130話:嫌だ
「ふぅ......びっくりした」
マーキュリー先輩は、医務室のベッドからゆっくり起き上がると、きょとんとした顔で頭をポリポリ掻いた。
「レベッカがキスしてくれなかったら、本当に死んじゃうところだった。危ない危ない」
「テメーの生命力どうなってんだに」
「〈キスなんてした覚えないけど????〉」
総ツッコミを巻き起こしながらも、全員ほっとした顔でマーキュリー先輩を囲う。
さっきまで冷たかった空気が、ふわっと暖色に変わるの。
そんな私たちの様子を見ていた、校長先生——
アポネ先生、は......。
「まだどこか、痛いところはありますの? 無理せず言ってくださいまし」
「平気。強いていうなら、夢の中だけじゃなくて本物のレベッカにもキスされたい」
「......わかりましたわ。精神的苦痛を和らげるためでしたら——」
「〈やらないよ?? 校長先生の命令だとしてもやらないよボク!?〉」
校長先生は、後ろの銀髪をかき上げるような仕草をしたけど......その指先は、空気をスカッとするだけだった。
自分がツインお団子ヘアだってことを定期的に忘れるのは、二年前と変わらないみたい。
「どうやら、施術は完了したようですわね。まだ鈍い痛みは残っていると思いますが、二日ほど安静にしていれば——」
「ゑゑゑゑゑゑゑゑゑーーーーーん!! マーキュリーーー!!!!」
キラ目先輩は目に涙を溜めながら、思いっきりマーキュリー先輩に抱きついた。
そのままコアラみたいに彼の腕にしがみついて、えんえん泣きながら頬ずりして、
「さ、刺されたって聞いたときっっ俺っっっ、流石のマーキュリーも、し、死んだかと思ったゑーーっ!!」
「............ジャスパー」
「びぇぇぇゑゑゑゑぇぇゑゑぇぇゑぇゑゑ」
マーキュリー先輩は口を少しだけ開いて、目をぱちぱちさせる。
しばらくすると、少しだけ頬を青く染めて、キラ目先輩の小さな背中に手を添えて......。
「っふ............おおげさ」
微笑んだ、けど。
そんな彼の瞳は、雨の日の水面のように揺れていた。
......よ......か、った。
私。
また、私の目の前で、誰かがいなくなっちゃうのかと思った。
さすが校長先生、だね。
『代理』じゃない方の医務室の先生なだけあって、どんな怪我も治せちゃうの。崩れかけた体すらも、直してしまうの。
「............ね......ねぇ、アポネ先生、」
温かい沈黙を撫でるように、私はそっと声を絞り出した。
すると、真っ黒な左目がこっちを見た。
先生と面と向かって話すのは、ほんとうに久しぶり。
「そ.....それで............まつ毛先輩の方は、大丈夫なの......?」
私がおそるおそる首を傾げると共に、みんなの視線が動くのがわかった。
マーキュリー先輩の隣に眠るのは、涙でメイクが落ちてしまった、まつ毛先輩。
息はしてる。さっきから寝返りを打ってる。だけど、顔色は氷の様。
アポネ先生は、そんな彼女の頬を、灰色の翼で撫でる。
みんなの視線が、再び校長の元に集まる。
「......ゴルゴンの石化能力は、対象の時を止めるようなもの。外傷を与えることはございませんわ」
先生は無表情のまま、そっと顔を上げた。
......私は知っている。
今は前髪に隠れてる、校長先生の右目の色を。
「簡単に解除することもできますから、石化は相手を捕らえるのに最適ですの。そうですわよね、『シェリー・ホワイトベリー』?」
さっきからずっと、医務室の隅で腕を組んでるシェリー先輩は、何も言わずにプイッとそっぽを向く。
頭を巣食う蛇たちは、全員シャーーッと威嚇してる。主に......アポネ先生に向かって。
まつ毛先輩を傷つけずに、気を失わせられたのも。
二人を早く医務室に連れて行けたのも、シェリー先輩の石化能力のおかげ。
もし先輩がいなかったら......どう......なってたんだろう。
想像したくない......。
「いやぁ~~~......にしてもやっぱ、信じらんねェよ......」
気まずい静寂を払うように、キャベツくんは首を振りながら口を開いた。
「まつ毛野郎が、急に魚パイセンを背後から刺すとか............話を聞く限り、その前からまつ毛の様子はおかしかったらしいけどよォ」
そしたら、ね。
一瞬だけだけど、キャベツくんは私の頭をポンポンって。撫でてくれたの。
なんでなのかわからない。私が第一目撃者だったから?
でも、刺されたマーキュリー先輩の方が、絶対怖い思いしたよ。まつ毛先輩の方が、絶対苦しんでたよ。
私はただ......突っ立ってただけで..................。
「〈多分キューティーは、かなり錯乱しちゃってたんだと思うよ。それこそ、現実と夢がごっちゃになるくらいにはね〉」
レベッカ先輩は苦笑いしながら、アポネ先生の隣に立った。
真っ黒な悪魔の翼が、校長の翼と交差する。二つの翼は、なんだか......あんまり変わらないように見える。
「〈本当にマーキュリーを刺したかったわけじゃないと思うんだ。彼女の中ではきっと、他の誰かを殺したつもりで......〉」
「〈だから、あまりキューティーを責めないでほしい、なんて............無理な話かなぁ?〉」
先輩は目を細めながら、試すように首を傾けた。
『無理かな』なんて言いながら、みんなのことを信じてる瞳。
願ってるんだ、先輩は。
『笑顔拡散委員会』の絆が、ナイフ一本で切れてしまいませんようにって。
だけど。
そんな彼女に、笑顔を向けられるヒトは......誰一人いなかった。
「..................だから言ったのよ。こういうことが起こる前に、さっさと動くべきだって」
シェリー先輩は歯を食いしばりながら、それでも淑女のように歩み寄ってくる。
白衣の裾をなびかせて、その下に着てるロリータワンピースに手を重ねて。
「これくらいのこと、少し考えれば予測できたはず。絶対に防げたはず! なのに校長——あなたは、私たちに待機命令を出した」
頭の上の蛇たちと一緒に、彼女はアポネ先生を睨みつける。
相手を石化してしまうんじゃないかってくらいの、眼力で。
「あなたの脳みそが、虫けら以下ではないことはわかっているわ。何か考えがあるのもわかっている。だけど......」
「どうやら、ヒトの上に立つ『人間』っていうのは......生徒が一人や二人減ったところで、なんとも思わないみたいね? 羨ましい脳をお持ちなこと」
校長先生は表情を変えない。目を逸らすこともない。
頭に浮かぶ、黒ずんだ天使の輪すら、震えることはない。
唯一の反応と言えば......灰色の翼が、ほんの少し下がったくらいだった。
「私は人間ではありませんわ。ネルソービュー学園の卒業生であるあなたと違い、元人間でもありません」
「あら、それはどうかしら? 覚えていないだけじゃない?」
「..................」
「〈ちょちょちょちょっとっ、二人とも! 喧嘩はやめてよっ! ボクたちを蚊帳の外にするのもやめて!〉」
レベッカ先輩はわざとらしく弾んだ声を出すと、弱々しい笑いを零しながら、私たちの方をチラチラ見てきた。
「〈ただでさえ混乱してる生徒たちの前で、さらに難しい話してどーするのさぁ? この子たちは何も知らないんだから......〉」
「......申し訳ございませんわ」
「ふんっ。私は謝らないわよ......」
両手を合わせながら、レベッカ先輩は口パクで『ごめんね~』って言ってくる。
なんだかんだ、先輩が一番のまとめ役というか。こういうときは圧倒的苦労人感が——
「レベッカ。もうはぐらかすのはやめて、全部イチから説明して欲しいだに」
医務室が揺れる。
一歩、また一歩、誰も押しのけたりしてしまわないように。
プニ先輩はゆっくりと足を動かして、マーキュリー先輩のそばに立った。
「お前たちのその口ぶり......まるで、キューティーがおかしくなった理由も全部知ってるみたいだに」
濃い紫色の目に詰まるのは、怒りとは違う湿度の焦燥感。
まつ毛先輩が視界に入るたび、唇を震わせて。
「お前とわたすたちの立場が違うのはわかってるだに。でも......!」
「そうだゑ!! お前は俺たちより二年早く卒業しただけだゑ!! なのにお前だけ色々知ってるのはずるいゑーーーーー!!!!」
地団駄を踏み出したキラ目先輩に続いて、他のみんなもレベッカ先輩にじっと目を向ける。
それぞれ違う温度の圧で。違う強度の希望で。
レベッカ先輩と目を合わせられなかったのは......私だけ、みたいだった。
「............」
彼女はテレパシーを送るのをやめて、校長先生の顔色を伺う。
アポネ先生も何も言わない。
だけど、ゆっくりと......祈るように頷いて。近くにいるシェリー先輩をびっくりさせてて。
レベッカ先輩はここ数時間で初めて、苦くない笑みを浮かべながら、改めて私たちの方を向いたの。
————ま......って。
待って
別に私は
知りたいわけ、じゃ————
「〈実は最近、ネルソービューの生徒たちが、次々と記憶を取り戻しちゃってるんだよね〉」
———————————————。
「〈で、それって本来はありえないことなんだよ!......誰かが意図的に、生徒たちの記憶を蘇らせようとしない限りはね〉」
「〈君たちの中にも、一人くらいはいるでしょ?〉」
「〈理由はわからないけど、失ったはずの記憶を取り戻してるヒト〉」
貫くような沈黙が、医務室を冷凍庫に変えてしまう。
目を伏せてるヒトと、顔をしかめながらキョロキョロしてるヒトがいる。
....................................なんで。
私。安心してるんだろ。
私だけじゃなかったって、わかったから?
『犯人』がいるんだって。誰かのせいなんだって、わかったから?
「————————あっっっっっ!!!!」
最初に口を開いたのは。
今まで一言も発してこなかった、一角先輩だった。
「あーーー! なるほどだぜぃ!! そういや最近、存在しないはずの元カノの夢ばっか見てたんだぜぃ!!」
先輩はただ一人顔を輝かせながら、全てに納得したように手を打つ。
「それ見たことか!! 幻覚じゃなかったんだぜぃ!! イマジナリー彼女なんかじゃなかったんだぜぃ!!!!」
「なに嬉しそうにしやがってんだにテメー」
プニ先輩は一角先輩をポカッと殴った。一角先輩は笑顔のままだったけど。
「わたすは記憶とかよくわかんないだに。最近見た夢とかいちいち覚えてないだに......」
「俺もよくわかんないゑ! あっでもそういえば、最近よく牢屋にいる夢見るゑ! それって実は記憶だったんだゑ?」
「え......? 『ジャスパー、入学前は犯罪者だった説』が浮上しちまったぜぃ」
そ、そんな感じでカミングアウトしちゃっていいの? そんな軽いノリで??
それなら......私も............。
「じ、実はウィローさんも......記憶がちょっと戻ってたり......」
「は!?!?!? ガーディナー!?!?」
隣にいたキャベツくんは目玉も舌も飛び出ちゃいそうな顔をした後、私の両肩を掴んでめちゃくちゃ揺らしてきて、そ、そんな驚っ
「なんで言わねぇんだよ!?!?!? 言えよ!?!?!?」
「だ、だってぇっ、言ったら退学なるかもってっっ」
「んなわけあるか!! てかオレにだけ言ってくれたってよかっただろ、このアホッッ、アホガーディナーッ、アホディナーッッッ」
「『アホディナー』????」
両頬を思いっきりつねられて、ぐにょってされて、
と思ったら頭、わしゃわしゃ、って............
「——————————っ」
い......いやいや。いやいやウィローさん。
ここで泣くのはやべーやつだからね、やめようね。
流石に情緒不安定すぎるからね、ほら我慢っ、我慢なさいっ
や、やっと言えたからって、
ずっと怖かったからって、
「で........................っ、も............最近は記憶見てない、んだよね......全部思い出したわけじゃないのに............」
「そうなのか?? 犯人も嫌なやつだなっ! 途中までしか思い出せないとか、続き気になっちまうだろうが!」
「............いや............べつに..................」
た......耐えたぁ............。
それにしても、こやつの口ぶり......キャベツくんは何も思い出してないってこと、だよね?
............いいなぁ。
「ねぇレベッカ。それってつまり......キューティーの様子がおかしかったのは、嫌な記憶を思い出したせいだったってこと?」
わいわいと医務室が賑わう中、マーキュリー先輩は珍しく真剣な表情で。
ビシッと手を上げて、布団から尻尾を片方出して。
「あのとき、キューティーは半分記憶の中にいて............だから僕を刺してきたってこと?」
マーキュリー先輩に返事するように、まつ毛先輩は小さく唸った。
今も夢の中に......記憶の中に、いるみたい。
そんな彼女の額に、レベッカ先輩はそっと手を添える。
熱があるか確認するように。過去に囚われた彼女に、手を差し伸べるように。
「〈ねーねー、アポネせんせぇ? ボクからちょっとした提案があるんだけど......〉」
優しかった笑顔にスパイスを足すように、レベッカ先輩はニヤッと口角を上げた。
「〈生徒たちの記憶を蘇らせてる犯人は、ネルソービュー内にいるんでしょ? だったらさ、ボクの仲間たちにも協力してもらうのはどうかなっ?〉」
————————え?
「はぁ!? どうやらあなたの脳みそにも、ウジが入り込んでしまったようね」
シェリー先輩は空いてるベッドにストンと座ると、機嫌を損ねた子供みたいに腕を組む。
「この子たちがどうなってもいいの? 頭がおかしくなってもいいの? 犯人に近づくということは、記憶を完全に取り戻す可能性が高くなるということで——」
「〈あっはは! まぁ多分大丈夫だよっ、みんな優秀だし! ちょっと馬鹿だけど〉」
「1行で矛盾しないでくれる?」
「〈そ・れ・に!〉」
レベッカ先輩は人差し指を頬に当てながら、校長先生に笑いかける。
「〈教授や運営チームに対しては、待機命令が出てるけど......この子たちは生徒でしょ? つまり、生徒たちは自由に行動できるってことでしょ? 犯人も捕まえちゃって良いってことでしょ?〉」
「..............」
アポネ先生は何も言わない。灰色の翼を閉じたまま、右目を前髪に隠したまま。
あえて、反論しないのかもしれない。
もしかしたら、最初から私たちに............。
「〈と、いうわけでっ! 『笑顔拡散委員会』の諸君っ! 突然ですが君たちには、みんなの記憶を蘇らせてる犯人を捕まえてもらいまーーーっす!〉」
というわけで。
なんか。犯人を捕まえることになっちゃって。
『レベッカ先輩はトモル先生と付き合ってるのか』どころじゃない話になっちゃって。
「......よくわかんないけど、レベッカがキスしてくれるなら良いよ」
「報酬は? もし犯人捕まえられたら、1億ペタルよこせだに」
「わーーーい! 警察ごっこだゑーーー!! 名探偵になってやるゑ!」
「どうせなら、元カノのこと全部思い出させてほしいぜぃ!」
みんなは、結構ノリ気みたいだった。
重いはずの空気も、このヒトたちは勢いだけで吹っ飛ばしていく。
簡単に、一つになれちゃうの。
「へははっ、マジかよ!! オレらだけの特別ミッションかよっ!? ワクワクするぜっっ、なぁガーディナー!」
キャベツくんは私の背中を叩きながら、満面の笑みを向けてくれる。
いつもなら、すぐに伝染してくるような笑顔。見るだけで温かくなれる笑顔。
でも。
私は笑えなかった。
私だけが笑えなかった。
だから。叩かれた背中が痛いフリをするしか、なかったの。
「い゛っったい! 暴力! DV彼氏ーーっ!」
「おいおい、大げさだろ! んな強く叩いてねぇって!」
..............................もし。『嫌だ』って言ったら、キャベツくんはなんて言うんだろ。
みんなはなんて言うんだろ。
変なことに巻き込まれるのも、他の誰かより知ってることが多いのも。
もう苦しいことは嫌だって、私はただ楽しい学園生活を送りたいだけで、
ミルルンにぎゅってしてもらったり、
ローリエと買い物しに行ったり、
オリーブくんと宿題したり、
ブレイズくんとお菓子食べたり、
キャベツくんと恋愛、したり。
それだけでいい。
それだけがいい。
それだけじゃないとヤダ。
............なんて..................。
「んじゃ早速、犯人探しといこうぜっ! 捕まえるっつっても、そもそも犯人が誰なのかわかんねぇと——」
「その必要はございません。犯人には、もう目星が付いておりますわ」
校長先生は、また後ろ髪をかき上げる仕草をした。
その華奢な指先は、今度はツインお団子の一つにぶつかる。ちょっと髪が乱れても、全く気にしてないみたいで。
......言葉の続きを言うつもりはないのか、彼女はそのままシェリー先輩に目を向けた。
シェリー先輩は深いため息をついて、ベッドの上で足を組んで、
「そうよ。今のところ、犯人の最有力候補は————裏切り者の生徒なの」
「死神科の三年生......『ブレイズ・ガントレット』よ」
嫌だ
次話:私の死因①
です。ウィローちゃんの話です




