四十一話:両手
............暗い。
寂しい。冷たい。そういった感情が、水のように流れ込んでくる。
でもそれが、自分の感情なのか、わからない。
息ができない。でも、何故かそんなに苦しくない。熱くならない。
夢の中に迷い込むのと同じような感覚。意識を失うことが、怖くない。
何が、起きてるのか、わからない。
ここはどこなのか。自分は誰なのか。
どうして、知らないはずの感情が流れてくるのか。
『わたくしは......いつも、わたくしがわからないから......』
......この声......は......。
............温かい。
月光のように優しく、弱々しい光が差し込んだ。
『でもね。わたくしは、愛を伝えないといけないんだよ』
フルートの音。
知らない曲なはずなのに、どこか懐かしい。
さっきとは違う曲だ。もっと明るくて、手を差し伸べてくれるような、そんな——
「——————っ!?」
息を呑んだ音が、そこら中にこだました。
目を覚ますと、また暗くなる。
だけど、何も見えないわけじゃない。
ごつごつした天井......というより、岩。
水滴が、時々私の頬に落ちてくる。
水の匂いがする。本当は水じゃなくて、苔とか土とか岩の匂いなのかもしれない。
洞窟の中まで染みてきた、雨の匂いなのかもしれない。
「......う............」
頭、痛い......でも怪我してるわけじゃなさそう。普通に起き上がれるし。
それに......優しく響くフルートの音が、心なしか、体の痛みを和らげてくれているような......。
私は制服についた小石をはたきながら、立ち上がる。ここに来た経緯を思い出そうとする。
えっと......? まず、フルートの音を聞いたら、幻覚の世界に迷い込んじゃって......?
そのあと、みんなとも会えて......この世界を作ってる犯人が、このフルートの音の正体は、ミルルンだって知って......。
フルートを吹き続けてるミルルンを止めようと、みんなで音を追って......。
......その後が......よく思い出せない......。
「みんな~~~......? いる~~? 無事~......?」
声を出してみるけど......返ってくるのは、止まらないフルートの音色だけで。
演奏を邪魔するのが、申し訳なくなるくらい......綺麗で、儚い音。
とりあえず私は、洞窟の壁を指でなぞりながら、ゆっくりと音の方へ歩く。
波に優しく攫われるように、手を引かれるように。
この音を聞いてると......一人ぼっちなのに、心細くなくなるの。
それと同時に、心がキュッてなって......寂しい音だなぁ、って......。
『安心して~。あなたが溶けてしまっても、わたくしが全部飲み干してあげるわ』
一歩、音に一歩近づく度に、記憶に雨滴が落ちていく。
水紋が広がって、優しい走馬灯のように、遠い笑顔に光が差す。
一年分にも満たない記憶の一部が、少しずつ呼び起こされていく。
『例え世界中があなたを嫌っても、わたくしはずっとそばにいる』
『好き。ずっと好きよ』
これは......ミルルンに初めて会ったときだったっけ。
初めて会ったとき、何故か一緒に氷を口説くことになって......。
『わからない......けど......この手で、あなたを撫でたあと......』
『戦いたくないって、思ったの。もう武器を持ちたくないって。強く......』
これは、あれだ。ミルルンとブレイズくんが、『戦闘技術』で対決したときの......。
そうだ。このとき、私は初めてブレイズくんが笑うところを見たんだ。
『そんな顔しないでください』って。ミルルンに向かって笑いかけて。
悲しそうに。
『ねぇねぇ~、あなたのお名前、教えてほしいわ~』
......ブレイズくんの名前を一番最初に知ったのも、ミルルンだったっけ。
『ふふ~......とても、温かい名前ね~』
「......あ......」
現実で、光が差し込む。
なんて言うのはおかしいかな。この洞窟も、現実じゃなくて、幻覚なんだから。
「......ミルルン............」
洞窟の開けたスペースには、黄緑色の草と真っ白な花々が茂っている。
光が差し込んでいる場所には、特にたくさん咲いている。
そして......小さな花園の上に浮かんで、天の光を浴びているのは......
檻。水で作られた、檻。
檻だけじゃなくて、それらを岩壁と地面に繋いでる鎖すらも、水でできている。
その檻の中に、ミルルンが座っている。
彼女は目を閉じたまま、ずっとフルートを吹き続けている。
止まるのは、息継ぎの瞬間だけ。
水が反射した光が、彼女の肌を、髪を、宝石のように照らしていた。
「おーーーーい!! ミルルーーーーン!! お~~~~~い!!!!」
私は精一杯声を響かせながら、両手を振ってピョンピョン飛び跳ねる。
だけどミルルンは全然気づいてくれなくて、それどころか目を開けてすらもくれなくて。
まるで操られているかのように、ず~~~っと演奏し続けてる。
私はたまたま近くにあった、檻と地面を繋いでる鎖を掴もうと手を伸ばした。
掴んで揺らそう、と思ったのに......ぜんっっっっぜん掴めない。水のように崩れちゃって、でも私がさわってないときは形が戻って......これも魔法なのかな?
「ミルルンってば!! 聞こえてる!? ミ——」
「ミルフォイルーーーーー!!!! あんたいつまで吹いとんじゃボケ!!!!!!」
あまりにも聞いたことのありすぎる声が響き渡って、安心と笑いが込み上げてくる。
檻の真下に立って、花と草で埋もれそうになっちゃってるあの人影は100、いや150......やっぱり200パーセント?
とにかくっっっ
「ローリエ~~~~!! 私だよ~~~~!!!!」
「!?!? ウィロー!? あんた生きとったんか!!」
彼女は大きな白百合を掻き分けながら、私の方まで駆け寄ってくれた。お互いすごい勢いで駆け寄ったから、危うくぶつかりそうになる。
ローリエは私の顔を見て一瞬微笑んだけど、すぐに頬を膨らませた。
そして、頭上の水の檻と私を交互に見た後、顔をクワッとさせる。
「起きたらだぁ~~~れもおらんなっとるから、全員死んだんかと思ったやんけ!! でとりあえずフルートの音追ったらなんかミルフォイルおるしっ、全然起きへんしっ」
「私もおんなじ感じだよ~~!! まぁ私はみんな死んだとは思ってなかったけど——」
「おぉーーーーーい!! テメェらーーーーーーー!!!!」
振り返ると、キャベツくん——
——だけじゃなくて......。
「ふ、ふたり、とも、よ、よかったぁっ」
「......」
オリーブくんも、ブレイズくんも、私たちに向かって走ってきていた。
......こうして私たちは、ミルルンの演奏のおかげで、無事合流できたのでした。
「ほぉ~~ん? やっぱオレら、みんな同じ感じなんだな?」
一通りお互いがここに来た経緯を説明した後、キャベツくんは顎を指でなぞりながら、眉をぐにゃってさせた。
「気づいたらよくわかんねぇ洞窟ん中にいて、フルートの音を辿ったらここに着いて......オレとオリーブはその前に合流できたけどよ......」
......みんなも合流する前、ミルルンとの記憶を呼び起こされたりしたのかな?
それとも、それは私だけ......?
「ひ、一人になったときはどうしようってお、もったけど......すぐ合流できてよかったな......」
「な!! それになんだかんだバターフィールドも見つかったしよォ、結果オーライなんじゃね??」
キャベツくんはニコニコしながら、オリーブくんの背中をバシバシ叩く。
その後、キッとブレイズくんを睨んで......ん......?
「......」
ブレイズくんはキャベツくんの方を見てすらいなかった。ずっと水の檻を見上げてる。
キャベツくんはさらにグギギギギィ~~~!!ってなってたけど、オリーブくんが慌てながら『まぁまぁ』ってしてた。
?? 私たちと離れてる間に、一体何が??
「まぁ、確かに結果オーライっちゃオーライやけど......問題は......」
ローリエは一旦キャベツくんたちを無視しながら、頭上の水の檻を指差した。
「こいつにフルート吹くのやめてもらわんと、この世界から出られへんわけやけど......」
ミルルンは今もずっと目を閉じたまま、檻の中でフルートを鳴らしている。檻が風で揺れても、私たちが下で色々騒いでても、彼女は少しも反応しない。
「なぁ、やっぱこれおかしいやんな?? なんでこいつずっとフルート吹いてんの? なんであーしらに気づかんの?? 何回も何回も呼びかけとんのに......」
「チビロリの存在感が薄——いや薄いことはねぇな。ちっっっっせぇわりに存在感ありまくりだもんなお前。クソッ、悪口言おうとしたのに......」
「とりあえず殴っていい?」
キャベツくんは拳を回避するためなのか、わ、私の後ろに......!?
「おいコラーーー!! 人を盾にするなーーーーーっ!!!!」
「あっっそうだ! ガーディナー、お前の得意なクソデカ声でバターフィールドに話しかけ続けて見ろよ!! ずっと呼びかけてりゃいつか気づくだろ!!」
「話を逸らすなぁ!!!!」
「良い調子だぞガーディナーっ!」
「クソっっっ......後で覚えちょれよ貴様......」
何はともあれ、頼まれたからには仕方ないと思って、私は大きく息を吸い込んだ。
一応みんなから少し離れたところまで下がって、口の両端にそれぞれ手を添えて、
「ミルルーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!」
......反応なし。
「おーーーーーーーい!!!! 私だよーーーーーー!!!! 君の大好きなウィローちゃんですよ~~~~~!!!!!!」
「あいつ自分で言いやがってるぞ」
「そりゃ毎日ミルフォイルに可愛がられとるから......」
おそらく120デシベルは超えているであろう声を響かせたあと続くのは、何事もなかったかのように静寂を包む音色。
もしこれがコンサートか何かだったら、私はとっくに出禁にされてるだろうな。
「ミルルン!!!! ミルルンルン!!!! ミルルンさん!!!!!!! ミルルンルンバターフィー......るど......? ルドさーーーーーーーーーん!!!!!!!」
......。
......。
............。
「あ~~~~無理っすわ。ローリエにパス」
「いやあーしはそんな大声——あ待って? 良い考えあるわ」
ローリエはニヤって笑いながら、小さな拳をボキボキ鳴らす。
てっきり拳を使って何かするのかと思いきや、そのまま制服のポケットの中に手を入れて、杖を取り出した。
そして、地面と檻を繋いでいる、水の鎖に近づいて......
「鎖も檻も水でできとるみたいやし......雷魔法使ったら、ミルフォイルに感電して起こせたりせぇへんかな??」
「「サイコパス!?!?」」
「あぇっ、そ、それはちょっとか、可哀想なんじゃない、か、な......?」
「えぇい!! あーしらをこんなところに迷い込ませたミルフォイルが悪いんじゃい!! ちょっとは罰受けてもらうで!!!!!!」
オリーブくんですら引いてるのに、ローリエは構わず鎖に杖を向けて、
「『ライトニング』!!!!!!」
いかにも雷魔法っぽい呪文を大声で唱えた。
すると、予想通り頭上に大きな雷雲が現れて、
水の鎖に大きな雷を落とす。
......そして......。
「ギィアァアアァァァアアアァァァァアアァァァァァァアアアアーーーーーーッ!!!!」
キャベツくんは悲鳴をあげながらぶっ倒れる。
たまたま別の水の鎖の近くにいたせいで、感電しちゃったらしい。
フルートの音は、一切止まることはなかった。
「いやあんたが食らうんかーーーーーい!!!!」
「ギッ......グッッ......ア゛ッ......テッッッメェ......!! ッッざっけんなよ......!!!!」
キャベツくんは膝をがくがくさせながら、ローリエを思いっきり睨みつける。
芝生には、キャベツくんの体の跡が綺麗についていた。
「オレ......雷属性に弱ぇえんだぞ......ッ......!?」
「ご、ごめっ......。......案外元気そうやん......?」
「ふざけんなァァアアアア!!!!!!」
ローリエはキャベツくんから顔をそらして、口をV字型にしながら苦笑いを浮かべる。
そして、あわあわしていたオリーブくんに近づいて、彼の肩にそっと手を置いた。
「えっ、えぁっ、えっ」
「頼んだでオリーブ、あんただけが頼りや」
「えぇっ!?!?」
オリーブくんは後ずさりしながら、私の方に助けを求める視線を向けてくる。
私は、ニコって笑いながら親指を立てた。
あっ、絶望してる......。
「でっ、でででででも、ぼぼ、く、ど、どうすれ、ば、」
「あんた一応弓矢使えるやろ?? それであいつのフルート狙えたりせぇへん?? そしたら演奏止めれるかも——」
「ぇ、あ、で、でもぼくそんなに上手じゃない、しっ、もし怪我させちゃったらっっっ」
「......確かに怪我させんのはなぁ......」
「バターフィールドを感電させようとしたやつがなんか言ってるぞ」
ローリエは反射で拳を握ったけど、流石に悪いのは自分だと思ったのか、ばつが悪そうな顔でスッ......と拳を下ろした。
私たちは相変わらず下でわちゃわちゃしてるのに、ミルルンは一切両手も息も止めない。
今の私たちにはあんまり似合わない、穏やかで温かい音を奏で続けてる。
瞳も、ずっと閉じたまま。
万事休すか......?
って思った、その時。
みんなの様子を伺ってただけのブレイズくんが、私たちにゆっくりと近づいてくる。
そのことに、彼が声を出す前に気づいたのは、私だけだったみたい。
「水の性質を利用して、彼女を起こしたいのであれば......俺に一つ考えがあります」
私以外の全員が、ブレイズくんの声に体をビクッと震わせていた。
「......みなさんは下がっていてください」
彼はそう呟いた後、そっと白百合のそばにしゃがんで、手を地に着ける。
まだ私たちは何も言ってないのに、目を伏せる。
すると、空気が一瞬だけ冷えて、
ブレイズくんの髪が揺れて、
「ちょちょちょちょブレイズくんまさか」
「おいおいおいおいテメェ今度は何する気だ」
「あんたせめて説明——っ」
私たち三人は彼を止めようとしたけど、もう遅かった。
炎。青い炎。
津波よりも早く広がって、全ての芝生を巻き込んで......。
白百合が黒く染まるけど、何故か崩れることも灰になることもない。
炎は噴火のように燃え上がって、鍋よりもずっとず~~っと勢いよく、水の檻の底を温める。
「あんたっっっっミルフォイルごと丸焦げにする気か!?!?!?」
「おいやめろっ、巻き込まれるぞ!?!?」
ローリエはブレイズくんに飛びかかろうとしたけど、キャベツくんは首を振りながら彼女の服の裾を引っ張った。
ブレイズくん自身は......自分の炎を浴びても、大丈夫みたい。
温泉のような匂いが立ち込める。どこか甘いような気もする。
青い炎を浴びた水は、中で泡をブクブクとさせながら、宝石よりも眩しく輝いていた。
檻の中にいるミルルンはまだ目を閉じたままで、炎が弾ける音に合わせるようにフルートを吹いて、
でも、
で、も、
......音が、変わった。
さっきまで傷一つなかった音が、震えてる。
霧のように儚かった音に、力強さが芽生える。
音だけじゃなくて、曲も変わった。ものすごく自然に変わったから、一瞬気づかなかった。
温かい月から、寂しい太陽へ。
ここにないはずのオルガンが聞こえるような。
誰かがいない朝が始まるような。
何かを訴えるような、
泣きたくなるような、
ごめんねって、言いたくなるような——
「————っ」
青い炎が揺らいで、小さくなった。
ブレイズくんは目を見開きながら、ミルルンの方を見上げる。
やがて、両手を燃え盛る芝生から離す。
瞳の中の炎も揺れて、小さくなっちゃって。
水色の光に染まっていた彼の瞼に——
「ど......う......して」
「な、んで............その曲を............」
......水は、蒸発した。
弱まった炎でも、水の檻は消えてなくなった。
重力に逆らわなかったミルルンの体が、落ちる。
真下にいたブレイズくんは急いで立ち上がって、
両手を前に伸ばして、
抱きしめるように、ミルルンをキャッチした。
フルートから口を離したミルルンは、ゆっくりと目を開いて
*
*
*
......寮。
瞬きすると、私たちは全員、ミルルンとローリエの部屋の中にいた。
全員がその場に座り込んで、ポカンとしている。
ブレイズくんに抱きかかえられたままのミルルンも、目を丸くしている。
「......わたくし............」
久しぶりに訪れた静寂を、ミルルンは声で破った。
手に持っているガラスのフルートを見下ろして、そっと指でなぞって。
少しだけ微笑みながら、ブレイズくんの方を見上げる。
「ねぇねぇ、ブレイズくん。あのね~。わたくしね......」
「..................」
「両手を使うのがね、好きなの~。だから、フルートを吹いているとね、嬉しくなるの......」
「........................」
「んふふ......なんでわたくし、ブレイズくんにこんなこと言ってるのかしら?」
「..............................」
「......ずっと......夢を見ていたの~。暗闇で、ずっとフルートを吹いていたの~。楽しかったけど、寂しかった......」
ミルルンは笑みを深めながら、彼の胸にもたれかかった。
そして、ブレイズくんの頬にそっと、手を添える。
「でもね。あなたの炎が、わたくしを——」
「もうい いです」
ブレイズくんは顔を下に向けながら、絞り出すように呟いた。
「......もう... . ..しゃべ らな いでくだ さい.. .. . .っ. .. . . .」
「......」
ミルルンは、再びフルートに口をつける。
ローリエが彼女を止めようと手を伸ばすけど、すぐに一音が響く。
今度は、幻覚の世界に沈められることはなかった。
......さっきと同じ曲。
檻の中で炎に焼かれながら、ミルルンが訴えるように吹いていた曲。
でも、今度は寂しそうじゃない。嬉しそうで、楽しそうで、
泣きそう、なのは......ブレイズくんだけだった。
次話:逃げられない
です、新しいキャラが出てきます




