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王立婚約管理局 ~婚約破棄には必要書類がございます~  作者: 焔
婚約破棄には必要書類がございます
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4/9

4話

 クラリスは応接室の前で足を止めた。


 扉を三度、軽く叩く。


「失礼いたします。」


 扉を開くと、淹れたての紅茶の香りがふわりと漂った。


 窓から差し込む柔らかな朝の光の中、公爵令嬢エレノア・フォン・ローゼンベルクは静かにティーカップを傾けていた。


 昨夜、卒業記念舞踏会で婚約破棄を宣言された当人とは思えないほど、その所作は落ち着き払っていた。


 クラリスの姿に気付くと、エレノアはティーカップをそっとソーサーへ戻し、穏やかに微笑んだ。


「お待ちしておりました。」


 クラリスは一礼し、その向かいへ腰を下ろした。


「状況はいかがでしたか?」


「書類不備です。」


「でしょうね。」


 エレノアは小さく笑った。


 驚く様子も、落胆する様子もない。


 最初から分かっていたようだった。


「実は今朝、公爵家にも連絡が参りました。」


「婚約破棄についてですか。」


「ええ。」


 エレノアは上品に頷く。


「父は『殿下は婚約を何だと思っておられるのだ』と呆れ、それから大笑いしておりましたわ。」


「それはまた……。」


「殿下は婚約を恋人同士のお付き合い程度にお考えだったようです。」


「婚約は契約ですので。」


「契約ですわね。」


 二人の認識にずれはなかった。


 コンコン。


 控えめなノックが響く。


「失礼いたします。」


 受付担当の職員が扉を開け、一礼する。


「クラリス様。リリアナ・フォン・ウェストン様がお見えです。」


「お通ししてください。」


 職員に促され、おずおずと応接室へ入ってきたリリアナは、部屋へ入るなり深く頭を下げた。


「も、申し訳ございません!」


 震える声だった。


 目元は赤く、昨夜からほとんど眠れていないことが一目で分かる。


「どうぞ、お掛けください。」


 クラリスが席を勧める。


 リリアナは恐る恐る歩み寄り、クラリスの隣へ腰を下ろした。


 エレノアの隣の席は空いていたが、さすがにそこへ座るほど無作法ではないらしい。


 差し出された紅茶へ口をつける。


 一口。

 

 二口。


 震えていた手が、少しだけ落ち着きを取り戻す。


「あの……私、本当に何も知らなくて……。」


「そうでしょうね。」


 エレノアは責めるような口調ではなく、安心させるように微笑んだ。


「昨日のご様子を見れば分かりますもの。」


 その言葉に、リリアナの目に涙が滲む。


「ありがとうございます……。」


 小さく呟くと、リリアナは膝の上で手を握り締めた。


「家へ帰ったら、お父様もお母様も大騒ぎで……。」


 ぽつり、ぽつりと話し始める。


「使用人のみんなも心配していて……。」


「今朝は、知らない方から手紙まで届きました。」


 クラリスは顔を上げた。


「手紙、ですか。」


「はい……。」


 リリアナは俯く。


「『人の婚約者を奪った女』って……。」


 応接室に静かな沈黙が流れる。


「皆さん、私が殿下を誘惑したと思っていて……。」


 震える声が途切れる。


「私は……。」


 その時だった。


「私は思っておりません。」


 静かに口を開いたのはエレノアだった。


 リリアナが顔を上げる。


「昨日のあなたを拝見しておりました。」


 エレノアは優しく微笑む。


「殿下のお言葉に、一番驚いていらしたのは、リリアナ様ご本人でしたもの。」


「エレノア様……。」


「あなたが謝る必要はございません。」


 一瞬だけ躊躇うように視線を落としたあと、エレノアはそっとハンカチを差し出した。


「どうぞ。」


 リリアナは目を潤ませながら受け取る。


「……ありがとうございます。」


 クラリスは二人のやり取りを静かに見届けると、手帳を開いた。


「それでは、事実関係を確認させていただきます。」


 羽ペンを取る。


「リリアナ様。」


「は、はい。」


「殿下から正式に想いを告げられたことはございますか。」


「ありません。」


「お二人きりでお会いになったことは。」


「ありません! そのようなことは一度も!」


 思わず身を乗り出すような勢いだった。


 クラリスは静かに頷く。


「承知いたしました。」


 さらさらと羽ペンが走る。


「文通は。」


「ございません。」


「贈り物は。」


「いただいておりません。」


 クラリスは最後まで書き留めると、小さく頷いた。


「参考になります。」


 リリアナは思わず目を丸くした。


「な、何のですか!?」


「事情聴取記録です。」


 さらさらと羽ペンが走る。


「後日、『そのような発言はしていない』となる場合がございますので。」


「そ、そこまで記録するんですか?」


「過去に、そのような事例がございましたので。」


 クラリスは淡々としていた。


「……あったんですか。」


「ございました。」


 あまりにも迷いのない即答だった。


 リリアナは思わずクラリスを見つめる。


「婚約管理局って……大変なんですね。」


「珍しいことではございません。」


 エレノアが思わず口元を隠して笑う。


 その穏やかな笑顔につられるように、リリアナの表情にもようやく笑みが戻った。


 重苦しかった応接室の空気が、少しだけ和らぐ。


 クラリスは最後の一行を書き終えると、静かに手帳を閉じた。


「ありがとうございます。」


 二人へ順番に視線を向ける。


「おおよその事情は把握いたしました。」


 そして、姿勢を正した。


「では、一つ確認させていただいてもよろしいでしょうか。」


 応接室の空気が静かに引き締まる。


 ここから先は、書類には記されない当事者の想いを確かめる時間だった。

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