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139話:キューピッドは悪くない

まつ毛先輩はクルッと私に背を向けると、腕を90度曲げて上下させながら走り去っ



「まままままままま待てーーーーーーーーーい!!!!!!」



私はつい衝動で彼女の手首を掴んじゃって、そしたらすごい勢いで引っ張られて。

とりあえず足にも手にも力入れたけ、ど、っ



「離しなサーーーーイッ!! わた、あ、アテクシはあそこに戻るつもりハッッッ」

「ちょ、ま、まつげ先輩あのこのままだと私、こ、転——」



転んじゃった。


まつ毛先輩から両手を離すわけにはいかなかったから、ろくに受け身も取れずに顔面からズッコケちゃって、



「ギッッッい゛ったぁ~~~~~~~鼻っ、鼻っっっ」

「な......なにをしておりますの......?」




すると、まつ毛先輩はやっとこっちを見てくれた。


鼻を押さえながら顔を上げた瞬間、目が合って。

先輩はしゃがんでて、膝に肘をつきながらこっちを見下ろしていて。



「——————あっ」

「むん!!!!」



また逃げられちゃう前に起き上がって、先輩の頬を両手でバチンッて挟んで、



「捕まえたーーーーーーーっ!!!!!!」



先輩の小さな羽が、ビクッと跳ね上がった。




「「..............................」」




この後何をするかとか、何を言うかとか......もちろん何も考えてない。


ノープランのまま差し出した指先が、震えそうになる。

だけど。このまま、まつ毛先輩を行かせるのは駄目な気が、して。


もしここで手を離したら、二度と会えなくなるんじゃないかって、


だから、



だから、っっ





「せ............先輩!!!!」



メイクしてない先輩の頬をむぎゅってして、ちょっとだけつねって。


たまたま鉢合わせたわけじゃなく、まるで最初から先輩を探してたかのように笑って——




「ば、ばば、バレンタイン!! の!! 準備手伝って!!!!」




————ポロッと出た言葉が、それだったの。







***


爆発するオーブン。


飛び散る生クリーム。


なんかわかんないけど多分壊れたシンク。




「......な......ナッ............!?」



まつ毛先輩は、チョコレートと一体化したコンロを呆然と眺めながら後ずさった。



「ど......どうして......こうなったんデスノッ......!?!?」

「そんな驚く? ウィローさんからしたらもう見慣れた光景だけどね」

「この惨状を引き起こしておいて、なぜ強者(つわもの)の面を......?」



とりあえず私は、自分の頬に飛んできたクリームを舐めた。もったいないからね。

床とコンロに付いたチョコ&クリームは......流石に口にしない方がいいかなぁ......? この前食べたら普通にお腹壊しちゃったんだよね~......。



「ウィローさんはね。料理しようとしたら必ずこうなるし、『ポーション学』の授業でも毎回似たようなことになるんだよねー。才能ないんだろうなー」

「もはや才能がどうこうといった次元じゃありませんワヨそれ」

「キューピッド科は『ポーション学』必須じゃないって聞いたよー。いいなー。ウィローさんなんで大天使科選んじゃったんだろー?」

「アテクシに聞かれても......」

「あははっ............これでわかったでしょ? ウィローさんが一人でバレンタインの準備しようとしたら、寮の調理室が毎日爆発しちゃうの」



私はクリームとチョコと炭だらけの手を洗った後、またまつ毛先輩の手を掴んだ。


......冷たい。まだちょっと水に濡れてる、私の指先よりも冷たい。



「ほんとは今年も、ローリエたちに手伝ってもらおっかなーって思ってたんだけど......まつ毛先輩も器用でしょ? メイクとかすっごい上手だし!」

「ちょ、ちょっと待ってくださいマシッ! メイクと料理を一緒にしな——」

「お願い先輩っ! 助けて!! 私を助けてぇ~~~~!!」



まつ毛先輩に顔を近づけながら、私は精一杯のきゅるん顔をする。イメージは、キラ目先輩の瞳みたいな感じ。


すると、彼女はしかめっ面を震わせて、どんどん『ぐぬぬぬ』って感じの表情になって......



やがて、ため息をつく。


肩を落として、瞼を半分閉じて。

その瞳に、光が戻ることはなかった、けど。




「し......仕方ないですわね............」

「わーーい、やったーー! まつ毛先輩大好きーーーー!!」




先輩は落ちてたボウルを拾いながら、『はいはい』と言いたげに頷いてくれた。



......お菓子作りが、少しでも......先輩の気を紛らわせてくれたらいいな。


少しでも、元気になってくれたら......嬉しいな......、なんて。




「......それで? そもそもお前は何を作ろうとしていたんデスノ?」

「マカロン! イミスタの動画で見たんだけど、思ってたより簡単そうだったの!」

「マカロンって、チョコレートと生クリーム使うんですの?」

「ど......動画では使ってたよ......? がななしゅしゅってやつで」

「がな? な??......は?」




ぶっちゃけ私はキッチンにとって、ただの厄災なんだろうけど......とりあえず、まつ毛先輩の隣に立つ。

お菓子作りしてるところを見るべきなんだろうけど、つい先輩の羽を目で追っちゃう。


天使の翼より小さくて、ふわふわしてて可愛い羽。

キューピッドの、羽。



........................キューピッド。




「そもそもあなた、こんなことしている場合デスノ?」

「えぁ、っ......え?」



一瞬ぼーっとしそうになったことがバレないように、私は急いで笑う。

まつ毛先輩はちょっとツンとした顔で、板チョコを半分に割った。



「一応、話は聞きましたワヨ。『笑顔拡散委員会』は現在、例の事件の犯人を追っているのでしょう?」

「あ......知ってたんだ。先輩、あれからずっと部室に来てないから......てっきり......」

「よくわからない勝負をしているのも知っておりマスワ。ブレイズ?という方を捕まえようとしている側と、『真犯人』とやらを見つけようとしている側がいると」



先輩は、指先についたチョコを睨むように見つめる。



「もたもたしていると、ブレイズが捕まってしまうかもしれないですワヨ。バレンタインの準備なんてしてないで、とっとと真犯人を突き止めに行ってはどうですの?」

「そ......の方が、いいのかもしれないけど............」




わかってるよ。


本当は。バレンタインとかホワイトデーとか、そういうのを無視してまで、真犯人を探すべきなのかもしれない。


何もかも犠牲にしてまで、ブレイズくんを守るべきなのかもしれない............



「で、でも......でもさっ! せっかくのバレンタインだよ? やっぱイベントはちゃんと楽しみたいしさっ、友達とか、きゃ......キャベツく......んとかにも、わ......渡したいし......」

「......」

「まつ毛先輩も、ついでに......その......みんなに渡す分も作ったら? ほらっ、『笑顔拡散委員会』のみんなとか——」


「そのつもりはございませんわ」



落ちたチョコの一片が、ボウルの中で鈍い音を奏でる。


私の唇を、指で塞いでくるみたいに。

黙らせる......ように。



甘くも冷たい匂いが、優しく首を絞めてきた。




「......アテクシは......私は、もう。『笑顔拡散委員会』の仲間ではございませんの」



チョコレートを握る手を止めて、彼女はそっと下を向く。



「もう皆さんと会うつもりはない。『笑顔拡散委員会』に戻るつもりもない」

「そ......っ、そんなこと——」

「私は到底許されないことをした。特にマーキュリーには......合わせる顔がございませんわ」



髪が落ちて、先輩の瞳を横から隠す。

朝焼けに殺された影が、落ちるはずだった涙すらも乾かしてしまう。



訪れた沈黙を破っていいのか、私にはわからなくて。




「........~~~、せんぱ」

「まな板と包丁をくださいまし」



彼女は振り向かずに、私に手だけを差し出してきた。



「もう少し、チョコレートを細かく刻む必要がございますの」

「..................で、も」

「早く」



もうこれ以上、この話をするなって。

喉元に、透明の矢を突きつけられたような。




「わ、っ......かった...........」




私は大人しく、シンクに眠るナイフとまな板を手に取った。


そう、だよね。お菓子作りの目的は、無理やり先輩を『笑顔拡散委員会』に連れ戻すことじゃない。

先輩を元気づける。ただそれだけ。



寂しい、けど。


......すごく寂しい、けど..................。




「わ、私、チョコくらいなら切れるよ? 流石にそれで爆発は起きないよ??......多分」

「駄目です、アテクシがやりますわ。おまえがやったら、包丁が天井に突き刺さってしまうデショウ?」

「大丈夫だってぇ、ローリエじゃあるまいしっ!」



一応駄々をこねてみたけど、結局ナイフを取り上げられちゃって。


ようやく先輩の瞳が見えて......やっぱり、晴れてはいなくて。

青空の色ではあるのに。電池切れの宝石みたいに、少し灰色がかっているの。



「おそらく、おまえが先程作ろうとしていたものはガナッシュですわ。ガナッシュをマカロンの間に挟むことで、マカロンショコラが出来上がりますの」

「が、がな......がしゅしゅしゅ......?」

「よく見ていてくださいまし。ガナッシュを作るときはまず、こうやってチョコを細かく刻んで......」



ナイフは、チョコに浅い傷を作ったところで止まる。


小さな木片のような集まりが、鉄にそっとへばりつく。



「そう......こう、して......包丁で............」



再び動き出したナイフは、思っていた以上にまな板を揺らす。


まるで意志があるかのように、チョコレートが刃先から逃げようとする。




「......細かく......溶かしやすい、ように......」




美味しそうな音。な、気がする。


でも。もし目を瞑っていたら、私にはなんの音なのかわからなかったと思う。






「............」






しばらく、キーボードを叩くような音が重なった後......また静かになる。




真っ白な手が震える。


ナイフを持ったまま、先輩はまな板から離れて......。





「あ......てくし、は......——————っ」





きっと彼女には、私に見えないものが見えたんだと思う。



それこそまるで、真っ黒な両手に掴みかかられたかのような。

致死量の羽の雨みたいな。

蜂蜜の洪水みたいな。






「や..................っっっっ」






あ。


そうだ。



ナイフ、






「は~~~~ぁっ、~~————っ——、」






落ちたナイフが、危うく先輩のローファーに突き刺さりそうになる。



息が止まったのか、荒くなったのかわからない。

顔色がどんどん青く白く固くなって、血が通わなくなったみたいに、


凍ってしまったかのように、瞳孔が縮んだまま動かなくなる。




「ちがうんです、の、わたし、は、」


「そんなつもり、じゃ」


「は、ぁ」


「ちが    う」



「先輩!!!!」




まつ毛先輩にはきっと、自分の声と私の声の区別なんてつかなくて。



私の手が届いてるのか、わからない。






「ご、めん私っ、そ、そうだよね、ナイフなんて渡されたらっ」

「. . . . . . . . . . . . . . . . . . . .」

「や......っぱり、チョコ切るのは私が——」


「離れて!!!!!!」





ナイフはもうとっくに、床でぐったりしてるのに。


先輩の手は、まるで血に染まっているかのように震えている。





「私からはなれ、て、」





先輩の髪先は......死んでしまっているかのように、ちぢれてしまっていた。




「また私に刺されてもいいんですの、いいんですの、?、っだ、め、離れっ、」

「. . . . . . せんぱい」





「. . . . . . . . . . . .」





目の前に。


私の目の前に、苦しんでいるヒトがいる。




そういうとき。私がしなくちゃいけないことは、決まっている。



ねぇ。わかってるよね。『宇佐川(うさがわ)なのか』。



ね。




簡単だよね。






「............だいじょうぶだよ」





しゃがみ込んだ先輩を、私は抱きしめるの。


抱きしめて、背中を撫でて......後は何をすればいいんだっけ。

笑えば、いいんだっけ。







「だいじょうぶ」


「だいじょうぶだよ」


「私は......先輩のこと、怖くないよ」





ナイフの方へ伸びる手を、そっと撫でてあげる。


先輩は、優しい匂いがするね。孤児院に似た匂いがする。

まだ香水は付けてるのかな。それとも、これが本当の先輩の匂い?



先輩の、本名の匂い?




「..................落ち着いて」




耳元で呟いてみる。


そしたら、先輩は肩の力を抜いてくれた。

息を吸って、息を吐いて。止めないでいてくれる。




「もし、ぎゅってされるの嫌、なら......私のこと............」




しばらくすると、震えも止まる。ナイフに引き寄せられる手も止まる。



......私。喋り続けた方がいいのかな。

何も言わない方がいいのかな。




何もしないのは。


嫌。


だな。





「......あったかいねー」





あんなちゃん。


ユウト。




私。今度は間違えてない?


これでいいの?






「ねーねー、先輩。やっぱりさ。一回だけでもいいから......また、『笑顔拡散委員会』のみんなに会いに行こうよ」


「許されるとか、許されないとか。私にはよくわかんないけど......」


「みんな............会いたがってるよ?」







天使の翼を広げて、ナイフを遠ざけておく。ちょっとだけ切れちゃった気がしたけど、別に痛くなかったよ。


真っ白なままの翼で、彼女を包み込んでみる。


そしたら、下がってしまっている彼女の羽が......くすぐってくる。



キューピッドの翼って。ちょっと引っ張っただけで、千切れてしまいそうだね。





「............ウィロー」



先輩はそっと口を開いてくれる。

私の声を聞いてくれたんだ。

......優しいね。



「ウィロー」


「どうして」


「......アテクシたちは、そこまで親しくはなかったはずですわ」


「なのに、どうして......お菓子作りに誘ったり。......こうして............」





まつ毛先輩は、キューピッド。


あんなちゃんを、私から奪った種族。




......でもね。もちろんわかってるよ。





「『なんで』って......だってまつ毛先輩は、すごく良いヒトだってわかるもん!」




キューピッドは悪くない。


あんなちゃんのお父さんが、悪いヒトだったからって。キューピッドがみんな悪いわけじゃないの。




「私......先輩のことも、友達だって思ってるよ?」





まつ毛先輩の、キューピッドの矢は。絶対に痛くないから。


それなら私は、天使にならなくちゃ。





「......大好きだよ。まつ毛先輩............」





たとえ、天使の輪っかが似合わなかったとしても。


金髪に腕を回すのが、私の役目だから。










***



「............キューティー?」




バレンタイン前日。



まつ毛先輩は、私の後ろに隠れて。


『笑顔拡散委員会』の、部室にいるみんなを見て。




呆然としてる全員の代わりに、私は笑った。


微笑みながら、キューピッドの羽をそっと押した。




「あ......てくし............、」




先輩はゆっくりと、頭を九十度下げる。

今日もメイクしてないから、つけまつ毛が地面に着くことはない。





「......ごめんなさい」


「謝って済むことではないとわかっていますわ」


「許してもらいに来たわけじゃない。ただ............」





全員、まつ毛先輩のことを見てる。

キャベツくんも、レベッカ先輩も、一角先輩もキラ目先輩も、プニ先輩も。


それぞれ、少しだけ色の違う感情で。目を見開きながら見てる。




だけど。まつ毛先輩と最初に目が合ったのは、マーキュリー先輩だった。



二人だけ。まるで、水中で出会ったかのように静かになる。

青い波に飲まれるように。深海に沈むように。




「......アテクシの顔なんて、もう見たくもありませんわよね」




二人が今、見ている景色は。

きっと、マーキュリー先輩の血と同じ色。




「ご、めんなさい......アテクシやっぱり——」

「キューティー」




彼が乗っているディスクが、音を立てずに動き出す。


ワープしたかのような早さで、まつ毛先輩の目の前まで......。




「............キューティー」




すると、マーキュリー先輩は——


次話:かけがえのない日常を

です。大切にしましょうね

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