第11話 見えざる一手
中央通りに面したロイス商会の外観は少し王都の建築様式から離れており、思った以上に大きな商館だ。
三階建ての石造りの建物に、出入りする荷車がひっきりなしに横付けされており、 店先では帳面を抱えた手代たちが忙しなく行き交っていた。尊が木札を差し出すと、受付の若い手代は目を丸くし、すぐに奥へ駆けていった。
程なくして、聞き覚えのある柔らかい声がした。
「尊さん。 お待ちしておりましたよ」
ロイスは、 尊の浮浪者のような見た目でも眉一つ動かさず、馬車で別れた時と同じ笑顔で現れた。
「どうぞ、奥へ」
通されたのは、二階の奥にある小さな部屋だった。
窓際に使い込まれた机、 壁には帳面の棚、そして部屋の隅には、黒塗りの細い台が一つ置かれていた。
刀は掛かっていないが刀掛けだ。 小さいころから何度も見てきたから見間違うはずがない。天城の武家の屋敷で見慣れたものと、よく似ていた。
尊がそれを見ていることに気づいたのか、ロイスは茶を淹れながら笑った。
「 珍しい形でしょう古い取引の品なんですよ。物を掛けるには、少々使いにくいのですが」
「大陸にもあったんだな」
尊は、それ以上聞かなかず、ロイスも尊に聞いてくることもなかった。
《高天眼》で見るロイスの蒼は、穏やかだったが、刀掛けの話をした一瞬だけ、胸の奥の流れが僅かに温かく揺れた気がした。
ロイスが、湯気の立つ緑茶を尊の前に置く。
「何かお困りのことが?」
「頼みがある」
尊は、茶碗に手をつけずに言った。
「嘘をつかずに、人を動かしたい」
***
尊は、これまでのことを話す。王女の失踪、旧道の黒い馬車と、紋章の刻まれた金具、夜ごとに北の森へ運ばれた耐火石、人が何人も入れるほどの炉、 門の記録の偽装と、それを書いた衛兵。
ただし、倉庫の会話とトマスの名前、ガルドのことは伏せた。 ロイスは、口を挟まずに最後まで聞いていた。
「つまり、王女殿下は北の森にいらっしゃる、と」
「分からない」
ロイスが、意外そうな顔をしてこちらを見る。
「炉が北の森にあることは、ほぼ確定しているのだが、王女がそこにいるという証拠は、どこにもない」
「では、どうなさるおつもりで」
「騎士団に、北の森を探させたい」
ロイスは、ゆっくりと茶碗を置いた。
「旅人の言葉で、騎士団は動きませんよ。 それに、王女殿下がそこにいると訴えれば、外れた時に尊さんが責めを負う」
「だから、俺は何も言わないし、 騎士団が自分で北の森を探そうと決めるようにする」
尊は言った。お茶を啜りながら言う。
「どうやって」
「本当のことだけを、ばらばらに置く」
尊は、指を一本ずつ立てていった。
「一つ、 商人たちの間で、夜ごとに耐火石が北の森へ運ばれていたという話。 荷揚げ場の人足なら、誰でも知っている」
「二つ、石工の親方があの量の耐火石なら、人が何人も入れるほどの炉になると言っていた話」
「三つ、王女が消えた日、北の旧道で紋章のある金具を落とした馬車がいた話。 これは、すでに衛兵の記録に残っている」
ロイスは何かに気づいたように言う。
「どれも、王女殿下とは結びつけない」
「ああ。 結びつけるのは、聞いた人間だ」
尊は、空っぽの湯飲みに目を落とした。
「人は人から言われたことは疑うが、自分で気づいて納得したことは疑わない」
戦場でもそうだ。 斥候の報告をそのまま伝えても、将は動かない。 しかし、いくつかの報告を並べておけば、将は自分で答えを出し自分で兵を動かす。
「騎士団の中で、そういう話を一番よく聞く人間は誰だ」
ロイスは、しばらく黙っていた。やがて、小さく笑った。
「……騎士団の補給を預かっておられる、ハインツ様という方がいらっしゃいます。 うちから糧秣を納めておりましてね。 月に二度、帳面の突き合わせでお会いします」
「補給の人間なら、荷の話には敏い」
「ええ。 耐火石が二十台分も北の森へ消えたと聞けば、あの方は必ず誰が何のためにと考えるでしょう」
ロイスは、窓の外へ目をやった。
「ちょうど明日が、突き合わせの日です」
「頼めるか」
「商人同士の世間話を、少しするだけです。 頼まれるほどのことではありませんよ」
ロイスは穏やかに言い、それからふと尊の顔を見た。
「ですが、それだけではないのでしょう?」
尊は、僅かに目を上げた。
「騎士団が北の森へ向かえば、向こうも当然それを知る。 何か手を打ってくるはずです」
もちろん知っていると、首を縦に振る。
「その手まで、読んでおられる」
尊は、少しだけ間を置いてから答えた。
「もう一つ、頼みがある」
「伺いましょう」
「これから数日の間に誰かが急に、人が住んでいる跡を作るための物を買うはずだ」
ロイスが、怪訝そうに首を傾げた。
「住んでいる、跡……?」
「天幕、大鍋、 薪、 塩漬けの肉。 何十人分もの、寝床と飯の道具だ。 それも、人が実際に住むためではなく、住んでいるように見せるための量で」
尊は、ロイスの目を真っすぐに見つめて言った。
「向こうは騎士団の目を逸らすために、偽の拠点を作る。 そして偽の拠点を作るには、物が要る。 つまりはどこかの商人が売っている」
ロイスは、しばらく尊の顔を見つめしばらくして、静かに息を吐いた。
「騎士団を動かすのは、王女殿下を探すためだけではない」
「探させるが、向こうが慌てて作るものも、見せてもらう」
尊は、ようやく湯呑を手に取った。
「人は嘘をつけるが、物は嘘をつきにくい」
ロイスは一瞬の間だけ固まる。尊は、それに気づかないふりをした。
「この街の商人の口なら、俺が追うよりずっと早く届く」
「承知しました」
ロイスは、深く頷いた。
「街中の問屋に、それとなく耳を立てておきましょう」
***
尊は、ロイス商会を出たその足で北門の詰所へ向かう。 ただし、表からずに裏の井戸から入るとガルドが待っていた。
「門の記録の偽装を記帳した衛兵の名は伏せて、偽装があった事実だけを報告できないか」
「騎士団へか」
「ああ。 紋章の金具も添えて」
ガルドは、少しの間黙っていた。
「お前、何を企んでいる」
「まあ、色々。別に悪いことはしていない、安心してくれ」
尊は答えた。
「本当のことを、上へ伝えるだけだ。 あんたの仕事だろう」
ガルドは、深々とため息をついた。
「お前と話していると、自分が何をしているのか分からなくなる」
それでも、渋々分かったよとガルドは頷いた。
***
翌日。
騎士団の補給を預かるハインツは、ロイス商会の二階で、帳面の突き合わせを終えたところだった。 茶を飲みながら、ロイスが何気なく口にした。
最近夜ごとに耐火石が北の森へ運ばれていたらしい。 人足たちの間では、ちょっとした噂になっている。 それも、荷車二十台分だとか。
ハインツは、ティーカップを持つ手を止めた。
「二十台分の耐火石を、北の森へ?」
「ええ。 何に使うのやら。 石工の親方が言うには、人が何人も入れるほどの炉になる量だそうで」
「誰が運ばせた」
「さあ。 夜の仕事でしたから」
ハインツは、それ以上は何も聞かなかった。
だがその日の夕刻、騎士団の詰所へ戻ったハインツは上官の机に積まれた書類の中に、北門詰所から上がってきた報告を見つけた。王女殿下が消息を絶った日の、門の通行記録に偽装の疑いあり。 北の旧道にて、紋章入りの金具を落とした馬車の目撃情報あり。
ハインツは自分の聞いた話を上官に伝えた。
上官は、地図の上に指を置く。 北の旧道、 その先の採石場、 さらに奥の森。耐火石の運ばれた先と、紋章入りの馬車が向かった先が、同じ一点で重なっていた。誰も王女がそこにいるとは言っていない。
「明朝、北の森を捜索する。 二個中隊を出せ」
***
トマスが、息を切らせて報告していた。
「騎士団が、明朝北の森に入ります。 二個中隊です!!」
低い声の男は、驚かなかった。
「来たか」
「東の拠点は、仕上がっています。 轍も、焚き火の跡も!」
「なら予定通りだ」
男は頷く。 だが次の問いを口にする前に、ほんの僅かな間があった。
「騎士団の方が先に気づいたか。頭の固い連中だがよく辿りついたな」
トマスは、言葉に詰まった。
「補給の騎士が、商人から耐火石の噂を聞いたとか……それと、門の記録の偽装が、上へ報告されたと」
門の記録の偽装、それを報告できるのは詰所の中の誰かだ。 それも、上へ書類を上げられる立場の人間。そして、耐火石の噂を、騎士団の補給係の耳に入れた商人。 都合よく情報が流れている。
「姿を見せずに、軍を動かしたか」
男は、窓の外の闇を見つめた。この街に来てまだ十日も経っていないはずの男が、詰所の中に味方を持っている。 それも、上へ報告を上げられる人間を。 そして、騎士団に話の届く商人とも繋がっている。
運が良いだけなのか、はたまた才能という物なのだろうか。
「東の拠点は、そのままでいいのですか」
トマスが恐る恐る尋ねる。 男は、しばらく答えなかった。
「いい。 騎士団は、目に見えるものから探す」
そう言いながらも、男の目はどこか遠くを見ていた。
***
夜更け。リオの家の戸から コンコンと小さな音がする。戸を開けた先に立っていたのは、ロイス商会の若い手代だった。 周囲を見回してから、尊に小さく頭を下げる。
「主人からの伝言です」
手代が、小声でロイスが書いたであろう紙を読み上げる。
「本日夕刻、東門の雑貨問屋にて、天幕八張、大鍋四つ、薪三十束、塩漬け肉二十人分。 買い手は名乗らず、前金で支払い。 荷は明朝、東の街道沿いの空き地へ」
手代は紙片を畳み、尊に手渡した。
「主人が、こう申しておりました。 ――お見込みの通りでした、と」
騎士団が北の森に入ると知ってから、半日も経たないうちに向こうは、天幕と鍋を買った。 二十人が暮らしているように見せるための、偽の拠点の道具を、騎士団の目を逸らすために。
「……来たな」
尊は、戸口に立ったまま、北の夜空を見上げた。 ここまで、ずっと向こうが先に手を打ってきた。
こちらはそれを読んで、躱して一つずつ手札を拾ってきただけだった。だが今夜は違う。 向こうが動いたのは、こちらが動かしたからだ。
「ここからは、こちらの番だ」
まだ太陽が昇り切っていないうす暗い中で、尊は静かに口元を緩めたのだった。




