第四話 再訪
それから四日が過ぎた。
由依は仕事中も、ふとした瞬間に黒木の感触を思い出していた。会議中に太ももの内側が熱を持ち、資料の文字が霞む。剛が珍しく早く帰宅した夜も、夫の優しい手が触れても、身体はほとんど反応しなかった。むしろ、黒木の荒々しい指先を求めてしまう自分が、恐ろしかった。
メッセージのやり取りは、一日に数回。
短く、慎重で、しかし確実に熱を帯びていく。
『今夜、店に行けるか?』
黒木からのその一文を見たとき、由依はほとんど迷わなかった。剛には「編集部の急ぎの打ち合わせ」と嘘をつき、コートを羽織って家を出た。
---
『Café Liminal』は、前回と同じく静かだった。
佐伯がカウンターから小さく頭を下げる。目元に、いつもの観察者のような光があった。
「お二人とも、お揃いですね」
由依は奥の席で黒木を待った。彼が入ってきた瞬間、胸の鼓動が跳ねる。灰色のコートを脱いだ黒木は、前回より少し疲れた顔をしていたが、由依を見る目は濃かった。
「来てくれた」
「ええ……来てしまった」
二人は短く言葉を交わし、すぐに三号室の鍵を受け取った。佐伯は何も聞かず、ただ静かに鍵を渡す。その仕草が、由依には「もう後戻りはできない」と告げているように感じられた。
---
部屋に入るなり、黒木は由依を壁に押し付けた。
キスは前回より深く、飢えていた。由依も応えるように腕を回し、男の背中を強く掴む。コートもワンピースも、急いで脱がされていく。肌が触れ合った瞬間、由依は小さく甘い声を上げた。
「四日も……我慢できなかった」
黒木が耳元で低く囁く。由依はそれに答える代わりに、自ら唇を塞いだ。二人はベッドに倒れ込み、激しく、しかしどこか丁寧に求め合った。黒木の手が由依の身体を隅々まで撫で、確かめるように動く。由依もまた、男の熱を両手で受け止めた。
進入した瞬間、由依は背中を反らした。前回より深く、熱い。黒木は由依の脚を抱き上げ、ゆっくりと、しかし確実に腰を打ちつける。由依の声が部屋に漏れ、黒木はそれを聞きながら名前を呼び続けた。
「由依……由依……」
快楽が波のように重なり、由依は何度も達した。黒木もまた、最後に強く由依を抱きしめて果てた。汗と吐息が混じり合い、部屋の空気が重く甘く変わる。
---
事後、二人はベッドの中で並んで天井を見つめていた。
黒木がぽつりと言った。
「俺は、妻に嘘をつくのが上手くなった。自分が嫌になる」
由依も小さく息を吐いた。
「私もよ。剛は何も疑っていない。それが、逆に苦しい」
沈黙が落ちる。
互いに、相手の体温だけが現実だと感じる時間。
黒木が由依の髪に指を通しながら、静かに尋ねた。
「このまま、続けるか?」
由依は答えに詰まった。続けるべきではないと、頭ではわかっている。けれど、身体も心も、すでに黒木を求める方向へ傾いていた。
「……わからない。でも、今夜はまだ帰りたくない」
黒木は由依を抱き寄せ、もう一度唇を重ねた。優しく、長く。由依はそれに身を委ねながら、自分が少しずつ、取り返しのつかない場所へ沈んでいくのを感じていた。
---
店を出るとき、佐伯が静かに声をかけた。
「お気をつけて。ちなみに——表の世界は、案外脆いものですよ」
その言葉の意味を、由依はすぐには理解できなかった。
ただ、背筋に冷たいものが走ったことだけは、確かだった。
雨は、また強くなり始めていた。




