116話:恋のグレーゾーン
「僕はただ......世の中の全てを、白か黒かで見たくないだけなんだ」
トモル先生は翼を落とす。
同時に、静寂が私たち三人に落ちる。
凍えさせるほどではない冷たい霧が、廊下を包み込むような。
「『悪霊』だから悪い、とか。『人間』だから脆い、とか。決めつけるのはよくないと思ってる。......でも......」
先生は、消えかかったシャンデリアの蝋燭に向かって、手を伸ばした。
「世の中が課したレッテルから、完全に目を逸らしてしまうのも......盲目になるのも......なんだか違う気がするんだ」
「「............」」
私とブレイズくんは、顔を見合わせる。
先に目を逸らしたのは、ブレイズくんの方。
眉をひそめながら、丸めていた指先から力を抜きながら——
「————厨二病ですか? 早く卒業した方がいいですよ」
............ブレイズくん????
い、今結構真面目な空気だったよね? あれ??
「ブレイズくんちょっっちゅ、『厨二病』なんて言葉どこで覚えたの!? ウィローさん教えた覚えないわよ!?!?」
「ビューリューに教えてもらいました」
「なるほどローリエに......って今じゃなーーい!! 今は新しい知識を披露するときじゃないよっっ」
ほ、ほら! トモルせんせー顔真っ赤になっちゃってるじゃん!! 翼にまで赤が滲んじゃってるじゃん!! 可哀想だよっ、あんなにプルプル震えちゃってっっ、
「と、トモル先生っ、うちのブレイズくんがごめん!! 話の続きしていいから——」
「そもそも、お前の言っていることは答えになっていません!」
ブレイズくんは当たり前のように私を遮ると、人差し指を突き出しながら足を踏み出した。
「俺を庇った理由も、わざわざ『裁判倫理学』の授業内容を変えた理由も何一つわかりませんでした。抽象的な言葉で本音を隠そうとしても無駄ですよ?」
「ンン゛ッ......お......おかしいな......? ちゃんと答えたつもりだったのだけど......」
トモル先生は手で顔をパタパタ仰ぎながら、精一杯の苦笑いを浮かべる。
そして、翼を伸ばしながら深呼吸をして、軽く咳払いをした。
「まぁ......伝わらなくてもいいよ。僕が君の事情を全ては知らないのと同じで、君も僕の全てを知っているわけではないからね」
「そうやって誤魔化すのですね」
「僕の行動に一貫性がないのは、もちろん自覚しているよ。そのせいで、いつも空回ってばかりで......」
「人外は日本語も理解できないのですか?」
ブレイズくんの拗ねメーターがピークに達しそうだったから、私は彼の背中を撫でて「どーどー」ってする。こうでもしないと、今にも先生に殴りかかりそうなんだもん......。
「ま、まぁまぁ! 理由はなんであれ、ブレイズくん助かったんだし! 自分がポエナから来たこともバラされなかったんだし! 結果オーライじゃん!」
「......」
「ほらほらっ、トモル先生に『ありがとう』ってしましょうね~」
「お前は俺の親ですか?」
「......今回は、僕が庇ってあげたからよかったものの......」
すっかり頬の赤みを拭い去った先生は、私たちの間にスッと入ってくる。
警戒で表情筋を固めたブレイズくんに対して、フッと笑いかける。
「次からは、あそこまで感情的にならないようにね? もし『裁判倫理学』の教授が僕じゃなかったら、退学になっていた可能性もあるんだから」
「......、............」
「とはいえ......『黄昏の砦』で実際に裁判を経験した君に、不快な思いをさせてしまったことは謝るよ」
「............」
そして、先生はそっと、ブレイズくんの肩に手を置いた。
ブレイズくんが唇を震わせると、すぐに手を離していたけれど。
「君には、目的があるんだろう? ネルソービューの教授である僕が、知ってはいけないような目的が」
「...」
「だったら、ちゃんと隠し通さないと。時が来るまで、その燃え盛るような怒りを鎮めておかないと......」
彼はブレイズくんを横切る直前、耳元に囁くように、
「......ゾディアックが、君をここに連れて来た意味がなくなってしまうのは嫌だろう?」
「——————!」
驚きよりも。
ゾディさんの名を聞いて感じた、心痛の方が勝っていたのは。多分、ブレイズくんだけじゃなくて。
きっと私も、同じような顔をして......。
「それじゃあまた後でね、二人とも。ウィローくんは、そろそろ次の授業へ向かった方がいいんじゃないかい?」
トモル先生は紅茶のように温かい笑みを浮かべながら、私たちに向かって小さく手を振った。
そして、そのまま背を向けて、翼を羽ばたかせながらゆっくりと去って——
......行っちゃった、と思ったら。
最後に一回だけ振り返って、急に目をカッッッと見開いて、頬を染めながら汗をダラダラ流しちゃって、
「あ、あとっ、厨二病うんぬんのいじりはもうやめてね!? け、結構気にしてるから! 次言われたら寝込むから!!」
それだけ言い残して、そそくさと早歩きで去って行っちゃった。
「「............」」
私とブレイズくんは、再び顔を見合わせたのでした。
......この廊下、ついさっきまでは私たちしかいなかったのに。
トモル先生がいなくなった途端、他の生徒たちがぞろぞろと現れてくる。不思議......。
「トモル先生......やっぱり良いヒトだね!」
「. . . . . .」
「びっくりしたぁっ、なにそのめちゃくちゃ嫌そうな顔......」
「当たり前です。彼が何かを企んでいるのは明白なんです、ただ証明できないだけで、」
「ま~~ま~~、もっと気楽にいきましょうよ~~。何も考えずにさぁ~~」
「お前にだけは言われたくありません」
「え?」
トモル先生の、あの言葉。
本当に、ただの厨二病って可能性もあるけど。
『僕はただ......世の中の全てを、白と黒で見たくないだけなんだ』
......もしかしたら。
『行動に一貫性がないのは、もちろん自覚しているよ。そのせいで、いつも空回ってばかりで......』
ヒナタくんを、テオくんの前で消してしまったことを。地獄ダンジョン送りにしてしまったことを。
テオくんが、行方不明になるきっかけを作ってしまったことを。
後悔......してたりするのかな?
***
正直、朝の授業だけでもうお腹いっぱいなんですけど。
『裁判倫理学』が終わったすぐ後に、次の授業があるからさ。
科目の名前が、『魂導実習・基礎』っていうの。魂を導くって書いて、『こんどう』って読むんだって。
なんかわかんないけどヤバそうでしょ?
この授業も、先週はキャンセルされちゃってさ。
しかもトモル先生と同じ理由でキャンセルしてたから、ワンチャンこのクラスの担当もトモル先生なんじゃないかって思ったんだけど......。
「〈やっほーーー! 初めての『魂導実習』へようこそ! 先週はごめんねぇ、牡蠣にひどいあたり方しちゃってさぁ〉」
ま さ か の レ ベ ッ カ 先 輩 。
一瞬幻覚かと思ったけど、違ったね。
羊みたいで可愛い、淡い黄色のもこもこヘアも。白い太陽を閉じ込めた、真っ黒な瞳も。
立派な悪魔の翼も尻尾も、それに対して小さな角も。
そして何より、テレパシー。口を開かずにニコニコ喋ってる姿は、まさに強キャラ。
「〈ボクのこと知ってるヒトは多いだろうし? 自己紹介とかめんどいから、早速授業に移っちゃおっかな~〉」
そんなレベッカ先輩には、知られざる一面というか、ギャップというか、弱点があるんだけどね。ウィローさんはお口が固いから言わないよっ。
ヒント:マーキュリー先輩。キッス。
「〈先週休んだ分を取り返すために、今日の授業はスピーディーに行くよ! わからないところがあったら、あとでボクに聞きに来てねっ〉」
それはさておき、レベッカ先輩が少々ぶっ飛んでる事実は変わらないわけでして。
「〈みんなもう知ってるかもしれないけど、現在この講義室には、大天使科と大悪魔科の生徒しかいません! 君たち専用の科目だからねっ!〉」
今回の授業も、絶対普通じゃないんだろうなぁ~~......初手からやばいこと言ってくるんだろうなぁ~~......心の準備しとかないと......。
「〈それで、『魂導実習』とはなんぞや?って思ってる子たちも多いだろうけど......その前に! まずは魂について、詳しく説明してあげないとね~~〉」
レベッカ先輩は早速教科書を取り出すと、教壇の上にドサッと置いて、尖った尻尾でページをめくる。サキュバスやインキュバスとは違って、先がハート型ではないみたい。
「〈まず、ここでいう『魂』っていうのは、主に『死者』のことを差すよ。『体』という器を持っている魂が『生者』で、『体』が死んでしまって『魂』だけになったのが『死者』ね〉」
先輩は何もない空気からチョークを生み出した。
しかも、ただのチョークじゃない。黒板に当てられた瞬間、当たり前のように自立して、蜘蛛みたいな足を生やしちゃって。
黒板上をアメンボのようにスイスイ泳いで、色々描いていく。
魂と、体の絵......わぁ......ウィローさんと違って超~~絵うまい......。
「〈それで......死んでしまった魂は、新しい体を得るために『転生』するんだ。過去の記憶も姿も全部リセットされて、完全に新しい存在になる。ここまでは、説明しなくてもなんとなくわかるって子が多いんじゃない?〉」
このチョークも、先輩が作った魔法道具なのかな? 相変わらず凄いなぁ。
「〈だけど、君たちは考えたことない? そもそも、どうして『魂』は体を欲するのか。どうして死んでしまった後も、過去の自分を失ってまで『転生』しようとするのか......答えはカンタン!〉」
先輩は口角を上げながら、名探偵のように人差し指を前へ突き出した。
た、魂が体を欲する理由? なんか難しそうな話......。
「〈魂にはね、『本能』というもの——要するに、『欲』があるからだよ。食欲とか、性欲とか承認欲求とか......それらは全部、実体を持ってないと満たせないんだ! 実体がなければ、ご飯も食べられないし、誰かにいたずらもできない。悲しいでしょ?〉」
......ほぉ......なるほど......?
なんか、今のところ普通の授業だな......。
「〈『欲』を満たせない魂は、いずれ消えてしまうんだ! 消えたくないから、魂は本能的に『体』を探す。死んじゃった後も、本能的に『転生』しようとする。どう? わかった?〉」
めちゃくちゃ真面目に授業してるなぁ、先輩......。
いやでも、多分ここからヤバくなっていくんでしょ? 知ってるもんウィローさん! 急に爆弾しかけてくるんだ!! いっつもそう!!!!
「〈よしっ! それで、これは昔々、大昔の話なんだけどね?〉」
来る......来るぞ......そろそろ来るぞ............!!
「〈この世にまだ、人外が存在していない頃......人間しかいなかった頃は、まだ誰も魂が転生することや、魂が自分に存在してることも気づいてなくて——〉」
来るぞ......ッッッ!!!!!!
***
「〈————は~い、今日の授業はここまで! 時間よりちょっと早いけど、早く終わる方がみんな好きでしょ? また来週~っ!〉」
「............」
来なかった............。
あ、あれ?? おかしいな......?? 普通にただの授業だったな......????
なんなら、初日にしては難しい授業じゃなかった? あれ?? ウィローさん後半とか全然聞いてないよ? 全く頭に入ってないよ????
え、えっと? 魂が転生する理由を話してて?? そのあとは歴史で......そのあとは......
「いやいやいやおかしいじゃん! もっとぶっ飛んでるやつ来ると思うじゃん!!」
講義室からどんどんヒトがいなくなるのを良いことに、私は頭を抱えながら騒ぐ。
「こう、ドカーーンって!! なるやつかと思うじゃん!! 全部爆発してウワーーーってなつやつじゃ——」
「〈お~い! ガーディナーちゃ~~ん!〉」
私のことを『ガーディナーちゃん』って呼ぶのは、レベッカ先輩が初めてかもしれない。
顔を上げてみると、先輩は満面の笑みを浮かべて、こっちまで駆け寄ってくる。
さっきまで綺麗に畳まれていた黒い翼を広げて、一歩一歩がどこか優雅に見えて。
「〈やっほ! ボクのこと覚えてる? 二年前にキャベツくんのガイドをしてた、レベッカ・ブラックウェル先輩だよっ!〉」
彼女は両頬に人差し指を当てながら、可愛らしく笑った。いつも、表情だけは純粋そうなヒトなんだよね......。
「〈ボクの授業どうだった? ちょっと難しすぎたかなぁ?〉」
「ぇ、あ、は......ははっ......」
い、言えない......! 絶対ヤバいこと起きると思ってたなんて......!
結局なんのトラブルも起きなくて、ちょっとだけガッカリしてる自分がいるなんて......ッ!!
「あ、あははっ、はっ、ま、まぁ、なんか、た、魂がこう、欲とか本能がなんちゃらで! ドカーーンってするのがすごいなって思いました!!!!」
「〈あれ、ボクそんなこと言ったっけ? まいっか!〉」
すると、先輩は私の隣の席に座って、両手で頬杖をつく。
少しだけサイズが大きいローブの先が、床のタイルにつきそうになってる。
「〈実は、『魂導実習』を担当するのは初めてでさ。緊張したよ~~! ボクうまくやれたかなぁ?〉」
「き、緊張してたの?? ......あっ、し、してたんですか?」
「〈ハハッ! タメ口でいいよ、タメで! ボクと君の仲でしょ?〉」
「う、うん......わかった............」
いつの間にか、講義室から誰もいなくなる。レベッカ先輩と二人きりになる。
私たちを囲うテーブルの数が、急に増えたような気がした。
心なしか、壁も遠くなったような......?
「〈ね~~ね~~ガーディナーちゃん、『裁判倫理学』の方はどうだったの? あっちはトモルが担当してるんでしょ?〉」
「え、えっと......フツーだった......よ?」
「〈え~~~、ホントに~~? あとでトモルに聞いてみよ~~っと!〉」
「............」
先輩は髪先を淡く発光させながら、私にじりじりと近づいてくる。
口は一切開かないけど、口角は上がりに上がりまくってる。
「......あ~~......レベッカ先輩......いや、先生......?」
「〈どっちでもいいよ? 君の呼びやすい方で!〉」
「じゃあ先輩、その......あのぉ......」
私はテーブルの下で自身の指と指を絡ませながら、おそるおそ~~る彼女と目を合わせた。
「なに、か......私に野暮用でも......????」
「〈......〉」
「だだだだだって、さっきからめちゃくちゃ近づいてくるしめっちゃ見てくるしっっ、帰してくれる気配ゼロだしっっっ」
「〈あはははは!! ガーディナーちゃんは可愛いねぇ! キャベツくんの言った通り!〉」
先輩は急に身を乗り出してくると、私の頭——から生えてるアホ毛を、わ、鷲掴みにした。
おそらくハート型が崩れてるアホ毛を、めっちゃ至近距離で眺めてくる。
「〈このアホ毛って、一体どういう仕組みなの? なんで動いてるの? 実はガジェット? それとも何かの魔法??〉」
「そ......れが自分でもわかんなくて......感情に合わせて動くらしいっすぅ......」
「〈へ~~、メダカみたいで可愛い! 切ってお持ち帰りしてもいい?〉」
「やめて????????」
メダカ?? 虫のアンテナとかならまだわかるけど、め、メダカ???? 私のアホ毛が??
なんかわかんないけど、私もしかして気に入られてる......? まぁ一応知り合いではあるし、去年だって——
————————wait. (訳:待て。)
あ............れ?
先輩。さっき、なんて言った......?
私のこと、可愛いって。
かわいい、って。言って。
その後。
その、後............、、、、、、、、、、、、
「ね......さ......っさっき、きゃ、キャベツくんがどうのって言——」
「〈ねぇガーディナーちゃん、『笑顔拡散委員会』に入る気はない!?〉」
先輩は瞳に天の川を宿しながら、私の手を強く握りしめた。
おもちゃを買ってもらった子供のように笑いながら、その場でピョンピョン飛び跳ねる。
「〈去年は色々あったせいでアレだったけど、今年こそはさ! ね!! キャベツくんと一緒においでよ!!〉」
「ぅえっ、あ、で、でででもっ、ま、また変な試練?試験??受けさせられるんじゃ」
「〈大丈夫!! 今回はあいつらの好き勝手にはさせないから!!〉」
そう。
去年も一応入ろうとはしたんだけど、そこにいた部員の一人に『とある試験に合格しないと入部は認めない』って言われちゃって。しかも結局入れなくて。
「あぁあぁぁああの私っ、きゅ、急にポエナとかに行っちゃって、半年間姿をくらますことになっても一切責任は負いませんのでっっ」
「〈大丈夫大丈夫! ここ三年間ずっと幽霊部員のやつもいるから!〉」
「それは大丈夫じゃなくない......?」
「〈それに、もしガーディナーちゃんが入部してくれるんだったら......〉」
先輩は私の耳に口を近づけて、軽くO字型ピアスをつついて、く、くすぐった——
「〈——君とキャベツくんを、くっつけてあげるよ?〉」
「ッピョッッッッッッッッッッッッッッ」
私は時間差で発狂した。
熱くなっていく両耳を手でそれぞれ覆いながら危うく椅子から転げ落ちそうになってそのまま立ち上がってアホ毛が暴れててあっほんとだメダカみたいっつってなっっ!?(?)
「な、なななっ、なな、の、の、のりでくっつけるって話カナ!?!? あはあははははっ、せ、先輩ったらおちゃめえぇぇっっっ」
「〈? 違うよ? 恋人にするって意——〉」
「あーーーっ!! あーーーー!!!!!!」
先輩はこっちの気なんて知らずに舌舐めづりして、な、何気に初めて口開けて笑ってるしっっもうなんなのもうっっっ
「〈それじゃあ、あとでキャベツくんと一緒に部室においでねっ! 待ってるよ!〉」
「ば、ばかっ、ばかばかばかばかばかばかばかっっ、」
「〈またあとでね~~!〉」
「カバになっちゃえーーーーっ!!!!!!」
心臓も脳みそも、溶けて両耳から飛び出そうだった。
なのに。
講義室で、一人きりになって。
好きなだけ叫べるようになった、はずの、私は。
「......こ......鯉になっちゃえぇえ............」
もはや、自分が何言ってるのかもよくわからないまま。
ごにょごにょ呟きながら、その場にへたり込んだ。
次話:いたずらでも、そんなこと言わないで!
です。笑顔拡散委員会が、これから活躍いたします




