第十話 提示
剛が動いたのは、それから二日後だった。
由依が仕事から帰宅すると、リビングのテーブルに、いくつかの紙と写真が並べられていた。ホテルの領収書。タクシーの乗車記録。そして、ホテルのエントランス付近で撮られた、由依と黒木が並んで歩く写真。鮮明ではなかったが、顔は十分に判別できる。
剛はソファに座り、静かに由依を待っていた。
「座って」
由依は足がすくんだまま、椅子に腰を下ろした。剛の声に、もう優しさは残っていなかった。
「説明してくれるか。これはどういうことだ」
由依の喉が渇く。嘘を重ねる気力も、すでに擦り切れかけていた。彼女は視線を落とし、長い沈黙の後に小さく言った。
「……ごめんなさい」
剛は写真を指で弾いた。
「謝られても、どうにもならない。誰だ、この男は。いつから続いている」
「……一ヶ月も、経っていない。店で知り合って……」
「店?」
由依は『Café Liminal』のことは話さなかった。ただ、首を横に振るだけだった。剛は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。怒りというより、深い失望が声に滲んでいる。
「俺は、君を信じようとしてきた。忙しいのも、疲れているのも、わかっていたつもりだった。でも、これは……裏切られたと感じる」
由依の目から、ようやく涙が溢れた。
「剛のせいじゃない。私が、弱かっただけ」
剛は立ち上がり、窓の外を見た。背中が、ひどく遠く見える。
「しばらく、別々に暮らそう。俺は実家に帰る。君も、その男とどうするのか、自分で決めろ」
それだけ言って、剛は部屋を出ていった。ドアが閉まる音が、結婚五年間の何かが決定的に折れる音のように響いた。
---
その夜、由依は黒木に会った。
店の三号室。由依は入るなり、黒木に抱きついて泣いた。黒木は何も聞かず、ただ強く抱きしめた。服を脱ぐ手つきは乱暴で、ほとんど必死だった。由依もまた、自ら黒木を求め、激しく身体を重ねた。
快楽の中で、由依は何度も達した。涙と汗が混じり、声が裏返る。黒木もまた、由依の中で深く果てながら、彼女の名前を呼び続けた。
事後、二人は絡まったまま、天井を見つめていた。
由依が掠れた声で言った。
「剛が、出ていった。写真を突きつけて……別居するって」
黒木の身体が、わずかに強張った。
「……どうするつもりだ」
「わからない。あなたと、このまま続けるべきなのか。それとも、全部終わらせるべきなのか」
黒木は由依の顔を両手で挟み、真剣な目で見つめた。
「俺は、お前を失いたくない。妻にも、いずれ話す。だから……一緒にいてくれ」
その言葉は甘く、重く、由依の心をさらに揺さぶった。彼女は黒木の胸に顔を埋め、小さく呟いた。
「もう少しだけ……考えさせて」
部屋の外では、佐伯が静かに時計を見ていた。
その目は、まるで物語の次の頁を既に知っているかのように、穏やかだった。




