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王立婚約管理局 ~婚約破棄には必要書類がございます~  作者: 焔
婚約破棄には必要書類がございます
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2/9

2話

 広間は、水を打ったように静まり返っていた。


 誰もが耳を疑い、誰もが目の前の光景を信じられずにいる。


 卒業記念舞踏会。


 その華やかな祝宴の壇上で、第一王子レオナルドは、公爵令嬢エレノア・フォン・ローゼンベルクとの婚約破棄を宣言したのだ。


「私は真実の愛を見つけた!」


 堂々と言い放つ王子の声だけが、広間によく響く。


 その視線の先に立っていたのは、子爵令嬢リリアナ・フォン・ウェストン。


 突然すべての注目を浴びた彼女は、驚いたように目を見開き、その場に立ち尽くしていた。


「……え?」


 小さく漏れた声は、ざわめきにかき消される。


「まさか……」


「本当に婚約を破棄するつもりなのか?」


「こんな公の場で……?」


 貴族たちは互いに囁き合う。


 婚約とは個人同士の約束ではない。


 家と家が結ぶ契約であり、ときには王国の政治すら左右する約定でもある。


 まして相手は、公爵家。


 その婚約を卒業記念舞踏会の壇上で、一方的に破棄するなど前代未聞だった。


 しかし当のレオナルドは、周囲の反応など意に介さない。


「私が愛するのはリリアナだ! 真実の愛の前では、古い契約など意味を持たない!」


 熱に浮かされたようなその言葉に、広間の空気はさらに重くなる。


 誰もがエレノアへ視線を向けた。


 突然婚約を破棄された当人である彼女は、どんな表情を浮かべるのか。


 泣き崩れるのか。


 怒りを露わにするのか。


 だが。


 エレノアは静かだった。


 ゆっくりとレオナルドを見つめ、小さく一礼する。


「……承知いたしました。」


 その声は驚くほど穏やかだった。


「ですが、殿下。」


 凛とした声が広間に響く。


「婚約は、口頭では解消できません。」


「何……?」


「正式なお手続きをお願いいたします。」


 レオナルドは目を丸くした。


「手続きだと?」


「はい。」


 エレノアは落ち着いた様子で続ける。


「婚約の解消には、必要書類の提出と受理が必要です。」


 一瞬の静寂。


 そして、広間は再びざわめきに包まれた。

 


 そうだ。


 婚約は契約である。


 契約には手続きがある。


 それは貴族であれば誰もが知る常識だった。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。


 王都中央区。


 王宮外郭庁舎第三棟。


 そこには王国でもっとも地味で、もっとも恐れられる役所が存在していた。


 その名も――王立婚約管理局。


 貴族間の婚約登録、婚約変更、婚約解消。


 さらには結婚予定日の管理に至るまで、婚約に関するあらゆる手続きを担う特殊機関である。


 王都の貴族たちからは、密かに「恋愛より書類を愛する者たち」と恐れられていた。


 もっとも、それは決して誇張ではない。


 貴族社会は契約社会。


 婚約は恋愛ではなく、家と家を結ぶ法的契約でもある。


 ゆえに婚約破棄にも正式な手続きが必要だった。


 必要書類を揃え、双方の意思を確認し、法務審査を経て、初めて婚約は解消される。


 それが、この国の決まりだった。


 そして、その決まりを日々守り続けているのが、この王立婚約管理局である。


 朝の鐘とともに庁舎の扉が開き、職員たちが次々と執務室へ向かう。


 クラリスもまた、自席へ着くと、机の上に置かれた本日の予定表へ目を通した。


 婚約届が三件。


 婚約内容変更届が一件。


 照会依頼が二件。


 そして、本日予定されている婚約解消手続きは――ゼロ件。


 クラリスは予定表を閉じず、そのまま静かに見つめる。


 昨夜、卒業記念舞踏会で起きた出来事が脳裏をよぎった。


 第一王子レオナルドによる婚約破棄宣言。


 あれだけ大勢の前で宣言した以上、今日にも何らかの動きがあるかもしれない。


 もっとも、正式な手続きを行うのであれば、通常は事前に管理局へ連絡が入る。


 予定表に記載がない以上、正式な申請は受理されていないということだ。


 だからこそ、クラリスはいつもどおり書類の確認を始めた。


 契約は、人を守るためのもの。


 一枚の書類が、一人の人生を守ることもある。


 だからこそ、どんな案件であっても手を抜くことはできない。


 その時だった。


 執務室の扉が勢いよく開かれる。


「ク、クラリス様!」


 受付担当の若い職員が、息を切らせながら飛び込んできた。


「た、大変です!」


 執務室中の視線が、その職員へ集まる。


 クラリスは慌てることなく顔を上げた。


「どうしました?」


「第一王子レオナルド殿下がご来庁されています!」


 その一言に、室内がざわつく。


「第一王子殿下が?」


「なぜ管理局へ……?」


 職員たちの戸惑う声が小さく漏れる。


 クラリスだけは静かな表情を崩さなかった。


「ご用件は?」


「婚約解消のお手続きとのことです!」


 クラリスは一瞬だけ予定表へ視線を落とす。


 本日、婚約解消手続きの予定――なし。


「……そうですか。」


 静かに予定表を閉じる。


 そして椅子から立ち上がると、いつもと変わらない穏やかな口調で告げた。


「応接室へご案内してください。」


 執務室が静まり返る。


 ——第一王子を迎える準備が、静かに始まった。

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