそこにいた。
だが今は誰もいない。
正面の魔物が飛んだ。しかし動きが遅い。
ーー一閃ーー
その瞬間その獣の首を一太刀で切り落とす。
グルルルル。
獣は警戒して距離を測っている。ここまで実力差を示して引かない獣は珍しい。
2体目は正面、3体目は左から。
尊は踏み込まず、必要以上に深く入り込まず、最短の動きで同時に2体の首を落とす。
残りの2体も尊の方へ突っ込んでくる。
数度、刀が風を切り、森に静けさが戻った。
「…………」
尊は刀についた汚れを払い、周囲を確かめた。
「魔獣?いや、魔物か?」
天城にも同じような魔獣は存在した。だが、体の構造が違う。何よりも蒼天眼で分析してみると、体の蒼の流れが違う。気持ち悪い。
「変な流れだな」
獣たちの蒼が消えるというより、抜けていくように散っている。
「吸われているみたいに消えていってる」
尊は首を振った。今は情報が少なすぎる。そして爺の言葉を思い出す。
『知らないものを、知っているものだけで決めつけたらいけん』
何度も言われていたなと、フッと自然に笑みが出てくる。
その時だった。
「誰か――!」
人の声が聞こえた。尊は迷うことなく、走り出すと、すぐに森を抜け少し先に街道があった。
1台の馬車が止まっており、御者が必死に馬を宥めていた。周囲には先ほどと同じ魔物。
正面に6体、木の裏に2体。
馬車の横では、3人の護衛が武器を構えており、1人は真っ赤な腕を押さえて弱々しく剣先を獣に向けている。そしてもう一人は御者の前に構えており、残った1人が魔物を牽制しているが、数が足りない。
しかも馬車の中にも人がいる。
「何でこんなところにCランクの魔物が...」
馬車の中の1人だろうか、泣きそうな声で話していた。どうやらこの国の言葉は分かるらしい。大陸の言葉だ。
尊は走りながら数えた。護衛は3人。御者が1人。乗客は少なくとも2人。
馬車は動きそうにないなら、獣を減らすしかない。
「伏せろ!」
尊はそう叫んだ後、小声で唱える。
「天城蒼理流・零間」
ごく少量の蒼術を体に纏わせて一気に間合いを詰める。
護衛が振り返った時にはその横を黒い影が通り、
密集していた獣を瞬時に2体切り捨てる。
「なーーー」
1人の護衛が辛うじて目で追えたのだろうか、驚いていた。
そして獣たちは尊が脅威だと思ったのか、標的を変える。
「それでいい」
尊がそう言った時、後ろから魔物が飛びかかってきた。
体を1回転させて獣を切り伏せ、そのままの動きで別の1体を切り払う。
残った魔物は距離を取り一斉に、森の中へ逃げていった。
尊は逃げたのを確認した後、刀を鞘へ納め、追撃はしない。
護衛たちは固まっていた。
「けが人がいるだろ、手当てしないでいいのか?」
尊が声をかける。
「あ、ああ。そうだな」
ようやく我に返ったらしい。護衛の1人の腕を見てみると、傷は浅い。
命に関わるものではなさそうだ。
馬車の扉が開いて、中から40代程、丸みのある体つきで髪の薄い男が降りてくる。
良い布を使っていることは分かるが、貴族ほど華美ではない服に、指には数本の指輪。
腰に武器はないため、商人だろう。
そして商人は尊を見定めるように視線を向け、ほんの一瞬だけ腰元で止まった。
「助かりました」
商人はすぐに笑顔を作った。
「いやあ、本当に....あと少し遅ければどうなっていたことか」
「けが人を見た方がいい」
尊が言うと護衛たちに慣れた手つきで指示を出した。
尊はその様子を見ながら、街道の先へ目を向け、
「ここは、どこだ?」
商人が目を丸くしている。尊自身も大陸の言葉を喋っている以上、妙な質問であることは分かっている。
「この辺りの地名を知りたい」
「アルヴェリア王国ですよ」
尊はどこかで勉強したことが無いか必死で思い出そうとするものの、知らない国だ。
そんな尊を見て商人は少し首をかしげる。
「旅の方で?」
「まあ、そんなところだ」
「へえ。それは大変ですな。随分と遠くから来たんですねえ」
あまり出自を話したくないのを察してくれたのか、すぐにこの会話を切り上げ、
武器のことについて聞いてきた。
「ここ周辺では珍しい武器をお使いになるんですね」
「そうなのか?」
「東の方の武器は中々ないですからね。高いんですよ。
もし良かったら売りませんか?」
冗談気味に商人は商談を持ち出してきた。
「名前も知らない人間には売れないな」
「それは残念です」
商人はあっさりと引き下がった。
そんなこんなで会話をしていると、馬車の準備が整った。
「改めて、ありがとうございました。
私はロイス。レグナで小さな商いをしております」
一礼をして手を差し伸べてきた。
「旅人の尊だ」
「尊?」
そう言ってロイスの手を握る。
どうやら天城の名前はアルヴェリアでは珍しい名前らしい。
「もし行く当てがないのでしたら、レグナまでご一緒しませんか?」
「レグナ?」
「この街道を西へ進んだ先にある都市です。大きな街ですから、宿も仕事もあります。旅人なら、とりあえず困ることはないでしょう」
今この土地で金も仕事も、地図もなく、現在地すら分からない。
尊に断る理由は無かった。
「世話になる」
「いえいえ。命を救っていただいた代金と考えれば安いものです」
ロイスが笑う。そう言って尊は馬車の中へ案内されたのだった。




