二十一話:怪我の理由
「————そこまでです」
静かなはずの声が、冷たい森の中に響き渡る。
キャベツくんに襲いかかろうとした幽霊は、驚くことにちゃんと止まって。
切り裂かれたように開いた触手が下がって、男の子だったものはゆっくりと声の方を向く。
濃い霧のせいで、声の主の姿は中々見えてこない。
しばらくの間、木の葉が優しく潰される音だけが聞こえてくる。
だけど......もう私はなんとなく、来てくれた人の正体がわかっていた。
「言ったはずでしょう。生徒を襲ってはならないと」
「——ぁ————ぁあっ......あ......」
パックリ開いた顔でもちゃんと前は見えてるのか、幽霊くんはよろけながらルームメイトくんの方に近づいていく。
ルームメイトくんは一切顔色も表情も変えずに、ただ歩み寄ってくる幽霊を見下ろしていた。
「マ——マ......ママ......?」
「......いいえ。俺はお前の母親ではありません」
「あぁぁああ、あアアァァァア、ママ、ママああぁぁあぁァァアあぁぁあああ」
幽霊くんは崩れた両手を前へ伸ばしながら、ルームメイトくんの方へ突進する。
「あぶな——っ!!」
咄嗟に声を出したけど、やっぱり足は地面に張り付いて動かなくて、
牙だらけの触手が伸びて、ルームメイトくんの——
「っっ、......。......」
————額を削った。
血が滴り落ちる。
だけど、ルームメイトくんは少し怯むだけで。手で血を拭うことすらもせずに、ただ幽霊くんに真っ直ぐな目を向けて。
瞳の中の青い炎が、そっと揺らめいている。
「......気は済みましたか?」
「アァ——ぁ——ご、め......ごめんな——さ————」
幽霊くんの触手が落ちるように下がる。
彼は頭を抱えようと両手を上げて、でももうそこに頭はなくて、
「——ぁ......ぼく......こんなに——なっちゃ......った......」
男の子はその場に座り込む。
顔の断面から、黒い液体がいくつも滴り落ちた。
「ママ......こわいよ......ママ......。」
「......」
幽霊くんから、すすり泣くような音がする。
しばらく続いた静寂の中では、それしか聞こえなかった。
「......」
私はようやく二人から目を離して、キャベツくんの無事を確認する。
どうやらキャベツくんは、ずっと前から私の方を見てたみたいで。
地面に座り込んだまま、何か言いたげな目を向け続けてるけど、その口が開くことはなくて。
結局、彼は手元にあった枯れ葉を握りしめながら、俯いた。
「......お前にはやらなければいけないことがあります。ちゃんと覚えていますか?」
再びルームメイトくんの方を見てみると、彼は男の子の前に跪いていた。
どこか、目を細めているようにも......。
「や——らなきゃ————いけな——、こと......?」
「はい」
「......こわ、さな......きゃ......」
男の子の顔の触手が、そっと一ヶ所に集まり始める。まるで花が閉じるかのように。
「こわ——さな————きゃ、」
「何を、ですか?」
「——か......かんらんしゃ......」
「観覧車の、なんですか?」
「......ん......——......」
触手の断面がくっついて、少しずつ頭の形が戻ってきて......
「かんらんしゃの——すなどけい————......こわ、す......」
「そうです。......偉いですね」
ルームメイトくんは小さく口角を上げて、男の子に優しく笑いかけた。
そのまま、そっと男の子に両手を伸ばして......抱き、しめて......。
目を伏せながら、男の子の背中をゆっくり撫でた。
「あの砂時計を壊せば、きっと......母親のところに行けますよ」
「——ほん——と? うそついて、ない?」
「......」
「————......えへ......」
ルームメイトくんの腕の中に包み込まれた幽霊は、嬉しそうな声を漏らした。
少しずつ、彼の頭が元に戻る。肌に空いた穴が塞がっていく。さっき新しく空いた穴も、元々空いてた穴も全部、綺麗さっぱり消えていく。
しばらくすると、男の子はルームメイトくんから離れて、背後で手を組みながら笑った。
男の子の顔には、ちゃんと目が、鼻が、口が、あった。
黒い涙も穴もない、普通の男の子の姿。
「じゃあぼく、かんらんしゃ——さがすね!」
そんな彼に、ルームメイトくんは笑顔を向け続けた。
「はい。いってらっしゃい」
「ねーねー! あとでまた——遊んでよ~。」
「あとでなら構いませんよ」
「やった! やくそく——だからね、やさしいおにいちゃん!」
「......はい」
ルームメイトくんが頷いた後、男の子は私たち全員に背を向けて、そのまま青い霧の方へ走り去った。
幽霊の男の子がいなくなっても、この森の中が寒いのは変わらない。
暗くて、息がしづらいままで......今は、怖いくらい静か。
ずっと、鳥肌が立つような感覚がする。もはや心当たりがありすぎて、どれが原因なのかわからない。
『壊さなきゃ』。
『観覧車の砂時計』。
それが幽霊さんたちの目的なの?
あの観覧車って、四年生が卒業するときに乗るやつなんでしょ? なんでそれの、しかも真ん中に付いてる砂時計を、壊す必要が......?
っていうか、そもそも、
なんで、ルームメイトくんが、
「......っ......、......」
ルームメイトくんは初めて顔を歪めると、若干震えた息を吐きながら、やっと額の血を拭う。
あ。そっか。
今まで、ルームメイトくんがよく怪我してた理由って——
「おい!! そこのにーちゃん!! お前っ、噂のガーディナーのルームメイトだろ!!」
キャベツくんは急に立ち上がると、ルームメイトくんをビシッと指差しながら近づいた。自分の髪の毛に枯れ葉がついてることには気づいてないみたい。
「オレのこと助けてくれたんだろ? ありがとな!! ガーディナーの話からするとやべーやつだと思ってたけど、お前結構良いヤツじゃん!!」
「ちょっっっ」
おーーーい!! おいっっ!!!! そんなこと言ったら私がルームメイトくんのこと愚痴ってるのバレるやないかい!!!!
そんなに頻度多くないのに!! ちゃんと抑えてるのに!! その言い方だと私が毎日愚痴りまくってるみたいじゃねぇかーーーっ!!!!
「っていうか、その怪我大丈夫かよ!? 医務室行かねぇとじゃんっっ、えっと、どっちの医務室がいい? ほら、ネルソービューって医務室と代理医務室があんだろ?」
「......」
案の定、ルームメイトくんは何も言わない。
でもちゃんとキャベツくんの方見てるから、無視してるってわけじゃなさそう......?
「オレどっちも行ったことあんだけどな、代理医務室の先生の方が優しいぞ! お前は会ったことあるか? あの天使の先生!」
「......」
「あいつ、下の名前『トモル』っていうらしいぜ!」
それは私も初耳......。
「とりあえず、オレらと一緒に行こうぜ!! トモル先生に幽霊の話もしてぇしよぉ!!」
キャベツくんはルームメイトくんの横に立って、背中を叩こうと手を上げて、
「お前ほんとすげぇなぁ、あの幽霊落ち着かせられるなん——」
ルームメイトくんはキャベツくんに、銃口を向けた。
「————は?」
キャベツくんだけじゃ、ない。
私にも、向け、て、
え......え? じゅ、銃?
ほ、本物じゃない、よね。本物なわけないよね。
だって。
だって、そもそも銃なんて支給されたこと、
な
んで
「先程聞いた話も。あの悪霊のことも、全て忘れなさい」
なんで、
な、んで......?
なんで、そんな冷たい顔......できるの......?
幽霊の男の子にはあんなに優しかったのに、なんでっ
「もし、誰かにこのことを話せば......」
彼は引き金に指を当てた。
「俺はお前たちを撃つ」
その指は、『撃つ』って言うと共に少しだけ震えた。
銃口は真っ黒で、銀色の丸い枠がこっちを睨みつけて。
きっと
本物
なんだろうな、って。
「......っ、ぁ......な......」
彼のすぐそばにいたキャベツくんは、銃口から目を離さずにただその場で震える。
後ずさることすらも怖いみたいで、青ざめ、て、
そ、そうだよね、あんな近くで銃向けられたら普通っ
「じょ、冗談、だろ......? な、なぁっ」
「......」
ルームメイトくんは一瞬私の方を横目で見てくる。つい、ビクッてしてしまった。
ちょ、ちょっとでも足、動かしたら、う、撃たれちゃう、の、かな、?
「......」
あ......銃、下ろしてくれた......。
「......これは警告です」
彼は吐き捨てるようにそう言った後、銃をポケットの中に隠して、私たちに背を向けた。
短い束になっている黒髪が、木の葉のように風に揺れた。
「このことは、内密にお願いします」
そのまま、私たちを置いて、幽霊の男の子が走って行った方向へ消えていった。
***
「——ってことがあってよぉ~~!! マジで怖かったわ!!」
食堂なう。
ローリエもミルルンも、終始口をポカンと開けながら話を聞いていた。
キャベツくんは、思ってたよりも馬鹿なのかもしれない。
「......え? それ話していいやつなん? 話したら殺されるんちゃうかったの??」
ナイスツッコミですローリエさん!! ローリエならツッコんでくれるって信じてたよ!!
「そうなんだよ、だからお前らぜっっったいに誰にも言うなよ??」
キャベツくんはコールスローをもぐもぐしながら、じと~~~ってローリエとミルルンを見つめた。ちなみにコールスローはね、キャベツが入ったサラダのことだよ。
「オレらの命が惜しかったらぜぇ~~~ったいに言うなよ????」
なんか、『〇〇なんだけど、これ秘密って言われたから誰にも言わないでね!』って言いながら秘密広めまくってる小学生みたい......。
「まぁ、ウィローの命もかかってるし、言いふらしたりはせんけど.....」
「オレのことはどうでもいいみたいな言い方すんな!!」
「んなこと言うとらんやん、自意識過剰やなぁ」
「完全にそう言いたげな顔してんだよっっ!!!!」
「んふふ~。でもやっぱり、ウィローちゃんのルームメイトさんって不思議な人ね~」
ミルルンはコーヒーの中に角砂糖を入れて、小さいスプーンで優しくかき混ぜる。私たち三人の視線が集まってることに気づくと、口角をさらに上げた。
「あんまり悪い人ではないと思ってたんだけど~、銃を持ってるなら悪い人なのかしら~?」
悪い人、か。
でも、あいつに何回か助けられてるのは事実だしなぁ......あのときだって、暴走した男の子の霊から私たちを守ってくれたんだろうし。
私たちのせいで、怪我させちゃったし......。
「......『悪い』っていうか、まぁ怪しいのは間違いないね~」
私はそう答えながら、一番大きい唐揚げにフォークを刺した。
「明らかに悪霊と繋がりがあるっぽかったし......」
銃で口止めしてきたってことは、ルームメイトくんは悪霊側の味方なのかもしれない。でも、私たちを助けてくれたってことは、逆の可能性だってある。
幽霊くんは『観覧車の砂時計を壊す』とか言ってたけど、本当に理由がわからない。
なんで......ルームメイトくんは......
『どうか僕の代わりに、あの子のことを気にかけてあげてくれないかな?』
......トモルせんせぇ......。
無理そうだよぉ......私、ルームメイトくんにめちゃくちゃ嫌われてるっぽいよぉ......!! 今回の件で絶対さらに警戒されちゃったよぉ......っ!!!!
「ま、確かに悪霊のこととか色々気になるけど......あんたら、あんまり首突っ込みすぎんようにな? 特にウィロー!」
「へ?? 私????」
「そうだよ!! あんたが一番危なっかしいねん!!」
ローリエは何も挟んでない箸を私に向けて、口をムって尖らせる。
え、な、なんか怒られ発生してる......??
「もしほんまに悪霊が観覧車のなんか壊そうとしとるんやったら、ネルソービューの運営側が勝手になんとかするやろし!! あんたが気にする必要ゼロやから!!」
「あっ......正論......」
「ほんで、ルームメイトとは必要以上に関わろうとすな!! 脳天撃ち抜かれたら終わりやで!?」
「正論だぁ......」
「まったく......あんたはそんなことよりも、他に気にするべきことがあるやろがい! 明日の常用魔法のテストとか、ポーション学の成績とか」
「正論の暴力だぁっっ!!!!」
うぎゃぁぁぁああああ忘れてたーーーーっ!! 明日テストだったぁぁあああ!!!! やばい全然勉強してない魔法練習してない、あ、終わったかも。
うぅううぅうう......確かにそっちの方が大事かもだけど......それもそれで考えたくないよぉ......現実逃避したいよぉ......。
「あ、そうそう! 『他に気にするべきこと』で思い出したんだけどよぉ!」
切り替えが早いことで有名なキャベツくんは、真珠色の目を輝かせながら次の話題を振ろうとしてくる。あの悪霊との出来事も、ネタの一つくらいにしか思ってなかったのかな。
ルームメイトくんに銃向けられたときは、あんなにぶるぶる震えてたくせに......。
「お前ら聞いたか!? もうすぐ『マーケット』が開催されるんだってよ!!」
「「マーケ......??」」
「あら~、知ってるわ~」
仲良く情けない反応をしてしまった私とローリエは、一人頷いてるミルルンの方を振り向く。
「『ネルソービュー・マーケット』のことだよね~? 毎週金、土、日の夜に開催されるっていうあの~」
「そうそうそれそれっ、さっすがバターフィールド! チビロリ共と違って物知りだな!」
『ネルソービュー・マーケット』......? 聞いたことあるような、ないような......??
頭をつつきながら思い出そうとしてると、キャベツくんは鼻で笑ってきやがって、と思ったら親指で自分を差して、
「だからよぉ、『マーケット』の初日さ、四人で回ろうぜ!! 祭りみたいなもんだって先輩から聞いたし!」
次話:近くの歯ブラシを全部チュロスにしちゃう歯ブラシ
です、よろしくお願いいたします
※チュロスで歯磨きはしないでください




