第8話 早乙女の素顔
その十分後。
泉のほとりで俺は、絶対に外れないよう、目隠しをガチガチに結んだ。
理由はもちろん、女の裸を見ないためだ。
「そんなキツく結ばんでもええんちゃうの」
「いや、これはウチの家訓なんだ」
「貴族の家訓か! ちなみにどんな家訓?」
「女の裸を見るな。そういう家訓だ」
「はあ? なんやそれ……もしかして自分の身体も見たらあかんの?」
「ああ。見たら切腹」
「厳しすぎっ! まあ、貴族って訳のわからん家訓が多そうやし、あってもおかしないか」
「万が一にも目隠しが外れたら切腹だから、髪はそっと洗ってくれよ」
「分かった。じゃあ今から服を脱がすから、目隠しが外れんよう気ぃつけや」
「おうよ。ひと思いにやってくれ」
すると、あっという間に寝間着を引っぺがされ、身体にそよ風が吹きつける。
「さぶっ……ぶるるる」
さらに下着まで次々と脱がされ、素っ裸になったのが分かった。
「くっ……屈辱」
不倶戴天のライバルに、無防備な姿をさらしてしまった俺。
そんな胸中もつゆ知らず、早乙女は妙に楽しそうだった。
「リリアナちゃん、頭からザブンいくでぇ」
「子供扱いすんな!」
泉のお湯が頭から降り注ぐ。
熱くもなく冷たくもない、ちょうどいい湯加減だ。
「ほな、髪の毛洗うでー♪」
「分かったから、目隠しには気をつけろよ」
王子に貰った石鹸は、魔獣の血をよく洗い落とせるらしい。
「いい匂いだな。さすがは王子の石鹸だ」
「ほんまや。たぶん王家御用達なんやろな」
それにしても、早乙女に身体を洗ってもらう日が来るなんて、想像もしてなかった。
ついさっきまで、河原でタイマン張っていたのが嘘のようだ。
「ほんだら流すでえ」
バシャアッ!
「おわっぷ! いきなりかけんな!」
「流す、言うたやん」
「目隠ししてるから、ビビるんだよ!」
「ほんだら外したらええやん。家訓言うてもウチが言わへんかったらバレへんし」
「ダメだ! 家訓は絶対、見えたら切腹!」
髪を洗い流すと、次は全身を洗ってもらう。
「余計なところは絶対触るなよ」
「なんで? 全身洗わんと匂い消えへんで。ウチに任しといたらええねん」
「ダメだ! 目隠ししてるから、次にどこに来るのか分からんし、くすぐったいんだよ」
「ほんだら、目隠し外したらええやん」
「女の裸、ダメ絶対!」
「頑固やなぁリリアナは。じゃあ、どこ洗うか言うさかい、それでええやろ」
「まあ、それなら……」
だがそれがいけなかった。
場所を言われる度に女の裸を想像してしまい、俺のプライドがズタズタになったのだ。
「マジで隅々洗われてしまった。死にたくなってきた……」
「何言うてんねん。アホなこと言うとる暇があったら、早よお湯に浸かりぃ」
「お、おう……」
どうにか気を取り直した俺は、泉に肩まで浸かった。
「はあああああ……」
思わず声が漏れる。
火照った身体に、ちょうどいい湯加減。
屈辱でボロボロだった俺の心が、ホッコリ温かくなっていく。
「ふう、生き返る」
「オッサンみたいやなぁ、リリアナは」
「うるせえ!」
ザバーッ!
「ふう、気持ちええわ」
どうやら早乙女も、自分の身体を洗い始めたらしい。
バシャバシャ。
シャッシャッ。
衣擦れの音が聞こえてきて、俺は思わず背筋を伸ばした。
(早乙女が風呂……やべぇ、意識しちまう)
目隠しで何も見えない。
だからこそ想像ばかりが膨らんでしまう。
(ダメだ俺! 俺は男の中の男っ! 女の裸を想像するな!)
必死に邪念を振り払う。
(コイツは宿敵! 最凶の女! いや、コイツは女じゃねぇ! 男だっ!)
そう自分に言い聞かせていると、早乙女が声をかけて来た。
「リリアナの服も洗ろたるわ」
「お、おう……すまんな、早乙女」
「ええねん。これも侍女の仕事やし」
「そうか……」
至れり尽くせりとは、まさにこのこと。
なんだか申し訳なくなってきた。
血でベットリと汚れた服を、早乙女はゴシゴシ洗っている。それから三十分ほど経ってようやく、早乙女も泉に入ってきた。
ちゃぷん、と水が揺れる。
「ふぃ~……生き返るわぁ」
すぐ横から声が聞こえて、俺の肩がビクッと跳ねる。
「距離が近すぎる。もっと離れろ」
「泉、そんな広ないし、しゃあないやん」
確かにそうだが、問題はそこじゃねぇ。
俺のすぐ隣に、素っ裸の早乙女がいることが問題なのだ。
目隠しのおかげで何も見えないが、だからこそ肩が触れるたびに意識してしまう。
しかも濡れた髪から、ふわりと甘い香りまで漂ってきやがった。
(くそっ! ……落ち着け俺)
(コイツは早乙女。いつも殴り合ってきた、不倶戴天のライバル)
(女じゃねぇ、女じゃねぇ、女じゃねぇ、女じゃねぇ)
なのに、コイツの柔らかな感触が触れる度に、俺の心臓がドクンと跳ねる。
(静まれ俺の心臓。ドキドキするな!)
(そうだ、コイツは図体だけが無駄にデカいゴリラだ。コイツはゴリラ、コイツはゴリラ、ゴリラ、ゴリ……)
「リリアナ、アンタ顔真っ赤やで! のぼせたんとちゃうか?」
「うるせえゴリラ! お前を意識しないように必死に耐えてんだよ!」
「誰がゴリラやねん!」
バシッ!
早乙女のツッコミが俺の後頭部を直撃し、目隠しがどこかに吹き飛んでしまった。
「どわああっ! 何してくれとんじゃあ!」
慌てて目をつぶって、泉に落ちた目隠しを探す。
「どこ行った俺の目隠し、目隠し、目隠し」
「なんやそれ。メガネ、メガネのギャグのつもりか?」
「ちゃうわ! テメェが余計なツッコミ入れるから、切腹するとこだったじゃねえか!」
「別に切腹なんかせんでええやん。ほんま、アホな姫やなあ、リリアナは」
「うるせえ! ……あ、あった」
ぐっしょり濡れた目隠しを絞って再びつけると、それを見てケラケラ笑う早乙女。
……なんかいつもと違うし、調子狂うな。
◇
風呂から上がり、服を着せてもらった俺
泉のほとりに立っていると、早乙女も着替えを終えたようで、ようやく目隠しがほどかれた。
「ほんならアルトゥールはんと交代しよか」
「随分待たせたからな。女の長風呂は、ほんといい迷惑だよ」
そう言いながら早乙女の方を振り返ると、だが、いつものマスクを着けておらず、素顔のアイツがそこにいた。
「え……?」
さらりと流れる黒髪。
切れ長の大きな瞳。
確かに、スケバンらしい鋭さはある。
だがそれ以上に――とんでもなく整った顔立ちが異彩を放っていた。
「……お前……早乙女なのか?」
「そやけど、どないしたん?」
俺が知っている早乙女レイカは、最凶最悪のスケバン総長。眼力だけで街の不良を黙らせる、天下無双の女番長だ。
だが、マスクの下に隠れていたのは、想像のはるか斜め上をいく美貌の持ち主だった。
「お前、めちゃくちゃ美人じゃねえか」
思わず本音が漏れる。
すると早乙女はキョトンとしたあと、
「ああ、この顔のことか。ナメられたらアカン思うて、マスクで気合い入れとってん」
……確かにその通りだ。
このツラだと、いくら凄んでもまるで迫力が出ねぇ。ていうか、凄まれた男は鼻の下が伸びまくりだ。
「だからあんなデカいマスクで顔を隠してたのか。でも今までよくバレなかったな」
「ウチ最強やから、マスクに触れる前に全員倒してまうねん」
確かに、何度もタイマンをしたのに、コイツのマスクを引っ剥がした記憶がねぇ。
(ち、畜生め……)
屈辱ではあったが、しょっちゅう喧嘩してた早乙女のことを何も知らなかったことが、よほどショックだった。
俺の知る早乙女は、喧嘩が強いだけのただのデカい女。
だがその素顔は、少女マンガが大好きで、魔法やプリンセスに憧れるごく普通の女の子だった。
しかもとんでもなくカワイイ。
「どないしたん、リリアナ?」
「……い、いやいやいや、何でもない!」
慌てて視線を逸らすが、俺の心臓のドキドキが止まらない。
(一体何なんだ、この気持ち……)
不倶戴天のライバル。
世界で一番憎たらしいはずなのに、早乙女のことが気になって仕方がない。
なんか調子狂うんだよな――コイツ。




