第9話 物の跡
街の南、川港の荷揚げ場は、朝から人と荷車で溢れていた。
艀から下ろされる麻袋。 積み上げられる木箱。 行き交う荷車の車輪が石畳を叩き、人足たちの掛け声と、馬の鳴き声が入り混じる。
「ここが、一番荷車が出入りするとこ」
リオが、得意げに胸を張った。
「北門の荷車溜まりもでかいけど、川から上がってくる荷は全部ここを通るんだ」
尊は、荷揚げ場を見渡した。
「なあ兄ちゃん、物を追うって具体的に何すんの?」
「王女を、一人生かしておくとする」
尊は、荷車の列を目で追いながら言った。
「何が要ると思う?」
「何って……飯と水。 あと、寝るとこ」
「見張りは」
「いる。 逃げられたら困るし」
「見張りが十人いれば、十人分の飯が要る。 交代させるなら、もっと必要だ。 馬を使うなら、飼葉も要る。 王女が病めば、薬も要る」
リオは、指を折りながら聞いていた。
「それに――炉だ」
「炉って、倉庫で聞いたってやつ?」
「ああ。 何の炉かは分からないが、炉を焚くには燃やすものが要る。 炉を組むには、石が要る」
尊は、荷を下ろしている艀を見た。
「どれも、どこかから運ばなければならない。 運べば、誰かが見ている」
「……つまり、ここで聞き込み?」
「いや」
尊は、荷揚げ場の端に目を向けた。 帳場の前に、人足たちが列を作っている。 日雇いの口を求めているのだろう。
「働く」
「は?」
***
荷揚げ場の親方は、尊の姿を上から下まで眺めて鼻を鳴らした。
「刀を差した人足なんざ、初めて見たぜ」
「力仕事ならできる」
「口だけなら誰でも言える。 そこの袋、向こうの荷車まで運んでみな」
足元には、穀物の詰まった麻袋が積まれていた。 一つで、大人一人分ほどの重さがある。
尊は袋を二つ、肩に担ぐ。 その様子を見て周りの人足たちが、手を止めた。
そのまま荷車まで歩き、静かに下ろす。 三往復したところで、親方が手を上げた。
「日暮れまで働け。 銅貨八枚だ」
「分かった」
リオが、呆れた顔で尊の袖を引いた。
「兄ちゃん、王女様探すんじゃなかったのかよ」
「探している」
尊は、次の袋を担ぎながら言った。
「荷を一番よく知っているのは、荷を運ぶ人間だ」
***
昼の休みになる頃には、尊はすっかり人足たちの輪に混じっていた。
刀を差した無口な大男――人足たちの目には、そう映っているらしい。 力があって、文句を言わず、余計な詮索もしない。 荷揚げ場では、それで十分だった。
干し肉を齧りながら、古株の人足がぼやいていた。
「最近はろくな仕事がねえ。 この前の夜仕事は、金払いが良かったんだがな」
「夜仕事?」
尊が、何気ない調子で聞き返す。
「ああ。 十日ほど前からかな。 夜だけ、北の旧道の先まで石を運ぶ仕事があったんだよ。 三日前に終わっちまったが」
「石を運ぶ?」
「白い石だ。 重いのなんの。 荷車一台に積める量なんざ、たかが知れてるのに、馬が二頭でも喘いでやがった」
尊の手が、一瞬だけ止まった。
「どこから運んだ」
「旧道の先の、古い採石場さ。 そこから、さらに奥の森の方へな。 俺らは途中の空き地で荷を下ろすだけで、その先は向こうの連中が運んでいった」
「何に使う石か、聞いたか」
「さあな。 耐火石とか言ってた気がするが、俺らには関係ねえ。 金さえもらえりゃな」
古株はそう言って、大きく欠伸をした。
――白い石。
倉庫の前に散っていた、あの粉を思い出す。
***
日暮れまで働いて、銅貨八枚を受け取った。
掌に乗った小さな硬貨を、尊はしばらく見つめていた。 この国で、初めて自分の力で手にした金だった。
「リオ。 石工はどこにいる」
「石工? 職人街の奥だけど……」
石工の親方は、年老いた小柄な男だった。
尊が懐から布切れを取り出し、そこに包んでいた白い粉を見せると、親方は目を細めて指先でつまみ上げた。
倉庫の前の路地で、指で拭い取っておいたものだった。
「耐火石だな。 それも、北の旧採石場の石だ。 この白さは、あそこでしか出ねえ」
「何に使うんだ?」
「炉の内張りさ。 鍛冶屋の炉、窯元の窯。 熱にめっぽう強いが、重くて扱いにくい。 今じゃ、使う奴もほとんどいねえよ」
尊は、古株の人足の話をした。 十日ほど前から三日前まで、夜ごとに荷車で運ばれていた白い石。 二頭の馬が喘ぐほどの重さ。
親方の眉が、徐々に寄っていった。
「荷車で、何台分だ」
「一晩に三台。 それが、七晩ほど」
親方は、指を折って数え始めた。
「二十台分の耐火石か」
しばらく黙ってから、親方は顔を上げた。
「そんな量、鍛冶屋の炉じゃねえ。 窯元でも聞いたことがねえ。 人が何人も中に入れるような、でかい炉だ」
「組んでから、使えるようになるまでは」
「耐火石の炉は、組んですぐには火を入れられねえ。 石の間の練り土を乾かさなきゃ、熱で割れちまう。 あれだけの大きさなら……」
親方は、指先の粉を見つめた。
「十日は乾かす。 それから、少しずつ火を入れて慣らしていく」
「石を運び終えたのが三日前なら」
「組み上げるのに、早くて一日、二日か。 そこから十日」
尊は、静かに計算した。
あと、七日。 いや、組み上げが早ければ、もっと短い。 黒幕は、「予定は変更なし」と言った。
その予定が、この炉に火が入る日なのだとしたら。 尊は、親方に頭を下げた。
「助かった」
「何に使うのか知らねえが」
親方は、粉を払い落としながら言った。
「あんな化け物みてえな炉、まともなもんを焼くためのもんじゃねえぞ」
***
炉を焚くには、燃やすものが要る。 石工の工房を出ると、尊はそのまま炭屋へ向かった。
職人街の端にある、大きな炭問屋だった。 店先には炭俵が山と積まれ、帳場には若い番頭が座っている。
「この十日ほどで、炭を大量に買った者はいるか」
番頭は一瞬きょとんとしたが、すぐに愛想のいい笑みを浮かべた。
「ええ、ございますとも。 少々お待ちを」
番頭は帳場の奥から、一冊の帳簿を取り出した。 迷う様子もなく頁をめくり、ある箇所を指差す。
「こちらですね。 ベルナー商会様から、炭を百俵。 東の屋敷町の蔵へお届けしております」
尊は、帳簿に目を落とした。 文字は読めないが、頁の綺麗さは分かる。 他の頁は書き込みや染みで汚れているのに、その頁だけが妙に整っていた。
《高天眼》で、番頭を見る。
蒼は、穏やかに流れていた。 嘘をついている者の揺れはない。 この男は、帳簿に書かれていることを、そのまま信じている。
「ずいぶん、すぐに出てきたな」
尊が言うと、番頭は少しだけ得意げに笑った。
「昨日も同じことを尋ねに来られた方がおりましたので。 お役人様でしょうかね」
尊は、礼を言って店を出た。 通りに出たところで、リオが待ちきれない様子で詰め寄ってくる。
「ベルナーって、今朝の評議員じゃん! やっぱりそいつが――」
「答えが、先に置いてあった」
「え?」
「俺が聞く前から、あの帳簿はあの頁を開くために用意されていた」
尊は、炭屋の看板を振り返った。
「向こうは、俺が物を追ってくることを読んでいる」
リオの顔から、興奮が引いていった。
「……じゃあ、また罠?」
「炭の方はな」
尊は歩き出した。
「だが、石の方は違う」
荷揚げ場の古株は、自分が何を運んだのかも知らず、愚痴のついでに喋っただけだった。 石工の親方は、粉を見て、知っていることを答えただけだった。
誰も、尊に何かを見せようとはしていなかった。 人足の口と、石の重さ。 帳簿よりも先に、そこへ行った。
それが、向こうの読みの外だった。
***
薬屋の前で、尊は足を止めた。 手の中には、銅貨が八枚。
店主に事情を話すと、咳止めの薬草が小さな包み一つ分だけ手に入った。 銅貨は、一枚残らず消えた。
「兄ちゃん」
リオが、包みを受け取ったまま立ち尽くしていた。
「これ、兄ちゃんが一日働いた金じゃん」
「そうだな」
「なんで」
尊は、少し考えた。
「一日分しかない。 すまない」
リオは、何か言おうとして口を開き、結局何も言わずに閉じた。 それから、包みを両手で抱えるようにして、家の方へ駆け出していった。
尊は、その小さな背中を見送った。 戦場では、刀を振ればどうにかなることもあった。
だが、咳一つ止めるのに、一日がかかる。 それでも――刀では、それすらできなかった。
***
灰色の外套の男が、報告を終えた。
「……人足、か」
低い声の男が、呟いた。
「はい。 荷揚げ場で日暮れまで荷を担いでおりました。 その後、石工の工房へ寄り、炭屋へ」
「炭屋の帳簿は、見たか」
「見ました。 ベルナー商会の頁を確かめて、出ていきました」
「なら、いい」
男は頷いた。
だが、その指先が、机の上で一度だけ止まった。
「石工の方はどうだった?」
「親方と、何か話していたようですが、中まではわかりませんでした」
男は、しばらく黙っていた。
帳簿を整え、荷の出入りを書き換え、馬車の持ち主をすり替え、 物を追ってくる人間が辿る道は、すべて塞いだはずだった。
だが、あの旅人は、帳簿を見る前に人足として荷を担ぎ、石工の工房へ向かった。 書かれたものより先に、運んだ人間の口と、石そのものを見に行った。
「手を回しますか」
部下が尋ねる。
男は、首を振った。
「いや。 石の量だけで分かることは、限られている」
そう言いながら、男は窓の外の闇へ目を向けた。
***
リオの家へ戻ると、土間に薬草を煎じる匂いが満ちていた。
寝台の方から聞こえる咳は、まだ止まない。 だが、リオは鍋の前で、ずっと母親の様子を見守っている。
尊は土間の隅に腰を下ろし、目を閉じた。 二十台分の耐火石。 人が何人も入れるほどの炉。 十日の乾燥。 失踪した、年齢も職業もばらばらな人々。
体内の蒼が、どこかへ吸われるように散っていった、あの森の魔物。
――炉で、何を焼いているのかまだ、答えは出ない。
だが、一つだけ確かなことがある。 あと、七日、 それまでに王女を見つけなければならない。




