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婚外カフェ  作者: 蒼狐
第2部 地下の契約

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13/21

第四話 地下の契約

その夜、午前零時を少し回った頃、麗華は零と共に『Café Liminal』の奥にある隠し階段を降りていた。


階段は思ったより長く、冷たい空気が肌を包む。零が後ろから手を握っていたが、それでも麗華の指先は冷たかった。


階段を降りきると、重厚な鉄の扉があった。佐伯が鍵を差し込み、ゆっくりと開ける。


「ようこそ、本当の『婚外カフェ』へ」


中は予想外に広かった。


薄暗い照明、深紅のカーペット、落ち着いたジャズ。地上の店よりさらに高級で、秘密めいた雰囲気に満ちている。奥にはいくつかの個室があり、カウンターには数人の男女が静かに飲んでいる。彼らの目は皆、どこか虚ろで、しかし満たされたような光を帯びていた。


佐伯が静かに説明した。


「ここにいる人たちは、皆、地上の人生を捨てた者たちです。新しい名前、新しい過去、新しい関係……すべてをリセットしました」


麗華は周りを見回した。美しい女性、落ち着いた中年男性、若々しい男性——誰もが一見普通に見えるが、皆、何かを「失った」後の表情をしていた。


零が麗華の耳元で囁いた。


「ここでは、結婚も社会的地位も意味がない。ただ、欲と本能だけが全てだ」


佐伯が二人の前に黒いファイルと鍵を置いた。


「これは『地下契約書』です。サインすれば、あなた方は白峰麗華とその夫ではなくなり、完全に新しい人間になります。戸籍、銀行口座、経歴——すべてこちらで用意します。ただし、地上に戻ることは二度とできません。家族、友人、キャリア……すべてを捨てることになります」


麗華はファイルをめくった。


契約内容は冷徹だった。

・地上の人間関係の完全断絶

・新しい身分での生活保証(1年間)

・違反した場合は「相応の代償」


麗華の手が震えた。


「代償……って何?」


佐伯は穏やかに微笑んだ。


「それは、人によって違います。ある人は財産を失い、ある人は過去の秘密を暴かれ、ある人は……命を失います」


零が麗華の肩を抱いた。


「俺はもうサインした。お前と一緒に、新しい人生を始めたい」


麗華は契約書を見つめたまま、動けなくなった。


頭の中では、夫の冷たい目、広告代理店での自分の地位、慣れ親しんだ高層マンションの景色がぐるぐる回っていた。


零が彼女の唇に優しくキスをした。


「怖がるな。俺がいる」


その言葉が、最後の後押しになった。


麗華は深く息を吸い、ペンを握った。


ペン先が紙に触れた瞬間——


突然、地上の店から微かな物音が聞こえてきた。


佐伯の表情がわずかに変わった。


「失礼。少し待っていてください」


佐伯が急いで階段を上がっていった後、麗華は零に聞いた。


「もし……サインしなかったら?」


零は静かに答えた。


「地上に戻って、夫にすべてを許してもらうか……それとも、この店から永遠に追放されるか、どちらかだ」


麗華の指が、契約書の上で止まった。


地下の空気が、急に重く感じられた。

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