103話:vs ネルソービュー
一筋の光が、『オートミール』に落ちる。
落雷、する。
一瞬で空気が痺れて。繊維のような波が、芝生を伝う。
触れればすぐに消えてしまう、金色の彼岸花を咲かせる。
電流が。優しく私の頬を刺すの。
......私じゃない。光魔法は成功しなかったもん。
わかんない、けど。『オートミール』はその場に突っ立ったままで。
肌から煙が立ち込めていて、白髪の先が焦げていて。
ビー玉のような瞳が、より前に飛び出ていた。
突然降り出した雨が、静寂を繋ぐ。
焦げた大地を癒そうとしているかのように。
「————頑張ったなぁ、ウィロー」
無理やり起き上がろうとする私の前に、優しい足音が着地した。
小さなローファー。顔を上げると、すぐにシアン色と目が合う。
泡模様と、雷模様がそれぞれ彫られている瞳。
空気が暗いおかげで、淡く光っているように見える。
「話はあとで聞くから、今はそこでゆっくりしとったらええ」
魔法なのか自然現象なのかわからない雨が、彼女の頬を伝った。
星型ピアスも、紫のポニーテールも、雫に飾り付けられる。
それでも、彼女は気にしてないみたいで。
私の前にしゃがんで、ニッて笑いかけてくれた。
「あとはあーしらに任せとき!」
でも。
もう、
すぐ後ろに————っ、
「え~~~~~いっ!」
ローリエに背後から掴みかかろうとしていた『オートミール』に、小さな魔女の帽子が飛んでくる。
そのまま彼の頬に体当たりする。
見た目以上の威力らしくて、『オートミール』はしばらくその場で動かなくなった。
「えへへ~、すごいでしょ~? 使い魔の姿でも、だいぶ動けるようになったのよ~」
黄色のリボンから、ミルルンの甘い声が聞こえてくる。
彼女は帽子の姿のまま、ふわふわと宙を浮く。
「あら~? ブレイズくんがいる~。やっほ~~!」
少しだけ遠くにいるブレイズくんは、目をぱちくりさせることしかできないみたいだった。
なんでここにミルフォイルが?って顔してる。
......そう、だよ、
ローリエだけじゃなくて、ミルルンまで——
「————ふんっ。実に愚かね」
......冷たくても、鋭くはない声を聞いて。
ここにいるのは、いつものみんなだけじゃないんだって。わかった。
「敵を目前に、仲良く世間話をするだなんて。認知能力が害虫以下なんじゃないかしら?」
『オートミール』が振り返った瞬間、彼女はヘッドドレスを投げ捨てる。
そして、頭の上を巣食う蛇たちと共に、彼を思いっきり睨みつけた。
蛇たちの目も、自身の目も真っ白に光らせて......
シェリー先輩、だ。
間違いない。去年は四年生で、ミルルンのガイドさんの、あの、
「下衆。私の生徒に指一本触れた以上、容赦はしないわ」
......すると。
『オートミール』の肌が、灰色に染まっていく。
死神の肌よりは荒くて、生気を一切感じられなくて、
でも。
彼がオオカミのように頭を振ると、それは呆気なく剥がれ落ちた。
「あら、石化が効かないの? とんだ化け物のようね......」
シェリー先輩は素早く杖を取り出して、指揮者のように振る。
すると、頭の上の蛇たちが全員巨大化して、一斉に『オートミール』へ襲いかかった。
牙が、『オートミール』の肌を貫く。
確かに血が流れる。
だけど、彼は痛そうな顔すらせずに、蛇たちの首を鷲掴みにして。
そのままグルッと回転して、
「————へ、」
シェリー先輩の足が、浮く。
髪同然の蛇が振り回されると共に、先輩も一緒に宙を舞って、
「や、やめなさっ、~~~やめて!! 目が回るじゃない!!」
蛇たちの牙が肌から離れると、『オートミール』はさらに回る勢いを強くする。
蛇の頭を強く握って、足を前へ踏み出して、
空に向かって、シェリー先輩をぶん投げた。
「いやああぁあぁぁああぁああぁあぁあ!?」
「〈おっとぉ! 危ない危ない!〉」
だけど、急に現れた真っ黒な翼が、シェリー先輩を受け止める。
この、脳に直接響くような声。
空にいても。どんなに遠くにいても、届く声。
「〈シェリーちゃん、大丈夫? あんまり無理しちゃだめだよ?〉」
「レベッカ・ブラックウェル!?......ふんっ。助けてもらったことに免じて、この屈辱は受け入れてやらなくもないわ」
「〈あっははっ、シェリーちゃんは相変わらずだね~〉」
......レベッカ先輩まで。
二人とも、ネルソービューの先生......だよね?
ってことは......。
「〈そこの、えっと......白髪の君!! どこの誰だか知らないけど、そろそろ降参した方が身のためだよ?〉」
『オートミール』は何も答えない。
レベッカ先輩は少しだけ困ったように笑った後、フッと目を半分閉じた。
笑顔にそっと、闇属性の魔法をかけるように。
「〈君は『笑顔拡散委員会』だけでなく、ネルソービュー学園の全てを敵に回した。抵抗しても無駄——〉」
速すぎて見えなかった。
けど、『オートミール』は今の一瞬で翼を生やして、レベッカ先輩の目の前まで飛んで行く。
先輩は間一髪で拳を避けて、翼を広げて、よろけた体のバランスを整える。
境界線がくっきりした黒の翼と、炎のように揺らめく黒の翼。
どっちの方が、悪魔なんだろう。
「〈......ちょっとちょっと。それはおイタがすぎるんじゃない?〉」
笑顔拡散委員会の元リーダーはため息をつくと、重力よりも早く地へ降りてきた。
そして、シェリー先輩を芝生に降ろした後、追いかけてきた『オートミール』の蹴りを受け止める。
手、で。
吸収されきれなかった衝撃が、風になって空を切る。
私とローリエたちの方まで飛んでくる。
『オートミール』は後ろに引いて、ただ彼女を静かに睨んだ。
レベッカ先輩の手からは、煙が出ている。
手のひらの部分が少しだけ破けてしまった、黒の手袋を身に着けている。
「〈ボクは、色んな顔を持ってる。笑顔拡散委員会のリーダーでもあり、ネルソービューの元生徒でもあり、悪魔でもあり......そして、今は『魔法道具工学』の教授でもあるんだ〉」
先輩——いや、先生はニヤって笑って、
すぐに『オートミール』と距離を縮めて——
「〈一筋縄じゃ、いかないよ!!!!〉」
彼の脇腹に、黒いペンのようなものを突き刺した。
そのとき、『オートミール』は初めて痛みを堪えるような顔をして、
でもすぐにレベッカ先生を突き飛ばして、刺さったペンのようなものをへし折って、
「〈ふーん。このペンが効かないってことは......さては君、幽霊ですらないな?〉」
レベッカ先輩は、『オートミール』よりも完成された翼を羽ばたいた。
そして、濃くなっていく雲を見上げる。
淡い黄色の髪に、露が残るのを許して。
口の横に手を当てて、雨に向かって、
——違う。
雨、じゃなくて。
彼女が見上げた先にいるのは。
雨雲に溶け込みながら、空の上に立っているのは、
「〈校長先生~~~! もう始めちゃっていいよーーーっ!〉」
校長先生の、灰色の翼も。雨に濡れた白衣も。
ただ風に揺れているだけなのに、こんなにも冷たく見える。
片方の目は、前髪に隠れたまま。
銀髪も、二つのお団子に綺麗にまとめられていて。後ろから見たら、目玉に見えなくもないのかもしれない。
「......アポネ・ネルソービューの名において」
彼女はそっと、天に向かって手を伸ばす。
すると、天使の輪っかが黒く光る......だけじゃなくて。
アウトラインだけが真っ白な、黒と紫の魔法陣が、
無数に、空に現れた。
「————あなたを、処刑させていただきますわ」
辛うじて、起き上がることしかできなかった。
そのあとは、もう一歩も動けなかったの。
私も、ローリエも。ミルルンでさえ、芝生の上でじっとしたまま。
怖いくらい真っ直ぐな黒が、『オートミール』を刺すのを見てることしかできなかった。
願いの数だけ、黒い流れ星が落ちていく。
雨雲が本来の星空を覆っているから、偽物の星も光って見える。
『オートミール』が空を飛ぼうとするたびに、光線が彼の翼を貫いて、散らした。
闇魔法と光魔法を足して2で割ったような攻撃。
しばらくすると、校長先生の隣に一人ずつ、天使が増えていく。
天使、だけじゃない。悪魔も、ドラゴンも、箒に乗る魔法使いも。
エルフも人魚も半獣人も、ペガサスもノームも妖精も。
私が知ってる顔も、知らない顔も。
......まるで、ネルソービューの教授たちすらも、アポネ先生の魔法の一部かのように。
どんどん空中に召喚されては、それぞれ別属性の魔法で『オートミール』を刺していく。
暗い空模様は、魔法にとって最高のキャンバスのようだった。
雨にも負けない、一筋の炎。
文字通り空を切る、黄緑色の風。
透明なのに、雨に馴染まない空気魔法。
滝よりもずっと眩しい、水の光線。
手のように伸びて、首を絞めようとする弦。
ブラウニーに見えなくもない、土の棘。
雪の結晶を散らせる氷。とか。
他にも、紫色の泡だったり。小さな月が落とされてたり、偽の太陽が生み出されてたり。
遺伝子みたいな形のビームだったり、大量のナイフだったり、ハート付きの縄だったり。
『オートミール』に空を飛ぶ隙を与えない。
それどころか、呼吸する隙すら与えない。
「......す......すごい......」
夜なのに。雨なのに。すべてが眩しい。
これが......ネルソービューの力なんだ。
このままいけば、きっと校長先生が、
教授たちが『オートミール』を
違う。
......ちがう。
ネルソービューは味方じゃない。
『オートミール』は血を吐いていた。
何度も立ち上がろうとして、翼を広げようとして、
その度に、足を光に貫かれる。
そのまま地面にうずくまって。それでも飛んでくる魔法を、必死に両腕で防ごうとする。
肌が抉れていく。
火傷痕のその奥は、ただの赤。
青。紫。黄色。
彼の中にいる人外の、全ての血の色。
その中で、どれがグールの血なのかはわからない。
頬を伝っているのは、きっとただの雨じゃない。
汗じゃない。
『オートミール』は、
オートミール、は、
声も出せないまま、泣き叫んでいた。
「、... . . ..、だ......め. . ...っ」
私は足を、動かす。
安心してる場合じゃない。
魅入ってる場合じゃない、
座り込んでる場合じゃ、っっ
「ぅ... . ... .. .」
「ウィロー!? 動いたらあかんって、座っときっ」
視界が霞む。
ブレイズくん、たち。どこにいるんだろう。
どんな顔して見てるんだろう。
私が止めなきゃ。
私が止めなきゃ、
私が、なんとか、
「~~~~~~やめっ——」
闇色の光線が、『オートミール』の胸を貫いた。
彼の肩が、ガクッと落ちる。
指先が、ゆっくりと芝生に降りていく。
膝をついたまま、頭を落とす。
白目を剥いている。
口だけが、辛うじてパクパクと動いている。
そんな彼に、校長先生はトドメを————
......こういうとき、すぐに目を瞑っちゃうのは、私の悪いくせ。
逃げようとしてる証拠。
見るのが怖いから。もうどうにもできないって、無意識に諦めちゃってるから。
でも。なんか。
瞼の裏側が、赤くなったから。
光が見えたような気がしたから。
好奇心、とは違う何かが芽生えて。
少しずつ——本当に少しずつ、瞼を開けた。
..................虹色。
淡い、虹色の結界。
ゾディさんの家の冷蔵庫で見たのと、同じやつ。
前みたいに、文字は書いてないけど。
中の様子も、はっきり見えるけど。
中。
......中、に。ゾディさんがいる。
ゾディさんと『オートミール』が、四角形の結界の中に。
『オートミール』、まだ......無事で......?
「........................」
アポネ先生は、表情を変えずに腕を一振りする。
再び魔法の雨を降らす、けど。
結界を通るのは、本物の雨と風だけ。
「......ゾディアック・グラノーラ」
彼女は他の教授たちと共に、地面に降りた。
結界に、指先を当てた。
「なぜ、その者を庇うのですか?」
「..................わからない?」
ゾディさんは振り返りもしない。
拳を丸めたまま、ただ『オートミール』をぼんやり眺めてる。
「俺はもう。お前らにオートミールを殺されるのは、うんざりだってだけ」
「その言い草......やはり、彼を生み出したのはあなたですのね」
「そうだよ。俺が、全ての黒幕だ」
この、結界。
やっぱり、ゾディさんが作ったんだ。
ゾディさんが、オートミールを守ろうと......。
「ねぇ。俺が死んだらさ、やっぱり地獄行きになるかな? ネルソービューを危うく滅ぼしかけたわけだし」
「............」
「......ねぇ。お前、アポネ・ネルソービューっつったよな」
ゾディさんの声は、結界越しでもよく聞こえる。
静かなのに、呪いのように耳に残るの。
「お前さ。校長になって、何年目?」
「..................20年程ですわ」
「ふーん」
その時、ゾディさんは初めて振り返った。
淡い虹色越しでも、よく見える。
ふわっと風に揺れる、ラピスラズリのような髪。鮮やかな黄色で描かれた、星模様。
まるで、絵本の中の星空のようだった。
そして、雨に滲んだ墨のような目。消えた星よりも鋭い眼光。
「先代校長だったら。この結界も、壊せてたかもしれないのにね?」
「............」
「なのに、結局お前の敷地内で、こうして好き勝手されちゃってさ。ご愁傷様」
瞳に潜んだ感情の名前を、『憎しみ』と呼んでいいのかわからない。
だってゾディさんは、世界に抗うことを誰よりも嫌うはず。だから。
「————!」
ゾディさんはすぐに『オートミール』の方を振り向いた。
『オートミール』が、足を震わせながら起き上がる。
ぜぇぜぇと息が上がっていて。血が滴り落ちていて。
弱ってる。でも、まだ生きてる。
その目で、ちゃんとゾディさんを捉えてる。
「......オートミール、よかった............」
彼の名を呼ぶゾディさんの声は。
残酷なほど、優しかった。
目から、力が抜ける。
眉が下がったままでも、へにゃって笑う。
ケープの留め具を握りしめながら、彼に少しずつ近づいて、
「..................オートミール......その中に、いるんだろ............?」
オートミールは答えない。
『オートミール』は息を吐く。
「オートミール」
雨が、強くなった。
ゾディさんの腕の包帯を、剥がしてしまいそうだった。
「オートミール」
「ねぇ、オートミール」
「あのね——」
次話:こんな結末で




