134話:私の死因④
「アマンダさんはもう死んじゃったよ」
家の中にいる人間さんは、淡々と呟いた。
太陽よりもずっと虚ろな、橙色の瞳を私に向けて。
壁にもたれかかって。すごく苦しそうなのに、自覚してない、みたいな。
「..................し............え......?」
「死んだ。死んだんだよ、アマンダさんは」
「ユウト......なの? だ、だって、アマンダおばあちゃんはっ」
わからない。
冷たい津波に流されているかのような感覚。
とにかく息ができなくて、脳が追いつかなくて。
ただ、手を伸ばす。
ユウトは、人間。
アマンダおばあちゃんの孫は、人間。
アマンダおばあちゃんは。
アマンダおばあちゃんは、
アマンダ......おばあちゃん............?
「う......そ......だよ。そんなの。なんで、だって、昨日は元気で」
「アマンダさんから離れて」
「あんなに元気だったじゃんっ、なんでいきなり、」
「離れてってばっ」
「だめだよ、だめだよそんなの、いなくなっちゃだめなんだよ、おばあちゃんまでいなくなっちゃったらもう」
「お願いだからもう出て行って!!!!」
怒鳴り声が、雷みたいに痺れる。
心臓を絞めようとしてくるの。
視界が霞む。
また霞む。
また雨が降っている。
こんな形で、初めてユウトの声を聞くなんて......あんまりだよ。
「............ゆ......うと」
「ッッッッゲホッッ、ぅ、~~~゛~っえほっっ」
ユウトは溺れるようにしゃがみ込んだ。
カーペットに膝をついて、両手で口を押さえる。
ひゅー、ひゅーっと、喉が鳴ってる。
彼の頬を伝うのが......汗なのか涙なのか、わからない。
......ユウトもなの?
ユウトも、いなくなっちゃうの?
「........................ねぇ......なのかちゃん」
たくさんたくさん、咳き込んだ後。
ユウトは再び、ゆっくりと立ち上がった。
「ぼくは............どうすれば............よかったのかな............?」
彼の顔色は、雨雲の様。
黄緑色のパジャマは、病人が着る服に少し似ている。
心配になるくらい細くて、服がずり落ちてしまっていて。
白髪交じりの髪が、汗で額にへばり付いていて。
こんなにやつれているのに......私と同い年くらいだって、わかるの。
「ぼくが弱いせいで............母さんも父さんもいなくなって......」
「家事の手伝いさえできないぼくを......アマンダさんは受け入れて............」
「迷惑......ばっかりで............」
俯いていく彼の瞳は、ひどく充血していた。
本来は白いはずの赤目部分も、真っ黒な瞳孔も広がって......オレンジ色の虹彩だけが縮む。
まるで、最初から黒い瞳だったみたいな。
「アマンダさんの旦那さんが死んだのも、息子さんがどっか行ったのもっ、元はといえば全部ぼくのせいでっ」
「ぼくさえいなければ、アマンダさんは不幸にならずに済んだの、に、」
「ぅ゛......っっげほっ、ケホッ、っ、............ぼくの......病気のせい......で............」
きっと......アマンダおばあちゃんは、私に一度も嘘なんてついてなかった。
ユウトは本当に体が弱くて、私と同い年くらいで。
きっと本当に、おばあちゃんの孫なの。
人間でも。ゴブリンじゃなくても。血が繋がっていなかったとしても。
「............アマンダさんは......一度も............怒らなかったんだ......」
「ぼくを見捨ててくれなかった............。ずっと優しくして......くれて............」
ユウトはずっと、寂しかった。
私は一人ぼっちだった。
おばあちゃんには、全部お見通しだったんだね。
孫のことも。私のこと、も。
わかっていて。愛していて。
家族だと、思ってくれていた。
「死んじゃった」
一瞬だけ。ユウトの嗚咽を、自分の泣き声と聞き間違えちゃって。
私は————私も、口を押さえる。
「ぼくなんかと出会わなければ」
「きっと」
「もっと」
「アマンダさんは」
「長生きできてたはずなのに」
浅い呼吸を繰り返しながら、ユウトは足を動かした。
一歩。一歩。私に。
私とおばあちゃんの体、に、近づいてくる。
「ぼくのせいだ、全部ぼくのせいなんだっ」
「何もできないぼくのせいなんだっっ」
彼が近づいてくるたびに、太陽が遠ざかっていく。
いつの間にか腰が抜けちゃった私は、座り込んだまま後ずさっちゃうの。
ユウトは何も悪くないのに。私を睨んでるわけじゃない、はず、なのに。
「————、————————、、——」
喉を抉るような喘鳴が、私の鼓膜を突き刺した。
まるで、壊れたテレビの中にいるみたいだった。
............こわ、い
こわい
やだ
いやだ
「ご、めんなさ、っい」
後ろに下がって、後ろに下がって、逃げて、逃げて、逃げて逃げて逃げて
逃げる、と。
私の指先が、アマンダおばあちゃんの指先に当たったの。
................................................まだ。温かかったの。
「——————————ぇ、」
おばあちゃんは、死んでなんてなかった。
生きてた。まだ生きてる。
目を閉じているだけで、意識を失っているだけで、
「——、——————、——————、」
よく見ると、彼女は小さく息をしていた。
地面に横たわって、弱々しく胸を上下させて。顔色もすごく悪い。
でもね。
おばあちゃんの手首に触れてみると、ちゃんと脈があった。ゴブリンの心拍数が、どれくらいじゃないとダメなのかわからなかったけど。
......生きてるじゃん。息、吸ってるじゃん。
おばあちゃん、まだここにいてくれてるじゃん。
「............っ」
まだ救える。まだ遅くない。
まだ何も終わってない。今から病院に連れて行けば、アマンダおばあちゃんも助かるはず。
絶対助かる。絶対......助ける。
早く家族を救わなきゃ。
「............ま......待っ、て............ユウト......、」
きっと、ユウトは勘違いしちゃったんだ。
おばあちゃんが倒れてるのを見て、死んだって思い込んじゃったんだ。
「き......いて、あのねっ、ユウト、っっぁ、の、おばあちゃん——」
「ぼくの存在がッッ、みんなを不幸にするんだ!!!!」
ユウトから落ちた水滴が、パタパタとカーペットに雨模様を作る。
汗であろうが涙であろうが、彼にとってはきっとどうでもいいことなの。
怖いよね。怖かった、よね。大切なヒトがいなくなったって思って。
どうしようもなく苦しいよね。
壊れそうになっちゃうよね。
寂しい......よね............。
「ぼくがいるだけでみんな、ぁ、あぁぁあああああぁぁああぁぁぁぁああっっっ」
「だい......じょうぶ、大丈夫だよユウトっ、おばあちゃんは生き」
「なんでぼくは、ぁ、うばってばっかりなのっ!? 傷つけてばっかりでもうっ、も、う」
私は地面を這うようにして、ユウトに近づく。足に力が入らなくて、立ち上がろうとしてもだめで。
ちょうど、ユウトが顔を覆いながら崩れ落ちたおかげで————ううん。『おかげ』っていうのは、おかしいかな。
あのね。手が届いたの。
触れられた。ちゃんと、ユウトの肩に手を置けた。
「——————っ!? なのか、ちゃ」
「だいじょうぶ。だいじょうぶ、だいじょうぶ......!」
だから、撫でてあげるの。タンポポの綿毛を撫でるみたいに。
怖がらせないように、ゆっくりと手を上下させる。
家族の温もりを知ってるのはね。おばあちゃんと、あんなちゃんのおかげなんだよ。
今度こそ、救いたい。
何も零してしまわないように。笑って、愛を注ぎたい。
泣いてしまったら。零になるから。
「............だいじょうぶ。全部、だいじょうぶだから......」
「——————」
抱きしめる。
震えてる背中をさする。びっくりするほど熱いのは、泣き叫びすぎたせいなのかな。
泣いていいよ。だって君は、助けられる側だから。
泣いていいよ。だって君は、ずっと我慢してたと思うから。
......私と違ってね。
「おばあちゃんは生きてるよ......! 私も生きてるよ......!! ずっと一緒......、ずっと一緒にいるからね、置いてったりしないからねっ」
たくさんたくさん撫でて、たくさんたくさん抱きしめた後、私は彼に触れたまま離れた。
ユウトの頬に手を添えて、親指で涙を拭ってあげる。
泣かないで。泣かないで。
私が助けてあげるから。
「辛かったんだね......ずっと苦しかったんだね......。だいじょうぶだよ、私がいるから。私が全部、だいじょうぶにしてあげるから!」
ユウトにちゃんと届くように、ニコッて笑うの。
口角を上げるだけじゃ足りないから、目も細めるの。
だけど、涙を落としちゃだめだから......力は抜きすぎないようにね。
「たくさん泣いていいよ。泣き止ませてあげるから」
黒く濁った彼の瞳に、私の姿は映らない。
大丈夫。
「私はずっと、ユウトの友達だよ。ユウトのこと大好きだよ」
「だから......『ぼくがみんなを不幸にする』、なんて......悲しいこと言わないで?」
温かいね。
でも、冷たいね。
こけた頬も、目の下の隈ですらも......きっと君は、自分のせいにしちゃうんだろうね。
「だいじょうぶ」
............だいじょうぶ。
「死ぬまでずっと......死んだ後でも、ずっとずっと......そばにいてあげるから」
私にとって、君がすべてだって。思わせてあげないと。
大丈夫だって、信じてもらわないといけないから。
ね。
「..................私と......一緒に生きよ?」
おでことおでこをくっつける。
お互いの体温が、全く同じになるように。吐息すらも受け止めてあげられるように。
ユウトに向けて。
笑って、笑って、笑った。
「私と、家族に————っ」
「なのかちゃん」
首、
......に。掴みかかってくる。
両手で包んで、私の首を抱きしめるみたいにぎゅ~~~~~~~~って、
し
て
「なのかちゃん、なのかちゃん、なのかちゃん、って、」
「~~~~っ、ぇ、ぅ~~、~~————っ、——」
「本当に、優しくて、眩しくて、」
気づけば押し倒されていて、お腹に膝を置かれてね、
「本当に。何も。わかってないね」
........................結局。
夜に太陽を求めてくれる人なんて、いなかったんだね。
「あ゛っっっが————ぅ————~~~」
「なのかちゃんは、良いよね、いつも笑ってて。幸せなんだね、だからきっと、誰かを幸せにするために生まれてきたんだね」
「~~~゛、~~~~~~~!?」
反射で、首に纏わりついた手を剥がしそうになる。
視界がどんどん暗くなって、頬に涙が落ちてきて、
すぐに声が出せなくなっちゃって。
指先がすごく痺れたの。
「眩しいよ。眩しすぎるよっ」
「だから。アマンダさんは生きてる、なんて。慰めできちゃうんだね」
「優しい嘘がつけるんだね」
「いいなぁ」
「羨ましいなぁ」
私は手を伸ばした。
どんどん見えなくなっていく、ユウトに触れようとした。
「ごめん——ごめんね——なのか————ちゃ————」
耳が聞こえなくなっていく。
酸素がお腹からなくなって、喉の壁が貼り付いて、
だいじょうぶ。
だいじょうぶ、だよ。全部だいじょうぶだよ。
「なのかちゃん」
......ユウト。アマンダおばあちゃん。
「ごめん」
「ごめ ん ね」
あんなちゃん。
ねぇねぇ、あんなちゃん。
さいごまで、家族でいてあげられなくて。ごめんね。
「ぼくは、ただ————なのかちゃ——......」
何もわからなくなる前に、私は口角を上げた。
暗闇が、暗闇ですらなくなる。
涙が、ただの水になる。
ようやく怖くなった頃には、もう何もかも遅かった。
......こうして...
. .
.
*
*
*
*
*
*
*
「................................................」
目を開けてみる。
ぼやけた視界の中、私に影が落ちていることだけはわかる。
背中が温かい。ずっと誰かが支えててくれたのか、ちょっとだけ首が痛い。
......それとも。首が熱い理由は、他にあるのかな。
「........................」
モノクロじゃなくなっていく世界の中、そっと腕を上げてみた。
ユウトには届かなかった手を、青黒いその瞳に向かって伸ばす。
視界に増えたのは、ネルソービューの制服の袖。
重力に負けたリボンが、私の頬をくすぐってくる。
私は『ウィロー・ガーディナー』。
結局誰も救えないまま、死んでしまった......宇佐川なのか。
「......やっとお目覚めになられましたね」
「ぶ......れいずくん......?」
「すべてを。思い出して、しまったのですか?」
私の頭は、ブレイズくんの膝の上。
そっか。だからこんなに、青が眩しいんだね。
「............、............ . . . . ... . .... . . .」
「..................ガーディナー......」
膝に乗せてもらったまま、私は顔を横に向ける。
空っぽのガラス瓶のすぐそばには、黄金色の蓋が落ちている。
そ......っか。そうだった。
私。『ウィロー・ガーディナー』は、学生寮のベッドの下で、探し物をしてたんだ。
それで、たまたま見つけちゃったんだ。今までずっと、『宇宙ジャム』って呼んでたやつを。
知りたくなかったのに。苦しくなるだけだってわかってたのに。開けちゃったんだ。
あははっ......自業自得だね。
「..................ねぇ」
「はい」
「ネルソービューの生徒は今、みんな記憶を取り戻してるの?」
「............全員ではないと思われます」
ブレイズくんの声は、微睡みのように優しくて。
その理由はすぐにわかっちゃって、それだけで何かが沈んで。
頭......痛い......な。
ブレイズくんは、いつ戻ってきたんだろう。私はいつまで、床で寝ちゃってたんだろう。
寒い。なぁ。
「ブレイズくん。私......自分が死んじゃったときのこと、思い出したよ」
「......はい」
彼は口角を下げた。
瞳の中で揺らぐのは、柔らかい寒色の火の粉。
メガネのレンズに反射するのは、照明の光で。私はどこにもいない。
「ブレイズくんが。私の記憶を、取り戻したの?」
「..................いいえ」
「だよねぇ。犯人はブレイズくんじゃないよねぇ......」
目を半分閉じちゃいながら、自分の首に指を添えてみる。
当然だけど、息ができる。
そしたらね。ブレイズくんが、頭をナデナデしてくれたの。
ガラスに触れるように。私の呼吸に合わせながら。
アマンダおばあちゃんの手も、これくらい優しかったな。
ユウトを撫でた私の手は、何かが間違ってたんだろうなぁ。
「............大丈夫だからね、ブレイズくん。『笑顔拡散委員会』のみんなにちゃんと、ブレイズくんは犯人じゃないって言うから。真犯人をちゃんと......見つける、からね......」
「......」
ブレイズくんは何も言わない。
それで、力が抜けちゃって。重い瞼を下ろしちゃう。
「ちょっと......疲れただけだから」
「......」
「だいじょうぶ......全部だいじょうぶだから、ね............」
丸めた両手を、そのまま瞼に置いてみた。
暗闇の中にいるだけで、さっき見た情景が浮かび上がる。
金縛りにあったみたいに、体が動かなくなる。
あのね。
涙が出てこなかったの。
泣かなかったよ。笑うこともできなかったけど。
..................偉い?
次話:仲間割れ
です。現実と向き合いましょう




