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王立婚約管理局 ~婚約破棄には必要書類がございます~  作者: 焔
婚約破棄には必要書類がございます
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8/9

8話(前編)

 応接室には、まだ静寂が残っていた。


 第一王子レオナルドの恋は、婚約管理局の記録上、『片想い』として整理された。


 その事実を、誰もすぐには受け止めきれなかった。


「……片想い。」


 ぽつりと呟いたのは、レオナルド本人だった。


 先ほどまで真っ赤だった顔から、少しずつ血の気が引いていく。


「私は……片想いだったのか。」


「現時点では、そのように記録されます。」


 クラリスは穏やかに答えた。


「記録するな!」


「必要事項ですので。」


 反射のように返したものの、レオナルドの声には朝のような勢いはなかった。


 リリアナは両手を膝の上に置き、背筋を伸ばす。


「殿下。」


 小さな声だった。


 だが、逃げるような響きはない。


「私は、殿下を嫌っているわけではありません。」


 レオナルドが顔を上げる。


「王子殿下として、敬意はございます。」


 リリアナは一つずつ言葉を選ぶように続けた。


「ですが、それは恋愛感情ではありません。」


「……。」


「そして、私は誰かの婚約を壊してまで、自分が幸せになりたいとは思いません。」


 その言葉に、応接室の空気が少しだけ変わった。


 レオナルドは、初めて返す言葉を探さなかった。


 ただ、リリアナの言葉を聞いていた。


「昨日のことは、本当に驚きました。」


「すまない。」


 小さな声だった。


 だが、その言葉にリリアナは目を見開いた。


 レオナルド自身も、少し驚いたように口を閉じる。


 謝るつもりで言ったのか。


 それとも、自然と漏れたのか。


 本人にも分かっていないようだった。


 けれど、その一言は確かに応接室へ落ちた。


 リリアナは少しだけ表情を和らげる。


「……はい。」


 リリアナは小さく頷いた。


 その表情は、今朝管理局を訪れた時よりも、どこか穏やかだった。


 そして、今度はエレノアへ視線を向ける。


「エレノア様。」


「はい。」


「殿下へ、お伝えしたいことはございますか。」

 

 エレノアはすぐには答えなかった。


 ティーカップへ視線を落とす。


 紅茶は、もうすっかり冷めている。


 けれど、彼女はそれに口をつけることなく、ゆっくりと顔を上げた。


「この婚約を解消したいとは思っておりません。」


 静かな声だった。


 けれど、その言葉に迷いはない。


「殿下を支えたいと思っております。」


 一拍置いて、静かに続ける。


「ですが、変わろうとしてくださらないのであれば。」


「その時は、私からこの婚約を終わらせます。」


 応接室は静まり返る。


 レオナルドはしばらく俯いたままだった。


 やがて、小さく息を吐く。


「……私は。」


 握り締めていた拳をゆっくりと開いた。


「お前の気持ちを、一度も聞こうとしなかった。」


 その声は震えていた。


「隣にいることが当たり前で、お前もそう思っているのだと、勝手に決めつけていた。」


 一度だけ目を閉じる。


「すまなかった。」


 短い謝罪だった。


 けれど、それはレオナルドが初めて、自分の意思で口にした謝罪だった。


 エレノアは静かに頷く。


「私は、言葉にしていただかなければ分からないこともございます。」


「……お前でもか。」


「私でもです。」


 そのやり取りを聞いていたクラリスは、手帳へ何かを書きかけ、ふと手を止めた。


「……今の内容は、恋愛相談に該当する可能性がございます。」


「まだ相談していない!」


 レオナルドが思わず顔を上げる。


「予防です。」


「予防するな!」


 張り詰めていた応接室に、小さな笑いが広がる。


 リリアナも思わず口元を押さえ、セドリックも小さく咳払いをして視線を逸らした。


 レオナルドは苦笑すると、もう一度エレノアへ向き直る。


 そして、ゆっくりと息を吸った。


「……変わる。」


 誰に言われたからでもない。


 初めて、自分の意思で口にした言葉だった。


 飾り気も、言い訳もない。


 けれど、その一言には確かな決意が込められていた。


 エレノアは穏やかに微笑む。


「はい。」


 その一言だけで十分だった。


 クラリスは静かに手帳を閉じる。


「確認いたしました。」


 応接室の全員がクラリスへ視線を向ける。


「本件につきましては、婚約解消申請としては受理できません。」


「……そうだったな。」


 レオナルドは力なく頷く。


「よって、本件は婚約解消案件ではなく、婚約関係調整案件としてお預かりいたします。」


「婚約関係調整案件……。」


 レオナルドはその名称を小さく繰り返した。


「婚約関係の継続を前提とし、当事者間の意思確認ならびに関係改善を目的とした案件です。」


 クラリスは穏やかに説明する。


「今後は王家および公爵家を交えた協議の上、必要な対応が進められます。」


「必要な対応とは。」


「詳細は王家にて決定されます。」


 クラリスはにこりと微笑んだ。


「恐らくですが。」


「再教育かと。」


 レオナルドは静かに天井を仰いだ。


 セドリックはそっと目を閉じる。


 ――やはり。


 そんな心の声が聞こえてきそうだった。

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