112話:あんなちゃんは死なないよ
「あんなちゃん......?」
風が吹く。葉々が擦れる音が、拍手のように鳴り響く。
少し遠くのベンチに座るのは、間違いなくあんなちゃん。
キッチンで見かける包丁を手にしているのも、間違いなく......あんなちゃん。
ここからでも見えるくらい、涙をぽつぽつと落としていた。
「............ま、って」
額が冷たくなっていく。勝手に呼吸が浅くなって、口がパクパク動いて、
「~~~~っっまって!! 早まらないでーーーーーーっ!!!!」
一番最初に脳に浮かんだのが、それだったの。
だから私は地を蹴って、ローファーが脱げても気にせず走って、
手を伸ばして、
あんなちゃんは——
「——————!? なのか!?」
すぐに私に気づいてくれた。
急いで包丁と両腕を背中に隠しながら、頭を振って涙を乾かそうとして、
「な、っ、なんで、なのか、が、」
「やだーーーー!! あんなちゃんのバカーーーーっ!!!!」
容赦なく、あんなちゃんに飛びかかる。
腕を回して、しがみついて、
彼女の背後に包丁があることは、知ってたはずなのに。急に抱きつくのは危ないかもしれないのに。
そんなことを気にする余裕がなかったのか、それとも......気にするには、まだ幼すぎたのか。
「うわぁぁああぁぁあぁぁあんっ、あんなちゃんいなくなっちゃヤダぁぁああぁああ」
「っ......? は?? な、なに言って——」
「ぅえぇぇえぇぇぇえぇ~~~~っぅぅうう、一人にしないでぇぇええぇえ」
「???? ちゃ、ちゃう! 違うから!!」
最初に泣いてたのは、あんなちゃんだったはずなのに。
一瞬で立場が逆転しちゃって、私が背中を撫でられる側になっちゃって。
あんなちゃんの手は、すごく冷たかったの。
よく覚えてる。セーラー服越しでもわかるくらいだったから。
疑問には思ったはずなのに、口には出さなかった。......出せなかった。
このときから、いつも。私ばっかり泣いちゃって......。
「う゛ぅ~~~っ、う゛ぅ゛ぅ゛ううぅうう」
「犬? 犬なんか?? も~~~、大丈夫やって......。............」
......その代わり、泣き止むのは爆速だったけどね。
ちょっと背中をトントンされただけで、私ったらケロッとしちゃってさ。
泣き止んだ後、私はあんなちゃんの膝から降りて、改めて彼女の隣に座った。
普段なら、すぐにあんなちゃんから小言が飛んできたりするんだけど。
今日の彼女は、ずっと静かに目を泳がせるだけで。私が見てない(と思ってる)隙に涙を拭ったり、包丁をベンチの下に隠したりして。
風が強い日だった。白い雲がいつもより早く、黄色の空を泳いでいた。
梅雨の予兆が、私たちの頬を潤すの。
「............ねぇ、あんなちゃん?」
「......なんや」
「なんで包丁持ってるの......?」
「っ、ち、違うからっっ、」
あんなちゃんはベンチを叩いた後、私にズイッて顔を近づけてくる。
揺れる黒い瞳には、一切光が落ちてなかった。
「ほんまにちゃうねん、あ、あんたが考えてるようなことじゃなくてっ、その、」
「ちがうの......?」
「、っ............その............」
彼女は「ふーーっ...」と息を吐いて、自身の腕を......袖を、掴む。
黒の長袖フリルブラウスに、白のショートパンツ。
......なんだか。あんなちゃんらしくない服装だなって、思った。
「............あ......あれや! そういう年頃やねん!」
「?」
「ほらあの、あーしらくらいの歳になると、『中二病』ってやつになるらしいで? あんたはいっぱい本読んどるし、それがなんなのか知っとるやろ??」
「し、知ってるけど......」
「やろ!? だからあれや、そ、そういうことや!!!!」
「..............................」
『中二病』がなんなのかは、もちろんわかってた。
あんなちゃんが、また適当な嘘をついてることも。わかっちゃった。
嘘だよ。絶対何かあるはず。だってあんなちゃん泣いてたもんっ、
早まろうとしてないなら、じゃあなんで、
他に包丁を使おうとする理由なんて————
——って。思考回路が暴れた結果。
「~~~~~ハッッ!! ま、まさか、あんなちゃん......!」
「な......っ、なに? あーしは嘘なんてついてな——」
「サツジン事件起こそうとしてるーーーーーっ!?!?!?」
......早まってるのは、君の方だよ。なのかさん。
「暗殺事件なの!? だ、誰かころしちゃうの!?」
「......」
「ほ、本で読んだことある! あ、ああ暗殺した後っ、幼馴染と一緒にシタイを埋めに行くんだよね......? 証拠隠滅しに行くんだよね......!?」
「......」
「わ、わわわわわわ私、あんなちゃんの助けになりたいけど......でもっ......流石にサツジンホージョはぁ......!!」
「————————ぶっっっふ、」
それでも。
こんな私でも、あんなちゃんは......
「アッハ、あはははははは!! いくらなんでも飛躍しすぎやろ! なんでそうなんねんっ、あっははははっっ」
「わ、笑うなーーーっ! だ、だって、包丁といえばそうじゃんっ、」
「あ~~~~おかしいわぁ! ってか、もし仮にあーしが事件起こしたとしたら、普通に通報してな?」
「ぅえ? でもそうしたら、あんなちゃん捕まっちゃうよ......?」
「それでええねんっ」
あんなちゃんは笑いながら、私の頭にチョップしてきた。
全然痛くなかった。
「、ほんまアホやなぁジブン! 飽きへんわぁ、あんたとおるとホンマ飽きへんわぁ」
「あ、アホじゃないもん......!!」
とか言いながら、私は頬を膨らませたけど。
ほんとは、まったくムカついてなかったの。
それどころか、胸の辺りがずっとパチパチしてたの。火花みたいに。星屑みたいに。
「っっっはは、あはははははははっ、証拠隠滅て、ふ、ふふふっ」
「ねぇ!! 流石に笑いすぎじゃない!?」
「安心せぇ! もし完全犯罪したくなったら、あんたには絶対協力してもらわんから! どうせ足引っ張るだけやろうし~~」
「ブチギレるよ!? ブチギレポイントがカンストするよ!? いいのーーー!?」
ソーダ味のアイスクリームみたいに、シュワシュワ~ってなって。口の中が甘酸っぱくて、熱い何かが込み上げてくるような気がして、口元が震えて、
あんなちゃんの笑顔を見て、嬉しいってなったのは。もちろんこれが初めてじゃない。
それでも、今までで一番嬉しかったの。一番熱かったの。
一番痺れたの。
その理由は、当時の私にはまだわからなかったけど。
ただ。暗い顔じゃなくなった、あんなちゃんを前にして。
表情が晴れる瞬間を目にして............。
「————あ、あんなちゃん!」
私はベンチから飛び立った。
立って、クルッと回って、ローファーを失った靴下が汚れることも気にせずに。
あんなちゃんの手を取る。
少し前よりは、冷たくなくなってた。
「あそぼ! 一緒にいっぱいあそぼ!」
私たちを照らすのは、弱々しい木漏れ日だけ。
それでも。あんなちゃんの瞳に光を戻すには、十分だったみたい。
「あそんだら元気になるよ! 今なら公園も独り占め——いや、二人占めできるよ!!」
私は、自分ができる中で一番眩しい笑顔を浮かべた。
自分自身が、太陽になる妄想をした。
......私自身の心が、完全に晴れてたわけじゃない。
なんであんなちゃんが泣いてたのかも、包丁を持ってた本当の理由も、わからないままだったもん。
それでも。
あんなちゃんが、笑ってくれるなら。それが一番良いから。
それが、一番大事なことだから。
きっと、いつかは全部、話してくれるはずだから。
この時の私は、そう......信じたの。
「最近、あんまり二人で一緒に遊べてなかったでしょ? だから鬼ごっこしよ! かくれんぼもしよ! 警察さんごっこもしよーー!!」
私はあんなちゃんの手を引いて、太陽光へ踏み出した。
あんなちゃんを、影から連れ出した。
そしたら、ね。あんなちゃんね、また笑ってくれてね。
私たちは、落ち葉を踏んで。
二人乗りのブランコの方へ、駆け出した。
「——ふっ......ほんま、しゃーないやつやなぁ!」
......ベンチの下に、包丁をほったらかしにしたまま。
***
「あーーーーっ! そうだった!! 私、おつかい頼まれてたんだったーーー!!」
下界に広がる空は、黄色だけど。
夕方になると、ちゃんと熟した色になるらしい。ちゃんと、『夕焼け』って言葉が合う色をしてる。
「どうしよーーーー!? 普通に夕方まで遊んじゃった!! 怒られるぅぅううぅぅう」
「アホなん? アホなん? アホなん? アホなん? アホなん?」
「ええいっ、繰り返すな! あぁぁあぁぁぁあぁああどうしよぉおおぉぉおおぉおお」
「はぁ......仕方ないなぁ............」
あんなちゃんはクソデカため息をついた後、私の手——かと思いきや、セーラー服のリボンを掴んで引っ張ってくる。ほぼ胸ぐら掴んでるような感じだね。
「いつものスーパー行くんやろ? あーしが付き合ったる! 二人の方が買い物すぐ終わるやろうs——」
「ほんと!? やったーーー!! いっぱいお菓子買おーーーっ!」
「......。せやなぁ、ついでにキノコもいっぱい買おかぁ」
「え、いじめ??」
胸元のリボンを引っ張られながら、私は彼女の後をついていく。
なんとなく、あんなちゃんの三つ編みを眺める。
腰の辺りでしっぽのように揺れていて、夕日を帯びていて。
少しだけ、花のような匂いがした。
そんなはずはないのに。あんなちゃんは、香水なんて付けないのに。
そもそも、人間はお化粧しちゃ駄目だもん。そういう法律だもん。捕まっちゃうもん。
そう......だったよね? 確か。
「......?」
でも、当時の私は深く考えなかった。
口角を上げて、体を左右に揺らして、ペンギンみたいに腕を広げながら歩いたの。
「ふふ~~ん、なに買おっかな~~? チョコがいっぱい入ってるやつにしよっかな? それなら孤児院のみんなで食べれるし!」
「あんた、また業務用チョコ買うつもりなん? 確かにあれ美味しいけどさぁ......」
「でしょー? なのかさんセンスあるでしょー?」
「いや別に————」
そして。
あんなちゃんは、その場に立ち止まった。
急にピタッと動かなくなって、声を殺しちゃって。
掴んでいた私のリボンから、ゆっくりと指を離すの。
「あんなちゃん? どうし——っむぐ」
唇に指を当てられる。
当てたまま、彼女はキョロキョロする。少しだけ目を見開いてる。
「............なのか」
「?」喋れなかったから、私はただ首をかしげた。
「気づいた?」
「......?」なんの話をしてるかわからなかったから、私はただ——
「誰かに見られてるで。あーしら」
「!?!?!?」
大声を上げそうになるけど、今度は手のひらで口を押さえられる。
そのまま、あんなちゃんは耳を立てて......ゆっくりと息を吸い込んで......。
「————そこ!!」
右を指差した。
幽霊でもいるのかと思って、私は小さく悲鳴を上げるけど......振り返ってみても誰もいない。
その代わり、家が建っている。知らないヒトの家。誰が住んでるのかもわからない。
元々あった家だから、何もおかしくな——
——い、と思ったけど。あんなちゃんが何を指差したのか、すぐにわかった。
その家の窓から、何かがこっちを見てる。
カーテンの隙間から、目が一つだけ覗き込んできてる。
目が合うと、すぐに隙間が閉じて。
カーテンの揺れは隠しきれてなくて、カーテンには変わった花模様が刺繍されていて、
「オンドレェっ、面貸せやこのストーカー野郎!!!!」
あんなちゃんは暴走族の如く、窓まで容赦なく走っていく。
私も追いかけるしかなくて、また脱げそうになるローファーで足をくじかないようにして、
「ま、待ってあんなちゃん!! 危ないかも——」
手を
伸ば、し————. . .
* * *
「............」
私は、ウィロー・ガーディナーに戻った。
アラームが鳴り響いてる。青白い光が、窓から差し込んできてる。
起き上がったときの感覚で、すぐに髪がボサボサなことがわかる。口の端から、ちょっとだけよだれが垂れそうになっちゃってる。
「......ぅぇえ............」
瞼をゴシゴシする。いくら目を閉じても、過去の映像が再生されることはない。
記憶を取り戻し始めてから、もう何日も経ったけど。
『宇佐川なのか』が私であることに、疑問は持たなくなったけど。
それでも。
「め......めちゃくちゃ気になるところで終わるじゃあん............」
もはやウィローさんは、放送時間が毎回違う深夜アニメを、リアタイしてるような気分になっちゃってたのでした。
***
本日の現実世界では。
キャベツくんにパシられちゃってさ。
オリーブくんね、キャベツくんの部屋に忘れ物しちゃったらしくて。中身が見えるタイプの、透明の水筒なんだけど。
それを届けることになったの。私が! 何故か!!
でもね、ウィローさんは天使の心をお持ちだからね。グミ一個とチョコ三つと、今度宿題を代わりにやってくれる券で許してあげたよ。
「オリーブく~ん? いる?」
びっくりさせちゃわないように、私は優しめに部屋の扉をノックする。一応、声も小さめにしておく。
返事はない。でも耳をすましてみると、中からガサゴソと物音が聞こえてくる。
もしかしたら、今頃慌ててベッドから飛び降りて転んで足を擦りむいちゃって痛くて立てなくて地面を這いながら扉を開けようと思ったんだけど一旦その前にハイ〇ュウを食べてるのかもしれない!(ウィローさんの体験談)
オリーブくんの部屋って、何気にあんまり行ったことなかったな。
初......ではないね。あれだ、ウィローさんが熱出しちゃったときに部屋に、行った、というよりは連れてきてもらった、だけど、
でもあれかも、自分から行くのは初めてかもしれない。大体オリーブくんの方から来てもらってたからなぁ......今度からは、もっと遊びに行ってあげ——
「——あ! オリーブくん!」
扉がゆっくりと開いたから、私は保管ハットから水筒を漁り出す。
「ねぇ聞いてよオリーブくん、私キャベツくんにパシられ——」
そして、無事水筒を見つけたから、彼に渡そうと、
した、んだけど。
全然オリーブくんじゃなかったんだよね。
「............え????」
一応、部屋番号を確認する。
182号室。オリーブくんの部屋で間違いないはずで......?
「き、君は......」
「......」
彼女は何も言わずに、舐めるような目つきで私を見つめてきた。
長い茶髪を、後ろでキッチリと結んでる。桃色のお目目は、まるでゼリーのよう。
キャベツくんと違って、腕と翼が完全に融合してる。綺麗な青色の翼。
鳥の獣人......では、ない。それだけは覚えてる。
それだけじゃ、ない。
そうだ。
そう......だ。私はこの子を知ってる。
この子は、確か——
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞむかしの 香に匂ひける」
「鳥ちゃーーーーーん!?!?!?」
次話:しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
です。恋心はそう簡単に隠せません




