104話:こんな結末で
『オートミール』の爪が、ゾディさんの頬を切る。
間一髪で致命傷を逃れた死神さんは、その場でしばらく放心していた。
少しだけ目を見開いて、瞳を揺らして。頬を伝う赤に指を添えて。
そして。
幕を下ろすように。
ただ、顔をしかめた。
再び『オートミール』が突進してくると、ようやく足場を蹴りながら避ける。
泥濘んだ芝生でさえ、音を立てないくらい。静かに。
「......オートミール」
死神さんはもう一度、彼の名前を呼ぶ。
それでも届かない温もりが、雨の中へ消えていく。
『オートミール』は止まらず爪を振り下ろす。
火傷痕が残ったままの指先で、
ネルソービューにへし折られた足で、
己の涙を噛みしめた牙で、ゾディさんに触れようとする。
殺そうとする。
「............」
ゾディさんはただ、避けた。
反撃する素振りすら見せずに。ろくに受け身を取ろうともせずに。
毎回スレスレのところで躱すのは、『オートミール』が速すぎるせいかもしれない。
それか。わざと、なのかもしれない。
「......なぁ、オートミール」
まるで、一つの劇みたいだった。
一人は憎しみのまま、腕を振るって。もう一人は目を半分閉じたまま、静かに避ける。
止まらない雨の中。
「お前も......殺される直前は、こんな気持ちだったの?」
スポットライトも、ドラマチックな音楽もないけれど。
「反撃もせずに、ずっと......こんな気持ちで......」
二人だけのステージで、ひたすらモノローグが続くの。
私、は。
膝の震えを止められない私は、小さく結界を叩いた。
それでもゾディさんは、こっちを見てくれない。オートミールしか見えていない。
結界の外にいる私たちには、何もできない。
ゾディさんにとって、私たちは観客ですらないのかもしれない。
雨で使い物にならなくなった、映写機でしか。ないのかもしれない。
「オートミール。初めて会ったときのこと、覚えてる?」
もうゾディさんは、『オートミール』の拳を見てすらいなかった。
青い目を、見ていた。
目の中にいる、オートミールを。
「俺、最初はね。お前のことが怖かったんだ。......言ったことなかったよね」
死神さんのマントが、風に揺れている。
あの、焦げた薬草みたいな匂いも。とっくに雨で洗い流されちゃってるのかな。
「グールだからっていうのはもちろんあったけど......それだけじゃなくてさ、普通に変なんだもん。お前。俺なんかにしつこく話しかけてくるし、」
包帯が、完全に雨で滲んだら、どうなっちゃうんだろう。
傷も滲んじゃうのかな。浮かび上がっちゃうのかな。
「でも......お前と出会ってから、外に出ることも増えて......遊園地とか、水族館とか。ゲームセンターとか。からおけ......?ってやつは、あんまり好きじゃなかったけど——」
『オートミール』は血を吐いた。
声のない咳を繰り返す。胸を押さえながらえずく。
一度膝をついた、けど、またよろけながら立ち上がる。
呼吸を荒くしながら、血走った目をゾディさんに向ける。
......ゾディさんが何もしなくても。
もう......『オートミール』に残された時間は、あまりないのかもしれない。
ネルソービューが残した傷は、消えないんだ。
ずっとずっと、残り続けるんだ。
「............あの日。オートミールに買ってやった、クルミ割り人形さ。まだ置いてるんだよ?」
......私の見えるところには、置いてなかったよね。
それか、私が見つけられなかっただけなのかな。
「聞きそびれちゃったけど、さ。なんでお前、クルミ割り人形が欲しかったの......?」
『オートミール』の一撃が、どんどん強くなっていく。
でもそれは、憎しみを抑えられなくなったせい。
生きるのを......諦めたせい。
「ね......ぇ。俺......っ......さぁ、」
ゾディさんは両手をギュって丸める。
俯いて、込み上げてくるものを必死に飲み込む。
オートミールのため、なのかもしれないし。自分のためなのかもしれない。
私はもう一度、結界を叩いた。
「お、れ............おれ、ね......気づいたんだけど............」
..................ゾディさん、
「しかも、わりと最近......っ......気づいちゃったんだけど、」
ゾディさんってばっ
「俺......オートミールにちゃんと、好きって言ったこと......なかったなー............」
ゾディさん!!!!!!
「、ぅ」
立ち止まっていたせいか。
とうとうゾディさんは、『オートミール』に切り裂かれてしまっていた。
嗚咽のような小さな呻き声を漏らしながら、死神さんは座り込む。
押さえた二の腕から、血があふれ出す。
雨のせいで、さらに赤が滲んでいく。
ケープも、包帯も。
きっともう、鉄の匂いしか......っ
「————ゾディアック!! 今すぐ結界を解いてください!!」
......ブレイズくん、も。
私から離れたとこで、結界を殴り続けてる。
折れてしまった斧でも、ボロボロの木の棒でも。何度も。
虹色の振動が、波が......ここまで流れてくる。
「お前一人では無理です!! このままでは——」
「おーとみーる、」
ゾディさんは立つ。
肩で息をしながら、オートミールに、向かって、っ
「っ............おぼえて、る......?」
手を、伸ばす。
二の腕の引っ掻き傷から、手を離してまで。
人間と区別が付かないくらい、真っ赤に染まった指先で。
「う、での......うでのほうたい、......さいしょは......おーとみーる、が......まいてくれ、て」
震える唇から、言葉を絞り出し続ける。
860年かけて彫った仮面が、崩れて。
破片が水で洗い流されていく。
「い、いたいたしいからって、おまえが......っ、なんで、ぽーしょん、とか、っちょうごうできる、のに、ほうたいはまけねぇんだよって、い、いって——」
オートミールは首に掴みかかる。
掴んで、上げる。
死神さんの足が宙に浮く。
オートミールは、指先に力。を。
......や、だ、
「~~~っ、っ............は......じ、め............て............、き........................」
オートミールの腕に、手を置く。
辛うじて、両手で握る。
だけど、ゾディさんの顔がどんどん赤く、青くなって、
口が閉じなくなって、
やだ、やだ、よ、ゾディさんっっ、
「~、ぅ゛~~~~、っ............!!」
結界が、弱々しく点滅する。
蝋燭みたいに揺らいで、今にも雨に溶けてしまいそうで、
それなのに、指一本通らない。
叩いても叩いても叩いても叩いてもっ、
通れるようになる頃には、きっともうゾディさん、は——
「————........................——....................................————............」
指先が、オートミールの腕から滑り落ちる。
点滅する意識の中、ゾディさんは
ようやく
私を
見て
『ご』
『め』
........................口の動きだけで、『ごめんね』って言い終わるより先に。
オートミールが、手を離したの。
ゾディさんは芝生に落ちて、弱々しく——そして、だんだん激しく咳き込んだ。
その上に、ゆっくりと......オートミールが、倒れ込む。
全体重を乗っけられても、ゾディさんは一瞬息を止めるだけ。
......オートミールが、小さく。細く見える。
まるで、地面で二人が抱き合っているようだった。
でも違う。
だってオートミールは、今もゾディさんの肩に牙を立ててる。
かじられると、ゾディさんは小さく怯んだ。
目をギュって瞑った後。震える瞼を、そっと開ける。
......容赦なく二人を叩いていた雨が、少しずつ............。
「............オートミール......、............っ......」
どんなに弱々しくても、ゾディさんの声は私たちに届く。
どうして、だろう。どうして聞こえるんだろう。
囁こうとするよりも、声を張り上げようとする方が......楽だったりするのかな。
「......オートミールが、のこってる......な、ら......グールの部分、も......残ってるよね......?」
死神って......どれくらいの血なら、流しても平気なのかな。
どれくらいの雨なら。寒さなら。耐えられるのかな。
本当は、人間と大して変わらないのかな。
「俺、を............食べたら......元気になったり、しな......い............?」
オートミールは、動かない。
ゾディさんはそっと、彼の毛先に触れた。
雨なのに、乾燥していく白髪を......撫でた。
「俺を食べた、ら......ネルソービューのやつら、全員ぶっ殺して............そのまま、元気に......幸せに............生きて............」
............ゾディさん。
お願い。もう一度。もう一度だけでいいから、こっち見てよ。
ね、ぇ......なんでこんなことになっちゃったの?
まだ、なんとかなる......よね?
だめ、だよ、なんとかならないと。
なんとかなるはずなのに。
はずだったのに。
「な、んて............無理、だよね......グールは............人間、しか......食べないもん............」
せめて回復魔法くらい使ってよ、ポーションいっぱいあるくせに、
私、だって、回復魔法くらい使えるよ?
もう立てるよ? 魔力も戻ってきたよ?
なんにもできないのはやだよ、
見てるだけなのはもう嫌だよぉっ
「いま、の......グール差別になる............? これくらい......なら......ゆるして............くれる、かなぁ............」
ねぇ、
ネルソービューに......事情を全部説明するのは駄目、なの?
全部話したら、助けてくれるんじゃないの......?
わかってるよ。
オートミールを殺したのも、オートミールの灰を砂時計に入れたのも、隠蔽したのも全部ネルソービューだって、、
でもっっっ、
「..................ちゃんと......蘇らせてあげられなくて............ごめんね... . ..」
......また、結界が消えそうに......っ
「俺はた、だ... . ... .. .オートミールと. . ...——. .. . ..————. . ... ..」
. .. . .
気のせいだったのかもしれない。
でも。
ゾディさんにも、私にも。聞こえたみたいで。
オートミールが、ゾディさんを呼ぶ声が。
「......ぁ............ぁぁあ、ぁぁああぁあぁぁぁ............っ............」
光が、差す。
空がほんの少しだけ明るくなる。
二人を照らすのは、月光か。
それとも、まだ姿を現していない朝日か。
......そんなこと、どうでもよくなるくらい。
初めて差し込んだスポットライトは、温かかった。
「....................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................」
涙がほんのり赤く見えるのは、目元が腫れてしまっているから。
晴れた空を見上げたまま。ゾディさんは、オートミールの背中に腕を回す。
細すぎる体を、包み込むように。
強く。強く。強く。
彼の肩に顎を置いて、首に頬をすり寄せて、
「..........................................~」
初めて、笑った。
頬を赤く染めて。目をそっと閉じて。
オートミールにしがみつきながら、力なく笑った。
それでも、満開の笑み。
「..............................もう............むりだぁ............」
オートミールの牙はもう、死神さんを貫いてはいなかった。
ただ。ゾディさんの肩に、顔をうずめているように見えた。
花が咲くよりも静かに、名前を呼び続けながら。
「............もう............オートミールを失うのは............」
ゾディさん
は
「一人ぼっちになるのは............無理だからぁ............」
銃
を。片手に持っていて。
あれは。ブレイズくんの銃、で。
「..................ごめんね......」
両手で、銃を持ち直して。
オートミールを抱きしめたまま、彼の背中に突きつける。
......ま............って、
それ、したら、
オートミールの下にいるゾディさんは、どうなるの?
彼を抱きしめてるゾディさんは、
「......おれ............」
まって
まってやだ
まって
おねがい
ねぇ
ゾディさん
「もっとはやく............こうしてれば..................」
「オートミールと同じ場所に............いけたのかな..............................」
声も。出せなかった。
全部が静かになって。
先生も、生徒も。みんな騒いでたのに。
何も聞こえなくなって。
私は立てなくなって。
結界は、そのまま水に溶けた。
次話:最低なのかな
二年生編、最終話です




