第14話 策の終わり
ロイス商会の手代が、リオの家の戸口で紙片を読み上げる。
「今朝、西の沢へ炭を届ける炭焼きより。いつもの倍の追加の注文あり。昼過ぎに荷出しの予定」
尊は黙って頷いた。
「北の猟師道へ炭を届ける炭焼きより。注文はいつも通り今朝も荷車二台が出た」
手代は三つ目の紙片に目を落とし、わずかに言い淀んだ。
「崩れた坑道の方へ炭を届ける炭焼きより。――昨夜遅く、使いの者が来た。明後日まで、荷は一切届けるなと。前金は返さなくていい、とのこと」
リオが、勢いよく尊を見た。
「坑道だ!」
尊は、答えなかった。
***
手代が帰ったあとも尊は土間に座ったまま、炭で描いた地図を見下ろしていた。
「兄ちゃん、なんで黙ってんだよ。坑道だけ止まったんだから、決まりだろ」
「そう見える」
「見えるって……」
「だから、まだ決めない」
三つの道のうち、一つだけ荷が止まった。本命を守ろうとした動きに見える。
だが、相手はあの男だ。こちらが「止まった場所」を探していると読んでいたら、囮の一つをわざと止めて、そこへ誘い込むこともできる。
今日の荷の動きは、すべて尊が三つの話を流した後のものだ。向こうが尊を意識して動かしている。今日の動きだけでは、どれが本当でどれが見せるためのものか、決めきれない。
「……なら」
尊は、顔を上げた。
「俺がこの街に来る前を、見る」
***
ロイス商会の二階で、ロイスは尊の頼みを聞く前に、一枚の紙を机に置いた。
「昨日のうちに、手代を北の炭焼き三軒へやって、話を聞かせておきました」
ロイスは、紙に目を落とした。
「三軒とも、同じことを申しております。一月ほど前から、名乗らない買い手に、三日か四日に一度、荷車一台分を前金で卸してきた、と。炭焼きの帳面も見せてもらいましたが、確かに一月前から、その通りに書いてありました」
尊は、黙って聞いていた。
三軒とも、同じ答え。同じ時期。同じ量。同じ前金。
「……揃いすぎている」
ロイスが、顔を上げた。
「沢と猟師道の道は、騎士団が北の森を離れた後に生まれた。俺はそう読んでいる。だが、三軒とも一月前からだと言う」
尊は、紙の上の読めない文字を見下ろした。
「あの男なら、そこまでやる」
三つの道に荷を分けた時点で、いずれ尊が過去を調べると読んでいたはずだ。だから、囮の道にも過去を作り、炭焼きに金を握らせて口を揃えさせ、帳面にも一月分を書き足させた。人の口も、紙の上の数字も、揃えてきた。
「炭焼きの帳面は、書き足せる」
尊は言った。
「金を握らせれば、炭焼きは口裏を合わせられるし、帳面にも後から好きなだけ書き込める。今、炭焼きの側から何を聞いても、向こうが揃えた答えしか出てこない」
「では……」
「ロイス商会は、三軒から炭を仕入れているな」
ロイスは顎に手を当てた。
「ええ........確か三軒とも、昔からの付き合いです」
「その仕入れの控えを、見せてほしい。この一月の分を」
ロイスは、すぐに手代を呼んだ。
***
三冊の綴りが、机に並ぶ。
ロイス商会が、炭焼き三軒から炭を仕入れた記録だった。受け取った手代の名と一緒にいつ、どの炭焼きから、何俵の炭を受け取ったかが、細かく残っている。
ロイスが、一冊目の頁を繰った。
「西の沢の炭焼き。……この一月、毎週ほぼ同じ量を仕入れています。減ったのは、四日前からですね。それまでは、いつも通りです」
「北の猟師道の炭焼きは」
ロイスは、二冊目を開いた。
「こちらも同じです。四日前までは、いつも通りで四日前から、急に卸しが減っています」
ロイスは、三冊目を開いた。
そして、指を止めた。
「坑道の方の炭焼き。……こちらは違いますね」
ロイスは、頁を何度か行き来させた。
「一月ほど前から、うちへの卸しが三分の一ほど減っています。それきり、戻っていません。当時、窯の調子が悪いと言われて、そのままにしておりましたが........」
尊は、三冊の綴りを見下ろした。
「炭焼きの窯で焼ける炭の量は、決まっている」
ロイスが、尊を見た。
「窯を急に増やせるわけじゃない。一月前から、名乗らない買い手に荷車一台分ずつ卸していたなら、その分、ロイス商会への卸しは減っていなければおかしい」
尊は、三冊目の綴りに指を置いた。
「減っていたのは、坑道の道の炭焼きだけだ」
それから、一冊目と二冊目に指を移す。
「沢と猟師道の炭焼きは、一月前から名乗らない買い手に卸していたと言いながら、ロイス商会へは、四日前までいつも通りの量を卸していた。窯が倍に増えたわけでもないのに」
焼けた炭の量は、変わらないし売り先が増えたなら、どこかが減る。沢と猟師道の炭焼きは、どこも減っていなかった。つまり一月分の過去は、後から書き足された嘘だった。
「あの男は、炭焼きの口も、炭焼きの帳面も揃えてきた。三つの道すべてに、一月分の過去を作った」
尊は、静かに言った。
「ただ、炭の量までは作れなかった」
ロイスは、黙って綴りを見つめていた。
「炭焼きの帳面は、金を握らせれば書き換えられる。だが、この控えには、向こうの手は届かない。炭焼きがどこに卸しているかまで調べ上げたとしても、他所の商会の帳面までは書き換えられない」
尊は、綴りの端に記された、受け取った手代の名に目をやった。
「一月前、この控えを書いた手代は、何も知らなかった。炭を受け取って、量を書いた。
嘘は、嘘をつく必要が生まれてから、つくものだ」
ロイスが、ゆっくりと息を吐いた。
「一月前、この控えを書いた者には、嘘をつく理由がなかった。だから、ここに残っている数字だけは、偽りようがない」
沢と猟師道は、四日前に生まれた道だ。一月前からあったのは、坑道の道だけだった。
黒幕は、理屈の上では三つとも成り立つ場所を選んだ。水のある沢。人目のない猟師道。どちらも、もっともらしい。人の口と帳面で、過去まで用意した。だが、炭は、窯から焼けた分しか出てこない。
ロイスは、しばらく黙って尊の顔を見ていた。それから、ぽつりと言った。
「人は嘘をつきますが、物と金は、なかなか嘘をつけませんからね」
ロイスは、穏やかに笑っただけだった。尊は、ロイスを見て、それ以上は何も聞かなかった。
***
これで、目星はついた。
採石場の裏。一月前から炭が届き続けていた空き地の、その先のどこか。
だが、まだ『どこか』だ。
あの辺りは岩場と森が入り組んでいる。崩れた坑道の入口だけでなく、岩陰も、窪地も、古い石切り場の跡もある。闇雲に踏み込めば、向こうの見張りに見つかるかもしれない。
なら、自分の目で絞る。
リオの家へ戻ると、尊は土間の隅に置いていた刀を手に取った。腰に差すその重さが、久しぶりに馴染んで、懐かしい気持ちになる。
「兄ちゃん、どっか行くの?」
母親の枕元から、リオが顔を上げた。
「散歩だ」
リオの目が、尊の腰に落ちる。
「……散歩に、刀持ってくのかよ」
「最近物騒だからな」
リオは、しばらく尊の顔を見ていた。何か言いたげに口を開いて、それから閉じる。台の方から、穏やかな寝息が聞こえていた。咳は、もうほとんど聞こえない。
「ちゃんと帰ってこいよ」
リオは、母親の方へ視線を戻しながら言った。
「母ちゃん、兄ちゃんに礼言いたいって。まだ言ってねえんだからな」
尊は、戸口で一度だけ足を止めた。
「あとでたっぷり礼は受け取っておく」
***
北門を抜け、旧道を北へ歩き、採石場の白い岩肌が見えてきた頃には、日が傾き始めていた。
尊は、採石場の裏手を見下ろせる尾根の中腹まで登り、岩陰に身を沈める。眼下には、森と岩場が入り組んで広がっており、一月前から炭が届いていたという空き地は、その手前に小さく開けていた。
尊は、目を閉じた。体内の蒼に集中していく。
《高天眼》
世界の見え方が変わった。木々の内を巡る蒼。苔の、草の、地を這う虫の、枝で羽を休める鳥。森全体が、無数の細い流れで満ちている。
しかし一点その流れが――傾いていた。
森の蒼がゆっくりと、一つの方向へ寄っていく。木から木へ、苔から苔へ。まるで、ほんの僅かに傾けた盆の上を、水が一方へ流れていくように。
尊は、その流れを目で辿った。空き地を越え、岩場を越え、さらに奥へ崩れた岩肌の、黒い裂け目。
古い坑道の入口だった。
森の蒼が細い糸のように引き伸ばされ、坑道の闇の奥へと消えていく。
尊は、この流れを見たことがあった。この国へ来て、最初に倒した魔物。その身体から、蒼が消えるのではなく、抜けていくように散っていった。
尊は意識をさらに坑道の奥へ伸ばし、岩の向こうはぼやけてよく見えないが、人の蒼は分かる。
入口の内側に、二つ。少し奥に、三つ。さらに奥に、まとまって六つか七つ。
そして、その一番奥に――。一つだけ、まるで違う蒼があった。
強く澄んでいる。周りの流れが、その一つへ向かって、細く引き寄せられていた。
しかしその蒼は少しずつ削られていくように弱っていた。――生きている。
***
尊は、岩陰に背を預けたまま、空が藍色に沈んでいくのを眺めていた。
「誰にも言わずにここまで来たな........」
ガルド言えば、ガルドは騎士団を呼ぶと言うだろう。騎士団を呼べば、トマスを通じて向こうに知れる。だが、それだけが理由ではなかった。
尊は、坑道の中の蒼を数え直した。どの蒼も、天城で刃を交えた魔族の将には遠く及ばない。灰色の外套の男や、あの低い声の男が混じっていたとしても、一人で斬り伏せられる。一人で、制圧しきれる。
そして――この国で、尊には何もない。
金も、宿も、身分もなく、文字も読めない。伸び放題の髭をした、素性の知れない旅人だ。その旅人が、一人で、第一王女を救い出す。騎士団が東の街道を空しく追い回している間に。
ここには、王国の騎士も兵も、一人として関わっていない。誰かが先に踏み込んで手柄を掠め取ることも、上の者が功績を自分のものとして報告することもない。恩は、薄めずに売った方が高くつく。
天城でも、そうだった。。百人で成し遂げたことは百人の功になり、一人で成し遂げたことは、その一人の功になる。
この国で生きていくなら、王家への恩ほど確かな足場はない。
それに――。
尊は、坑道の奥の、あの弱っていく強い蒼を思い出した。助けられる者が、目の前にいるなら、助ければいい。
ガルドの「次に嘘をつく時は、先に言え」という声が、ふと頭に浮かんだ。
尊は、小さく笑った。
「……嘘はついていない」
言わなかっただけだ。
月は細い。採石場の白い岩肌だけが、闇の中にぼんやりと浮かんでいる。尊は尾根を下り空き地を抜けて、坑道の入口へと近づいた。
ひやりとした風が、頬を撫でて、坑道の奥へと吸い込まれていく。森の蒼も同じ流れに乗って、闇の奥へと消えていく。
入口の内側に、二つの蒼。壁に背を預け、退屈そうに揺れている。本命には誰も近づけるな、という命令を守り、もう三日も、誰一人として近づいてこない入口を見張り続けているのだろう。
尊は、刀の柄に手を添えた。ここから先は違う。策は、もう要らない。
「――さて殴り込みといこうか」




