133話:私の死因③
〈この間はごめんね〉
カーテンの奥から。
文字が書かれた、スケッチブックが出てきたの。
「..................え、」
しばらくすると、スケッチブックは窓の中に戻っていっちゃう。
だけどまた少し立つと、外に出てくるの。
肌すらも見せたくないのか、本当に画帳だけを窓枠の外に出して。
〈今まで、勝手に君たちを覗き見しちゃって〉
〈怖い思いさせちゃったよね〉
〈あんなちゃんも怒らせちゃって〉
......間違いない。
アマンダおばあちゃんの、孫さんの字だ。これ。
初めて、応えてくれた。
返事してくれた。
『あの子は、かなり人見知りでもあってねぇ。最初の方は、いくら話しかけても、返事が返ってこないと思うんだ。姿もなかなか見せてくれないと思う』
『でもね、ちゃんと聞こえているよ。届いているよ。だから、根気よく話しかけりゃあ、きっといつかは......』
............おばあちゃんの......言う通りで......っっ
「筆談!! 筆談だ!! すごいっ、かっこいーーーー!!」
私は思わずぴょんぴょん飛び跳ねる。ぶつかりそうな勢いで窓に近づいて、ついつい中を覗き込もうとしちゃう。
びっくりさせちゃったのか、スケッチブックは蝶みたいに羽ばたいて、そそくさとカーテンの奥へ逃げて行っちゃった。
「あっ、ご、ごめん! あのねでも私、」
「う......嬉しくて............えへへ............!」
私はちゃんと孫さんに聞こえるように、ちゃんと笑ってるよって伝えるために......なるべく柔らかい声を出す。
温かくて、ちょっと甘くて......こう......子供っぽすぎない感じ。
アマンダおばあちゃんが作ってくれた、アップルパイみたいな。
「孫さんってすっごく字綺麗だねっ! 私は字書くのちょっと苦手でさぁ、どうしても小学生が書いたみたいになっちゃうんだよねー!」
「君のお名前は? あっ、私の名前は覚えてる? なのかって言うんだけど——」
「——って、ごめんごめん! 一気に色々言われたら困っちゃうよね! 私ホントに嬉しくてさぁっ」
沈黙が続く。ちょうど、トンボが私の足元を横切る。
きっとこの窓の奥で、孫さんが必死に返事を書いてくれてるって信じて、待ってみる。
頑張って鉛筆を動かしてる姿を、想像してみるの。
どんな鉛筆使ってるのかな? それとも鉛筆じゃないのかな、実はクレヨンだったりするのかな。もう一回文字見てみないとわかんないなぁ......!
スケッチブックってことは、普段は絵描いてたりするのかな? 絵も上手なのかな?
男の子? それとも女の子のゴブリン? 名前聞けば性別もわかるのかな、でも名前だけで決めつけちゃうのはあれかなぁっ??
〈ごめんね、ぼく書くの遅くて〉
「あっ......!」
やっぱり、ちゃんと待ってみてよかった。
スケッチブックは、さっきみたいに横向きにされててね。ほぼ360度開いててね。
ノートの表紙と裏表紙が、窓枠を挟むようにして置かれてるの。
〈ぼくは小笠原ユウトって言うんだ〉
〈話すのがちょっと苦手で〉
〈でもどうしてもなのかちゃんに謝りたくて〉
〈話したくて〉
〈だから、筆談で...〉
す......すごい。文字がページにびっしり詰まってる。
薄いけど、文字が綺麗なおかげで読みやすい。薄い鉛筆を使ってるから? それとも、あんまり指に力が入らないとか......?
だってアマンダおばあちゃん、孫さんは体が弱いって言ってたし......。
「......ゆうと......ユウトさん? だね! よしっ、覚えた!」
「私、ヒトの名前を覚えるのが苦手なんだけどさ、君の名前ならちゃんと覚えられそう! すごくカッコよくて可愛い名前だもん!」
私がそう応えると、またスケッチブックがカーテンの奥に沈んでいった。
胸がパチパチ、する。花の蜜味の炭酸ジュースを飲んでるみたいで、舌が甘酸っぱくて。
待ってる間、私はさっき地面に落としちゃったドライマンゴーを拾った。全部個包装されてるとはいえ、これをユウトさんに渡すのはなぁ......。
〈さん付けなんてしなくていいよ、ユウトでいいよ〉
〈同い年くらいって聞いたし〉
「ユウト、かぁ......わかった! 呼び捨てってなんだか新鮮だなぁ......へへへっ」
結局、ユウトは『くん』なのか『ちゃん』なのかわからないままだった。
まぁでも、自分のこと『ぼく』って言ってるし、多分男の子......かな? 名前もどっちかっていうとそうっぽいし。
〈あのね、なのかちゃん〉
〈怒ったあんなちゃんが、あなたと一緒にこの窓の近くまで来た時〉
〈ぼくが窓から現金落としたこと、覚えてる?〉
「覚えてる覚えてる!! 衝撃だったもん! 急に一万ペタル落ちてくるし!」
すると、今度は網に捕まった人魚みたいに暴れながら、画帳が家に帰っていく。
ドライマンゴーをつまみ食いしながら待ってると、思ってたより早くノートが戻ってきて、
〈ほんとうにごめんねあれはちょっと頭がおかしくなっちゃって〉
〈ゆるしてほしかったからとりあえず一万ペタルおとして〉
〈よけい怖がらせちゃったよねごめん〉
あっ......さっきより字が荒い。急いで書いたのかな?
「ううん、全然だいじょうぶ! むしろ面白かったから!」
『許してほしかったから』、窓から一万ペタル落としたってことは............やっぱりあれ、普通に拾ってもよかったんじゃん! ヤバい薬なんて塗りたくられてなかったじゃん! もぉぉぉぉおっ、あんなちゃんの嘘つき!!
......なんて、一人で頬を膨らませてみたけど......ちゃんとわかってるよ。あんなちゃんは、私を守ろうとしてくれたんだって。
あんなちゃんの言ってたことも。間違ってはないんだって。
『ええか!? 世の中は悪い大人で溢れとんねん! あんたもよう知っとるはずやろ!?』
『人間も人外も、欲にまみれとる! 自分になんの得もないのにホイホイ子供に金やるやつなんておらんねん!!!!』
「..................」
〈あのね。ぼくは昔から体が弱くて、そのせいで全然外にも出れなくて...〉
スケッチブックが羽ばたく音が、俯きそうになった顔を上げさせてくれる。
ユウトの字は、一つ一つが黒い点々で出来てるの。
鉛筆で書いてるんだから、それは当たり前で。でも、太陽光が当たってるからか、一粒一粒が繊細な星にも見える。
〈この体のせいで、学校にもほとんど行けなくて〉
〈全然友達ができなくて〉
〈だから。外で遊んでるあなたたちが、眩しく見えた〉
〈うらやましかったんだ〉
文字が運ぶ感情は、悲しいものなのに。
何故か......温かく見える。
〈だから、ずっと見ちゃってた〉
〈本当は一緒に遊びたかったんだ〉
〈でも、そんなの。叶うわけないから〉
きっとこれは、ずっと前から用意してた言葉。前から書き記してた文字。
スケッチブックが中に戻ったと思ったら、すぐに外に出てくるの。多分ページだけめくって、さっと私に見せてくれてるの。
〈だけどね。またあなたが、この家に来てくれたんだ〉
「............あ、」
〈なのかちゃんは、こんなぼくを気にかけてくれた〉
私はつい、後ずさりそうになる。
嫌なわけじゃない。むしろその逆。
でも、目元が熱くなって。
なんとなく、ユウトが次にくれる言葉がなんなのか、わかっちゃって。
そんなわけないんだけど。多分大丈夫なんだけど。
もし、ユウトに......私の顔が見えちゃってたら、って。
笑えなくなりそうなの、バレちゃったらって——
〈ありがとう〉
〈多分、アマンダさんに頼まれたんだろうけど〉
〈ぼくと友達になろうとしてくれて、ありがとう〉
「..................私......っ」
〈今まで何も返せなくて、ごめんね〉
〈よわくて、ごめんね〉
私は一歩。
一歩、一歩。開いた窓に近づいていく。
そよ風に揺れる、花の刺繍が入ったカーテンに。
本当に、私なんかが受け取って良いのかわからない言葉に......手を伸ばす。
だけど、結局触れることはなく。
そのまま窓の前に......下に、しゃがみ込んで。
乾いた芝生に手をついて。
大丈夫。
泣いてない。
〈なのかちゃん。こんなぼくでよければ......〉
〈あなたのこと、友達って思ってもいいかな?〉
私は立ち上がった。
両頬に、それぞれ人差し指を当てて。
口角を上げて、力を抜いて。
「............もちろんだよ。これからずっと一緒にいようねっ、ユウト!」
今度こそ。
一人ぼっちだった君を、救ってあげる。
***
夢はまだ終わらない。
記憶が、酸素を閉じ込めすぎた川みたいに流れ続ける。
弾けて、消えて、またふわっと現れる。
揺れるように流れるの。
「ふぉっふぉっ。なのかちゃん、最近笑顔が増えたねぇ」
私の髪をといてくれてたおばあちゃんは、ふと小さく呟いた。
動かなくなった指先が、私のうなじ辺りを温める。
そっと振り返ってみると、彼女は私にフッと笑いかけてくれた。
「なのかちゃんが楽しそうで、アタシも嬉しいよ」
「え? わ、私、そんなに笑顔増えた? そんなに前と変わってる......?」
「増えたというか、眩しくなったというか......まっ、ただの老いぼれの独り言だよ!」
アマンダおばあちゃんは、手に持ってたヘアブラシをそっと下ろす。
微笑んだまま、目を伏せる。
「ユゥちゃんも心なしか、明るくなってきてるような気がするしねぇ。なのかちゃんとの出会いが、きっとあの子を変えたのさ」
「......ユウトが? も、もしかして、最近ユウトもたくさん笑ってくれてるってこと?」
「ふぉっふぉっふぉ! 本当に嬉しい限りだよ......!」
私の声があんまり聞こえなくなっちゃうくらい、おばあちゃんは喜んでるみたいだった。
よもぎ餅みたいな頬に、ほんのりと桜の粉をかけたみたいな。蜜柑色の瞳に、真っ白な光の粒を塗ったみたいな。
そんな彼女を見て、私の頬もゆるんじゃって。
つい情けない笑みを零して、彼女にもたれかかっちゃって。
アマンダおばあちゃんはね。
『祖母』と『孫』という言葉に、温度を足してくれたの。
私にとって、ただの文字じゃなくなった。物語の向こう側じゃなくなった。
いつの間にか。アマンダおばあちゃんも、私の家族になってたの。
ユウトもね。
『弟』がいるって、こんな感じなのかなって。思わせてくれたの。
毎日毎日遊んだ。いっぱい話した。
絵しりとりとかしたんだよ。ユウトね、スケッチブックと鉛筆を沢山持ってたから。
「う......うぅん............ん~......????」
それでさぁ! 私は『蜘蛛』さんを描いたつもりだったのに、何故か『ヤシの木』が返って来たんだよね!
どう見てもヤシの木なの。ユウトの絵は上手でわかりやすいからさ、どの角度から見てもヤシの木でさ。
「『も』......『も』なのに『や』......?............まいいや!」
とりあえず私は、『キリン』さんを描いた。『き』から始まるから。
しばらく待ってみると、またスケッチブックが返ってきてね。
そこには『シーソー』が描いてあった。
「な......何故......ッ............!?」
他にもねっ!
筆談でもできる遊びとか、いっぱい考えて......片っ端からやっていってね......!
「これより! 『真実か挑戦か』ゲームを始めまぁす!!」
〈それって何をするの?〉
「えっとねぇ、簡単に言えば......最近やらかしたことを暴露するか、目から玉ねぎ食べるかを選べるゲーム!」
結局その日は、なのかさんが本当に目で玉ねぎ食べようとして無事死にかけて、アマンダおばあちゃんに泣きついたんだよね。
他にも、『以心伝心ゲーム』とか、『100の質問』をやってみるとかして。
「ねーねー! ユウトはさ、もし他の人外になれるとしたら何がいい?......あ、えっと、もちろん『人間』って答えてもいいよ!」
ゴブリンは一体何に憧れてるのか、気になったんだ。
逆に人間に憧れたりするのかな。それとも、もっと派手な人外になりたかったりするのかなって。
「私はねー......なんにでもなれるとしたら、やっぱりノームかなぁ! 可愛いし! 孤児院のせんせーたちとお揃いになれるし! あでも、体小さいと色々不便そうなんだよなぁ......」
〈ちょっと恥ずかしいんだけど、ぼくなら妖精かな。自然の中で自由に暮らせるのって、やっぱり素敵だと思うから〉
「わかるーーー! 妖精さんも可愛いし!」
ふと、聞きたくなっただけ。
深い意味なんて、あるはずなかった。
......もちろん、ただずっと雑談して終わる一日もあったよ。
ユウトが、私に何かプレゼントしてくれる日もあったよ。
〈なのかちゃん、飴は好き?〉
「え!? 好き!! 超好き!!!!」
私は窓から飛んできた黄色い飴を拾って、包みを取って速攻口に入れて——
「——————!? んぎゃ!? んぎゃぁぁああぁああああぁぁあああ酸っぱぁぁぁあああああああぁぁぁあぁぁぁぁあぁあああああ」
————普通にいたずらされるときもあったよね。
両目も口も雪結晶みたいな形にしちゃって、舌が痛すぎてもう思わず飴吹き出しちゃってね。
「な、ななななにこれな、っっっぅぅぅぃいぃえぇぇぇえ」
〈ごめんね、なのかちゃん反応面白いからつい......〉
だけどね。
ただの幻聴だったかもしれないんだけどね。
揺れるカーテンの奥から、小さく笑い声が聞こえた気がしたの。
霜に馴染んでしまうほどだった。柔らかい追い風にかき消されてしまうほどだった。
今思えば、自分の口から漏れた息だったのかもしれないけど。
それでもやっぱりさ、ポジティブに考えたいからさ。
太陽は、いつも明るくないとおかしいからさぁ。
「ぇ、っへ......も......もーーーーー! ユウトって意外といたずら好きだよねーーー! なのかさんが寛容でよかったねーーー!」
〈えへへ〉
あのね。
私ね、孤児院にはあんまり帰らなくなっちゃったの。
あそこは、もう治らない思い出が多すぎて痛い、から。
代わりに、新しい思い出を作ろうって。
寂しさを忘れちゃうくらい、楽しいことで頭をいっぱいして......今まで辛かったこと、全部上書きしちゃおうって思ったの。
ユウトを救えば。あんなちゃんを救えなかったことも、きっと許される。
『あんたはあーしの隣で笑ってくれればそれでええ!!』
『それだけであーしはいつも救われてっ、あんたと楽しく過ごすその時間だけが——』
「————ユウト~~~〜~〜! 今日も来たよーーーーっ!」
..........................................笑ってさえいれば。いつかは救える、って。信じたんだ。
「ユウト! あそぼーーー!」
晴れの日も。
「来たよ!」
晴れの日も。
「今日も話そっ!」
はれの日も。
「聞いてよユウト!」
はれの日も。
「あのねあのねーーーー!」
腫れた日も。
毎日遊んだ。
ユウトは毎日遊んでくれた。
ユウトは遊んでくれなくなった。
............ねぇ。
私、今度は何を間違えちゃったのかな。
本当は晴れてなんかない、雨が強い朝ぼらけだった。
いくら窓をノックしても、カーテンが動くことはなかったの。
窓には、小さな隙間すら開いてなかったの。
「........................なんで」
唇が震えるのを、寒さのせいにした。
辺りが暗くなるのも、視界が狭くなるのも。
息が浅くなるのも、クラクラするのも揺れるのも熱いのも全部寒さのせい、
雨のせい、冬のせい、
私のせい。
「................................................おねがい」
窓枠にしがみついた。ガラスに流れる雨粒を拭った。
落とした傘を踏んで、玄関までゆらゆら歩いて、
「アマンダおばあちゃん、いる?」
「ユウトが返事してくれないの」
「おばあちゃん」
「ねぇ」
「待って」
「おばあちゃんまで」
「私のこと——」
玄関が開いた。
......でも。開けたのは私自身。
無意識に、ドアノブをガチャガチャしちゃってたみたいで。鍵は掛かってなかったみたいで。
「っ、お......じゃま............し............」
私は靴すらも脱がずに、幽霊みたいに中に入った。
カーペットに足跡を作っちゃった。
椅子にぶつかっちゃった。痛いのに痛くなかった。
家の中は、雪景色の様。
何故か外より寒く感じて、空気も白く見えて。
偽物の暖炉は消えていて。
「......お、ばあ......ちゃ............」
一緒にお菓子を食べてた丸テーブルの近くに。
アマンダおばあちゃんが、眠るように倒れていたの。
「..................................................................」
寒い。寒いなぁ。
ねぇねぇ、おばあちゃん。温めてよ。その指先でまた私を撫でてよ。
手を繋ごうよ。家族になろうよ。
「そんなところで寝てたら......風邪、引いちゃうよ............?」
しゃがむ。
おばあちゃんの笑いジワに、そっと、手を、伸ばし、
「————————さわらないで」
............今までずっと、閉じたままだった扉が。開いてたの。
ユウトの部屋、のはずの、扉が。開いて。
そこに立っていたのは。
私を見下ろしているのは。
「....................................人間............?」
そんなはずない。
だって。
アマンダおばあちゃんの孫ってことは、ゴブリンのはずでしょ?
ゴブリンとゴブリンの子供はゴブリンで、
その子供、は、
......ユウトの............ママとパパは............?
「アマンダさんにさわらないで」
人間は。
私と同い年くらいの男の子は。
ユウトは。
その虚ろな目は............——
「アマンダさんはもう死んじゃったよ」
次話:私の死因④
これで最後です




