第十二話 妻の影
黒木から連絡が途絶えたのは、三日目のことだった。
由依は何度もメッセージを送り、電話をかけた。既読はつくのに、返信がない。不安が胸を埋め尽くし、仕事中も手が止まった。四日目の夜、ようやく短いメッセージが届いた。
『会える。今夜、いつものホテルで』
由依はほぼ走るような勢いでホテルへ向かった。
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部屋に入ると、黒木は窓際に立っていた。顔が明らかに疲れ切っている。由依が近づいた瞬間、彼は彼女を強く抱きしめた。力の入れ方が、これまでの優しさとは違っていた。
「妻が……気づいた」
黒木の声は掠れていた。
「スマホの履歴を見られた。ホテルの名前も、メッセージの一部も。直接問い詰められはしなかったが、『もう我慢できない』と言われた。今夜、本格的に話し合うことになった」
由依の血の気が引いた。剛に捨てられ、今度は黒木の家庭も崩れ始めている。自分の存在が、二人の男の日常を壊しているという事実が、重くのしかかる。
「……それで、どうするの」
黒木は由依の顔を両手で挟み、真剣な目で見つめた。
「俺は、妻に正直に話すつもりだ。そして……お前を選ぶ。別れてくれないか。一緒に、新しい生活を始めよう」
その言葉は、由依が密かに望んでいたものでありながら、同時に恐ろしかった。剛との別居もまだ落ち着いていない。黒木の妻を傷つけることになる。社会的な非難も、避けられない。
由依は答えられず、ただ黒木にすがりついた。男はそれを受け止めると、激しく唇を重ねた。服を脱がせる手は乱暴で、ほとんど追い詰められた者のそれだった。由依もまた、自ら黒木を求め、深く身体を重ねた。
快楽は激しさの中に、哀しみを含んでいた。由依は黒木の背中に爪を立て、何度も達しながら、涙を流した。黒木もまた、由依の中で果てる瞬間に、彼女の名前を繰り返し呼んだ。
事後、二人は絡まったまま、長い時間黙っていた。
由依が掠れた声で言った。
「本当に……選んでくれるの? 私を」
「ああ。もう、お前以外では満たされない」
由依は黒木の胸に顔を埋め、小さく呟いた。
「……考えさせて。今夜は、答えを出せない」
黒木は由依の髪を撫でながら、静かに頷いた。
「わかった。でも、あまり時間はない。妻は、本気だ」
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由依が一人でホテルを出ると、雨が激しく降っていた。
タクシーの中で、彼女は自分の選択を何度も反芻した。
剛を完全に失い、黒木の家庭を壊し、それでもこの関係を選ぶのか。
それとも、ここで手を引くのか。
答えは、まだ出なかった。
ただ、黒木の体温が身体に残っている限り、簡単には切れないことだけは、はっきりとわかっていた。
そしてその夜、黒木の家では、妻が静かに荷物をまとめ始めていた。




