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王立婚約管理局 ~婚約破棄には必要書類がございます~  作者: 焔
婚約破棄には必要書類がございます
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6/9

6話

 王立婚約管理局を後にしたレオナルドは、その足で王宮へ戻っていた。


 手には、先ほどクラリスから渡された必要書類一覧。


 婚約解消申請書。

 双方の署名。

 保証人二名。

 家門承認印。

 資産分割確認書。

 共同事業精算書。

 解消慰謝料算定資料。


 ざっと眺めただけでも、気が遠くなるほどの項目が並んでいる。


 だが、レオナルドはまだ諦めていなかった。


 必要書類がいるというなら、集めればいい。


 自分は第一王子である。


 本気で動けば、書類などすぐに揃うはずだ。


 少なくとも、この時点ではまだ、そう信じていた。


「父上!」


 レオナルドは勢いよく国王の執務室の扉を開いた。


 重厚な机に向かっていた国王は、書類から顔を上げる。


 そして、静かに言った。


「ノック。」


「……失礼しました。」


 レオナルドは一度扉を閉めた。


 コンコン。


「失礼いたします!」


「入れ。」


 改めて入室すると、レオナルドは胸を張って歩み寄る。


「父上、婚約解消の承認印をお願いいたします!」


 そう言って差し出したのは、婚約解消申請書だった。


 国王は書類を受け取り、しばらく眺めた。


 そして、静かに机の上へ置く。


「押さん。」


「なぜです!」


「理由を聞こう。」


 レオナルドは待っていましたと言わんばかりに顔を上げた。


「私は真実の愛を見つけました!」


 国王は黙っている。


 続きを待っている顔だった。


「……以上です。」


「押さん。」


「なぜです!」


「今の説明で、ローゼンベルク公爵家が納得すると本気で思っているのか。」


 レオナルドは言葉に詰まった。


「しかし、私は王子です!」


「だから何だ。」


「私が決めたことです!」


「婚約は、お前一人の持ち物ではない。」


 国王の声は低く、けれど怒鳴ってはいなかった。


 その分、余計に逃げ場がない。


「婚約は家と家との契約だ。王家と公爵家、双方の信頼の上に成り立っている。」


「……。」


「それを壊すというなら、相手を納得させるだけの理由を示せ。」


 レオナルドは手元の申請書を見る。


 理由欄は空白だった。


 いや、正確には、管理局で一度「冷たい」と記録されかけた。


 だが、それは契約違反には該当しないと言われた。


「レオナルド。」


「……はい。」


「説明できぬものを、他人は納得せん。」


 その言葉は、妙に重かった。


 レオナルドは申請書を握りしめる。


「……出直します。」


「そうしろ。」


 執務室を出たあと、レオナルドは廊下で立ち尽くした。


 最初の承認印。


 ——失敗。


 だが、まだだ。


 承認印が駄目なら、先に保証人を揃えればいい。


 そう考え、レオナルドは勢いよく振り返った。


「セドリック!」


「はい、殿下。」


「保証人になれ!」


 その場に沈黙が落ちた。


 セドリックは一瞬だけ目を伏せる。


 そして、深く頭を下げた。


「申し訳ございません。お受けできません。」


「お前まで!?」


 レオナルドは心底信じられないという顔をした。


「なぜだ! お前は私の側近だろう!」


「はい。だからこそです。」


「だからこそ?」


「保証人は、婚約解消が妥当であると判断した者が務めるものです。」


「誰がそんなことを決めた!」


 セドリックは懐から小冊子を取り出した。


 表紙には、丁寧な文字でこう記されている。


 ――婚約解消申請の手引き。


「管理局でいただきました。」


「読んだのか?」


「はい。」


「全部か?」


「全部です。」


 レオナルドは小冊子を凝視した。


「……真面目だな。」


「ありがとうございます。」


「褒めておらん!」


 セドリックは困ったように微笑むだけだった。


「殿下。」


「何だ。」


「私は殿下をお支えする立場です。ですが、今回の件については、まだ保証人として署名できるだけの理由を見出せておりません。」


「……。」


「殿下のためにも、お受けできません。」


 その言葉に、レオナルドは反論しようとした。


 だが、言葉が出てこない。


 今朝までなら、怒鳴っていたかもしれない。


 けれど先ほど国王に言われた言葉が、まだ耳に残っていた。


 説明できぬものを、他人は納得せん。


「では……。」


 レオナルドは残る二人の側近を見回した。


「……まさか、お前たちも。」


 二人は顔を見合わせると、小さく頷いた。


「「拝読いたしました。」」


 声がきれいに重なった。


「全員か……。」


 レオナルドだけが読んでいなかった。


「なぜ皆そんなに素直なんだ……。」


 側近たちは気まずそうに視線を逸らした。


 保証人二名。


 ——失敗。


 次だ。


 共同事業精算書。


 それなら担当部署へ行けばいい。


 レオナルドは気を取り直し、財務官の執務室へ向かった。


「共同事業精算書とは何だ?」


 財務官は眼鏡を押し上げた。


「共同事業を精算するための書類でございます。」


「それは見れば分かる!」


「左様でございますか。」


 財務官は少しも動じない。


 王子の勢いだけでは通らない。


 レオナルドは、この日初めてそれを知った。


「王家とローゼンベルク公爵家は、街道整備、学校建設、孤児院支援など七件の共同事業を行っております。」


「七件も?」


「はい。」


「……知らなかった。」


 財務官は少しだけ驚いた顔をした。


「ご存じなかったのですか。」


 その一言に、レオナルドは胸を突かれたような気がした。


 知らなかった。



 エレノアとの婚約が、王家と公爵家の間でどれほど多くの約束を生んでいたのか。


 その約束が、どれほど多くの人に関わっていたのか。


 考えたこともなかった。


「精算には、各事業の出資割合、今後の管理責任、利益配分、未完了事業の扱いを確認する必要がございます。」


「……それは、すぐ終わるのか?」


「終わりません。」


 即答だった。


「どれくらいかかる。」


「内容確認だけでも数日は必要かと。」


「数日……。」


「正式な協議となれば、さらに長くなります。」


 レオナルドは書類を見下ろした。


 紙一枚の向こうに、知らない現実が広がっていた。


 共同事業精算書。


 ——失敗。


 いや、失敗というより、入口にすら立てていない。


 次は法務官だった。


「慰謝料算定資料?」


「婚約を解消されるのでしょう?」


「そうだ。」


「でしたら必要です。」


「なぜ私が支払う前提なのだ。」


「婚約解消を申し出た側だからです。」


 またそれだ。


 管理局でも聞いた。


 そして、ここでも同じことを言われる。


「相手側に重大な契約違反が認められない場合、申し出た側が補償責任を負います。」


「重大な契約違反……。」


「ございますか?」


 法務官は淡々と尋ねた。


 レオナルドは口を開きかける。


 エレノアは冷たい。


 そう言おうとして、止まった。


 管理局で言われた言葉が蘇る。


 精神的なご感想になりますので。


 違いは何だ、と尋ねた自分に、クラリスは迷いなく答えた。


 かなり違います。


「……ない。」


「では算定資料が必要です。」


 また即答だった。


「ちなみに。」


 法務官は書類へ視線を落とす。


「婚約期間が十年以上であり、王家と公爵家の関係性を鑑みますと、補償額は相応のものになるかと。」


「相応とは?」


「かなりです。」


「かなり……。」


 レオナルドは、思わず椅子へ座り込んだ。


 慰謝料算定資料。


 ——失敗。


 夕方。


 レオナルドは自室に戻っていた。


 机の上には、管理局から受け取った必要書類一覧と、各部署で渡された資料が積み上がっている。


 婚約解消申請書。


 双方の署名。


 保証人二名。


 家門承認印。


 資産分割確認書。


 共同事業精算書。


 解消慰謝料算定資料。


 必要項目は、ひとつとして埋まっていない。


「多い……。」


 呟きは、誰に届くでもなく部屋に落ちた。


 数時間前までは、あんなにも簡単だと思っていた。


 婚約破棄。


 そう宣言すれば終わるものだと思っていた。


 だが実際には、何一つ終わっていなかった。


 それどころか、始まってすらいなかった。


「婚約とは……こんなにも重いものだったのか。」


 ようやく漏れた言葉に、セドリックが静かに目を伏せる。


 責めることはしなかった。


 ただ、王子の隣に立っていた。


 その時だった。


 コンコン。


「失礼いたします。」


 侍従が封筒を持って入ってくる。


「王立婚約管理局より、お届け物でございます。」


 レオナルドは勢いよく顔を上げた。


「追加か!?」


「いえ、ご案内とのことです。」


「……嫌な予感がする。」


 恐る恐る封を開ける。


 中には、数枚の紙が入っていた。


 一枚目。


 ――初めて婚約を解消される方へ。


「誰が初心者だ……。」


 二枚目。


 ――婚約解消申請に関するよくあるご質問。


 三枚目。


 ――必要書類チェックリスト。


 四枚目。


 ――申請書記入例。


 レオナルドは無言で紙を机へ並べた。


 記入例には、どこに何を書けばよいのか、赤い線と矢印で丁寧に示されている。


 必要書類チェックリストには、未提出の欄に印を入れられるよう、四角い枠まで用意されていた。


 よくあるご質問には、最初の項目としてこう書かれている。


 問。

 婚約破棄を宣言した場合、即時に婚約は解消されますか。


 答。

 解消されません。正式な手続きが必要です。


 レオナルドは額に手を当てた。


「管理局というのは……。」


 深いため息が漏れる。


「恐ろしいところだな。」


 隣でセドリックが小さく微笑む。


「親切、とも申します。」


「親切すぎる。」


 机の上には、まだ一枚も完成していない書類。


 そして、必要以上に丁寧な記入例。


 窓の外では、夕日が王都を赤く染めていた。


 朝の勢いは、もうどこにも残っていない。


 レオナルドはしばらく書類を見つめていた。


 やがて、ぽつりと呟く。


「……もう一度、管理局へ行く。」


 セドリックが顔を上げる。


「よろしいのですか。」


「分からんことだらけだ。」


 レオナルドは、悔しそうに必要書類一覧を握りしめる。


「だから、今度は説明を聞く。」


 その言葉に、セドリックは少しだけ目を見開いた。


 そして、静かに頭を下げる。


「はい、殿下。」


 こうして第一王子レオナルドは人生で初めて、自ら「説明を聞く」ことを選んだ。

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