第13話 沈黙
土間に、炭で描いた地図とは言えないような落書きが広がっていた。北門から伸びる旧道、その先の採石場、採石場の手前で三つに分かれる線。尊は、炭の欠片で一つずつ印をつけた。リオが、地図を覗き込む。
「この中のどれかに、王女様がいるんだよな」
「おそらく」
「じゃあ、どれだよ」
「馬車の行先から可能性がありそうな所を挙げてるだけだら、それを今から考える」
尊は、最初の印を指した。
「炉を動かすのに、何が要る」
「えっと……炭?それから石。……あ、もう運んであるか」
「炉を焚けば熱が出る。中で働く人間は水を飲むし、炉の周りを冷やすにも、水が要る」
リオが、西の沢の印を指した。
「じゃあ、沢だ! 水いっぱいあるじゃん」
「ああ。だが、沢沿いの土は柔らかい」
尊は、親方の言葉を思い出していた。
「人が何人も入れるほどの炉だ。耐火石だけで、荷車二十台分の重さがある。柔らかい土の上に組めば、沈んで馬車は知れない」
「……じゃあ、違う?」
「違うとは言っていない。沢から少し離れた岩場に組んで、水だけ汲んでくることもできる」
リオが、むすっとした顔で次の印を指した。
「猟師道は?」
「道が細い。荷車一台がやっと通れる程度だと、ロイスの手代が言っていた。耐火石を運ぶには厳しい。だが人目にはつかないし、見張りも置きやすい」
「坑道は?」
「地面の下だ。炉の熱も、煙も、外へ漏れにくいから、まずバレないだろう」
尊は、坑道の印をじっと見た。
「あれだけの炉を焚けば、煙が出る。森の上に煙が立てば、誰かが気づく。だが、地面の下なら、煙を遠くまで逃がす道も作れる」
「じゃあ、坑道で決まりだろ!」
「だが、坑道は崩れている。中で炉を組むには、まず崩れた岩をどけなければならない。人手も、時間もかかる」
リオは、とうとう頭を抱えた。
「全部、当たってて、全部、外れてるじゃん」
「そうだ」
尊は、炭の欠片を置いた。
「理屈だけなら、三つとも成り立つ。向こうも、それが分かっているから、この三つを選んだ」
「……じゃあ、どうすんだよ」
尊は、少しだけ考えた。
「理屈で決まらないなら」
地図から、顔を上げる。
「向こうに、決めさせる」
***
その日の昼、尊は奇妙なことを三つした。一つ目は、北門の詰所の裏手だった。尊はガルドに、ある頼みごとをした。ガルドは目を剥いたが、やがて渋々頷いた。
半刻後詰所の中で、ガルドが部下の衛兵たちに向かって声を張っていた。
「明後日の朝、騎士団の残りの小隊が、西の沢を探す。お前たちも何人か道案内につけ」
壁際で、トマスが黙って聞いていた。
***
二つ目は、東の屋敷町だった。尊は、炭屋の荷車の後ろについて、再びベルナー商会の裏門をくぐった。
炭俵を下ろしながら、裏口の木戸の前で煙管をふかしている使用人に、何気なく話しかける。監視役が入っていった時、内側から木戸を開けた男だった。
「この辺りは物騒だな」
「ああ?」
「王女様の件で、騎士団が北の森を探しているらしい。明後日の朝には、猟師道の方へ入るとか」
「……へえ。お前、詳しいな」
「荷揚げ場じゃ、そんな話ばかりだ」
尊はそれだけ言って、次の炭俵を取りに戻った。使用人の蒼が、背中越しに、僅かに跳ねたのが分かった。
***
三つ目は、市場だ。尊はリオを連れて、人混みの中を歩いていた。果物屋の前で、尊は足を止める。少し先の、乾物屋の軒先。灰色の外套の男が、干し魚を選ぶふりをしているからだ。
顔は見なくても分かる。あの静かな蒼だった。尊は、リオに向かって、普段よりも少しだけ大きな声で言った。
「明後日の朝、崩れた坑道を見に行く」
「えっ?」
「お前は来るな。危ない」
「ちょ、ちょっと待てよ兄ちゃん――」
尊は、それ以上何も言わずに歩き出した。乾物屋の軒先の蒼が、静かに流れの向きを変えたのが分かった。
***
市場を抜けたところで、リオが尊の外套を引っ張った。
「兄ちゃん!」
「声」
「声じゃねえよ!全く分からないよ!」
リオは、周りを見回してから、小声で詰め寄った。
「今日、三つとも違うこと言ってたじゃん! 副長には沢、蔵の人には猟師道、俺には坑道って!」
「ああ」
「どれが本当なんだよ」
「どれも、嘘だ」
リオが、口を開けたまま固まった。
「明後日の朝、誰もどこにも行かない」
「……は?」
「三つとも、向こうに届いた。トマスには沢。ベルナーの家の使用人には猟師道。灰色の外套の男には坑道」
尊は、歩きながら言った。
「向こうには今夜、三人から、三つの違う話が届く」
「そんなの、すぐバレるじゃん!」
「バレる」
尊は、頷いた。
「バレるように、言った」
リオは、何をしたいのか分からないといった様子で完全に言葉を失っていた。
***
ロイス商会の二階で、ロイスも同じことを言った。
「三つとも、嘘だと見抜かれますよ」
「見抜かせるために、言った」
ロイスは、湯呑を持つ手を止めた。尊は、窓の外へ目をやった。
「北の炭焼き三軒は、ロイス商会と取引があるか」
「ええ。三軒とも、昔からの付き合いです」
「明日から、毎日、知らせてほしい。どこから炭の注文が来て、どこへ届けたか」
「……それだけで、よろしいので」
「それだけでいい」
ロイスは、しばらく尊の顔を見つめていた。そして、静かに尋ねる。
「見抜いた人間が、次に何をするか――それを、ご覧になりたいのですね」
尊は、答えない。ロイスは、それ以上何も聞かず、ただ小さく頭を下げた。
***
倉庫の中。その夜、三人の報告が、ほとんど同時に届いた。
明後日の朝、騎士団の小隊が、西の沢を探すとトマスは言った。
明後日の朝、騎士団が、猟師道へ入るとベルナー家の使用人は言った。
明後日の朝、旅人が、崩れた坑道を見に行と灰色の外套の男は言った。
低い声の男は、三つの報告を並べて、しばらく黙っていた。やがて、小さく息を吐く。笑ったようにも見えた。
「……三つとも、捜査に入るらしい。時間から見ても明後日か」
部下たちが、顔を見合わせる。
「ブラフだ」
男は言った。
「三つの道に、三つの話を流した。どこに流した話に、こちらが反応するかを見たいのだろう」
「では、旅人は――」
「まだ、絞れていない」
男は、地図の上の三つの印を、指で一つずつなぞった。
「絞れていれば、三つに分けて流す必要はない。一つの場所を、一つの口から流せば済む」
それは、昨日、男自身が炭の荷を三つに分けた時と、同じ理屈だった。
「動かさなくて、よろしいので」
部下が尋ねる。男は、すぐには答えなかった。旅人は、どこかに反応が出るのを待っている。ならば、反応しなければいい。
だが何もかも止めれば、それもまた反応になる。三つの道の荷が一斉に止まれば、旅人は、三つすべてを警戒されたと読むだけだ。それでは何も分からない――旅人にとっても、こちらにとっても。
男は、決めた。
「囮の二つは、いつも通り動かせ。荷も入れろ。見張りも置け。明後日の朝には、騎士団が来てもいいように、それらしく人を出しておけ」
「本命は」
「明後日が過ぎるまで、誰も近づくな。荷も止めろ」
部下が、息を呑んだ。
「ですが、炭は……火入れまで、もう」
「二日なら、中の蓄えで持つし、旅人たちが探れているのも大まかな場所のはずだ。
仮に拠点のエリアが分かったとしても、すぐに見つけることは困難だろう」
男は、静かに言った。
「旅人が見ているのは、動いた場所だ。なら、本命は動かさない。何も起きない場所には、何も見えん」
部下たちが頷き、散っていく。一人残った男は、地図を見下ろしていた。
動かないこと。それが、これまで何度もこちらを守ってきた。ブラフを見抜いた時も、尾行に気づいた時も、騎士団が来た時も。警戒した時は、止まる。それが、軍を動かす時の基本でもあるし、一番安全な行動だ。
***
夜更けのリオの家。寝台の方から聞こえる咳は、すっかり静かになっていた。リオは、母親の枕元で丸くなって眠っている。尊は戸口に腰を下ろし、北の空を見上げていた。
向こうは、もう決めた頃だろう。三つの話を受け取り、三つともブラフだと見抜いた。見抜いて、こちらがまだ絞れていないと考えた。そして、どう動くかを決めた。
それが、あの男にとって一番正しい選択であることを、尊は知っていた。
「……見抜いたからこそ」
尊は、小さく呟いた。
「お前は、俺が蒼を読めるのを知らない。だからこそ読み違える」
明日から、ロイスのもとに炭焼きの知らせが届く。三つの道のうち、どの道で荷が動き、どの道で荷が止まるのか。答えは、明後日の朝までに出る。
「あと三日」
尊は、目を閉じた。




