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婚外カフェ  作者: 蒼狐
第3部 夜の契約

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第二話 鍵の向こう側

鍵を受け取った瞬間、由依の指先が微かに熱を持った。


黒木涼は何も言わずに立ち上がり、由依を見た。その視線は穏やかだったが、奥に抑えきれない何かを沈めていた。由依は小さく息を吐き、頷いた。佐伯はただ静かに頭を下げ、二人を見送る。その表情には、いつもの穏やかさと、どこか観察者のような冷徹さが同居していた。


二階への階段は狭く、照明がさらに落ちている。木の匂いと、古いカーペットの感触。由依は自分のヒールの音がひどく大きく聞こえるのを意識しながら、黒木の後ろをついていった。


三号室の扉を開けると、部屋は予想以上に静かで、落ち着いた空間だった。大きなベッド、低い間接照明、小さなソファ。窓はなく、外の雨音だけが壁を伝って微かに響いている。ラブホテルのような派手さはなく、むしろ誰かの秘密の隠れ家といった雰囲気だった。


扉が閉まった瞬間、二人の間に重い沈黙が落ちた。


黒木が先に口を開いた。


「無理しなくていい。帰りたくなったら、いつでも言ってくれ」


由依は首を横に振った。声が少し掠れている。


「帰らない。ここに来た以上、少なくとも今夜は……逃げたくない」


黒木はゆっくりと近づいた。距離が縮まる。由依は背中を扉に預けたまま、男の顔を見上げた。近い。吐息が混じりそうな距離。


黒木の手が、由依の頰に触れた。指先は意外なほど丁寧で、温度が高かった。由依は目を閉じ、その感触に身を委ねる。長い間、誰かにこんな風に触れられた記憶が遠のいていた。


唇が重なった。


最初は浅く、探るようなキス。すぐに深くなる。黒木の舌が由依の唇を割り、ゆっくりと絡めてきた。由依は小さく喉を鳴らし、男のコートの襟を掴んだ。背中に回された腕が、彼女の腰を強く引き寄せる。身体が密着した瞬間、由依は自分の鼓動が黒木に伝わってしまうのではないかと思うほど、激しく脈打つのを感じた。


キスが終わると、二人は額を寄せ合ったまま、荒い息を交わした。


「……久しぶりだ。こんな風に、誰かを欲しいと思ったのは」


黒木の声は低かった。由依は答えず、ただ男の胸に額をつけた。シャツの向こう側で、黒木の心臓もまた速く打っているのがわかった。


黒木は由依のコートを脱がせ、ニットワンピースの肩をゆっくりと下ろした。肌が露わになる。冷たい空気と、男の熱い視線が同時に肌を撫でる。由依は羞恥で頰を染めながらも、逃げることをしなかった。黒木の唇が鎖骨に落ち、ゆっくりと首筋を這う。甘い痛みが走り、由依の膝がわずかに揺れた。


「あ……」


小さな吐息が漏れる。黒木はそれを逃さず、耳元で囁いた。


「声、出していい。ここは、誰にも聞かれない」


由依は黒木のシャツのボタンに手をかけ、一つずつ外していった。胸板に触れる。熱い。男の身体は、思ったより引き締まっていて、生活の疲れとは裏腹な生々しさがあった。由依は自分から唇を重ね、今度は彼女の方から舌を絡めた。


二人はゆっくりとベッドへ移動した。マットレスが沈む。黒木は由依の上に覆い被さり、ワンピースを腰まで捲り上げた。ストッキングの感触を指で確かめ、ゆっくりと下ろしていく。太ももに直接触れた瞬間、由依の身体が大きく震えた。


黒木の手が、内側を優しく、しかし確実に撫で上がる。由依はシーツを握りしめ、目を閉じた。久しぶりの感触が、理性を少しずつ溶かしていく。痛みと快楽の境目が曖昧になり、吐息が熱を帯びていった。


「由依……呼んでもいいか」


「……ええ」


名前を呼ばれた瞬間、胸の奥が甘く疼いた。黒木は由依の脚を割り、身体を重ねた。進入はゆっくりだった。由依は息を止め、男の背中に腕を回す。埋め尽くされる感覚が、空白だった夜を一気に塗りつぶしていく。


黒木は動きを抑えながら、由依の反応を確かめた。痛くないか、と目で問うように。由依は小さく頷き、腰をわずかに浮かした。それを合図に、黒木の動きが深くなった。


部屋に、肌の触れ合う音と、抑えきれない吐息だけが満ちていく。由依は黒木の肩に顔を埋め、声を殺すように甘い鳴きを漏らした。快楽が波のように押し寄せ、思考が白く霞む。黒木もまた、理性を保つのがやっとな様子で、由依の名前を何度も繰り返した。


絶頂が近づいたとき、由依は黒木の背中に爪を立てた。男の動きが最後に激しくなり、二人は同時に、深く沈むように達した。


---


しばらく、二人は絡まったまま動かなかった。


汗ばんだ肌が密着し、心臓の音だけが聞こえる。黒木は由依の髪を優しく撫で、唇を額に寄せた。


「……後悔してるか?」


由依は天井を見つめたまま、小さく首を横に振った。


「していない。ただ……怖い。これが、始まりだってわかってしまったから」


黒木は答えなかった。ただ、由依をより強く抱きしめた。


部屋の外では、雨がまだ降り続いていた。

そして階下では、佐伯が静かにグラスを磨きながら、何かの記録にペンを走らせていた。

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