121話:だから全てを疑って
「あんなちゃん、もしかして......新しいお父さんとあんまりうまくいってないの............?」
「. . . . . .」
朝なのか、昼だったのかは思い出せなかった。
ただただ、白い霧が立ち込めていた。
きっと、神隠しは本当に存在するんだと、思い込めるほどの仄暗い白。
「......な......なんでそんなこと......」
あんなちゃんは公園のベンチにしがみつくようにしながら、口角を震わせる。笑うべきか怒鳴るべきかわからないって顔。
雨のせいで、目の下の隈が一層濃く、酷く見える。
「あーし、そ、そんなに元気ないように見えた......? ちゃうねんっ、あーしはただ疲れとっただけで——」
「っ最近のあんなちゃん、そればっかり! そんなに毎日疲れちゃうの!? それくらい、新しいお父さんと一緒にいるのが......っ......」
その続きは言えなかった。白い吐息として出てきた言葉は、声を置きざりに喉から出てきてしまったの。
あんなちゃんの、新しいお父さん。孤児院にいた彼女を引き取った、すらりとした体のキューピッド。華奢で大きな手で、あんなちゃんの手を握ってる姿を見かけたことは何度かあった。
だけど、直接話したことはほとんどないから......彼の顔すらもぼんやりとしか思い出せない。
「......ただの......私の、気のせいだったらいいんだけど............」
「. . .」
「孤児院を出てから、あんなちゃん......暗い顔が増えたような......」
「. . .」
「ここ数年間で、あんなちゃんが......遠く、なったような............」
この日は、私もあんなちゃんも、黒を身にまとっていた。
黒のセーラー服に、スカーフのような白のリボン。そして、いつもの白カチューシャを付けてるのが私......宇佐川なのか。
あんなちゃんが着てるのは、大人っぽい黒の長袖ワンピース。背中に貼り付いた三つ編みが、影と共にカモフラージュしてる。
雨だというのに、カラスが鳴いていた。姿は見えないけど、遠くから私たちを見守っているようだった。
「......あんなちゃん......私......私はただ——」
「わかっとるよ。あーしのことが心配なんやろ?」
雨が、彼女の頬を伝う。
煤のように滲んだ瞳は、私の姿すら映さない。
「あんたは優しいから......そりゃ心配になるよなぁ? そうやんなぁ?」
「そ......そう、だよっ、だってあんなちゃんは私の友達で、大親友でっ」
「時々公園で泣いてたり、一人で黄昏とったり、ナイフ持ち歩いたりしてるとこ見たらそりゃ心配になるよなぁっ、ははっ」
「あんなちゃんは私の家族なんだよ!! 家族なんだから話してよっ、ねぇ!!」
私は彼女に顔を近づける。
それでも、木の影が彼女を照らすだけ。私たちを覆うだけ。
木の下にいたところで、雨から守られるわけじゃない。
あんなちゃんはその虚ろな瞳を、音も立てずに私から逸らす。
「......なのかは、あーしのことが大好きやもんなぁ」
「当たり前だよっ」
「あーしも好きだよ。あんたとおるときが、一番楽しいから......」
「ねぇあんなちゃん私、あんなちゃんのこと助けたいよっ、だから」
「でもなぁっ、なのか!! そういうのは言わへん約束やろ!?」
響き渡る声は、まるで画鋲のようだった。
ずっと喉に詰め込まれてた画鋲を、吐き出したような。無差別に辺りを刺すような。
「そういうのは見て見ぬフリしとけばええねん!! あーしの事情はあーしの事情で、あんたには一切関係あらへん!!!!」
「っ、————ち......が——っ————」
「あんたはあーしの隣で笑ってくれればそれでええ!! それだけであーしはいつも救われてっ、あんたと楽しく過ごすその時間だけが——」
いつも私は、あんなちゃんより先に泣きそうになる。
堪えても堪えても、木々の隙間から零れる雨滴じゃ誤魔化せないほど、私は顔を歪ませてしまう。
口角を上げられなくなっちゃう。
そんな私に、あんなちゃんは当然気づく。
当然。苦しそうな顔をする。
「あ......あぁぁあ......あかん......違う、あーし......そんな............っ」
あんなちゃんは両手で顔を覆いながら、ベンチの上でうずくまる。指先は震えてなくても、爪の色は紫に染まっていた。
「ごめん......さ、最低やん、なのかに八つ当たりして、っ、あーし」
笑わなきゃ。
私が泣いたら、あんなちゃんが泣いちゃう。
それなのに、上がるのは下唇ばっかりで。
「っ、ちゃ......あんな、ちゃ......ん、わかった、わかった、よ、私、ちゃんと笑う、から、っ」
下瞼に力を入れて、口の端を上げようとしながら、私はそっと指先も上げる。
口の中に入った自分の髪を、無視するの。
「ごめんねっ、へ、変なこと聞いちゃって、」
「駄目なこと聞いてるって」
「わかってた」
「の」
「に」
ただ、表情を正そうとする。
こういうとき、あんなちゃんならどうする?
私が泣いてるとき、あんなちゃんはどうしてくれた?
『かぞくになろうよ』
『いっしょに......いきよ?』
「......あんなちゃん......ゆるして............」
あんなちゃんは顔を上げる。ゆっくりと手を下ろす。
水に濡れて点かなくなってしまった蝋燭のように、彼女はただ座っている。
あんなちゃん。
蝋山あんな、ちゃん。
死んでしまった両親から受け継いだであろう、その真っ黒な瞳が。
見てると落ち着く優しい目が、私は好きだった。
「わたし......ばかだから、さぁっ......できること、あんまない、、けど、っ」
「私は、ぜったい」
「なにがあっても、」
私は彼女に手を伸ばそうとした。
手を握ろうとしたのか、抱きしめようとしたのか。どっちだったか思い出せない。
だって。
「私はずっと、あんなちゃんのそばに——」
「——~~~っさわらないで!!!!」
所詮空っぽの私には。
正しい愛の注ぎ方なんて、わかるはずなかったから。
「......................................................へ............」
手がヒリヒリ、する。
あんなちゃんに、こんなに強く叩かれたのは初めてだった。
それでも、あんまり痛くなかった。彼女は昔からずっと非力だから。
それでも。
今までで、一番。痛かった。
「~~~~はっ、ぁ、はぁっっっや、だ、やだ、ぁ、っ」
あんなちゃんはもう、私の知ってるあんなちゃんじゃなかった。
いつも私の手を握って、抱きしめて、微笑んでくれたあんなちゃんは......もう、どこにもいなかった。
死んじゃったんだ。
遅かったんだ。
私は、あんなちゃんを救えなかった。
「さ、わらないでっ、さわらんといてぇっっ~~うぅうっ、うぅううぅう゛っ、ぅ......!!」
あんなちゃんは口を覆う。
目を抉るように押さえる。
立ち上がって、すぐに地面に倒れ込んで、ベンチの座るところに突っ伏す。
「いやっ、いややぁっ、ぁぁああぁああ゛ぁぁあぁぁあ゛あぁぁぁぁあぁぁあぁああ」
「っ」
「. . . . . . . . . . . .」
なのに、急に泣き止む。
何かのネジが外れてしまったかのように、静かになる。
彼女は、また立ち上がった。
ふらつきながら、私を見下ろした。
皮肉なことに、雨が止む。
もちろん、雲も霧もなくならない。
冷たい空気は、ただ静かに私たちの首を絞める。
暗い。
く......らい............。
「............あのな、なのか。」
「——っ、——————っっひ、ぅ」
「安心せぇ。お父さんとはな、むしろうまくいっとるねん。」
「っ、く、っっっっうぅうっ」
「別に殴られたりしとるわけちゃうし。虐待されてるわけちゃうし。」
私は泣き止めなかった。
腫れた手で口を押さえて、俯くことしかできなかった。
「お父さんは、毎日あーしのこと抱きしめてくれるし、頭も撫でてくれるねん。」
「愛の言葉も囁いてくれて」
「愛してくれて」
「あーしは......幸せ者、やから。」
私が顔を上げられる前に、彼女は背を向けてしまった。
ほどけはじめた三つ編みが、背中で揺れている。
「................................................なのか。」
「ま......って、~~~っあんなちゃんまって、いかないで、ぇっっ」
「約束するよ。あーしはもう、二度とあんたを傷つけへん。」
遠ざかる。
私は立って追いかけようとするけど、すぐに足がもつれて転ぶ。
湿った砂と水溜まりは、いとも簡単に視界を濁らせる。
「あんなちゃん、あんなちゃんっっ」
「せやからあんたは、あんたのまま......何も知らないまま......。」
最後に、彼女は振り返った。
あんなちゃんは、笑ってた。
......笑っていた。
「あーしが、もうあんたに会えんくなったとしても......幸せに......生きてな?」
そして。
それだけ言い残して、彼女は走り去ったの。
川のように流れる水溜まりが、すぐに彼女の足跡を消してしまう。
たった一匹のカラスが鳴き止む。
....................................そうだ。
そう、だった。
これが、あんなちゃんとの最後の会話だった。
あの日以来、あんなちゃんは家から出てこなくなっちゃって。
私は一人ぼっちになっちゃって。
笑えなかったから。
救えなかったから。
私は家族を失った。
子供には何もできないんだって知った。
別れは突然やってくるんだって知った。
私は。
泣いちゃだめなんだって、知った。
* * *
「——......ロー! ウィローってば!! 大丈夫かいな!?」
誰かが、私の肩を揺さぶってる。
誰かが、現実世界の私の名を呼んでいる。
私が、よく知っている声がする。
「......ん......ぅ......?」
「やっっっと起きた!! あんた、ここ10分くらいず~~~っとうなされとったんやで?」
まだぼやけたままの視界に映りこむのは、いつもの代理医務室の天井。
すると、蛍光ペンのような水色の瞳が覗き込んでくる。鮮やかな紫髪が、私の頬をくすぐってくる。
......ローリエ......髪、下ろしてる......?
「わ、私............なんでここに......」
「えっ、覚えとらんの? キャベツの話によると、『笑顔拡散委員会』のやつらと一緒に歩いてたら、急に倒れよったって......」
「そ......そうだっけ......?」
やけに乾いたままの喉で、私はとりあえず声を出し続ける。
ここに来た経緯は、あんまり思い出せない。どうして倒れちゃったのかも、急に記憶を見始めたのかもわからない。
思い出す気にすら、なれない。
「そもそも、『笑顔拡散委員会』があんたをここまで運んできたんよ。で、キャベツはトモル先生を探しに行って、他3人は差し入れを買いに行って、残りは......誰かに会いに行く、とか言うてたけどようわからん」
「............へぇ......」
「あ、あーしはたまたまここにおっただけやで?? そのぉ......飛行訓練で箒乗り回しとったら、軽い衝突事故に遭ってもうて......」
汗なのか涙なのかわからない水を拭いながら、私はベッドから起き上がる。
すると、ローリエは心配そうな顔をしながら、ベッドの端にちょこんと座ってきた。
「それより、具合はどうや? まだ顔色悪いし、寝とった方がええんちゃう?」
「......へーき............ローリエこそ大丈夫なの? 衝突事故って、い、痛いんじゃ......」
「あーしのことはええねん、もう怪我はほとんど治してもらったし! ちょっと調子に乗って壁にぶつかっただけやし!!」
ローリエは足をジタバタさせた後、ふぅっと息をつく。下ろした髪を指に絡ませながら、少しだけ頬を膨らませる。
「..............................で? あんたはなんで倒れたんよ?」
「わ、わかんない......」
「とぼけんな!! どうせあれやろっ、寝てないとか朝ご飯食べてないとか、その辺に落ちてたヤバいもん口に入れたとか——」
「ほんとにわかんないんだってば! 倒れた瞬間すらも覚えてないしっ、そもそもなんで私は急に——......、............」
過去を。
記憶を、取り戻し始めたのか。って。
「......は? 『急に』? 何?? そこで止まるのは流石に許さへんで??」
「ぅ......あ、あははっ」
「何わろてんねんっ、誤魔化すな!」
ローリエは私のネクタイを鷲掴みにして、グイッと自分の方に近づけた。
ローリエならきっと、言っても大丈夫。わかってる。
ブレイズくんのこともずっと秘密にしてくれてるもん。ローリエなら信じても大丈夫。
最近、急に記憶を取り戻し始めてて、意味わかんないんだって。
怖い、って。私だけなのか、私以外もそうなのかわかんなくて。
助けて。って。
言っちゃ............だめなのかな。
私は......笑わなくちゃいけない、らしいから。
「......私は......ウィロー・ガーディナー、だよね......」
「? そうやけど?」
「だから私は......私らしくなきゃ............——」
『人間ってのはな、ちょっとわがままなくらいが一番可愛いねん!』
『わがまま言ってるオマエも、可愛い、と......思う............ぞ..................』
........................結局私は、記憶を失っても、何も変わってなかったんだね。
いつも助けてもらう側。甘やかしてもらう側。
隠そうとして、結局泣いて、救われて。その繰り返し。
そんなんだから、ゾディさんは死んじゃった。
あんなちゃんは......——
「......あ............」
「『あ』?」
「............ぃ..................」
ローリエは、あんなちゃんなの?
って。
質問一つ聞くことすら、怖くてできないところも変わってない。
どうするのが正解なんだろう。
呪われるしか、ないのかな。
『なのか』の、呪いを。継ぐしか。
それとも、『ウィロー』は違うって。
私は『なのか』と違うって。変わるんだって。
......どうすれば嫌われない?
どうすれば救えるの?
ねぇ............っ
「——————ウィロー。」
あんなちゃ——じゃなくて。
ローリエは、私の手を掴んだ。
......私の。手を。握った。
「........................えっ」
「あーしもな、最近ごっつ夢見が悪いねん。せやからさ......」
ローリエは私より先に、枕に寝転ぶ。
すまし顔のまま、空いてる方の手をちょいちょいってしてくる。
「一緒に寝ようや。そうすりゃ、変な夢も見いへんやろ」
「......」
「はーーやーーくーー」
気を使わせちゃった。
でも、手を振り払えるわけがなかった。
そもそも、ローリエの力強すぎるし。絶対に逃がさないって意志を感じるし。
最近夢見が悪いっていうのも、嘘じゃないっぽいの。近くで見てみると、寝転んだローリエの瞼が少し赤い。隈と腫れが滲んだような感じ、で。
それに......。
「ろ、ローリエ......さ......さわるの平気なの......?」
「手握るくらい平気やし。ナメんな」
「嫌じゃないの......??」
「......普段なら、ちょっと嫌なんやけど......」
ローリエは横向きになると、握った私の手をじっと見つめる。フッと、瞼を半分閉じる。
「............不思議やなぁ」
そして。
心の底から嬉しそうに、温かそうに。
記憶の中にいたあんなちゃんよりも、子供っぽく笑った。
「あんた相手やと......そんなに嫌じゃないみたい」
「————っ」
数年前のあんなちゃんに、そっくりだった。
「............」
彼女の隣に寝転ぶ。一人用の枕を半分こしても、あんまり狭く感じない。
ローリエが小さいからかな。それとも、それは関係ないのかな。
「......ぅ......へ......ぅへへ......」
「それは作り笑い? 本物?」
「............わかんない......」
「なんで自分でわからへんねん」
結局、何一つ答えは出なかった。
全てが停滞したまま、変わらないまま......なのかも、しれない。
それでも、気がつけば私は眠りについていて。
これ以降。
理由はわからないけど。
私はしばらく、過去の夢を一切見なくなった。
記憶を取り戻さなくなったの。
次話:永遠に続く平和なんてないから、
です。




