第12話 3つの道
夜明けとともに、2個中隊規模の騎士団が北門を出ていった。
磨かれた鎧が朝日を弾き、蹄の音が石畳を揺らしていく。門の前には、見送る人々の人だかりができていた。尊は、その人だかりの後ろから、黙って隊列を見送った。
「すげえ……」
隣で、リオが目を輝かせている。
「あれ全部、兄ちゃんが動かしたんだろ?」
「動かしていない」
「じゃあ何で騎士団は動いてるんだよ!」
「少し情報を流しただけなんだだ」
尊は、最後の騎馬が門をくぐるのを見届けてから、踵を返した。
***
昼を過ぎた頃、ガルドが早馬の報せを持って貧民街へやってきた。その顔は、興奮と困惑が半々に混ざっていた。
「見つかったぞ。森の東の外れで、野営の跡だ」
リオが息を呑む。尊は黙って続きを促した。
「天幕が八張。半分は畳みかけのまま放り出されていた。焚き火はまだ燻っていたそうだ。それに――」
ガルドは、懐から小さな布切れを取り出した。青い生地に、銀糸の刺繍。
「天幕の中に、これが落ちていた」
リオが、尊の袖を強く掴んだ。
「連中は騎士団が来ると知って、慌てて逃げ出した直後だ。隊長はそう判断した。逃げた先は東の街道だろうと、北の森から隊の大半を引き上げて、東へ追いにかかっている」
ガルドは、尊の顔を窺った。
「……お前の読み通り、だったのか?」
尊は、布切れを受け取らなかった。
「ガルド。残されていたものを、全部教えてくれ天幕、鍋、食い物、焚き火、何がどうなっていたか」
ガルドは怪訝な顔をしたが、早馬の報せを思い出しながら、一つずつ挙げていった。
「天幕が八張。大鍋が四つ。薪の束がいくつか。塩漬け肉の樽が二つ」
「鍋の底は」
「……底?」
「焦げていたか」
ガルドは、眉を寄せた。
「いや、報せには、鍋は結構焦げていたらしいし。肉の樽も、封をあけていたと聞いている」
「焚き火の灰は」
「燻っていた、とだけ」
「灰の量は」
「そこまでは聞いていない。だが――」
ガルドは、記憶を辿るように目を細めた。
「火の割に、灰が少なかった、と騎士の一人が言っていたそうだ」
尊は、小さく頷いた。どうやら敵もそこまでは気が回らなかったらしい。
ここまで偽装されて焦っていたら、騎士団が追いかけてしまうのも無理はない。
「逃げた連中の足跡は」
「東の街道へ向かって、何人分か。馬の跡も少し」
「何人分だ」
「……最低でも10人だろうと」
尊は、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりと口を開いた。
「二十人が暮らしていた場所じゃないないな。一晩で作った場所だ」
***
「待て」
ガルドが、声を落として詰め寄った。
「天幕は八張あったんだぞ。二十人は寝られる」
「天幕は、張るだけなら一晩で張れる」
尊は答えた。
「だが、二十人が何日か暮らせば、もっとたくさんの跡が残る。地面は踏み固められ、厠の穴が掘られ、ごみが溜まる」
ガルドは、黙って聞いていた。
「それに、本当に慌てて逃げたなら、もっと歪む」
「歪む?」
「食べかけの鍋が残る。運び出せなかった重い荷が捨てられる。馬が足りずに、置き去りにされた荷車がある。二十人が一度に逃げれば、足跡はそもそも何人か分からないだろう」
尊は、ガルドの手の中の布切れに目を落とした。
「本当に撤収した場所には、撤収の痕跡が残る。あそこにあるのは、撤収したように見せるための痕跡だけだ」
すべて、騎士団が見つけるために、そこに置かれていた。
「……じゃあ、隊長に知らせないと」
リオが言った。
「騎士団、全然関係ないとこ追いかけてるじゃん!」
尊は、首を振った。
「知らせなくていい」
リオとガルドが、同時に尊を見た。
「騎士団には、そのまま東を追わせてくれ」
「……何だと?」
ガルドの声が、低くなった。
「お前、今、あれは偽物だと言ったばかりだろう」
尊は、北の空へ目をやった。
「向こうは今、勝ったと思っている」
ガルドが、言葉に詰まる。
「騎士団を北の森から追い出した。自分の策が当たった。そう思っている」
尊は、静かに続けた。
「勝ったと思った人間は、止めていたものを動かす」
騎士団が北の森にいる間、向こうは本命に一切近づけなかった。荷も運べず、人も動かせず、ただ息を潜めていたが、炉には期限がある。
あと四日で火を入れるなら、それまでに燃やすものを運び込まなければならない。見張りの食い物も、王女の水も、尽きる前に補わなければならない。騎士団がいなくなった今、向こうはそれを一気に動かすはずだ。
「騎士団を呼び戻せば向こうは、また息を潜める。それでは何も見えない」
尊は、ガルドを見た。
「隊長には、東の街道の先まで追うべきだと伝えてくれ。あんたの立場から、副長として」
ガルドは、長いこと尊の顔を見つめていた。やがて、深く息を吐いた。
「……騎士団を、餌にするのか」
「向こうが先に、そうしたし今騎士団を戻してしまうと本当に手がかりが無くなってしまう。だから俺はその餌を、そのまま使わせてもらうだけだ」
***
倉庫の中。トマスの報告を聞き終えた低い声の男は、静かに頷いた。
「騎士団は、東へ向かったか」
「はい。北の森には、見回りの小隊が一つ残っているだけです」
「なら、予定通りだ」
男は、部下に命じた。
「北の森は空いた。炭を入れろ。今夜からだ。水と食い物も補え。火入れの支度にかかれ」
部下が頷き、足早に倉庫を出ていく。トマスが、躊躇いがちに口を開いた。
「それと……一つ、気になることが」
トマスが恐る恐る尋ねる。
「言え」
「副長が、騎士団の隊長に進言したそうです。逃げた連中を、東の街道の先まで追うべきだと」
男の手が、止まった。
「……副長が?」
「はい」
男は、長いこと黙っていた。副長は、旅人の側の人間だ。門の記録の偽装を上へ報告したのも、あの男だろう。その副長が、騎士団を、さらに東へ押しやった。
偽の拠点を、本物だと信じて。――旅人は、騙されたのか。
それとも……騙されたと、こちらに思わせたいのか。
男は、目を閉じた。これまで、旅人の動きは読めてきた。ブラフも、尾行も、人足に紛れたことも、騎士団を動かしたことも。驚かされることはあっても、何を狙っているのかは、後から必ず分かった。
だが、今回はどうしても分からない。騙されて騎士団を東へ押したのか。騙されていないのに、あえて押したのか。どちらとも取れる。そして、どちらなのかで、次の一手がまったく変わる。
「……炭は、どうしますか」
男は、目を開けた。止めるべきか。だが、止めれば炉の火入れが間に合わない。予定は動かせない。
旅人が騙されているなら、今が唯一の好機だ。旅人が騙されていないなら――。考えても仕方がない、だから一応保険は掛けておこう。
「……運べ」
男は、低く言った。
「ただし、道を三つに分けろ。どれが本命か、分からないように」
トマスが頷き、出ていく。一人残った男は、窓の外の夕闇を見つめていた。初めてあの旅人の考えが、読めない。
***
夜更け、ロイス商会の手代が、再びリオの家の戸を叩いた。今度前よりも長かった。
「本日夕刻より、北の村の炭焼き三軒から、炭の大口の荷出しあり。荷車は計九台。いずれも買い手は名乗らず。荷は北の旧道を通り、採石場の手前で三方へ分かれた模様」
尊は、黙って聞いていた。
「一つは、採石場の西の沢沿いへ。一つは、森の北の古い猟師道へ。一つは、採石場の裏手の、崩れた坑道の方へ」
手代は紙片を畳んだ。
「主人が、こう申しておりました。――三つに分けてきました、と
騎士団が北の森を離れて、半日。向こうは九台もの荷車で、止めていた炭を動かした。炉に火を入れるための炭だ。もう、待てなかったのだろう。
そして、どれが本命か、分からないように行き先を三つに分けた。
「……三つか」
尊は、小さく呟いた。
「兄ちゃん、三つもあったら、どれが本物か分かんねえじゃん........」
リオが、不安げに言ったが尊は、首を振った。
「三つに分けたということは、向こうは迷っている」
「え?」
「俺が騙されたと信じていたら、分ける必要はない。一番近い道で、一番早く運べばいい」
リオは何を言っているの分からないといった顔で尊法を見ている。
「分けたのは、俺がまだ見ていると疑ったからだ。だが疑っていても、運ぶのを止められなかった」
期限がある限り、向こうは動かなければならない。動けば、物が動き、物が動けば、跡が残る。
ここまではずっとそうだ。向こうが先に手を打ち、こちらがそれを読んで躱してきた。
だが今は向こうがこちらの顔色を窺いながら、手を打っている。三つの道のどれか一つが、王女のいる場所へ続いている。残りの二つは、また、見せるための道だ。
「あと四日」
尊は土間に地図を描くように、指先で線を三本引いた。西の沢、北の猟師道、崩れた坑道。
「……これで三つの大まかな場所まで、絞れた」




