十話:赤、赤、赤
視界は真っ赤になった後、すぐに黒くなった。
「ウワァァアア目に入ったぁぁぁああぁぁぁあああああ」
私は目を押さえながら椅子から転げ落ちて、床に膝をついたままうずくまる。
み、見えない痛い見えない痛いまつ毛が目に突き刺さったときくらい痛いやばい染みる痛い染みる痛いていてててててててててててて
「まぁ、大変だわ~。ウィローちゃん大丈夫~?」
暗闇の中、すぐ隣からミルルンの声が聞こえてくる。
「先生に水もらってくるわ~。ちょっと待っててね~」
「うぅぅぅううぅううううありがとうミルルン~~痛いたたたたたた」
何度も瞼をこすって、痛みで勝手に出てきた生理的な涙で目を洗おうと(?)してみるけど、全然痛いのは治らなくて、むしろもっと染みるというか痛いやばい見えないやばい目開かないえっと、こ、これ失明するやつ??たたた助けて誰か助け
「はいウィローちゃん、風呂桶に入った水よ~。足元に置いたから、これで顔洗ってね~」
「救世主様っっ」
なんとか手探りでその例の桶を見つけて、すぐに目元を洗う。
最初のうちは消毒液を目に入れてるような感覚だったけど、少しずつ少しずつ眼球が洗われていくのがわかって、痛みも引いて......手も目元も目の中も念入りに洗った後、私はおそるおそる目を開けてみた。
床中に飛び散った水と、濃い赤色の斑点。白い風呂桶の中には、溶けきってない赤が糸のように渦巻いてる水。
私の手にもところどころ赤いのがついてて、制服にも赤の雨模様が滲んじゃったりしてて......う~ん、殺人現場かな??
とりあえず顔を上げてみると、私と水入り桶の前に座ってるのは、心配してるのか面白がってるのかわからない笑みを浮かべてるミルルンだった。彼女がそっと首をかしげると、クリーム色の長髪が床に着く。
「大丈夫~? わたくしのこと見えてるかしら~?」
私はそっと瞼と瞼周辺に触れてみて、目がぶっ刺されてたり取れたりしてないか確認する。
まぁ、ちゃんと前が見えてる時点で答えはわかってたんだけどね。一応ね。
目から血が出たりしてるわけじゃないってことは、この赤は......多分......。
「びっくりしたわ~。まさか、ウィローちゃんの目に向かって急に赤い絵の具が飛んでくるなんて~」
「うん、私もびっくりしてる」
もぉぉぉおおおおおお~~~~!!!! なんで私いっつもこういうのに巻き込まれなきゃいけないの!?
まだ若干目痛いんだけど染みるんだけどっ、失明するかと思ったんだけど!?
体育館のステージ爆破事件の犯人にされたり、幽霊に首絞められたりするよりはマシだけどさぁ、急に顔面に絵の具かけられるとか聞いてないんですけど!?!?
「うぉぉおおおおおおい!! 名乗りやがれーーーっ! 誰だ私に絵の具ぶっかけてきたやつはーーーーーっ!」
私は心の中にいるローリエを叩き起こして、両手をグーにしながら立ち上がった。めちゃくちゃ周りに見られてるけどもう知らんし!
もーーーーー怒ったウィローさんブチギレちゃいました!!
「面貸せやテメーーーっ! やんのかゴラァーーーーっ! オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオ——」
あ。
......いた。犯人いたわ。
しかも私のすぐ隣に座ってる。ミルルンとは反対方向の、隣に座ってる子。
「ぁ......っ......ぁ......!」
彼はプルプル震えながら、私を上目遣いで見つめてきて。こっちが『大丈夫?』って聞きたくなるくらい青ざめちゃってて。
その震えてる手には、空いた赤い絵の具のチューブを持っていて......うん。100%この子っぽい。やっちゃったって顔してるもん。
「え、えっとぉ~~~......君が犯人だよ、ね......?」
「ぅ......ぁ..................」
口はずっとパクパク動いてるのに、実際に彼から発される言葉はすごく少ない。な、なんか子犬に怯えられてるみたいですごい罪悪感が......。
「ぁっ、あ......あ............、......ぃ......」
どんどん縮んでいく、ニンジン色の瞳。内気な感じの彼によく似合う、可愛いそばかす。
少しだけ灰色っぽい茶色の髪の毛。頭のてっぺんで、へにょへにょになっちゃってるアホ毛。う、うぅぅぅぅううう心がっ、ここここ心がいてててててててててて——
......?
あれ?なんかこの感じデジャヴな気がするというか、なんか、ん......??
この男の子......私、どこかで......?
「............ぁ......ぼ......く......っ」
男の子(私と同い年っぽい子をそう呼ぶのは変かもしれないけど)は、すでに潰れてる絵の具チューブをさらに強く握って、
でもまた勢いよく飛び出ちゃうかもしれないって怖くなったのか慌てて後ずさって、チューブを両手の中に包み込んで、
「ひっっ、ぁ、ぁ......ぁ......う......」
う゛っっっっっっ!!!!良心がもうっ、わ、私っっ
「......ご......め、......ぁ......な......さ......!!」
うわぁぁぁああああぁぁあああああ無理無理無理無理ウィローさん無理これ無理もう無理
「な、ななっ、な~~~~んてね!! ジョーク!! ヒューマンジョーク(?)!! 全然怒ってないからマジで怒ってないからっっっ」
私は丸めてた拳を背後に隠しながら急いで席について、彼にできるだけニッコニコの笑顔を向けた。
だけど彼はさらにビクッてするだけで、瞳孔を震わせて、あ、あれぇ......? もしかして圧かけたと思われちゃった......?
「ほんとに怒ってない!! 目も全然痛くないほらっ、ほらこのとーり!!」
「ぅ......ぼく......」
「ま、間違えて絵の具ヒトにぶっかけちゃう日もあるよね!! わかる超わかるーー!! 私なんてこの前ステージ爆破しちゃったから気にしないでっ」
「......、......っ......」
「あの本当に怒ってないんです信じてください信じてお願い」
私は机に両手を置きながら、彼に向かって何度も軽く頭を下げた。土下座......ほどじゃないからなんだろ、半土下座? 土下座50%? 30%?
「ぼ、ぼく......その......」
彼の声の震えがほんのちょっとだけマシになった......気がした、から、驚かさないようにそっと顔を上げてみる。
すると目が合って、でもすぐに逸らされちゃって......男の子は自分の膝に目線と手を置きながら、深く息を吐いた。
力が入ってた彼の肩が、少しずつ降りて行く。
「ご......ごめん、なさい......絵の具、かけちゃ......って......」
ちゃんと謝れたじゃねぇかーー!! 偉いじゃねぇかーーー!! もうこれだけで某ルームメイトより優しい子だってはっきりわかんだね。
「あ、あなたの制服......汚しちゃって......どう......お詫びすれば......」
「いやいや、お詫びとか大丈夫だって! こういう汚れは寮の管理係さんにお願いすれば魔法で綺麗にしてくれるって聞いたし!」
「でも......っ」
彼は目線を私に向けたり下に向けたりしながら、肩を落とす。しょんぼりはしちゃってるみたいだけど、怯える素振りはほとんど消えてて......やっと警戒心解いてくれたかな?
「そういえば、隣の席なのに自己紹介してなかったね!」
さぁ目覚めよ!! 私の陽キャ魂よ!! 私に笑顔と勇気を与えたまえーーっ!
「私はウィロー・ガーディナー! 君は——」
「ねぇねぇウィローちゃ~ん、見て見て~」
......決してミルルンの存在を忘れてたわけじゃない。ただしばらくの間意識してなかったってだけで、右に座ってる男の子の方に集中してたってだけで、
「ぴョッッッ!?み、みみみみみミルルッ」
べ、別に背後から肩つつかれてめちゃくちゃびっくりしたとかそういうんじゃないんだからねっ!油断とかしてなかったんだからねっっ!
......時々変なテンションになるのやめようねウィローさん。
「あのねあのねウィローちゃん、わたくし、この絵の具が入った水の風呂桶を混ぜ混ぜしてたの~。そしたらね~、見て見て~」
ミルルンはさっき私が顔を洗うのに使った水入り桶を抱えて、にこにこしながら見せてきた。
「水と赤い絵の具が混ざって、可愛い桃色になったわ~。可愛いでしょ~」
「う......うん! 可愛いね!」
「んふふ~」
「............それで?」
「それだけよ~」
「私ミルルンのそういう自由なところ大好き」
「やった~」
ミルルンは風呂桶を机の上に置いて、両手を高く上げながらくるくる回って、喜んだ。顔も雰囲気もどっちかというと綺麗系なんだけど、こういう仕草を見るとすごく可愛く見えてくる。
そんなミルルンを、まだ名乗ってくれてない彼は不思議そうな顔で見つめてた。
「ぁ......その子......ガーディナーさんのお友達......?」
「うん! 昨日の『オリエンテーション』で同じ——」
「あら~。あなた、とっても可愛いわ~。アールグレイ味のサブレみたい~」
あ。
......あぁ......や、やばい、この子がターゲットにっっ
「......ぇ......あーる......?」
名前の知らない彼は何かを感じ取ったのか、少し目を見開きながら後ずさる。
ミルルンはそんな彼にお構いなしに近づいて、片手で彼の手を掴んで、
「知らない? アールグレイは紅茶の種類で、サブレはクッキーみたいなものよ~」
ミルルンは空いている方の手で彼の顎をくいってやって、目を細めた。
「ちょうど......あなたみたいな、甘い香りがするの」
な、な、名前の知らない君く~~ん!! 逃げてーーーーーーーっ!!!!
......って、声を大にして言いたかったけど......遅かった。
「ぇ...あ、ぇっ、えっ、っっっ......!?」
彼の頬が、鼻が、額が、顔全部が赤く染まっていく。膝が笑っちゃってて、目の渦がどんどん濃くなって......そんな彼にミルルンは容赦なく顔を近づける。
彼女の花かんむりの白百合が、彼の額をくすぐった。
そうなの......ミルルンは危険人物なの......時々忘れそうになるけどやべーやつなの......未だにわざとやってるのか天然でやってるのかわかんなくてもう、なんか、怖い。
怖いのに綺麗で可愛いから許しちゃいそうになる。怖い。
ミルルン......相手が女の子とか男の子とか関係なしにそれやるんだ......これぞ男女平等!(?)
「可愛い顔してるけど、意外と骨格は男らしいのね~」
「ぁっ、ぁっっっゥ~~うぅぅぅううぇ、っぇ~~~あ」
こ、これ、止めた方がいいやつ? 私止めに入った方がいい??
流石に男の子相手はアウトかな? アウトだよね?? でもそれだと男女差別になる?? 女の子同士はセーフなのにみたいななんかコンプラ?に引っかかったりしちゃう?? 何が正解で何が不正解で私は一体どうすれば——
「ねぇねぇ~。その唇、わたくしのと合うか試してみてもいい~?」
「っっっっっっっぁえ」
......あ......や......や............!!
「きっと甘い味がするのだわ~」
や............っ!!!!
「~~~~~やっぱりそれはアウトだよミルルーーーーーン!!!!!!」
ミルルンと彼の唇が重なっちゃう前に、私は両手を伸ばして、二人の間に入って互いを突き放そうとした。
だけど、私が何かする前に二人の唇は離れて、そもそも重なることもなくて。
ドタンと、大きな音が鳴った。
「ゑ?」
「あら~?」
「......——」
ミルルンにぶつかる直前のところでなんとか止まって、私は彼を見下ろした。
ぐるぐるの目。開いた口。蒸気した頬。汗と共に流れる涙......。
「なんです!?何事ですか!?」
『芸術創作・基礎』の先生が、ひづめを鳴らしながらこっちに駆け寄ってくる。そりゃそうだ。だってこれ普通に事件だもん。
ミルルンは純粋な『?』顔をしながらしゃがんで、彼の頬をペチペチ叩く。
私も彼女の隣にしゃがんで、同じく彼の頬をペチペチ叩いた。うん。無反応。
「あらあら~。まさか気絶しちゃうとは思わなかったわ~」
「笑いごとじゃないよ!?」
ミルルンのせいで、クラスメイトが死んじゃった......。
***
ミルルンは普通に先生に怒られてた。ちょっと可哀想だけど、当然と言えば当然かも......?
で。
「っっう......なんで......私が......医務室に......つれてかなきゃ......いけないの......っ......!?」
私は未だ起きてくれない男の子に肩を貸して、半分引きずりながら廊下を歩く。
ウィローさん同じくらいかちょっと高いくらいの背とはいえ、男の子一人運ぶのは重いっ、とても重いっっ!
足元のカーペットもギシギシ鳴ってる気がするし、一歩進むだけで息が切れるしっ、うぅぅうう労働っ、なんで私がこんな肉体労働っっ
ミルルンが悪いんだからミルルンに運ばせなよって思ったけど、ミルルン今絶賛(?)説教食らい中だし......ていうかさぁっ、廊下にこんなに生徒いるのに、誰一人手伝おうとしてくれないんだけど!? ちょっとくらい羽貸してくれたってよくない!? 世間は冷たいよぉ......。
「......ぅ......ぅうん......」
やっと彼の意識が戻ったと思って見てみるけど、まだその目は閉じたままで、顔面も蒼白のまま。とりあえずまだ生きてるのはわかったけど、うなされちゃってるなぁ......悪夢でも見てるのかな? ミルルンに食べられる夢とか??
「ぅ、ぁ......ぅ......っ......」
「......」
男性用の制服って、やっぱり女性用のやつとだいぶデザイン違うんだな~。私が着てるやつよりもだいぶ現代的というか、シンプルというか......当然なのかもしれないけど、リボンとかフリルといった装飾がほとんどない。
暗い茶色のブレザー......?の下には、ほの暗いコーヒー色のベストを着てて、そのさらに下にシャツも着てて......ネクタイは私のと同じネオンシアン。
なんだろう。特別変わったところと言えばあれかな、ボタンがダイヤ型なのと......ブレザーっぽいやつの裾が、二股の尻尾みたいに伸びてるところ。
尻尾っていうか、えっとぉ......とにかく、執事服っぽい。
「......ぅう......た......すけ......」
「助けてって言ってる......っっ」
この男の子、やっぱり絶対どっかで見たことあるんだよなぁ。
この顔色の悪い感じも、髪の一部分が跳ねて犬の耳みたいになってるところも、後ろ髪が長く細い束に結ばれてるところも......。
とか考えてたら、医務室に着い——てない。うわっ、あんまり考えずに歩いてたら間違えて生徒指導室に来ちゃった!!
まぁでもここって『代理医務室』?ってやつでもあるらしいし、別にいいよね......? ここから医務室って地味に遠いし......。
「名前の知らない君く~ん。もうちょっとだけ頑張ってね~」
「う、ぅ......」
そして頑張れ、私の足腰っっっ......!!
改めて彼を抱え直した後、『生徒指導室・代理医務室』の扉をノックした。
返事は返ってこない、けど......耳をすましてみると、中から物音と誰かの声が聞こえてくる。
「————め——! ——ど————さ——」
「ほ—————さい——」
流石になんて言ってるかまではわかんないけど、なんか、怒ってるっぽい......?? 生徒指導の先生と、多分もう一人誰か——
————え?
な、なんかこっち来てる? 扉に向かってる?
ま、まずいどかないと聞き耳立ててたことがバレちゃっってかこの位置に立ってたら扉ガンッてぶつかって危ないんじゃっっっ
「——————お前の助けはいりません!!」
だけど、男の子に肩と全体重を預けさせてる状態じゃ、なかなか動けなくて。
しばらくの間ただわたわたすることしかできなくて、
結局、扉は勢いよく開いたの。
幸いドアは室内側に向かって開くタイプだったから、私たちに激突してくることはなかった、け、ど、
「————!?」
私と、ルームメイトくん、の目が。ばっちり合った。
流石の彼もすごくびっくりしてた。
ルームメイトくんの制服は全体的に少し汚れてて、ベストに赤の斑点が染みついてて......
「あっ......ど......どうも~......?」
「ど、どうしてお前がっ」
「え~~~っとこっちの台詞なんだけど——って、」
ルームメイトくんの額から赤いのが伝って、滴り落ちる。
顔に影が落ちていて、見開いた目がギラギラしてて、私から見て左に流してる前髪が汗でくっついてて、
「け、け、怪我!? 怪我し、てるじゃん、どうし——」
「お前には関係ありません」
「即答やめい! ねぇその怪我ぜったい只事じゃないじゃんっ、何があ——」
「こら! 戻ってきなさい!」
ルームメイトくんの背後から、生徒指導の先生がこっちに向かって走ってくる。
すると、ルームメイトくんは超嫌そうな顔をして、ため息をつきながらメガネを上げて、
「そこをどいてください、ウィロー・ガーディナー」
「————え」
「こら!! 待ちなさいってば!! まだ安静に——」
ルームメイトくんは私をそっと突き飛ばした後、そのまま廊下を走って、瞬く間に生徒たちの波の中へ消えて行っちゃった。
「あぁぁああああもうっ、また逃げられ——......はぁ......」
生徒指導の先生は、天使の羽と肩をガックリと落としながら、首を横に振った。そのまま片手で頭を抱えて、苦笑いを浮かべて、
「......やぁウィローくん、一週間程ぶりだね......」
先生は顔を上げながら、私と私が運んできた彼を交互に見た。
「その子は......見た感じ、患者さんかな? 中に入っておいで、すぐに僕が診てあげよう」
「......あ......はい......」
私はゆっくりと頷きながらも、目線をルームメイトが逃げて行った方へ向けてしまっていた。
血、だよね。あれは間違いなく血だったよね。頭からあんなに血流して、あんな怪我、
『お前には関係ありません』
『そこをどいてください、ウィロー・ガーディナー』
......怪しいポイントが多すぎる。多すぎるけど、今はそんなこと、より、
「? どうしたんだいウィローくん?」
ルームメイトくん......なんで、私の名前知ってるの......?
次話:森から観覧車が生えてきた
です、観覧車が生えてきます




