8話(後編)
数日後。
王立婚約管理局へ、一式の書類が提出された。
提出者は第一王子本人ではない。
王家の法務顧問である。
もっとも。
その書類によって婚約破棄が成立することはなかった。
王家と公爵家、そして当事者による協議の結果、エレノア・フォン・ローゼンベルクと第一王子レオナルドの婚約は継続。
王立婚約管理局には、その結果を記録した書類だけが静かに保管された。
なお、第一王子レオナルドには長期間の再教育が命じられた。
内容は多岐にわたる。
王族としての責務。
貴族社会における婚約の意味。
契約法。
そして、他者の話を最後まで聞くこと。
「婚約とは。」
「……契約です。」
「婚約者とは。」
「互いの意思を尊重すべき存在です。」
「よろしい。」
以前なら不満そうに答えていたであろう王子も、今は真面目に答えていたという。
◇
リリアナ・フォン・ウェストンは、無事に学園を卒業した。
本人にしてみれば、ある日突然「真実の愛」の相手にされた挙げ句、婚約管理局で公開確認までされたのである。
二度と経験したくない出来事だった。
卒業後は家族とも話し合い、落ち着いて婚約相手を探すことになった。
「ちゃんと私のことを大切にしてくださる方がいいですね。」
そう微笑むリリアナに、父も母も優しく頷く。
少なくとも、卒業記念舞踏会で突然婚約破棄を宣言するような相手だけは遠慮したい。
その点についてだけは、家族全員の意見が一致していた。
◇
一方のエレノアは、婚約を解消しなかった。
婚約関係調整案件は終了した。
その後王立婚約管理局が介入するような騒動は起きていない。
再教育期間中。
エレノアは何度もレオナルドに付き添った。
「今日は何を学ばれたのですか。」
「……思い込みで動くなと言われた。」
エレノアは思わず笑う。
「大切なことです。」
「お前もそう思うのか。」
「はい。」
レオナルドは苦笑する。
「最近は、何を学んでも婚約管理局を思い出す。」
エレノアは何も言わず、小さく頷く。
その笑顔は、以前より少しだけ柔らかかった。
◇
ちなみに。
第一王子レオナルドは、その後も何度か王立婚約管理局を訪れている。
「クラリス。」
「はい。」
「エレノアが何を考えているのか分からない。」
「婚約管理局は恋愛相談窓口ではございません。」
「どうすれば機嫌が良くなると思う?」
「婚約管理局は恋愛相談窓口ではございません。」
「いや、参考程度で──」
「恋愛相談窓口ではございません。」
その日も追い返された。
三度目ともなると、受付の職員たちも慣れたものである。
「ああ、また殿下ですね。」
「本日も恋愛相談でしょうか。」
「そのようですね。」
管理局内では、すでに恒例行事になりつつあった。
もっとも。
クラリスだけは最後まで対応を変えなかった。
恋愛相談は、業務外である。
「クラリス。」
「はい。」
「今日は相談ではない。」
「承知いたしました。」
「エレノアへの贈り物についてなのだが。」
「恋愛相談窓口ではございません。」
「まだ最後まで話していない。」
「最後までお聞きしても恋愛相談でございます。」
◇
今日も王立婚約管理局には、多くの人が訪れる。
婚約を結ぶ者。
婚約を見直したい者。
婚約を解消したい者。
そして、ときには感情のまま突っ走ってしまう者。
様々な人が訪れる。
けれど。
規則だけは、誰に対しても平等だった。
「次の方、どうぞ。」
差し出された書類へ目を通し、クラリスは静かに頷く。
「……不備はございません。」
申請者は安堵の表情を浮かべる。
クラリスは静かに次の書類へ手を伸ばした。
「クラリス。」
執務室の奥から、落ち着いた声が響く。
王立婚約管理局長官、エドガー・ヴァレンタインだった。
「次の相談者だ。」
「はい。」
クラリスは書類を閉じ、静かに立ち上がる。
婚約を結ぶ者。
婚約を解消したい者。
その間で迷う者。
今日もまた、誰かが王立婚約管理局を訪れる。
契約は、人を守るためのものだ。
だからこそ。
婚約破棄にも、必要書類がございます。




